Scene#2
「で、成果ナシでそのまま帰ってきたってワケ?」
夕陽の沈みかける海辺近くに停めたキッチンカーの前、千束と二人で気まずそうに突っ立ったまま、キッチンカーからこちらを見下ろすミズキさんのじとっとした視線に晒される。店の前でアウトドア用の椅子に腰掛けるクルミは、呆れたようにわたしたちを一目見たあと、スマホを横持ちしながら何かしらのゲームに勤しんでいた。

「えっとぉ〜
……成果の方はナシでしたけどもぉ、なんと青果はアリまぁす!!」
「アッッッッホかぁ!!」
千束が買ってきた野菜と果物の入った袋を掲げながら叫んだ瞬間、それ以上の大声でミズキさんのツッコミと千束に向けてのチョップが飛んできたが、ツッコミの方はともかく、繰り出されたチョップは空を切ることになった。
「すみません
……シナハン、のつもりが、いつのまにかショッピングに
……」
「ま、素人が少し散歩してすぐシナリオ思いつくことなんてないだろ。世の中のシナリオライターが泣いて悔しがる」
クルミは最初からそこまで期待していなかったのか、あまり大したことなさそうにそう告げる。千束は拗ねるような表情をしたあと、手に持っていた袋をキッチンカーのカウンターにのせてため息を吐いた。
「いいと思ったんだけどなぁ、映画撮影
……」
「アンタのせいで働かされた身にもなんなさいよっ」
「むー、叩くなよぉ
……」
カウンターの頭上から頭をペシリと叩かれた千束がムッとした顔でミズキさんを見つめる。今度は避けなかったところを見る限り、多少なり反省はしているのだろう。それをミズキさんも理解しているのか、カウンターにのせられた袋をヒョイっと持ち上げて、キッチンにある簡易冷蔵庫にわたしたちの持ち帰った成果
……ではなく、青果たちを詰め込み始めた。
「あ、ミズキさん、手伝います」
そう言ってキッチンカーに乗り込んだところで、ミズキさんは困ったように笑ってわたしに片手をヒラヒラと振ってきた。
「いーわよたきな。アンタは巻き込まれた側でしょ」
「
……いえ、そんなことは」
元を辿れば、言い出しっぺは自分だ。それに、今回のシナハンとやらも巻き込まれただけという訳でもなくて、素直に楽しかったのだ。何をするにも、彼女の隣にいると、自分の中の最優先事項がすっかりすり替わってしまう。もっとしっかりしなければと思う反面、こういう自分も嫌いではないと思う。少なくとも、彼女がわたしを必要としてくれている以上は、そばに居て力になりたいと思う。相棒として、そして
…………そして?
「だぁから、やっぱりクルミの力でパパッとかっこよくさぁ〜!」
「最初からボクを頼るんじゃない。これだから最近の若者は
……」
「クルミが最近の若者を語るんじゃねー!」
外から聞こえてくる千束とクルミのやりとりを聴きながら、静かに考える。
相棒として、隣に居られること。
引かれる手を握れば、握り返してくれること。
それだけできっと、十分なはずなのに。
これ以上、彼女との関係に何を求めているのだろう。
***
「千束、まだ寝ないんですか?」
「んー、ちょっとね」
歯磨きを終えたあと寝室に向かうと、千束はダブルベッドの真ん中あたりで寝転がったまま、スマホをじっと覗き込んでいた。
……いや、近づいてみて気づいたが、手にしているのはスマホではなくデジタルカメラだった。
「カメラ、持ってたんですね」
「あぁ、うん。昔、センセに買ってもらったやつ」
千束の隣に身体を横たえて覗き込むと、千束は少しだけスペースを空けてくれて、デジカメのデータを見せてくれた。そこには、ハワイで撮った写真の他に、宮古島で撮ったであろう写真も収められていた。大きな橋から見える、朝焼けの色。夕陽の沈んでいく海辺。雨上がりにかかった二重の虹。どの写真にも人の姿はなく、綺麗な景色のみが収められていた。

「撮影に使うんです?」
「いんや? もう十年くらい前のモデルだし、これ」
写真のデータ容量はほとんど空いていて、宮古島とハワイの写真を合わせても数枚しかないことに違和感を覚える。メモリーカードを新しくした、とかなのだろうか。
「最近の写真しか無いんですね」
「あー
……ふふ、盗まれてたからな、泥棒に」
「え?」
小さな声で呟かれた言葉を聞き取れず、耳を少し近づけたものの、千束はクスクスと笑うだけだった。
「なぁんでもない。ただ、また少しずつ撮っていこうかな〜って。今のスマホより画質悪いし、ムービー撮るには使えないけど
……」
「けど?」
「
……忘れたくない景色とか、時間とか、思い出とか? 大切に閉じ込めておける気がするの。これで写真撮ると」
千束は手の中にあるカメラを大事そうに見つめたあと、ふっと微笑んだ。その微笑みがどんな色をしているのか、小さなデジタルカメラの光だけではうまく読み取ることはできなかった。
千束はカメラの電源をオフにすると、ベッドサイドのテーブルに置いて、欠伸をひとつこぼした。
「ふぁ
……流石に眠くなってきたな
……」
そう言って、ベッドに転がって天井を見上げる千束に倣って、わたしも自分の枕に頭をのせて、同じく天井を見つめる。そして、そういえばと思い出して、少しだけ千束の方へ体の向きを傾ける。
「どうするんです、映画撮影の方は」
「おー
……それがさぁ、思いつく限りのシナリオをクルミプロデューサーに提案したけど、ぜーんぶ却下だったんよなぁ」
いつからクルミがプロデューサーになったのだろうか
……と思いつつも、もしクルミが本気で面白そうだと乗っかってくれれば、いろいろと出資してくれそうではある。
「ぁそれに、たきなとシナハン行くといつの間にかデートになっちゃうしぃ〜?」
暗闇ではあまり表情まで見えないけれど、声の温度感でどんな顔をしているかくらいはわかる。これはわたしを揶揄っているときの声音だ、絶対にそう。
わたしはムッとした表情を天井に向けて、タオルケットを自分のお腹に綺麗に掛け直した。
「なら、今度は一人で行ってきたらどうです」
「ぇなぁんでそんな冷たいこと言うんだよ〜!」
ゴロゴロとこちらに転がってきた千束が、抗議するみたいにどんっと肩をぶつけてくる。「ちょっと、やめてください」と小言を言いながら、少し乱されたタオルケットをもう一度綺麗に掛け直す。寝室の空調は少し寒いくらいなので、お腹が冷えると嫌なのだ。
「一緒に行くから楽しいんだろ〜? わからんかねぇ、たきなにはぁ〜」
「まぁ
……それは、そうですね」
確かに、わたしも一人でシナハンとやらに行ってこいと言われたら、少し心細いかもしれない。成果ではなく青果を持ち帰るよりは、マシなものを持って帰れそうではあるけれど。一緒に行くからこそ楽しめるという点に関して言えば、間違ってはいない。
「おぉ
……」
「なんです?」
感心したような声が隣から聞こえてきて、思わず首だけで振り向くと、千束はタオルケットに包まったまま、こちらを見つめているようだった。
「いや、やっぱりたきなも今日楽しかったんだな〜って」
ぅ、と小さく声が漏れそうだったのは、千束の言った言葉が図星だったからではなく、千束の声があまりにも優しかったからだ。どんな表情をしているのか声だけでわかるというのは、便利でもあり、不便でもあるのだと気づかされる。
「
…………そこは重要じゃないでしょ」
そう言って、彼女の良すぎる目になるべく表情が映らないように少しだけ視線を壁側にそらせば、千束はふふっと笑ったあと、静かに告げる。
「
……重要だよ、めっちゃ」
どくん、どくん、どくん。千束の少し掠れた声は、鼓膜に柔く引っ掛かるから。反応に困っている間に、返答するタイミングを逃してしまい、思わず息を殺してしまった。だから、余計に鼓動の音が胸の奥に反響する。
「
…………ん、寝ちゃった?」
「
……寝てはないです」
「ふふ、なぁんだよ〜、急に喋んないから寝たんかと思ったじゃん」
少し迷ったけれど、たぶん寝たフリをしてもバレるのだろうし、嘘を吐くのも得意では無いので早々に白状すれば、千束に再びクスクスと笑われた。話題をすり替える訳ではないけれど、先ほどのカメラのこととか、映画撮影のことに意識を戻して、千束に尋ねてみる。
「なんで、写真撮るの好きなんです?」
今まで過ごしてきた中で、千束が割と写真を撮る方だというのはなんとなくわかっていた。写真や映像に、記録という意味以外の楽しみがあるのなら、その気持ちを知ってみたい。
「あー
……まぁ、撮りたい理由はさっき言ったのと同じような感じかな。大切な一瞬を閉じ込めておけるし、」
千束は急に言葉を切ってしまって、数秒黙ったあと、さっきよりも小さな声で続きを述べた。
「
…………残しておけるじゃん、自分のこと。それで、誰かが覚えててくれれば
……いつか、思い出してくれるかな〜って、思ってた」
身体の底の方で、何かがずんっと沈んだような感覚になって、しばらく少しも動けなくなる。
そんなことを言わせるために聞いた訳じゃないのに、それでも、彼女にとってはきっと、大切な想いで。そして、そのために重ねてきたはずの十年間のデータは、あのカメラからは消えていた。それが、果たして貴女にとって良いことなのか。それとも。いや、それでも。
「ぁでもでも、今は、」
「思い出してくれる人がいれば、自分はいつ消えてもいいってことですか」
「
…………へ? ん? えっと、たき、」
「千束が、病室から消えたあと」
千束の言葉を遮るように、虚空に向かって、静かに真っ直ぐな言葉を溢す。
「貴女を思い出すことなんて
……一度もなかったですよ」
こくん、と息を呑み込む音が聞こえて、わたしも小さく息を吐く。そして、胸の内をそっと吐露した。
「人は
……忘れることができないものを、思い出すことはないんです。だって、ずっと頭の隅に、心のどこかに、日常のすぐ側に、いるから」
少しの沈黙のあと、千束がゆっくりとこちらに近づいてくる気配を感じて、ハッと我に返って急いで背を向ける。こんなことを今更言ったところで、何になると言うのだろう。『死ぬのにいい場所を探そうと思った』それで、その答えで、納得したはずだった。いや
……無理矢理に、飲み込んだだけだったかもしれない。
彼女が病室から逃げたあの日から、ずっと考え続けてきたことの答えが『死ぬための逃避だった』なんて、そんなの嫌だった。
錦木千束に生きていて欲しい以上に、わたしはきっと。
錦木千束に「生きたい」と、そう思って欲しいのだ。
「
…………たき、」
「それは、わたしだけじゃなくて、リコリコのみんなだって同じです、きっと」
名前を呼ばれる途中で、主語を少し広げて自身の主張を曖昧にしてしまう。彼女の考えていることを知りたいと思えば思うほど、相反する気持ちが胃の壁をチリチリと焼いてくる。
千束はきっとすぐ側まで来ているのに、振り向くことが出来ない。それに、千束もそれ以上近づいては来ない。近いのに遠い距離感のままで、千束は静かに口を開く。わたしはこぼれ落ちてくる言葉に少し怯えながら、タオルケットを握りしめる。
「
…………私は、キミに会えて嬉しい」
鼓膜を揺らした言葉は、聞き間違いかと思うほどにズレていた。それなのに、穏やかに降り注いだ言葉の雫は、わたしの心にじんわりと沁みる。
「それだけは、今までもこれからも、ずっと変わんないよ」
おやすみ、と続けて呟いた千束のあとに、おやすみなさいと返すことが出来なくて。
わたしはもう一度、ぎゅっとタオルケットを握りしめた。
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