Prologue
南の島での土曜夜のルーティンと言えば、千束との映画鑑賞だったりする。わざわざ二人でそうしようと決めた訳ではないけれど、こうして二人ソファに並んで映画を観るというのがなんとなく習慣になった。
そして土曜夜である本日、例に漏れずいつものように映画鑑賞を始めた訳なのだが。
「すぅ
……」
開始二十分ほど経ったあたりで、隣に座る千束から、静かな寝息が聞こえてきた。
「
……だから、観たことないのにしようって言ったのに」
小声で文句を言ったところで、千束の寝息に乱れはない。一度観たことのある映画は、鑑賞中どこか気が抜けているというか、睡魔に襲われがちというか
……正直なところ、えらく喋りかけてきてうるさい千束なので、此方からは『新作を観ましょう』と提案したのだけれど『名作は何度観ても面白いんだって!』と譲らず、千束のオススメを再生することになった。結局、貴女が寝てたら意味ないじゃないですか。
呆れて何度かため息は吐いたものの
……やはり、千束の言う通り名作は何度観たって面白くて、少し悔しい。相棒を起こさぬままひとり映画鑑賞を続けていれば、あっという間に終盤のシーン。
『預言者は言った。私の愛した男が
……本当の救世主だと』
〝救世主〟という映画の台詞に少し反応して、左肩にもたれて眠る千束へとそっと視線を向けた。テレビ画面の光を静かに反射する前髪は、穏やかな金色を纏っている。閉じられた瞼は柔らかく、少し覗く鼻筋は綺麗に真っ直ぐで、色白い肌は日焼けなんて見当たらないほど艶めいている。
静かな呼吸を繰り返す相棒の寝顔を見つめていると、もう痛くないはずの左肩が、ずくりと鈍く疼いた。
『だから
……あなたは死なない』
またしても耳に入ってきた映画の台詞が、思い出したくない光景をフラッシュバックさせる。
――千束、千束
……死なないでください
……
宇宙に最も近い場所で、花火の音と光が溢れる。どちらのものかわからない血に塗れ、夕焼けの空と共に真っ赤に染まった、あの日の光景が蘇る。
火花散る破裂音、鉄と火薬の匂い、掌を鋭く灼くワイヤーの感触、ぬるりと滑る血溜まり、ざりっと苦い硝煙の味。すべてが、昨日のことのように、鮮明に思い出せた。
『
……死ぬはずがないわ』
映画の中の女性は、眠るようにして横たわる主人公の頬にそっと手を添えて、静かに呟く。あの日のわたしも、同じようなことを何度も何度も、自分に言い聞かせていた。
千束が死ぬはずない、と。
「すぅ
……すぅ
……」
左肩にのっている千束の頭に自分の頭をゆっくりとのせてみれば、穏やかな温もりがじんわりと伝わってきて、酷く安堵した。それでも、伝わってくるのは〝彼女が生きている〟という温もりだけ。
井ノ上たきなは、宮古島で彼女を見つけたあの日から、錦木千束の考えていることがわからないでいた。
わたしは、千束が既に受け入れていたはずの運命を捻じ曲げた張本人で。文字通り血塗れの赤い糸で、千切れかけで宙ぶらりんだった彼女の運命を、震える指先で無理矢理に結び直した。
でもそれは、井ノ上たきなの願いであり、錦木千束の願いではなかった。千束は「助けて」なんて一言も言っていない。それどころか、自らの人生と運命を、悲観することなく受け入れていた。
それ故なのか、新たに受けた生から
――千束は逃げ出した。
本当のところ、彼女の本心はどこにあったのだろう。宮古島で『何故逃げたのか』と尋ねたときには『死ぬのにいい場所を探そうと思った』なんて、冗談なのか本気なのかわからない答えで曖昧にされた気がした。
病室で目が覚めた瞬間、なかなか終わりを迎えない運命を疑い始めた瞬間、わたしが『貴女は死にません』と伝えた瞬間、千束が何を考えていたのかも、何を想っていたのかも、わたしは知らないから。
本当は、誰かを
……井ノ上たきなを、恨んでいるのかもしれないし、怒っているのかもしれないし、許していないのかもしれない。
彼女自身が心の内を語らない限り、錦木千束の本心など、きっとずっとわからないままなのだ。

「
……あったかいな」
掠れた声は、音にすらならない。こうして頭をくっつけても、彼女の頭の中のことなど何も伝わってこない。それでも、今ここで生きている彼女の温もりを手放すことなど、井ノ上たきなにはどうしたってできそうにない。
貴女が、わたしを「相棒」と呼んでくれる限り。わたしは、貴女の隣に居たいと願ってしまう。この気持ちを、言葉にするとすれば。
『「Because I love you.」』
「
…………ぇ」
すぐ側で静かに呟かれた言葉が、映画の台詞と重なって聞こえて、思わず小さな声が出た。不意打ちに動揺して、視線がふわりと宙を舞う。千束が、わたしの肩からそっと頭を持ち上げる。鮮やかな紅瞳は、此方をゆっくり振り仰いだ。視線は自然と、綺麗なあかいろに吸い込まれていく。
「
…………たきな」
千束に名前を呼ばれると、自然と意識のほとんどが彼女に向いてしまう。透きとおるみたいな視線に、頭の中を見透かされているような気になる。思わず、ふっと視線を斜めに下ろせば、千束は此方に額を寄せて、わたしの頬を、指先でそっと持ち上げるようになぞった。きゅっと息が詰まって、どくん、どくんと耳のすぐ側で鼓動が鳴り始める。
「
…………寝ぼけてます?」
小声で尋ねてみれば、千束は途端にふにゃっと表情を崩し、可笑しそうに笑った。そのまま、人差し指と親指でわたしの頬をふにふにと抓る。

「ふふ、驚きすぎかよ」
「
……いつ起きたんです」
「ん? 今さっき起きたのよーん
……って、映画いーとこじゃーん!」
千束はすっかり目が覚めたのか、ソファの上であぐらをかいて姿勢よく画面を見つめる。まぁ、クライマックスシーンだし、目覚めるにはちょうど良いタイミングではあるけれど
……何故、わざわざあの台詞を言ってから起きたのだろうか。
……『愛してるから』なんて、意味深な台詞で目覚めないで欲しいのだけれど。
「
……あの、」
「ぁここのシーンめっっっちゃ好き! 片手で銃弾ピタッと止めるとこかっこよすぎぃ~!」
はしゃぐ相棒の横顔を見つめていると、途端に真剣に考えるのが阿呆らしく思えてきた。きっと特に意味はないのだ、彼女のお気に入りの台詞とかだったのだろう。
「銃弾、止められなくても避けられるでしょ」
「んっふふ、まぁそうなんだけどぉ
……こう、空中でピタッと銃弾止めれる方がカッコいーじゃん?」
「非現実的過ぎますね
……まぁ、千束もかなり非常識ですけど」
「ちょーいちょい言い方ぁ! 千束さんは毎日ノンフィクションで常識的にお送りしておりますぅ~」
ふざけてドンっと肩をぶつけられ、思わずクスクス笑いながら「はいはい、すみません」と軽く返す。さっきまでの肩の疼きはどこかに行ってしまったようだった。
「はー、面白かったなぁ~!」
「ほとんど寝てたくせに
……」
「ごーめんって! 次は寝ない、絶対寝ない! ってことで、このまま続編の2と3も一気に、」
「観ません」
「えぇ~!」
「流石に眠いです
……」
「つまんなぁ~い」
欠伸を小さく噛み殺しながらそう答えれば、途端に千束はあぐらをかいたまま左右に揺れて駄々をこね始めた。千束が右に傾く度、地味に身体をぶつけてくるので、思わず少し距離を取れば、ムッとした顔で此方を覗き込んできた。
「ホントにもう寝ちゃうのかよぉ」
「
……さっき寝てた人がそれ言います?」
拗ねたような表情の千束に、此方も少しだけ顔を近づけながら不機嫌そうに返せば、千束はたちまち気まずそうに首を竦めた。
「う、いやぁ
……」
「はいはい歯磨きしましょ、歯磨き」
「ふぁーい
……」
渋々といった感じで、バスルームに向かうわたしの後ろをよたよたとついてくる千束が子どもっぽくて眉が下がった。仕方ない人だ、ほんとに。
「はい、どうぞ」
「んー、あんがとぉ~」
歯ブラシに歯磨き粉を付けてから千束に渡してあげると、大人しくしゃこしゃこと歯ブラシを動かしはじめる。その表情はまだ少しつまらなさそうに見える
……一つお姉ちゃんのはずなのに、どうにも幼く見えてちょっと呆れてしまう。
「はぁ
……そんなに映画が好きですか」
「
……んぁ? いあいあ、ほーやらくって、らきなとみゆおがしゅきなお~」
「何言ってるか全然わかりませんね
……」
機嫌良さそうに何か答えてはくれたものの、歯ブラシを咥えたままでは全く言葉が通じない。会話は出来そうにないので、此方も歯ブラシを咥えて同じくしゃこしゃこと動かした。ほんのりジャスミンの香りがする歯磨き粉は、千束のお気に入り。わたしはそういったものにこだわりがないので、日常使いの消耗品はほぼ千束の好みに合わせている。
鏡越しにぼんやりと千束を見つめていると、先に口を濯いで歯磨きを済ませた千束は、わたしの歯磨きが終わるのを待っているようだった。
……別に待ってもらうほどのことでもないのだが。呆れたような視線を送れば、千束は何を思ったかニコニコ笑顔で話しかけてきた。
「も~、来週はたきなが観たいやつ借りていーからさ。機嫌直してよ~」
どうやら呆れた表情を不機嫌だと受け取られたらしい。別に名作を観せられたことにムッとしている訳ではなく、言い出しっぺの千束が寝てしまったことに思うところがあるのだが
……。見当違いなご機嫌取りに、逆にテンションが下がっていく。
「
……ほんあにえいあがうきなあ、いうんええーあえもおったらおーえふ」
歯ブラシを咥えたまま、敢えて伝わりにくい方法で呆れたような台詞を言って見せれば、千束は何度かぱちぱちと瞬きをしたあと、此方に近づいて耳を傾けてくる。
「ぇなんて?」
わたしはうがいを済ませてタオルで口を拭いたあと、もう一度言葉を投げてやる。
「そんなに映画が好きなら、自分で映画でも撮ったらどーです」
ため息混じりにそう言って、小さく欠伸をしつつ寝室まで歩き出そうとすれば、いきなり後ろから腕をグイッと掴まれて驚いた。
「
……たきな」
思わず振り向けば、俯いたまま真剣な声でわたしの名前を呼ぶ千束がいて、ますます訳がわからず首を傾げる。
「え、なんです
……?」
「
……天っっっっ才じゃん」
「
……は?」
此方に顔を上げた千束は、なんだか謎に満面の笑みを浮かべていて、首の角度がますます傾いていく。

「映画! 自分でつくっちゃえばいーんだよ!!」
「え」
「よぉし! 早速明日から撮影じゃ~! やるぞ相棒!!」
掴まれたままの腕を一緒に天高く突き上げさせられたものの、千束のテンションに全くついていけそうにない。
……ただ、言い出しっぺが自分であることも間違いない
……思いつきで嫌味のようなことを言うんじゃなかった。後悔したってたぶんもう遅いのだが。
「はぁ
……」
南の島の潮風にあてられたせいか、突然身から出てしまった大量の錆をどう回収したものか
……相棒のキラキラした瞳を見つめながら、海の底よりも深いため息がもれた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.