【断章】オスカー・ハルハイムと大河カレン

書きはじめたら勢いづいて長々書いてしまった。大河カレンとハルハイムの話。一応時間軸は椿が一回死んで、咲良とカレン両名が渡英してちょっと経ったぐらいを想定してます。馬子の背骨~よりも後の話です。四宮椿が魔術で破ったある密室と、彼女を巡る師弟の話。

スペシャルサンクス
さけはしろみ様 エリス・ベル・ハワースさんを作中でお借りしております。事後報告で申し訳ありません…! いつも遊んでくださってありがとうございます!

今回魔術絡みの解釈話みたいなとこあるんで、一応→ https://privatter.me/page/669c93577d461?p=3#contents
あと、椿が魔術で破った密室の間取り図は作中に挿絵として貼ってます。


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「諸君。もう察したと思うが、この最終講義において答えを知っているのは、この大河カレンだけだ。僕も実を言うと、この密室の破り方はまだ思いついていない」

オスカー・ハルハイムはそう言って黒板に白いチョークで『impossible』と書き付けた。
確かに、この密室は完全無欠に思われた。まさしく脱出など不可能__そんな密室だったのだ。





これはある病院の中に存在した二重の密室によるものだ。
まず部屋内部にあるもう一つの部屋__透明な部屋と呼ぶが、この壁は透明なアクリルになっている。簡単に内部が覗くことができた。
そしてこの透明な部屋の右横にある面会室へ入る際には、十六桁の暗証番号の入力と生体認証__虹彩認証が必要となる。さらに暗証番号は二時間おきに変更される仕様だった。加えて出入り口には監視カメラが設置されており、二十四時間録画され、人の出入りがあれば顔を照合されて誰が出入りしたか記録がとられていた。
なお室内には透明な部屋を囲うように九台の監視カメラが設置されていた。補足しておくと、面会室にはICUと直結しているエレベーターがあった。加えてそのエレベーターに近いアクリル壁の一部がシャッターのように上下する仕組みになっていたため、開けることができた。ただし開けるには職員のIDカード、虹彩認証の一致がなければ動かせず、内側からこじ開けることはできない。
そして顔認証付きの監視カメラ、重量センサ、熱源センサ、位置情報記録、心拍数・呼吸数など__それらの情報は全て螺旋捜査部のサーバへ送られていて、偽装はできない。さらに一日一度の『健康観察』という名前の精神鑑定と医師・看護師複数名による目視の監視が行われていた。

物質的な監視網と、人間的な監視網。

つまり透明な部屋の内部に監禁されていた『A』は、どんな奇想天外なトリックを用いようとも、透明な部屋から逃げ出すなんて事は不可能なはずだった。

だが彼女は逃げおおせてみせたのだ。白昼堂々と。
そして己の生み出す数字すら裏切って、奇術師が何もないところから鳩を取り出す気軽さで。
四宮椿とはそういう人間だ。


「カレンが補足してくれた通り、この部屋には魔術を阻む幾つもの壁がある。基礎中の基礎だが、魔術は曖昧である時に最も力を持つ」

私はできるだけ気持ちを落ち着かせて部屋の概要を説明した。黒板を滑るチョークの音が妙に懐かしさを掻き立てる。先生は微笑みと余裕を崩さないままに続けた。

「つまり、映像証拠や人の記憶、さらにA氏が発するバイタルサイン。あらゆる現実の積み上げが、魔術の発動においては障害となる。そこで何をするか? エリス・ベル」
「秘匿魔術で、一度現実を秘匿します」

エリスは素早く、冷静に回答した。それは魔術の常識だ。

「そうだね。事象の前提を構築し直す事で、ある程度までの現実には対処ができる。しかしこの場合は? 考えてみたまえ__A氏は二十四時間この透明な部屋で過ごしている。だがこの前提を秘匿すると、とても大きな矛盾が発生する。過去の映像データ全て遡れるかい? データは病院内にはなく、外部で保管されているとカレンは言った」

生徒一同が水を打ったように黙りこみ。皆思案を巡らせているが、数分間の静謐を破ったのはブリッツだった。

「秘匿魔術が破られるのが先だな」
「確かに……数日ほどならできるかもしれませんが、いずれ現実の積み上げが秘匿に追いつき、秘匿魔術が破られてしまう」 ソジュンが興味深そうに頷きながら呟く。
「ねえカレン、本当にAはこの密室から逃げ出すことに成功したの?」 バレンシアが不安げに問いかけた。
「まあ、はい。逃げましたねェ。白昼堂々と」


私はあの日のことを思い出す。
真昼だった。まだ夏の暑さがじっとり残る九月の末に、その事件は起きた。私はいつも通り螺旋捜査部のIDカードで彼女の元を出入りしようと病院へ向かった。

……のだが、会ったのだ。
その道中で。まだその当時は長かった赤い髪を風に遊ばす同い年の少女が、堂々と病院の敷地どころか、完全な外を歩いている。私は驚きすぎて自転車の制御を忘れ派手に転んだ。

『な……なんで……?』
『海が見たかったんだ』
『は? う、海? 写真集いっぱいあるじゃないっすか。っていうか本当に何で』
『本物が見たいんだ。……おや、丁度良いところで会ったな、カレン』
『まあ、山の上まで行くのは、省けたけど__』
『連れて行け。出港までには間に合うだろう?』


すでに各々議論のフェーズに入っている。
唯一ハイドヘカチェリーナ女史だけは難儀な顔で間取りを眺めていた。

「カレン。ヘカチェにはヒントを出してもいいよ。彼女は学術課所属ではないし」

自分でやってくださいよォ、と言いたかったが堪える。心を見透かされているような気がして癪だが、彼女が気にかかるのも事実だった。私は床で転がっているバステトを肩に乗せ、彼女に近づく。

「ヘカチェさんってェ、何でこんな事を?」
「え? あ、ああ……実はある事件に巻き込まれて以降、妙な事件ばかり担当する羽目になってしまいましたの」 ヘカチェさんは肩を落とした。「でも、英国が誇る名探偵のお役に立てるなら、悪くないと思いますわ」
「ふうん……
「でも正直、皆様の議論にはついて行けません……。現実の積み上げ? 現実の秘匿? ちんぷんかんですわ」
「あー、実は私もその辺の基礎があやふやでェ」 肩でやれやれというふうに金色の尾が揺れた。「でも、確かな事は一つです」

私は彼女を信じてその一言を放った。

「有り得ざる可能性を全て削除していけば、どれほど奇妙なものであろうと、最後に残ったものが真実……ま、受け売りなンですけどね」