あつき
2024-07-23 01:05:24
50165文字
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五歳児・同居人・ひとりだち

無自覚ドちゃんと自覚済みロくんが、同居を解消してから元に戻るまでのお話。ハッピーエンドです。



「ではお父様、ジョンをしばらくの間宜しくお願いします」
「ああ、マルスケのことは任せておけ。よくよく話し合いなさい」
「ほら、いくぞ若造」
 ぐいと手を引っ張って、薄暗く先の見えない廊下へ誘導する。ロナルドが動かないと反作用で死ぬ為、仕方なく従ってやる。
 薄暗い廊下を歩きながら、いくつもの部屋を通り過ぎて右へ折れたり左へ折れたり、最早迷宮に近い。ここまで来たら、ロナルドはひとりでジョンとドラウスの元へ戻る自信がなくなってきた。なぜ吸血鬼はこうも広大な城に住みたがるのかロナルドは謎に思う。
「親父さんの城、広すぎない?」
「ここはお父様の城ではない。御真祖様がいくつか遊びで造った、仮宿のひとつだ。一定の時期が過ぎると無くなるが、何度かありがたく利用させてもらっている」
「一時的に遊びで城を!?やっぱお前のじいさんチート過ぎるな……
 そう話している間にも分岐する道は増えていき、いよいよ迷子になりそうだった。
 いつまで歩くのかと不安になり、「おい……」と声を掛けた頃、ひとつのドアの前でぴたりと歩みを止めた。
「ここ。入って」
 簡潔に告げてドアを開けると、だだっ広くて装飾や調度品の華やかな居室が目の前にあった。
 部屋の中央に位置する、丸いローテーブルに収まっていたアンティーク調の椅子を引いて、「どうぞ。座って」ともてなされる。言葉に従い椅子に座れば、対面に座る余裕綽々の吸血鬼。その仕草に、腹立ちを隠せない。
「久しぶりに会ったらやけに他人行儀じゃん」
 言葉だけはさも自分のものと主張するくせに、目線を最低限しか合わせず、声音も淡々と凪いだもの。
 とにかく再開した時から、それが気に入らなかった。眉根を寄せるロナルドに対し、ドラルクは涼しい顔をして、別に?と肩を竦めて話を促してきた。
「それで、君は何しにここに来たの?」
 テーブルに両肘をついて、組んだ手の上に顎をのせてニヤニヤと聞いてくる。ここはいつも通りのからかう態度に一度砂にしても良かったが、話をしに来たんだと、拳はぐっと膝に押し付けた。
「俺は、事務所の備品を取り戻しに来たんだよ」
「はぁ~~?元ドラルク城の下男のくせに生意気だなぁ!?」
「元じゃねえ」
 ドラルクが目を見開き、息を飲んだ。
「今でも、お前の城は事務所だろ」
 真剣に目を見て言ってやれば、ドラルクは不意をつかれたように凝然とした。
「戻ってこいや馬鹿野郎が。棺桶があってもなくても、お前の家はあの事務所だろ」
「いや、私棺桶がないと無理だから」
「おまッ、……おまえッ!!そーゆーとこだぞ!?」
 素っ気ない返しに泣きそうに顔を歪めるロナルドを、ドラルクは穏やかに見つめた。
……うんだから、もう一度、棺桶を君の隣に置いてもいいのかい?」
 優しい声だった。その言葉に、今度はロナルドが虚をつかれる番だった。返事を待たず、吸血鬼は喋り出す。
「素直に認めよう。君という存在が心に入り込んできて全く消えやしないんだよ。離れている間、一度だって君を忘れることなど出来なかった」
 先程までの不遜な態度は消えていて、燃えるような赤い目は熱を帯びている。
「あいつの言葉、私は信用していないからな。君と私の執着が互角だって?そんな訳ないだろう。この気持ちは誰にも負けるものか」
「はあ!?こっちの台詞だわ!!俺よりお前の方が上なんて絶対認めねえ!!大体、そうならなんで事務所を出ていったんだよ!!」
……怖気付いたんだよ」
 眉尻を落として苦しそうに顔を歪めたが、それでも吸血鬼は言葉を紡いだ。
「私は君を失うことが心底怖い。それくらい、君に深く執着している。これ以上君を好きになったら、別れが訪れた時に耐えられる自信がなかった」
 静かに目を閉じて、赤の瞳が隠される。そして再び見えた赤色は、鮮やかにロナルドを射貫く。
「でももう遅かった。ロナルド君が好きだ。愛している。もう離れたくないんだ。だから、君の気持ちも聞かせて欲しい」
「あっっ、あいッッ!?」
「この気持ち、愛以外のなんだってないさ!君も認めろ!」
 テーブルへ乱暴に手をついて椅子から立ち上がり、顔を真っ赤に染め上げたロナルドを上から覗き込むように見て、一気に捲し立てた。
「愛の言葉ひとつも囁けないようでは、どこの馬の骨とも分からない奴にかっさらわれておしまいなんだよ!」
……それは誰のことだ?アンテ……?俺……?それともお前自身か?」
「ここで他の奴の名前を出すなバカ造」
 低く唸りロナルドを鋭く睨みつけたが、諦めたようにため息をついてロナルドの手を取った。そのまま椅子の横に片膝をついて、マントが床に擦れるのも構わず言葉を続ける。
「ねえ、君はどうなんだい?同じ気持ちなら、聞かせてよ」
 柔らかくした表情で下から見上げる吸血鬼に再び請われ、ロナルドはたじろいだ。掬われた手に汗が滲む。
「ここまで連れ戻しに来た時点で分かってるだろ!」
「言葉にしなくても分かるって?そういった場合もあるだろうな。だけど今は、その言葉が欲しいんだよ」
 普段は滅多に見せない真剣な声音と態度。ここまでされては、もう逃げることなど出来なかった。ロナルドはドラルクを真っ直ぐ見て、観念して口を開いた。
「言葉にすれば、お前は戻ってくるのかよ」
 低く掠れた声が出た。吸血鬼は続きを待っている。抑えていた、苦しい胸の内をさらけ出せば視界が滲むが、そんなこともう構ってはいられなかった。
……ずっと前から、この気持ちは叶わなくてもいいと思ってた。お前と一緒に居れるならそれだけで良かったんだ。なのに、お前はあっさり出ていきやがって」
 ずっと胸に秘めていた、口に出すことのなかった想い。ロナルドが特大の我が儘を言えるのは、きっとこの吸血鬼だけだから。
「ドラルク、好きだ。戻って来いよ。そんでもう出ていくなよ。側に、……居てくれよ」
 声の最後は掠れて、上手く音になったか自信がなかったが、答えは唇で返ってきた。手を引かれ、薄い唇が間近に迫り、柔らかく重なった。ただの同居人ではこんなことはしない。後戻りは出来ないが、お互いもう腹を括ってしまっていた。握られた手に力が籠る。ロナルドの心臓は煩いくらいに鼓動して全身を熱していくのに、唇だけがひんやりと熱を下げようとした。すぐに馴染んで、勝ったのはこちらの熱だ。いや、熱を移さずとも、あちらも同じくらい熱を上げていたのかも知れない。ゆっくりと唇を離して、吸血鬼は言葉を紡ぐ。
「ロナルド君を置いて、もう二度とどこにも行かないと誓おう。だから、君も私に安心をくれないか」
 唇は一度離れたが、まだ吐息を感じられるほどの距離。頬が触れ合うほど近づいて、ドラルクは耳元に囁くように声を溢す。
「この哀れな吸血鬼に少しでも同情してくれるなら、君が不測の事態で命の危機に瀕した時、私の牙で体を作り替える許可をくれないか」
 思ってもみなかった懇願に、ロナルドは身を固くする。
 簡単に言ってくれる。ロナルドがそうそう首を縦には振れないと分かっているだろうに、それでも問うてきた。いつか遠い未来ならまだしも、今、ひとときの激情に身を任せて答えるものではない。しばらく逡巡した後、どうにか重い口を開いた。
……俺は強いから、簡単には死なねえよ。約束してやる。お前の前じゃそんなへまはしない」
「それでもっ……!」
「だからさ、」
 言い募ろうとした言葉を遮って、ロナルドは吸血鬼が欲しい言葉をくれてやる。
「俺が約束守れなかったそん時は知らねえ。お前の好きにしろ」
 本当は自分でも分かっている。退治人を続ける限り、怪我や死を完全に遠ざけることは不可能だと。それなのにそんな誓いをしたのは、家族のことを考えれば簡単に転化を是とは言えないからだ。今ロナルドが言える、精一杯の受容の言葉だった。

 それは逃げとも言える。それでも、ようやく心情を吐露した吸血鬼の不安を、少しでも取り除いてやりたかった。同時に、人間としての死を明言するのを避けた。怖くない訳がない。人間として生まれたのに、人ならざるものになって永久の時を生きるなど、それは多くの苦しみも生む筈だ。
 
 今は口には出せないが、いつか全てを捨てる覚悟が出来たなら、その長い耳に吹き込んでやろう。
 俺がしくじったその時は──お前が望むなら、夜の世界へ行ってやろうじゃないか、と。

 ただし、と付け加えることも忘れない。
「老衰はノーカンな」
 誓いは極力へまをしないよう、自戒の言葉ともなる。
 ドラルクの肩をぐいっと押して、青と赤の目をしっかりと合わせる。ロナルドはとびきり悪い顔で、にいと満面の笑みを湛えた。子供が悪戯を提案するように、不敵に笑い宣言する。

「人間として逃げ切るか、夜に引き摺りこまれるか。俺とお前のシーソーゲームと洒落込もうぜ」

 その笑顔に吸血鬼は目を見張った後、一拍置いてケラケラと笑い出した。
「言ったな若造が。ゲームと名のつくもので、私に勝てる訳がない。どちらにしても、私から逃げ切れると思うな。君がじじいになったその時は、またこうして説得してみせるさ」
 最後に笑うのは己だと、決してお互い勝ちを譲らないだろう。
 今はそれで良いと、お互いの意見を擦り合わせる。今までも暮らしの中でそうしてきたように、これからも、そうして生きていく。

「これも受け取ってよ。安心材料は少しでも多い方がいい」
 ドラルクは自身の左手、その親指にはめていた指輪を引き抜いた。細身のプラチナリングに小さく紅い宝玉が埋め込まれたシンプルなものだった。
「指輪?」
「形に他意はない。指輪の形状が私の血を吸わせる為に身に付けやすかっただけのことだ」
「うげっ……!おまえの…………!?」
「私の力は弱い。それでも離れている間、君を守りたかった。この体に流れる血筋は確かだからね。御真祖様にお願いして、私の血──正確には血に付随する力のみを宝玉にこめてもらった。最初に君にあげたネックレスは、時間がなかったから仮の試作品。これは半年の間身に付けて、じっくり力を蓄えたからな。簡単には壊れないし、君を少しでも守れる筈だ」
 細い指で摘ままれた指輪の、紅い石が鈍く光る。仮の物よりずっと深く重たい色をしていた。
「お前の言う仮のネックレスさえ、マーキングとか牽制とか言われたんだぞ。これつけたらやべえんじゃねえの」
……ばれてた?いいじゃん。もう君は私のものだろ。数日早いけど、誕生日プレゼントだと思ってさ?」
「全ッ然良くねえ!!誕プレに曰く付きの指輪とか激重なんだよ!!あと純粋に恥ずかしいわ!!ポンチどもから変な目線を貰う俺の身にもなれよ!!」
 この件については百万回砂にすると決めていたので、不言実行に向けて初回の拳を叩き下ろす。「だめかぁ……」と落胆した声が砂山から響くので、我ながら絆されやすいと諦めに似たため息をつく。
「ネックレスにしろよ」
……は?」
 ナスナス復活したドラルクに、砂山から拾った指輪を渡して言う。
「商売道具の手に付けるにはどうも落ち着かないわ。首に付けるものなら、この半年で馴染んじまったからな」
 それと、と注釈をつける。
「今度は俺の意志で身に付けてやる。だから前の呪いみたいな縛りはやめろ。それなら受け取ってやるよ」
 ドラルクは瞬きすると、じわじわと口の端を上げてその目に光を灯した。
「すぐ手配する!誕生日当日に間に合わせるから!!」
 ──言ってしまった。自ら吸血鬼に縛られにいくなんて退治人としておおっぴらに言えることではない。なのに目の前の吸血鬼が必死に求めてきたことに悪い心地はしなくて、受け入れたことに喜んでる姿が愛しいなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。
 そしてここまで譲歩してやったと言うのに、吸血鬼は更に貪欲に求めてきた。
「ね、最後の我が儘。噛ませて」
「は?なんだよ突然」
「転化は、対象の血を飲んでおくと確率があがるんだ。もしもの時、グールにはなりたくないだろ?」
「いやでもお前、若い男の血は死ぬ……
「あのね、好きな人の血は何よりも御馳走なのさ」
……好きにしろよ」
 幾度めかのため息を吐き、もうここまで来たなら地獄まで付き合ってやるつもりで、諦観の境地で承諾する。
「じゃあベッドで寝転がって、楽な体勢をとってよ」
「え、ベッド……?俺、仕事上がりで汗かいてる。もう乾いたけど、お前あんま近づいたら匂いで死ぬんじゃないの?」
「そんなこともあったな。ロナゴリ君の体臭には多少は慣れたから大丈夫。普段はシャワーも浴びず寝床に上がるのは許せんが、今日は特別に許可しよう」
「偉そうで腹立つな」
「ブエッ」
 殴って砂にすれば、再生しながら下から手を掬われた。空いた手で、流れるように赤の帽子を脱がされて、ベッド横にあった帽子掛けに置かれる。
「帽子は横になるのには邪魔だろ?」
 そのまま手を引かれ、天蓋つきの広いベッドへ誘導される。促されるまま端に腰かければ、ドラルクもベッドへ手をついてにじり寄ってくる。ロナルドは自然と後ろ手にずり下がり、気付けば垂れ下がるカーテンの奥に追い立てられていた。小さなランタンがいくつか壁に掛かっているのみの元々薄暗い部屋なのに、左右を薄いカーテンに覆われてさらに明かりが届かない、最奥の壁際まで到達したことに、背中が当たり気が付いた。
 赤い目が暗闇で炯々と光る。その目を細め、妖艶な笑みを浮かべて吸血鬼は言う。
「竜の寝床へようこそ」
「はあ?とかげ以下のクソザコが竜だと?なに抜かしてんだ。しかもこの無駄に広いベッド、なんなんだよ。お前使わないだろ」
「ああ、近代では使わないね。昔は城に客を招いて血を貰うのに必要だったから、形式上まだあるだけだな」
 その言葉にロナルドはぎょっとした。
「何が竜の寝床だよ!!生け贄の祭壇の間違いだろ!!」
 そして、今まさに生け贄にされようとしているのはロナルドだ。
……おい、棺桶はどこだよ?」
 垂れ下がった薄いカーテン越しにキョロキョロと部屋を見渡すが、それらしいものは見つけられない。
「おや、場所を聞いてくれるのかい?ここにはないよ。前に私が教えた意味分かってて言ってる?」
 忘れる訳がない。仕事の時は意味を飲み込む余裕など無かったが、気付いた後どれだけ心を掻き乱されたことか。ずっと引っ掛かっていて、そんなはず無いと、何度も否定した言葉だ。
「ああ、お前の命、俺に預けろや。もうくだらないことで逃げんなよ」
 クラバットを掴み、引き寄せてさっきのお返しと唇をぶつけた。ドラルクは驚いたようだったが、そのまま受け入れ、圧し掛かってきた。体の全てを密着させて、両腕を頭の後ろに回して、きゅっと抱き締められる。「んんっ!」声を出すために、体を捩って何とか唇を離した。
「んはっ、ちょ、あんまひっつくなよ!」
「汗、気にしてるの?大丈夫だよ。その証拠に死んでないだろ」
 ドラルクが気にしなくても、ロナルドは気になって仕方なかった。やはりシャワーを借りるんだったと後悔しても遅い。しかも、香油の香りか、ドラルクの体からは花のような良い香りがする。それに混じって、よく知った安心する香り。マントにもすっぽりと覆われて、より強くなる香りに、捕らえられたと思った。補食される側の気持ちがよく分かる。
 両手で頬を包まれ、やんわりと顔を戻される。再び寄せられた唇から逃れようもなく、なすがままに受け入れるしかない。
 ロナルドから仕掛けた筈なのに、ドラルクから続けざまに何度も唇を奪われる。離れては角度を変えて繰り返し塞がれ、呼吸が上手く出来なくて苦しくなる。酸素を求めて喘いだら、今度は首筋にも唇を幾度も押し付けられた。低いが確かな体温に全身が焼かれて、気がふれそうに乱される。
 これ以上は敵わないと、必死で本来の目的を問い質す。
「おいっ……!ふっ……!噛むんじゃなかったのかよ……くすぐったいから……ッ!そこにちゅー辞めろ!!」
「すぐに噛んじゃ勿体無いじゃないか」
 ちゅうっと首筋に強く吸い付かれ、体が跳ねる。
「んあッ!?」
(やばい、体制といい、そんなえっちな……)
「やめっ……!」
 制止しようと声を上げた刹那に、皮膚を食い破る痛みが走った。「……ッ!」しかし圧倒的な快感が覆い被さるように痛みを塗りつぶしていく。脈打つ血管に合わせるように、甘い痺れが意識を不明瞭にする。息を吐いて、自身を包み込む吸血鬼に、ただ身を委ねた。

 身体中の力が抜けて、ずっとそうしていたいと不思議な感覚にフワフワと漂って快楽を貪った。
 夢を見ているような心地で、牙を、吸血鬼を受け入れた。もう全てを許して、さらしてしまったような感覚なのに、後悔はなくむしろ喜びの感情が沸き上がった。夢中で喉を鳴らす音すら聞こえるほどの距離で、ドラルクも同じ感情ならばと祈りにも似た気持ちで瞼を閉じ、そっと背中に手を回した。マントの中でロナルドの手が細い腰を辿り、手触りのいいジャケットの上を滑る。両の腕をそうやって回せば、捕えられたのはどちらだったのか。このまま少し力を込めれば、最弱の吸血鬼が塵に帰すことを知っている。今、生殺の権はロナルドにあるのに、与奪の権はドラルクにある。奪われずともこちらから差し出してしまったようなもので、代わりに与えられたのは、抗えなく濁流のように押し寄せる、恍惚の時間。
 それに流され浸るしかなくなっていた時、突如ばさりとドラルクは崩れ落ちた。それほど強く抱き締めた覚えはない。なのに永遠とも感じた時は、ドラルクの死で呆気なく幕を下ろした。お陰でロナルドの身体中が砂まみれになり、その砂が叫んだ。
「うわっ、君この半年まともな食生活してないな!?」
「やっぱ不味くて死ぬんじゃん!!」
 先ほどの幸せな時間を返して欲しくて、悲しくなりロナルドは叫ぶ。
「仕方ないだろ!半年前まで君の血は美味しそうな香りが漂ってたんだぞ!?それがすっかり質の落ちたものに成り果てて……!」
 ロナルドは上体を起こした。さらさらと塵が落ちてゆく。牙がその身に打ち込まれていた時は、靄がかかったようだった頭。正気に戻った今、何も抵抗せずに体を預けていた事実をありありと感じて、恥ずかしさに頭が沸騰しそうだった。散った砂が隣で徐々に人型を取り戻していく。完全に復活して座り込んだ吸血鬼を睨み付けて、羞恥を誤魔化すように批難の言葉を向ける。
「お前よく実家でやらしいこと出来るな」
「血を貰っただけだが!?」
 そして、ここは実家じゃない、やめろと苦々しく主張してきた。
「ベッドでぎゅっとしてちゅーもしたじゃん」
「君からもしてきただろう!?城の中でも、ここは私の領域だ。私が招かない限り、誰も入り込むことは出来ない」
 疑わしく目を眇めてみるが、嘘は言っていないように飄々としている。それからじっとロナルドを見つめると、手を伸ばして細い指を頬に滑らした。柔らかな手袋に、優しく包み込まれる。
……気のせいじゃなく痩せたよね?肌の艶も良くないし」
 顔色の悪い吸血鬼は、家族や同期がロナルドを気遣う目と同じ、心配の色を滲ませていた。
「全く、何の為に料理を教えたと思っとるんだ。ひとりのときも栄養バランスを崩さないように、自炊も少しは出来るようになったと思ったけどしなかったの?」
「お前の居ないキッチンで、料理出来る訳ないだろ」
 言葉を受け、ドラルクは息を呑み固まった。
「この半年、キッチンを横切る度、俺がどんな想いでいたかお前は知らないだろ」
 声が震える。ずっと崩れないよう堪えていた壁が瓦解して、ついにひとつぶ、溢れてしまった。
「お前にとったら半年なんてあっという間だろうよ。でも俺にとっては、そうじゃねえんだわ。ずっと胸の片隅に虚しさがあって、それはどうやっても消えなくて、終わりの見えない長い長い時間だった」
 零れるものはやはりひとつでは止められなくて、ふたつ、みっつと落ちていく。
「ごめん。私が無神経だった」
 ロナルドの肩に優しく手を置いて、溢れた水滴を細い指が追いかけて拭った。
「簡単に信じては貰えないだろうが、私にとってもこの半年は決して短い時ではなかった。自ら出て行っておいて言うのは憚られるが……寂しかった」
 その言葉に、ロナルドは俯いていた顔を上げる。

「ひとりと一匹、城で暮らしていた時は、過ぎ去る時間なんて深く意識したことはなかった。君と暮らしてからの毎日は、面白く、大切で貴重な時間だった。離れている間、何度戻りたいと願ったか。君にご飯を作って、それを笑ってジョンと食べている顔が見たい。もう怒声でも、罵倒でもいいから、君の声を聞きたいと繰り返し思った。君がいない日々の、なんと無味で無色だったことか。ジョンが居なかったら、とても耐えられなかった」

 ロナルドの想いは一方通行で、自分ひとりだけが寂しいと思っていた。渦中に居た時は、苦しく、暗い闇の底に沈んでいくような心地と、何を見ても色褪せた日々。その原因となった吸血鬼に怒りを抱いていた。なのにドラルクも同じ想いを抱えていたのだと知れば、ふっと心が軽くなる。あれほど許せる気がしなかった、昂っていた感情は不思議なくらい落ち着き、こちらを見つめる男を黙って見つめ返した。
「迎えに来てくれて、ありがとう。帰ろう、にっぴきで」
 ベッドで座り込んだまま、ドラルクに抱き寄せられ肩口に顔を埋める。小さくこくりと頷いてやれば、珍しく強めに巻き付いていた腕の力が、緊張を解いたように緩まった。仕方なく、ロナルドも抱きしめ返してやる。鼻を啜り、追加で溢れた涙はマントにぐりぐりと押し付けた。常なら憤死しそうな行為にも吸血鬼は何も言わず、優しくポンポンと背中を叩いてくる。いつもならロナルドも子供扱いするなと思うところで怒りは湧かず、代わりにそっと睫を伏せる。閉じられたふたりだけの空間で、穏やかな時間が流れる。

 ──その時間を打ち壊す、微かな音をふたりの耳は捉えた。

「何か聞こえないか」
 顔を上げ、先にロナルドが口にすれば、ミシミシと部屋全体が揺らされるような感覚。
「──ああ!この圧倒的な気配は!!」
 ドラルクも辺りを見回して、悲痛な叫びをあげた。ロナルドはみなまで聞かずとも、この先何がやってくるのか察しがついてしまった。
 なす術はなく、メリメリと音をたてて部屋の壁にヒビが入っていく。ロナルドが先に動いた。ベッドを降りる勢いで帽子を取り、押さえ付けるようにしっかり被る。ドラルクもひらりとマントをなびかせ、ロナルドの後を追ってベッドを飛び降りると耳をすませた。天井と壁に視線を這わせて、驚異がどこから姿を現すか探る。
 退治人の本能で臨戦体勢をとったロナルドだったが、その甲斐はなく一瞬にして天井は弾け飛んだ。しかし降り落ちてくるのは瓦礫ではなく、実態のない光がいくつも宙を舞った。気付けば天井だけではなく造られた領域はすっかり消滅していて、辺りを見回せばそこは城の一角、天井高い、開けたホールにふたりは立っていた。いや、ふたりだった空間に、大きな威圧感のある影が佇んでいた。
「ドラルク、迎えにきちゃった」
いつの間にか背後に居る、メリーさんも裸足で逃げ出す怖さである。
御真祖様 おじいさまッ!!」
「配信終わった?そろそろ残りの地球半周、旅行を再開しよう。ぜひポール君も一緒にね」
 予期せぬ巻き込み事故に、数ヶ月前のフラグを回収してしまったと知り、ロナルドはさっと顔を青ざめさせた。
「誰も入れないなんてやっぱり嘘じゃねえかクソ砂ぁ!!」
 わなわなと怒りに震えながら吠えたが、ドラルクも負けじと噛みつき返す。
「君と帰ろうと言ってしまった時点で、領域は半壊したようなものなんだよ!!それと何事にも“御真祖様はのぞく”って文言が付くことを肝に銘じておきたまえ!」
「ふたり、仲いいね。それじゃあレッツゴー」
 その言葉を皮切りに、城全体が揺らめき始めた。今度はさっきのような物騒すぎる破壊の音色は響くことなく、音もなくすうっと溶けるように城は消えていった。全てが無に期すと、一同は静寂の森の中、ぽかりと空いた空間に立ち尽くしていた。離れた場所からドラウスとジョンが何か叫んでいる。丸く切り取られた空には一面の星。清涼とした城の空気は霧散し、真夜中でもむわっとした外気の暑さが身にまとわりつく。ドラルクとロナルドの体が巨大な影に掴まれて宙に浮いた。
「ヌーーー!!!」
 丸き弾丸が勢い良く空に跳ね上がり、なびいていたドラルクのマントの端をかろうじて掴んだ。「ジョン!!」ふたりは叫び、丸は器用にマントをよじ登った。主人の胸元まで到達すると、ヌーヌー甘えた声を出した。ドラルクは離れないように、しっかりとマジロを抱き締めた。
 星降る夜に、実の祖父に拐われまずは、強制天体観測と相成った。ぐんぐんと星座へ近付いて、地上は既に遥か彼方。こだまする絶叫をBGMに、月は既に沈み、星明りが眩しい夜。そのどんな星よりも輝く、銀髪の美しい青年がドラルクの隣に居る。
 最強の祖父に敵うものなどいない。それが分かっている孫はもう抵抗はせず、享楽主義らしく徹底的に楽しむと決めた。なにせ今度は想いの通じた彼が一緒なのだ。最高の旅にならない筈がない。「……っふ、あははははは!!」絶叫に、何もかも可笑しくなった吸血鬼の笑い声が混ざる。
「おい気でも触れたのか!?俺を置いて狂うな!!」
 涙目で叫ぶロナルドの目から、風に乗って綺麗な水滴が夜空に舞って煌めいた。
「わははははは!!私は出会った時から、君に狂っているよ!!」
「バッッッカヤローーーッッ!!!今じゃねえだろそれは!!」
 ロナルドは顔を真っ赤にして額に青筋を立てて怒鳴り、青々とした森林の上空で、ぎゃんぎゃんと言い合う声が響く。周りにそれをうるさく思う者はいない。
 楽しげに笑う孫を見て、優しく満足そうに祖父が目を細めた事を、聡いマジロだけが気付いて「ヌシシ」と微笑んだ。

 一週間後、月明かりが綺麗なハワイの砂浜で(幻覚ではない)、やけくその笑顔を作った退治人と吸血鬼の写真が載ったポストカードが関係各所に送られた。文面には短く『まだ帰れない』と。
 ふたりの関係に気を揉んでいたギルド、吸対、家族や友人の面々は、憂いを含まない彼らの笑顔に胸を撫で下ろし、安堵のため息をついたのだった。