あつき
2024-07-23 01:05:24
50165文字
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五歳児・同居人・ひとりだち

無自覚ドちゃんと自覚済みロくんが、同居を解消してから元に戻るまでのお話。ハッピーエンドです。



「あ、雪だ」
 日付が変わりそうな新横浜の街で、退治人たちは白い息を吐く。
「うえー。寒いと思ったらまさかだよ。あらかた片付いたし、もう解散にしようぜ」
「だな」
「おう」
「お疲れ、また明日な」

 ロナルドは帰り道を歩きながら、綺麗だな、と空を見上げて思う。大人になってからは厄介な雪だが、子供の頃は純粋に喜んではしゃぎ回っていた。ワクワクして、楽しくて、鼻頭を赤くして冷たい空気を吸いこむ度に奥が痛くって、手袋をしてもかじかむ手にも構わず、積もれ積もれと刹那の時を駆けずり回っていた。ずっと見上げていたら、自分が空に昇っていくような錯覚を起こすのもノスタルジーを感じて面白い。
(あいつも雪降ってんの、気付いてるかな……)
 冷たい手をポケットに入れて歩きながら、夜の暗い空から絶え間無く落ちてくる白の光に見入る。今も帰りを待ってくれているであろう同居人と、この美しい光景を一緒に見たいと自然に思った。
(いや無理だわ。あいつ寒さで死ぬわ)
 部屋の寒さですら死因になったことを思い出し、即座に浮かれた気持ちを共有することを諦めた。
 ふるっと寒さで震えながら、手足の指、体の末端から凍えて痛くなるのを感じる。ロナルドでさえこの有り様なのに、最弱の吸血鬼がこの外気で形を保てる訳がない。
(でも雪山で遭難した時、何度も死にながら助けに来てくれたんだよな)
 冷たい耳に血が巡る。胸に暖かい火が灯る。
 
 ドラルクが自覚するずっと前に、ロナルドは自身の気持ちに気付いていた。

 落ち込んでいるのを隠してもお見通しのように悟られて、リクエストしなくても好物が食卓に並んだ日。
 理不尽な客を口八丁で煙に巻いて言いくるめてしまい、相手にするなよと囁かれたとき。
 風邪を引いて寝込んだら、いつもの態度が嘘のように優しく看病された時。

 そのような日々が、柔らかく暖かな毛布を一枚一枚丁寧に床に敷き詰めるように重なってゆき、想いはじわじわと厚みを増して、そのまま柔らかさにズブズブと沈んでしまっていた。すっぽりと覆われて、もう抜け出せない。いや、最初から出口などなくて、温かいそれから抜け出したくなかったのかも知れない。

 溜まりに溜まった想いが溢れて最初に自覚した時は、それはそれは腹が立った。朱に染まった顔をひとり手で押さえて、嘘だろと愕然とした。

──ひとんちに遠慮なくズカズカ乗り込んで来たと思っていたら、いつの間にか心の中まで入り込んできてんじゃねーよ!!!

 しかし苛立ちが落ち着けば、それは決して嫌な感情ではない。むしろ胸はじわじわと熱が上がり、心臓はうるさいくらいに高鳴っている。晴れた草原一面に花が咲いたような喜びと、眩しく暖かな日差しの下を駆け回るような晴れやかさで溢れている。

──そうか、俺は……
 ドラ公が、好きなんだな。

 かちり、と空いていた胸の隙間に、パズルのピースがはまった音が聞こえたような気がした。
自分の気持ちに納得がいった。認めてしまえば心は随分と楽になった。
 自覚してからも、生活は何一つ変わりはしなかった。相変わらずドラルクは騒動を引き起こすしロナルドをからかい煽り、痴態を笑って楽しんでいた。ロナルドも怒鳴りキレて殴って砂にして、日々が忙しく過ぎるだけだった。
 それでいいと思っていた。別に多くは望んじゃいない。家に一緒に帰る奴がいる。ひとりで帰るときは出迎えてくれる吸血鬼がいる。それがどんなに心の支えになっていたか。
 ただこの想いを大切に宝物のように仕舞いこんで、時折取り出しては眺め、そしてまた大事に仕舞いこんだ。

 簡単なものを少しだが、最近は料理も覚えた。ジョンを任せて貰うだけの信頼を寄せられていると嬉しかった。教えて貰ったことを何らかの形でドラルクに還元したい。そう思い、ブラットジャムサンドを作った。直接渡す度胸がなく、目につく場所へ置いてみた。
 喜んでくれるかな、出来が悪くてからかってくるかな。それでもきっと、ロナルドの好意を無碍にはしないと妙な確信があった。

 だから事務所へ帰り着き、生活スペースの内側から聞こえてきた声に思わず聞き耳を立てた。ロナルドの不器用な料理を話題にしてくれてはいないかと、期待してしまった。しかし耳に飛び込んできたのは、ドラルクの声ではなかった。

「ドラルク、本当にそれで大丈夫かい?」
「はい、お父様。ここを出る予定だと、もう半年も前から伝えていたではありませんか」
「しかしポールは……
「彼は私たちからみたら子供のようでも、人間の年齢では立派な大人なのですよ」
……そうだな。ふたりの問題に、私が口を出すべきではないな」

 会話を聞いて心臓が急激に早く脈打ち、嫌な汗がじっとりと滲んだ。心臓の上のインナーを、ぎゅっと握り込んだ。

 いつかは、この日が訪れると思っていた。ドラルクはいずれここを出ていくのだろうと。だって、ふたりの間には、繋ぐものなど、縛るものなど、何もない。同居しているという、曖昧な薄膜が周りを覆っているだけで、簡単にそれは剥がしてしまえる。
 享楽主義者のただの気紛れ、遊び、おままごと。この日々は仮初めだと、想いを自覚した時から自分に言い聞かせていた。
 どうか、情に流されてはくれまいか。そう願ったこともある。もう何年、一緒に暮らしているだろう。密接した日々をよすがにしたかった。まだ傍にいる、まだ飽きていない。暮らした日々が積み重なるだけ、期待も増えるが別れの絶望も増える。分かっていた。ロナルドにとっては貴重でかけがえのない積み重ねた時間だったけれど、吸血鬼にとってはせいぜい鼻唄を歌う間、紅茶を淹れるくらいの時間だろう。吸血鬼は情に絆されるような種族でもなければ、彼らにとってそれ相応の長い時間でもない。でもだからこそ、そうならば、まだ共に居て欲しかった。
(お前にとって人間の生が瞬きの間なら、その短い間くらい俺に付き合えよ──)
 心はそう叫んだが、そんなこと、言える訳がない、縛れない。自由に生きてこその、吸血鬼だから。自由な彼を、好きになったのだから。

 だから、この日が来ることは、覚悟していたはずだ。なのに──

(…………なんでこんなに、苦しいんだ)

「ただいま」
 心臓が少し落ち着くまで待ってから扉を開けた。泣くことはどうにか抑えられそうだった。
 ドラルクはぎくりと、悪戯が見つかった子供みたいに表情を固くした。
「おかえり」
 それでも声音は変えないのは流石だと思った。いつも無駄に舌を回してる訳じゃないんだなと、皮肉めいたことが頭に浮かんだ。
「ポール、おじゃましているよ」
 ドラウスに会釈を返した。ロナルドはもうさっさと核心に触れて、何もかも決着を付けたかった。
「さっきの会話、聞こえてたわ。勝手に聞いてわりぃな。ドラ公、ここを出ていくのか?」
 心が崩れそうなのはロナルドの方なのに、ドラルクは愕然としたように焦燥した顔でこちらを見た。しかし、質問を否定はしなかった。
……ああ、いつ切り出そうと思っていて、驚かせてすまない」
「別に驚いちゃいねーよ。お前は楽しいと思うところに居るのが、一番似合っているぜ」
「ロナルド君、私は君との暮らしをつまらないと思ったことなどないよ」
 かぶりを振って、即座に否定して、ドラルクらしくない動揺した目を向けてくる。

──そんなお世辞でも言ってくれるなよ。お前はどうしたって、出ていくくせに。

「はは、俺もお前が来てから、退屈しなかったぜ」
 乾いた笑いが滑りでた。ドラルクに余計な感情がなかった方が、「いきなり言ってんじゃねえ!ロナ戦とかどうすんだよ!!」となじることが出来た。
 でも駄目だ。こんな秘めた想いを抱えて心の内を吐き出せば、追い縋りドラルクを困らせることが目に見えているのだから。
「いつ出ていくんだ?」
「君が構わないのであれば、今日、これから」
 随分と急だ。でも、そちらの方が変に期待することなくいい。惨めに泣いて縋る間も与えてくれないだけ幸運なんだろう。「そっか」と端的に答えた声は、震えてはいなかっただろうか。
「荷物の移動はどうすんだ?」
「ポール、私の力で大方は瞬時に移動できる。君には息子が世話になったな。ドラルクは君と暮らすようになってから、城に居る時よりずっと楽しそうだった」
 普段は人をドラルクの下男扱いだったと言うのに、今日は腰が低く優しい言葉を、ドラウスは投げかけてくる。
「ん、親父さん、俺も楽しかったぜ。だから、変に気を遣うなよ」
 ドラルクの腕に抱えられたジョンに、膝を曲げて目線を合わせ、優しく撫でた。
「ヌー……
 寂しげな影を目に映した丸に、精一杯の強がりで言葉を絞り出す。
「元気でな。ジョン、大好きだぜ。またいつか会おうな。ドラ公、ジョンを泣かすんじゃねえぞ」
「当たり前だ。私のジョンを悲しませるものか。……君も、どうか元気で」
「おう」
「最後に、これを受け取って欲しい。ブラッドジャムサンドのお礼」
 その細い腕をするりとロナルドの首に回したと思えば、薄い唇が耳朶を掠めた。「美味しかったし、嬉しかった」と、耳元で飾り気のない言葉を囁いた。首元にヒヤリとしたものが触れたと感じた時には、もう吸血鬼はロナルドから離れていた。
「ポール、またな。じゃあ行こうか、ドラルク」
 ドラウスがただ一度パチンと指を鳴らせば、窓から一陣の風が吹き込んだ。それと同時に大量のコウモリがけたたましい鳴き声と共に視界を覆う。吹き抜ける強風と騒がしさに目を瞑るが、一瞬で部屋は静かになった。
 瞼を開いた時には、部屋にドラルクの痕跡はほとんど残されていなかった。一番に目を向けてしまったのは、棺桶があった場所。あれほど存在を主張するものはないから。そこにはひとりで暮らしていた時のように、なにもないフローリングが広がっていた。
 次に、ゲーム機。死のゲームは居ないが、据え置き型ゲーム機は残されていた。ロナルドに気を遣ったのだろう。キンデメの水槽を振り返れば、そこに赤い金魚はゆらゆら尾びれを揺らしていた。
「キンデメは残ってくれたんだな」
「ぐぷぷ。我輩は世話さえしてもらえれば何処に居ても良い。あと同胞にお主のことを頼まれたゆえ」
「え……ドラ公に?」
「お主が落ち込んだ時は、慰めてやれと頼まれた。相変わらずお前たちは魚類に頼り過ぎだが、少しならよかろう」
 ビッ、ビッと、事務所側から音がした。
 扉を開けたらメビヤツが心配そうにこちらを見て、おろおろと車輪を動かしていた。
「メビヤツも居てくれたんだな。心配要らないぜ。俺はひとりでだって強いけど、お前たちも残ってくれたんだからな」
 そう、悲しさはあれど、落ち込んでいる暇などワーカホリックにはない。忽然と殺風景になってしまった部屋を見渡した。キンデメとメビヤツが居なければ、この数年間は泡沫の夢だったんじゃないかと錯覚するほどだ。
 食欲はあまりないが、少しでも食べて原稿に集中しなくてはいけない。次の締め切りはそう遠くなかった。
 いつもの癖で冷蔵庫を開けてしまえば、ところ狭しとタッパーがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。ひとつ取り出して蓋を見たら、『酢豚・600W1分半』と、中身とレンジでの温め時間を書いたメモが張り付けられている。他のタッパーも全部、きっとそう。律儀に申し送りが書かれているのだろう。

 ああ、あいつは確かにここに居て、数年を共に暮らした相棒だ。冷蔵庫の中身をすっかり食べ終える頃には、この言いようのない苦しさも一緒に、飲み込んで消化出来るのだろうか。
 風呂に入ろう。それから冷蔵庫のご飯を食べて、原稿に取り掛からなければ。脱衣所に足を運べば、鏡に写る自身の首元に、見慣れない装飾が光っていた。
「なんだこれ……あ、さっきはこれを着けたのか」
 純金のチェーンの先に、小さな赤い宝石が怪しく輝く。
「送る相手間違えてんじゃねえのか……
 自身には似合わないし、風呂に入る為に一度外そうとした。しかし留め具はあるのに力をどれだけ込めても動かない。チェーン部分を引っ張ってもみたが、びくともしなかった。人の理を外れた力が働いているとしか考えられない。

 諦めてそのまま風呂に入るしかなかった。そしてその後も何度試しても外れず、意思とは無関係に肌身離さず過ごすことになった。幸いにも華奢なチェーンは服に隠れる長さだったので、服を着ている時は意識せずに済んだ。しばらくは風呂に入る度に感傷と憤りが同時に襲ったが、日を追うごとにまるでそれが当たり前のように、赤い石は肌に馴染んでいった。


 ドラルクと同居を解消してから半年が経った。季節は冬から春、春から夏へ変わり夜でも蒸し暑い。そんな夜にギルドのカウンターにて、同期のショットとサテツに左右を挟まれてロナルドは問い詰められた。
「ロナルド、ちゃんと食ってるか?おまえ絶対痩せたぞ」
「隈も出来てるけど、ドラルクさん居なくなってからちゃんと寝てるか?」
 同居人が居る頃は遅くまで起きてると、ゲームの気が散るだの、ジョンとの蜜月の邪魔だの、寝ないとまともな原稿のネタなど出ないぞと、様々な文句でベッドへ追い立てられた。口うるさい吸血鬼が居なくなったことにより、以前より夜更かしになり睡眠が減ったのは確かだが、唐突に糸が切れたように眠くなることもあり、全く寝ていない訳ではない。
「なんだよ、ふたりとも。ちゃんと食ってるし寝てる。その質問、何度目だよ」
 以前であれば、即座に回数を教える吸血鬼が隣に居た。今は数を数える者も、答える者もいない。
「お前の覇気が一向に戻らないどころか、悪化してるから何度も聞くんだよ」
「マジで心配してるのは俺たちだけじゃないぞ」
 そこで寡黙なギルドマスターのゴウセツも、口を開いた。
「あまり口うるさくするのはどうかと思いましたが、流石に気になっています」
「マスターまで……俺、本当に大丈夫ですよ」
 自覚が無いのかと、三人はため息をつくしかない。
「ちなみに昨日は何食べた?」
「えっ、……惣菜の唐揚げ?」
 日々の食事は、スーパーの惣菜はましな方だ。ドラルクと出会う前の一人暮らしの時はあまり意識しなかったが、お節介吸血鬼と暮らしていた記憶のせいで今は栄養バランスのことが少しは頭をよぎってしまう。副菜にサラダを買ったり、テンションは上がらずとも煮物を選択したり、雀の涙ながら気を遣っている。
 疲れているとスーパーに寄る気力は無く、ストックの冷凍食材やチルド惣菜、常温レトルトの使いまわし。コンビニで済ますこともある。最悪は、皆には言えなかったが食べない日も、しばしばある。
 たまには自炊しないと食費もかさむし塩分の取りすぎと栄養の偏りが体に良くはない。分かっていても、キッチンにはまともに立てなかった。ドラルクとの思い出が多すぎて、立とうとすればぐらりと風景が歪む。無理だ。今は。いつか、もう少し記憶が風化するまでは。
 それでもロナルドはこの半年、想定したよりずっと落ち込んでいないと思っている。ショットやサテツがしょっちゅう話しかけてくるし、半田がセロリ攻撃を仕掛けてくる機会もぐんと増え、カメ谷も交えて遊びと称した取材に呼び出され、取材終わりには一緒に飲みに行ったりカラオケに行ったり。兄も頻繁に連絡をくれるようになり、差し入れもよく渡しに来て、その時は疲れもふっとんだ。妹も顔を出しにひょこっと来るし、へんなも唐突にAVを持って現れる。武々夫はなんかくださいをテンプレートに絡んでくるから追い出したが、マナー違反を連れて来て、何度目かの武々夫コンテストが開催されてしまう始末。さらにコンテストは定期的に開かれて、参加者も増え、ロナルドはその度に巻き込まれた。
 自宅でひとり虚しく感じたときも、吸血金魚がふいに『疲れてるな、退治人よ。今日は何があった』と話しかけてくるから、ついその日の出来事を語っていたら寂しさも薄らいでいる。毎日出迎えてくれて、原稿を進めている間に笑顔を向けてくれるメビヤツに生きる気力も沸いてきた。
 皆まるでロナルドが恋人と長年の同棲を解消したかのように慰めてくる。長年住まいを共有したことは事実だが、生憎ふたりはただの同居人。ロナルドが押し隠した恋情が叶うような関係には至らなかった。ロナルドの胸中は誰にも話していないというのに、まるで傷心に暮れた者へ接するような、腫れ物に触るような扱いが不服だった。
「まあ……まだ食べてるだけましか?奢るから今日はここで食べていけよ。マスター、なるべく栄養が取れそうなメシお願いします。あ、サテツには奢らないぞ。破産する」
「わ、分かってるよ。自分で頼む。マスター、俺にも同じものを大盛りで。ロナルド、一緒に食おう」
「お前ら……
「かしこまりました。腕によりをかけますので、ロナルドさんは残さず食べてくださいね」
「ふたりとも……ありがとう。マスター、宜しくお願いします」
 結局はその優しさに支えられているのだと痛感する。気に掛けてくれる友や家族にこれ以上心配をかけまいと、ロナルドは現状を打開する方法を模索していた。


 それから数日後の相変わらず蒸し暑い夏の夜。夜でも外に居れば汗が滲み、滴り落ちる。退治人として街を駆け回っていては尚更だ。

 その日は占い師を騙る者が吸血を強要してくるとの通報を受けて、退治人達はその吸血鬼の捜索に当たっていた。好きな相手の想い人が分かると嘯き、占う代わりに吸血するのだという。

「キャアーーー!!吸血鬼が!!助けて!」
 ロナルドも新横浜をパトロールしながら意識的に探っていた時、裏路地からかん高い悲鳴が上がった。小柄な女性がこちらへ走ってきて、その後ろから中背でやせ形、細い目でフードを被った男が追いかけてくる。赤い目が闇夜に光る。吸血鬼だ。
「オラァ!!暴力!!」
 人ではないと分かると、迷いなく拳を叩き込んだ。
「うぎゃあ!!こっちの言い分を聞かずに殴る奴があるか!!野蛮な人間め許せねえ!!」
「えっ、ごめん」
 思ったよりまともな抗議が返ってきたので、咄嗟に謝ってしまった。その間に、女性は走って姿を消していた。
 その吸血鬼は憤慨して立ち上がると、ロナルドと目が合った瞬間、信じられないものを見たように目を見開いた。
「うわ、退治人の癖に吸血鬼に惚れてんのかよ」
「はぁ!?」
「それも竜大公の孫じゃねえか。とんでもねえ」
「んなッ、まっ、待て!!なんでそれを知っていやがる!!」
 突然見知らぬ吸血鬼に己の心の内を暴かれて、ロナルドは混乱に叫ぶしかない。
「退治人なら俺の能力知ってんじゃねえの?見ればそいつの好意の矛先は丸分かりだ。惚れた相手の、好きな奴もな」
 それから辟易した顔で、愚痴を漏らす。
「だから教えてやった対価に、正当な報酬として血を貰う約束をしてんのに、いざとなったら逃げ出しやがる!!人間どもは下劣で、陰険で、狡猾で、救いようがねえ」
 ぶつぶつ文句を言って鬱憤が溜まっているようだったが、ロナルドをちらと見ると面白いものを見たかのように口角を跳ね上げにやりと笑う。
「はあ~、よりによってあの嫡男ねえ。まあ、あっちの入れ込みようも凄いし、お互い様か」
 聞き捨てならない台詞が聞こえたが、その意味をすんなり受け入れられない。
……は?どういうことだ?入れ込む?あいつが?」
 思わず痩せ男のパーカーの襟元に掴みかかった。
「えっ、ねんごろじゃねえの??そんなお互い矢印出しまくってんのに!?」
 ロナルドの素の困惑に、吸血鬼も混乱する。
「待て待て待て!!説明しろ!!あいつ……ドラルクの好意がどれくらいかも分かんのか!?」
 吸血鬼は勢いにたじろいで、両手のひらを前に付きだしどうどうとロナルドを宥め、目線はそのまま顔を逸らす。
「俺は見ればそいつの好きな奴も、そいつから寄せられている恋情の大きさも見える」
 ロナルドを見つめ、う~~ん?と唸る。
「お前ら、まるで長年を共にした夫婦のようだぞ?」
「ふっっ!??」
 たったひとつの単語で脳が容量オーバーしたロナルドをよそに、パーカー男はハッと啓蒙を受けたように目を見張る。
「まさか、爛れた関係か?」
「ンな訳あるかぁーーァ!!!その下世話な発想を今すぐ辞めろ!!」
「ぐえぇッ!!」
 顔を真っ赤にしたストレートパンチ。以前はすぐ死ぬ吸血鬼に向けていた拳。それを受けた今日の男は、死ねないので吹っ飛んだ。もんどり打った後、体勢をヨロヨロと建て直し、胡乱な目で話を続ける。
「龍の一族の寵愛まで受けておいて?嘘だろ」
「寵愛!??なんの話だ」
 吸血鬼は「白々しい」と吐き捨て、ずかずかとロナルドに近付くと、ぞんざいに首元から黒のインナーの中に手を突っ込んだ。チェーンをぐいっと手繰り寄せ、夜の闇に引っ張り出す。隠れていた深紅の石が、月明かりに煌めいた。
「これから古き吸血鬼の血の匂いがぷんぷんするぜ。これは寵愛の証であり、マーキングで、牽制だ。手を出したら火傷するぜってこった」
「は……マジで……これが!?」
 ロナルドはギクリと身を強張らせた。言われれば身に覚えがあった。この半年、下等吸血鬼に噛まれていない。元々頻度は高くなくとも、半年もの間、全く無いなんてことは今まで無かった。
 そして、ずっと感じていた違和感。ポンチ吸血鬼どもの反応だ。ロナルドを凝視しては首を傾げたり、引いたような目で見たり、哀れまれたりした。何だと問い詰めても、皆一様に話を濁した。ロナルド以外には、全て筒抜けだったということだ。
 ドラルクが居なくなってから何度目かの怒りと羞恥が湧いて、どこにもぶつけようもなく溜まっていく。
「賢い奴は無難に避けるだろうけど、まあ、あくまで牽制だな。下等な奴なら触れるだけで焼け焦げるくらいの力はあるが、高等吸血鬼なら不快感を抱くくらいか」
 ぱっ、とチェーンを手放し、体を引いて嘲るように笑い、ロナルドを通じて何かをじっとりと見透かすように観察する。
「はは、お前も相当だけど、やっぱりあっちの執着は凄まじいぜ?おっそろしい!」
 ロナルドはもう何を信じて良いのか解らなくなってきた。この男の言うことが本当なら、なぜドラルクは出ていったのか。しかも自分より執着が上?ロナルドはそこがまったく納得がいかなかった。
「あぁん?嘘付くなよダボが」
 納得がいかないゆえに苛立ちが先に立つ。
「こんな嘘ついてどうすんだよ。両想いでまだくっついてねぇなら、もう孫に直接聞きゃあいいじゃねえか」
 そこでロナルドは単純なことにはたと気付いた。
──直接?なるほどな?
「おう、お前名前は?俺はロナルド」
「あぁ?なんだ突然。アンテだけど」
「よし、アンテ。俺と一緒に来てくれ」
「はあ!?馬鹿も休み休みいいな。なんで退治人なんかと!」
「報酬なら出す。生き血が欲しいんだろ?」
 吸血鬼が求めているであろうものはすぐ分かった。先ほどの女性に逃げられたということは、食にありつけなかったということだ。
 それを聞いて、吸血鬼は一旦真顔になったが、瞬きをする間にいやらしい笑みに変わっていた。
「ほ~お?退治人が自ら血を差し出すのか?……男の血はあまりそそられないけど、あんたみたいな綺麗なやつならまあ、ありかな。いいぜ、面白いじゃん。目的は?どこまで行くんだ?」
「お前の言う、吸血鬼の根城さ。証人になってもらうぜ」
 ロナルドはずっと打開策を考えあぐねていたが、難しく考える必要はなかった。腹が立つなら、殴りに行けばいい。気持ちが知りたいなら、聞きに行けばいい。
 スマホを取り出し、掛けることを決意する為に息を吸い込んだ。吐いて、迷う前に素早く履歴からコールする。二回のコールで電話は繋がった。
『もしもし、ロナルドさん?締め切りはまだ先ですがどうされました?』
 いつも穏やかな声音の担当編集者がすぐに応答してくれた。
「フクマさん、夜分にすみません。解散した相棒を取り戻す為に、協力してくれませんか」
『コンビ復活の可能性がおありですか?それはいいですね。何をすればよろしいですか?』
「フクマさんはドラルクの居場所、知ってますよね。そこまで俺を連れていって欲しいです」
 解散してからもクソゲーコラムの寄稿は止まっていないことをロナルドは知っていた。フクマなら住居が分かると踏んでの交渉だ。
『いいですよ。お安い御用です。その代わりと言ってはなんですが、次のロナ戦の原稿を大いに楽しみにしていますね』
「が、頑張ります……」と若干震える声で答えると、『今どの辺りにいらっしゃいますか?』と訪ねられる。大通りまで出てから近くのお店の名前を告げると、とたんに亜空間がうねうね開く。にゅ、と担当編集者が顔を出す光景は、何度見ても後ずさるような怖さがある。まして初めて見る者は怯えて当然だ。
「うぎゃあ!!な、なんだよこいつ、人間……人間か……?」
 吸血鬼に種族を疑われても不快な態度は出さず、いつも通りの柔和な笑みを湛えてフクマは挨拶をする。
「こんばんは。フクマと申します。ロナルドさんの原稿に関わってくる方だとお見受けします。どうぞ宜しくお願いします」
 丁寧に名刺を差し出されたので、アンテは「は、はぁ」と戸惑いながらも受け取った。
「では、おふた方ご案内で宜しいですか?」
「そうです。フクマさん、お願いします」
 同意を得ると、フクマが出てきたそのままに残っていた亜空間が獲物を飲み込むようにぐねぐねと動き出す。
「迷子にならないよう、しっかり付いて来て下さいね」
 その言葉にふたりはぎょっとする。
「中で迷子になったらどうなるの!?」
「おい退治人!!なんで編集者が亜空間を使える!?もっと普通の移動方法なかったのかよ!!」
「当然の疑問だなぁ!!けど、説明してる暇はねえ!!歯ぁ食いしばれッ……!!」
 ふたりは恐れおののくも後に引けない状況で、死にもの狂いでフクマの後ろ姿を追うしかなかった。