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しちろ
2023-05-07 19:29:31
47467文字
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LOM・宝石泥棒編
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宝石泥棒編 3
聖剣LOM宝石泥棒編。マイホーム、岩壁に刻む炎の道、男主人公の裏話。47,000字。
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7
青年は炎を守っている。
人から人へ。古き世代から新たな世代へ。終わる時代から始まる時代へ。
灯された日より長きにわたり、戦乱の時代をも乗り越えて、決して絶やされることのない癒しの炎。現在は炎の技師と呼ばれる火守によって管理され、始まりの時から変わることなく燃え続けている。
一つ、また一つ。
ルーベンスは篝火に特殊な燃料を与え、炎の姿形を整える。
ここ、癒しの寺院は聖なる風によって守られており、廊下や修道場を風が吹き抜ける構造になっている。適切に管理しなければ、炎は早々に燃え尽きてしまうのだ。
修道女たちは、影のような彼をほとんど気には留めない。必要最低限の会話をするのみで、あとはせいぜいすれ違う時に軽く会釈を交わす程度だ。
もっとも、ルーベンスにとってはその方が望ましかった。誰かと関わるのも関わられるのもルーベンスには煩わしいことでしかない。
ただし、例外もいる。
「ルーベンス」
巡回中のルーベンスを、付近の部屋から出てきた若い女性が呼び止めた。
僧兵長のダナエ。数年前、ルーベンスに寺院の仕事を世話した人物である。
「夢見の間の炎、今日もよく燃えているわ。司祭様も、今までの技師の中であなたの灯す炎が一番落ち着くと言ってる」
「それは光栄なことだが、炎など誰が管理しても変わらないだろう。俺は先代に教わったまま、手順通りのことをしているだけだ」
「そんな謙遜、しなくても」
下働きの雑用から始まって、今では炎の技師として寺院の火の番を一手に引き受けているルーベンス。女性ばかりの寺院では貴重な男手でもある。
彼は必要以外のことは何も語らない。雑談はおろか自分のこともろくに話さない寡黙な男だったが、仕事ぶりはいたって真面目で正確であり、ダナエは少なくとも信頼に足る人物だと思っている。
「知っているのよ。あなたがいつも気を遣ってくれているの。マチルダがよく眠っている時間を見計らって来てくれているのでしょう? 友人として、お礼を言わせて」
寺院の僧兵長を務めるダナエにとって、司祭は個人的に友人でもある。今の寺院で純粋な司祭の味方は決して多いとはいえず、そんな中のルーベンスのような些細な気遣いはダナエにはうれしい。
ルーベンスは言葉で答えることなく、無言で小さく会釈のみをした。
ダナエとしては、ルーベンスにもう少し打ち解けてほしい気もあるのだが、無理強いする気もない。
ルーベンスはある日、ふらりとガトへやってきた。
何か目的があるようにも見えたし、ないようにも見えた。あるいは悩める巡礼者のように、何らかの癒しを求めてきたように
……
見えなくもなかった。要するに、よくはわからない。それでも彼は、よかったら寺院で働いてみないか? というダナエの誘いを承諾し、ここに残ることを選んでくれたのだからそれで十分だろう。詮索を望まない彼にあれこれ聞けば、来た時と同じようにまたふらりと去ってしまうような気がした。
(何か、少しでも
……
癒しや希望なりが、彼に見つかればいいのだけれど)
それが見つかった時こそ、ルーベンスはここを去るかもしれない。それならば、その方がいいのだろう。
存在感の希薄な長身は回廊の先に消えてゆき、ダナエは一人嘆息した。
「といっても、私も、人のことは言えないわね
……
」
炎の技師ルーベンス。
彼には、ここでは知られていないもう一つの呼び名がある。
多くの仲間が彼に続き、彼の姿に希望を見た。
かつて一族を率いた、彼の二つ名。それは今、もっともルーベンスにそぐわない。
岩壁に刻む炎の道
断崖の町ガト。
その名の通り、切り立った断崖に作られ、癒しの寺院を頂に抱く、聖なる風に守られた炎の町。
魔法都市を目指す途中、カイたちには珍しく観光目的で訪れたこの地でなんと、珠魅が見つかった。
そう、見つかったのだ。
「なんっなんだ! アイツは!」
固い岩盤を切り開いて作られた急な坂道を、瑠璃が憤懣やるかたない様子でズカズカ歩いていく。砂のマントが荒っぽく揺れている。その後に困るなあという顔のカイ、少し距離を置いて例によって例のごとく無表情のシオンが続いていた。
瑠璃の勢いに驚いた町の人々がいちいち振り返る。彼の気持ちはわからないでもない
……
が、目立つこと甚だしいのでとてもやめていただきたい。
最近少しばかり丸くなった瑠璃を、こんな風にした原因
――
赤い髪と衣の青年は、風のテラスに音もなく佇んでいた。
――
信じられない。
自身の核が煌いた瞬間、そんな顔を瑠璃はたぶんしていたと思う。
珠魅に生まれながら、瑠璃の知る煌めきとは、真珠姫と先日のサフォーの核。そしてほかにもう一人。たったそれだけだったのだから。
「
……
珠魅、か?」
青年の聞こえるか聞こえないかの呟きによって、今しがた感じた煌めきが間違っていなかったことを瑠璃は知った。
瑠璃が長年探していた、心から探し求めていた珠魅の仲間。
それが今、目の前にいるのだ。
しかも、彼は生きている。
生きて、存在している。
「これは驚いたな。こんな場所で珍しい」
青年は驚いたというわりに、全くそうは見えない。
外見上は、瑠璃より数歳程度年上といったところだろうか。逆立つ赤い髪を持ち、炎の意匠が施された深紅の装束を身にまとっている。そんな目立つ外見をしているにも関わらず、彼は赤茶色い断崖の風景にすっかり溶け込んで、静かに存在していた。纏う雰囲気にも瞳にも覇気のない、虚ろな影か空気のような青年だった。
「オレは瑠璃。アンタ、ルビーの珠魅
……
だな?」
瑠璃の問いかけがやけに低いものだったのは、そうでなければ感情を抑えられそうになかったから。
カイなどは、瑠璃の核が煌き、そしてルーベンス自身が珠魅かと口にしなければ、全くそうだとは気が付かなかっただろう。ルーベンスは一部の隙もない衣服に身を包み、その上からさらにスカーフまで巻いていた。
ルーベンスは目だけで左右を見渡し、人気がないのを確認して言った。
「石の種類までわかるとは恐れ入る。君はラピスか」
至極平静な青年の返事に、瑠璃の身体がうち震えて見えたのは、おそらくカイの気のせいではない。
とうとう、見つかった。
あれほどまでに熱望し、探し続けた仲間が、ついに。
青年
……
名がルーベンスであることは、最初に顔を合わせたときに彼本人から聞いている。顔を合わせたと言っても一方はただの旅行者、一方は寺院の関係者として、通り一遍の挨拶をしただけだ。
『俺はルーベンス。ガトの寺院で炎の技師をしている』
ルーベンスは炎の技師として癒しの寺院で働いており、寺院の火を絶やさないのが役目だった。珠魅であることを完璧に隠しているようで、瑠璃が「アイツ、どうも気になるな
……
」と言わなければ、カイはまず気にも留めなかっただろう。
気持ちを昂らせる瑠璃に対して、ルーベンスには何の感慨もなさそうだった。
「珠魅がよくこんな古い町に来たな。宝石泥棒が各地に出没していることくらい、君も知っているだろう。早々に立ち去ることを勧めるが」
「危険だから立ち去れって、アンタはここに住んでいるんじゃないのか」
「そうだ。珠魅ということを隠せば、どこででも生きていくことはできる」
『できる』というより、珠魅が人間に紛れて生きるにはそうするしかない。けっして目立たぬよう、年を取らないことに気付かれぬよう、一所にとどまらず、少しずつ居場所を移しながら。でなければ、以前の瑠璃と真珠姫のように拠点を持たずあてのない旅をするか、ひたすら人との接触を避けて隠れ続けるか、だ。己そのものとも言える核をひた隠し、珠魅であることを押し殺して生きる辛さを、瑠璃は痛いほど知っている。
だから、瑠璃は誘わずにはいられなかった。
「なあ、アンタ。そんな風に正体を隠すより、オレたちと一緒に来ないか?」
「どういうことだ」
ルーベンスは倦んで見えた。
彼がガトを気に入っているだとか、仕事に生きがいややりがいを感じているのならまた話は別だが、そんな風にも見えない。
「オレたち、仲間を探しているんだ。珠魅の仲間を。そのために旅をしている」
「仲間を? そんなもの探してどうする気だ」
「どうするって
……
」
そんなもの呼ばわりされた瑠璃は、当惑気味に答える。「珠魅は珠魅同士、一緒にいるのが自然じゃないか」
仲間同士なら無理に核を隠す必要もないし、力を合わせれば、珠魅狩りから身を守ることもできるだろう。ルーベンスさえよければ、当座匿ってもらえる場所もある。そんな瑠璃の主張を、ルーベンスは一言で切り捨てた。
「
……
くだらない」
吐き捨てるような一言だった。
なんだと、と瑠璃が眉を上げる。
「くだらないと言ったんだ。瑠璃といったか? 君はまだ若い珠魅のようだが」
「それがどうした」
「瑠璃、君は珠魅の都市は知っているか?」
「珠魅の
……
都市? 珠魅だけの町があるのか?」
もし存在するのなら、瑠璃には夢のような場所だ。仲間が集い、暮らす街。瑠璃だけではない、真珠姫を連れていってやればどれほど喜ぶか。
瑠璃の驚嘆と隠し切れない高揚を見て取ったルーベンスは、やはりな、という顔をして抑揚なく言い切った。
「もうない」
「なん、だと」
「
……
本当に知らないようだな。ならば教えてやる。珠魅の都市はな、仲間の裏切りで滅びたんだ。珠魅狩りのせいでも他国の侵略のせいでもない」
「ウラギリ
……
?」
おうむ返しにした瑠璃はとても信じられない、という様相だ。うたかたの夢を見た後だけに衝撃は大きい。
ルーベンスは世間知らずの騎士に、知っていれば安易に『珠魅同士一緒にいるのが自然』などと言えないだろうと、そう言いたげだった。
「そうさ、裏切りだ。仲間だろうがもう信じられない」
「バカな! 珠魅が珠魅を信じないで何を信じるんだ。他種族を信じろっていうのか? オレたちを装飾品用の宝石だと思っているような連中だぞ!」
「同感だ。俺も他の種族なんて信じてない」
ルーベンスの拒絶は頑なで、何物も受け付けない。
瑠璃の威勢が急速にしぼんでいくのが、そばにいたカイにも分かった。
「珠魅も、それ以外も信じないのか
……
アンタは
……
」
「そうだ、もういいだろう。俺に関わるな」
「言われなくても消える」
もはや語り合う言葉などない。
行くぞ、とカイ達に合図して瑠璃は踵を返そうとした。
「瑠璃、君も珠魅だなんて言いふらすなよ。そいつらだって君の核が目的かもしれない」
ルーベンスが胡乱げに視線を送った先は、先ほどから口を挟めずにいたカイと、黙って話を聞いていたシオン。
瑠璃の顔が見る間に怒気を帯びた。
瑠璃自身まさにその可能性を恐れ、一度、二人のそばを離れている。それだけにルーベンスの言葉が深く刺さった。誰一人信じないこんな顔を、誰一人寄せ付けないこんな目を、あの頃の自分はしていたというのか?
とっさに怒鳴りつけそうになった瑠璃は、しかし、代わりにきつく拳を握り奥歯をかみしめた。拳は、細かく震えていた。
「カイ、ルーベンスのことは真珠に言わないでくれ。やっと見つけた仲間がこんなのじゃ、アイツががっかりするから」
絞り出すのがやっとだった。
見つけた珠魅は仲間などではなかった。珠魅は珠魅自身の手で滅びに瀕していた。カイたちを置いて、瑠璃は真っ先にテラスを後にした。
早足で行く砂のマントを小走りで追いながら、カイはルーベンスを振り返る。
誰も、何も信じないと言うのに
……
なぜ、あの人はあんなに悲しそうなのだろう。
ルーベンスと決裂してから、瑠璃は爆発寸前だ。
すっかりストーカー事件の頃に逆戻りしてしまった風情だが、あの時と違うのは、怒りの対象がまさかの珠魅だということである。
「瑠璃」
「なんだ!」
噛みつく勢いで振り返った瑠璃は、警戒心の強い彼にしては珍しく、街中で核を無防備に晒していた。
シオンが無言で胸元を指さすと、瑠璃はイライラした様子でマントを身体に巻きつける。単純に頭から抜けていたのもあるだろうが、大部分はおそらくルーベンスへの反発だ。珠魅なのに珠魅であろうとしない。仲間すら信じない。それらの事実が彼を苛立たせている。
カイの脳裏に先ほどのルーベンスが浮かぶ。
何の色も浮かばない、くすんだ瞳。
無口で表情に乏しいといえばシオンも似たり寄ったりだが、彼の場合マイペースな性格や意外な付き合いの良さもあり、慣れればそこまで悪い感じはしない。ルーベンスは全てを諦め、生きることに倦み疲れた
……
そんな印象だった。
「さて
……
これからどうしようか」
とりあえず昼食を済ませたところで、カイがわしわしと頭をかく。すっかり気が削がれてしまったが、もともと、ガトには観光で訪れたのだ。
どうしようかななどと思っていると、瑠璃が勢いよく席から立ち上がった。
「カイ! シオン! 行くぞ、人間の寺!」
「え、行くの?」
「当たり前だ! そのためにガトに来たんだろう」
ほとんどやけっぱちだ。内心そんな気には到底なれなかった瑠璃だが、ルーベンスのせいで予定を取りやめるとか、それはそれで癪に障る。
いいのかなぁ
……
とカイがシオンを見ると、好きにさせてやれば、とシオンがぼそっと言った。
ガトは炎と風の町である。
火と風の精霊の加護が篤いこの地に人は集い、岩を砕き道を刻み、幾星霜を経て大きな町を作り上げた。そしてその頂、天に差し出されるような高みに、象徴となる寺院を打ち建てた。ドミナやロアが自然と人が集まり生まれた町であるならば、ガトは、人々のたゆまぬ努力と不屈の精神によって創りだされた町である。
「すごいね、これが癒しの寺院!」
初めて目の当たりにする寺院の威容。カイが感嘆の声を上げた。
癒しの寺院は切り立った断崖の先端に位置しており、規模自体は大きくはない。
精神だの波動だのと言った教義については、カイはよくは知らない。おそらく聞いてもわからない。寺院についてカイが知るのは、創設以来絶えることのない炎を、癒しの炎として崇めているという一般的な知識程度である。要するに、今のカイたちは正真正銘ただの観光客であった。
「これは、大したものだな」
中空に浮かぶようにすら見える癒しの寺院。
寺院に興味のなさそうな瑠璃でさえ、何やら感じるものはあったらしい。
重厚な扉を押し開き足を踏み入れると、中は吹き抜けの礼拝堂になっていた。教会のように祈るというよりは瞑想のための礼堂であり、数々の聖獣や聖者の彫刻が修行者たちを見下ろすかのごとくぐるりと取り囲み、正面にそれは見事なステンドグラスが嵌め込まれている。
「綺麗
……
」
カイが思わずため息を漏らす。
癒しの寺院のステンドグラスは、聞きしに勝る美しさだった。
午後の陽光を透過した色とりどりの光彩が堂内に降り注ぎ、まるで宝石のような煌めきを見せている。カイは、神聖で静謐な美にしばし時を忘れた。次に訪れるときはぜひ双子や真珠姫も連れてきて見せてやりたい。
「この寺院、妖精戦争より前からあるらしい」
「ひえ」
すると、900年以上前だ。
妖精戦争時代まではファ・ディール各地に寺院が存在していたのだが、戦争の勝者によって多くの寺院が整理され、実質規模を縮小させられた。ガトの寺院はその権威の大きさから存在を赦された数少ないうちの一つなのだが、寺院支配円滑化の名のもと男性の修道士は廃されてしまい、修道女のみが認められた。国家という概念がほぼ消失し、戦争の勝者も敗者もなくなった現代でも寺院の形態はそのまま残り、修道女のみが修行に明け暮れている。
そんな癒しの寺院で炎の技師として管理を任されているのが、先ほどのルーベンスである。修道女しかいない癒しの寺院で、ルーベンスは唯一、外部の者でありながら働くことを許されている男性のようだった。
「ルーベンスさん、ですか?」
実際、その辺にいた修道女にルーベンスについて尋ねてみると、彼の評判は悪くはなかった。
「勤勉すぎるくらい勤勉な方ですよ。一日たりとも休みませんし時間には正確ですし。とても寡黙でご自身の話は少しもなさいませんが
……
」
「よくそんな素性の知れないヤツを雇う気になったな」
珠魅であることを捨て人間に紛れて働く感覚は、瑠璃にはどうもピンとこない。
「僧兵長のご推挙と聞いています。どこからかふらりとやってきた方でしたし、たしかに当時は貴方と同じことを言う者もいましたけれども、世話焼きなのでね、
僧兵長
あの方
は
……
。それに今では、炎の扱いでルーベンスさんに敵う者はいませんよ」
アンタみたいなやつがここにもいるんだなと瑠璃に言われ、カイはどういう意味だと頬を膨らませた。瑠璃は自分のことは完全に棚に上げて思う。あのルーベンスにわざわざ世話を焼こうとか、僧兵長とやら、よほどのお節介かお人よしだ。
「ご希望があれば、癒しの炎の分火をお持ち帰りいただけますよ。旅のお守りとしてランプに入れていく旅人も多いですわ」
「え、それほしい」
「アンタ、炎のアーティファクト持ってるだろ
……
」
「それとこれとは別だよ! 旅の思い出っつーか記念の品というか
……
分からないかな瑠璃」
「わからん」
「まったく」
奥に行けば係の修道女がおりますのでと言われ、そちらへ向かう。
回廊にもいくつも炎が灯されている。こんな風の強い土地で火を絶やさないのは並の努力ではないだろう。何代も何十代にも渡って一度も絶やされることなく受け継がれ、今はルーベンスが守をしているということになる。
「火をもらえるの、ここかな?」
案内された奥の間をのぞいてみると中央に火が焚かれており、その奥に赤い人影があった。
「あれ? ルーベンスさんじゃない?」
背を向けているが間違いない。勤務中なのか、奥の椅子に腰かけて何やら書き物をしている。おそらく気配に気づいたか。ルーベンスの手は一瞬止まったが、すぐに続きを記しはじめた。
瑠璃があからさまに舌打ちした。よりによってなんで今いるんだ。いるのは修道女じゃなかったのか。
「オレは、会わない」
「え、ちょっと瑠璃」
カイの引き留めなど聞きもしない。
先に宿に入っていると言いおいて、瑠璃はさっさと引き返していってしまった。
「
……
もう」
こうなると瑠璃はとことん意固地だ。
声をかけるべきか迷ったカイだったが、思い切って話しかけることにした。
「あのう
……
ルーベンスさん」
ルーベンスは振り返りもせず、仕事を続けている。
「君たちは、さっき瑠璃と一緒にいた人間か。何か用か?」
彼がつけているのは炎の管理記録のようだ。内容まではわからないが、カイがちらっと見た限り丁寧に記されているように見えた。
「実はあたしたち、癒しの寺院にお参りに来てて
……
」
火が欲しいです。
おずおずとランプを差し出すと、ルーベンスはようやく振り向き、無言で受け取った。本音はどうあれ職務上のことでは断れはしない。さっさと仕事を済ませようとしたのだろうが、ランプを開けたときにこんなことを呟いた。
「
……
いいランプだ」
カイの顔がぱっと輝いた。
「でしょでしょ! ロアのリュミヌーって人が作ってて」
彼女の自慢の逸品だ。
リュミヌーのランプが自分でも欲しかったカイは、帰宅後、代金と引き換えでひとつ作って送ってもらった。旅に持っていけるように手提げ式で。少し奇妙な形をしたリュミヌーのランプは火の精霊との親和性が高く、とてもきれいに火がともる。
「あたしだけの特注なんだ! 褒めてくれた男の人、ルーベンスさんだけだよ」
世界に一つだけのランプをコロナと真珠姫は可愛いと言ってくれたが、瑠璃にしろシオンにしろまるで無反応で、カイの周りの男どもは情緒がないというか、がさつでしょうがない。
ルーベンスが火を入れたランプは、それは美しかった。
彼は一度ランプを顔の高さに持ち上げ、炎の具合を確認する。間近に赤々と照らされたルーベンスの姿はなるほど、炎の技師というのも頷ける。
ルーベンスに無表情で渡されたランプを、カイは笑顔で受け取った。精霊のランプはそう簡単には消えない。
「ありがとう、大事にするよ! 今回の旅が終わっても、絶対に消えないよう大切にする」
「いい心がけだが、それは難儀だな」
炎の管理者の言葉は、静かだけれども説得力がある。カイは少し小さくなって、なるべく消えないようにしますと言い換えた。もし消えてしまったら、もう一度ここに来よう
……
。
「君たちは、瑠璃と旅をしているのか」
ルーベンスが聞いてきた。
「うん
……
珠魅の仲間を探してて」
「物好きだな。人間なのに」
「そうかなあ
……
。ルーベンスさん、前の瑠璃みたいなこと言うね」
珠魅はとかく、人間との線引きをきっちりしたがるものらしい。大概の珠魅が人間嫌いだということは理解しているつもりだが、それはそれとして友達の力になりたいということが、そんなにおかしなことだろうか。
ルーベンスは、ここで初めてほんの少し驚いたようだった。
「瑠璃が、そんな風に言っていたのか?」
「そだよ。どころか、人間なんか信じられるかって勝手に出てったことあるし」
そんなポルポタでの出来事は、それほど前のことでもない。今でこそ笑い話にもできようが、あれは本当にシャレにならなかった。
「ならば、俺から今一度忠告しておこう。君たち、不幸になりたくなければ珠魅には関わらないことだ」
サンドラと同じことを言う。
「一緒にいるだけで不幸になる?」
「珠魅は、同じ珠魅を救うことすらできない種族だ。それがどうして他を癒してやれる? 守ってやれる」
淡々と紡がれるルーベンスの言葉は、カイにはどこか自嘲めいたものに感じられた。
……
もしかしてルーベンスには、癒したい誰かがいるのか。
「別にあたしたち、お互いに見返りが欲しいと思って一緒にいるわけじゃないよ。癒してほしいだとか守ってほしいだとか、そういうのっておかしいと思う」
「
……
」
「
……
すみません、あたしなんか生意気なこと言ったみたい」
どうもまずいことを言ったらしいと、固まったルーベンスの様子でカイは気づいた。シオンがカイに白い眼差しを送っている。
「
……
先ほども話したが、すぐにでもこの街を立ち去ることだ。君が瑠璃と仲間だというのならば、瑠璃を連れて早く行くがいい」
ルーベンスが抑揚なく言う。一気に気まずくなってしまった。
「ルーベンスさん、炎、ありがとう。もし消えてしまったら、その時はまたよろしくお願いします」
無言のルーベンスにお礼を言い、カイは部屋を辞することにした。
「
……
お前、時々すごいこと言うな」
「え、そう?」
シオンの言いようは、感心しているんだか呆れているんだかわからない。
分火の灯るランプを手に提げ、回廊をさらに奥に行こうとすると、二人は修道女に呼び止められた。
「そちらにあるは夢見の間。立ち入りはお控え願います」
「ゆめみのま?」
「司祭の部屋です。本来ならば参拝者の悩みや相談をうかがうお時間なのですが、司祭の具合が優れませんで」
それでは仕方がない。
礼拝堂のほうへ戻りながら、カイは寺院の者からいくつか話を聞くことができた。修行の悩みや悟りの話。修道女の一人などは、司祭が頼りないせいで修道女にも怪しい人が増えました、などとこぼしている。
癒しの寺院を支える家系はいくつかあるのだが、寺院の象徴たる司祭はほぼ形骸化。本人も体調が悪く、聖騎士の家系に至っては次期当主
――
時期を考えれば現当主かもしれない
――
が十年前に失踪しており、生存は絶望的という状況である。荘厳な雰囲気とは裏腹に、ふらりと訪れた参拝者にこんな愚痴を漏らしてしまうあたり、寺院の権威の失墜が見て取れた。
もちろん、そんな内情は参拝客にはあまり関係がない。
「綺麗なステンドグラスね。ここまで頑張って来て、本当によかったわ」
「ああ、おかげでいい旅の思い出ができた」
すれ違う旅人たちが楽しげに笑い合う。
訪れる者の大半はこのような物見遊山の観光客か、一時的な癒しを求める者ばかりだ。それらは大概、美しいステンドグラスと見事な彫刻類と、寺院に刻まれた歴史や雰囲気に触れ、重厚な礼拝堂で瞑想の真似事でもすれば満足する。
そういった寺院の刹那的なありかたを問題視する者もいれば、昔の修道女は愚痴ばかりでわからずやだと文句を言う若い修道女もいた。
「昔からいる修道女はみんな言うのよ。『昔の修道女はもっとしっかりしてた』」
不満げに言う修道女は目元しか見えていないが、張りのある声や雰囲気からするに、カイたちとそう歳は変わりなさそうだった。
若い修道女は、カイのランプを見て言った。
「古いしきたりとか、あらゆる雑念を捨てて精神修行に明け暮れるとか、その方が時代に合わないと思うわ。その」ランプの火を指さす。「ルーベンスさんだって、誰かのために万能薬を探している、とか聞いたことあるし」
ここにきて、あまりに意外な情報だった。
目を丸くしたカイが、とっさに聞き返した。
「万能薬? ルーベンスさんが?」
「ウワサよ、ウワサ。彼が管理室で読んでた本が、たまたまそのページだったってだけ。人気に気付くとすぐ本を閉じてしまったみたいで、余計に、ね」
誤魔化したせいで、かえって修道女たちの興味をひいてしまったのか。
口の軽い修道女は、その辺の噂好きの一般人と変わらない。修行が足りないから俗っぽいのか、俗から抜け出せないから修業が必要なのかは、カイにはわからないが。
『同じ珠魅を救うことすらできない』
薬が欲しいということは、やはり救いたい
……
癒したい誰かが、ルーベンスにはいるのかもしれない。
寺院を出たカイは、手近な物知りに尋ねてみた。
「キミは、万能薬って知ってる?」
「さっきの話のやつ?」
「うん」
読書家のシオンは、カイより知識が多い。
万能薬というからには、あらゆる病に効力を発揮するのだろう。そうそう手に入るものとも思えないが、もし実在するのならばまさに夢のような薬だ。
寺院と門前町をつなぐ道の途中で、しきりにお腹をさすっている草人とすれ違う。
なんとなく二人でそれを見送ってから、
「まさかとは思うけれど
……
」シオンがカイに聞いた。「ルーベンスのために万能薬を探してやろうとか、思ってはいないよな」
「すごいね、なんでわかったの」
本気かよ。
彼女に付き合い、散々事件に巻き込まれた一か月の賜物なのか。カイのお節介の虫が騒いでいるのが、今ではシオンにはわかるらしい。
「カイ。お前、毎度毎度たまたま会っただけの、しかもあんな感じの悪い奴によくそこまで親身に協力する気になるな」
「なんだよ、瑠璃だっていいやつだったじゃん」
「俺は、別に瑠璃だとは言ってないけど」
あれとかそれとかたくさんいたし。セイウチとかペンギンとか、ウマとか。
「むかつく」
カイはイラっとした。感じが悪いってんなら、あたしの目の前のキミが最強だ。
「で、どうなのさ。万能薬」
「探すだけ無駄だと思う」
打てば響くシオンの答えは、あまりにも身も蓋もない。知る知らない以前の話だし、カイはそういうことが聞きたいわけではない。
シオンは言い方を変えた。
「聞いたことは、なくもないよ。でも、お前には絶対に手に入れられないと俺は思う。だから、探したところで時間の無駄だ」
言い方を変えたところで、カイからしたら腹の立つ言い方であることは変わらない。しかし少なくとも、彼が何か知っているのはカイにも伝わった。
「断言しなくてもいいじゃん。めちゃくちゃ高いとか?」
「それもあるけど、そういう意味じゃない」
じゃあ、どういう意味だよ。
肝心なことははぐらかされてばっかりで、カイはだんだん焦れてきた。
「どうしても知りたいなら、あとで話す。どうせ瑠璃も聞くだろ」
シオンはあまり話したくはなさそうだ。
とりあえずそれで引くことにしたカイは、一つだけ彼に質問してみた。
「あたしがダメならさ。キミだったら万能薬、手に入れられる?」
手に入れられないということは、存在はしているわけだ。為しえるのが誰だろうが、たとえカイには無理でも要は手に入ればいいのである。
シオンの返事は、彼にしてはあいまいだった。
「
……
どうだろう」
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