しるひ
2024-07-24 06:40:42
13117文字
Public 小説
 

魂の寄る辺へ

note創作大賞2024、オールジャンル部門に応募

https://note.com/ariaketuki_aria/n/n224f09b7e2a8?sub_rt=share_b


6

 冬一番の冷え込みとなったある日、メイジャーはアパートの自室で執筆の追い込みに入っていた。
 デスクの上に積んだ資料を睨み、プロットを確認しながら矛盾が起きていないかを一行一節に至るまで確認する。信頼のある編集者のチェックも通すが、自分の作品を世に送り出す責任は全て自分の双肩にかかっている。ここで手を抜くわけにはいかなかった。
 ひと息入れようと天井を仰いだその時、スマートフォンの呼び出し音が鳴り響いた。見ると事務所のスタッフからの連絡だった。

「どうした?」
『お忙しい中失礼します。市内の病院からこちらに連絡がありまして』
「病院?」

 訳が分からなかった。自身は健康そのものだし、かかりつけの医師であれば直接こちらに連絡が来るはずだ。
 電話先のスタッフも困惑しているらしく、声がその様子を伝えてくる。

『それが、入院しているのはマイナ氏で、どうも容体が思わしくないと……その』

 ショックを受けるより先に体が立ち上がっていた。スタッフを急かし、病院の名前と住所を聞き出してから取る物も取り敢えず、アパートを飛び出して地下鉄に飛び乗った。

――いつから? どんな病気だ? 入院したなんて気づきもしなかった。同じアパートの、すぐ近くの部屋に住んでいたのに!

 心臓がうるさいほど速く鳴っている。乗る駅と降りる駅を間違わなかったのが奇跡と言えるほど動揺しているのが自分でも分かった。
 大通りを渡り、目的の病院の受付を済ませて呼び出されるのを待つ。
 ずいぶん長い時間が経ってから、ようやく目の前に白い服を着た女性の看護士がやってきた。

「メイジャーさん、お待たせしました。病室までご案内します」
「よろしくお願いします」

 短い言葉を交わし、看護士の後ろをついていく。病院は新館と旧館が併設されているらしく、メイジャーが案内されたのは旧館にある病室だった。

「面会は三十分です。時間がくればまた呼びに来ますので」
「分かりました」
「では」

 看護士は別の業務があるのか、挨拶もそこそこに足早に立ち去っていった。メイジャーは意を決して、病室の引き戸を開けた。
 部屋は数人が使う大部屋だった。ベッドが4台あるが、半分は空いている。窓に近いベッドのひとつに、マイナは横になっていた。

「マイナ」

 声を潜めて呼びかける。執筆に入る前に見た姿より、マイナはずいぶん痩せてしまっていた。

「メイジャー、ごめんよ。いつもの検査入院だと思っていたんだ。悪いとは思ったけど、緊急連絡先を君の番号にしていたから」

 マイナの両親はすでに他界しており、ほかに兄弟もいないと聞いていた。身寄りのない彼の事情を責める気持ちはメイジャーにはなかった。

「しょっちゅう検査に来ていたのか」
「うん」
「病名は?」
……
「今さら黙るな。隠し事はなしだ」
「ガンだよ。たぶん家系なんだ。それで父さんも早くに亡くしたし、それほどショックではないかな、はは」

 力なく笑う姿が痛々しい。メイジャーは何も言うことができなかった。

「メイジャー、ごめんね」
「何を謝る」
「君には迷惑かけてばかりだった」
「過去にしたつもりか? これからも君は私に迷惑をかけ続ける。ずっとな」
「はは、そうしたいな。君とこの先もいられるなら、ずっと」
「そうだ、ずっとだ。迷惑などと思うものか」

 耐えようとしていたのに、俯いた目の先からいくつも涙がこぼれ落ちて止まらなかった。永遠に続くと思っていた幸福な時間が、こんなにも急に終わりを迎えることになるなんて想像もしていなかった。
 情けない己の姿とは対照的に、マイナは穏やかなままだった。その手がゆっくりと上がり、メイジャーの手を握る。

「メイジャー、頼みがある」
「なんだ」
「僕が学習させていたあのAIね、ついに完成したんだ。いや、完成に近い形になった、というべきか」
「この期に及んでAIか。もうそんなものどうでもいいだろう」
「どうして?」
「君は永くない。AIは人間の指示なしでは何もできない。指示を与えるべき君がいないのでは……
「そうだね。でも違うんだ、メイジャー。次世代のクリエイティブAI、あれが過去のどのモデルとも違うところ。それはね……

 マイナは満足そうに笑った。

「自律するんだ。もちろん、それを行うための指示は必要だけど」
「そんな……馬鹿なことが」
「馬鹿らしいけど本当なんだ。AIの好きなときに、好きなテーマで好きな小説を書くようになる。だから開発会社は慎重だった。モニターを選別したのもそのためだって。応募書類の分厚さ、君にも見せたかったなあ」

 マイナは面白そうに笑っている。絶望などまるでしていないという様子だった。

「それでね、本題だ。メイジャー、僕の部屋にある端末に件のクリエイティブAIがインストールされている。一度見せただろう?」
「ああ」
「あれの始末を君に任せたい」
……どうしてだ? 君のAIだろう。言ってくれれば端末を持ってくる。自律の指示は君が与えるべきだ」
「僕はね、メイジャー。半分は君のためにあのAIを完成させようとしていたんだ」
「なんだって?」

 思いを馳せるように目を閉じてマイナは言葉を続ける。

「君の新しい小説を読むたびに、僕は大きな山が目の前にそびえているように感じていたよ。何度も、何度もだ。僕が小説を書き続けていたのは、その山を越えるためだったのかもしれない」

 メイジャーは目を見張った。
 冬の初めのあの日、マイナの新作を読んだ後に見ていた己のイメージと全く同じものを彼も見ていたのだ。

「実におこがましいと思うけどね、僕がいなくなったあと、君が越える山も失ってしまうんじゃないかと心配だったんだ。間違えてるなら謝るよ」
「なにも間違ってなどいない。私も同じことを思っていた」
「本当に? 嬉しいなあ。本当に嬉しい。僕は僕の作品を誇りに思うよ」

 そこで初めてマイナの目の端から涙が溢れ落ちた。メイジャーもそれを見て再び泣いた。
 しばらくふたりで泣き続けてから、マイナがぽつりと呟いた。

「あのAIは僕の魂だ。メイジャー、君に僕の魂を託すよ」
「そんな重大なことを他人に任せるな」
「君は僕に最も近しい他人なんだよ、メイジャー。小説は作家の魂だ。僕は自分が死んだあとも小説を書きたい、書き続けたい。そして君が越える山であり続けたいんだ」
「君はそんなに強欲だったか?」
「自分でも驚いてる。そして、君にも僕が越える山であり続けてほしいんだ」

 マイナの手が一層強くメイジャーの手を握り締めた。

「君の小説が好きだから。君にはずっとずっと書き続けてほしいから」
「君に言われずとも、そうする。作家とはそういうものだ」
「ありがとうメイジャー。君がいてくれて、良かった」

 穏やかに微笑むマイナの顔を強く記憶に留めておけるよう、涙で視界がぼやけるのを必死に耐えるのが苦痛で仕方なかった。
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