あつき
2024-07-23 01:05:24
50165文字
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五歳児・同居人・ひとりだち

無自覚ドちゃんと自覚済みロくんが、同居を解消してから元に戻るまでのお話。ハッピーエンドです。

「誕生日おめでとう、ロナルド君」
「オヌヌヌー!!」
「おう。ありがと」
 照れて最低限の物言いだが、リクエストの料理とケーキの前に、隠しようもなく青の瞳はキラキラと輝いている。

 今年の誕生日の料理を決めるには苦労した。何が食べたいと聞いたら、「出会った頃の誕生日に作ってくれたあれ」としかヒントが出ない。あれとはなんだと聞いても美味しかったことしか覚えてないと悪気もなくのたまう。そんなんで作れるかとキレて覚えてる限りのメニューを書いてやっても、「字で見ても分かんね」と流石ゴリラとしか言い様が無い返答。
 もう匙を投げて適当に上手いもん食わしときゃ文句言わんだろと思った頃、「もしかしてこれかも。鳥の丸焼きとクレープ。バナナのケーキも」なんて言うので、むしろなぜそれが出てこなかった!?と憤死したら、「お前の作る料理、凝ってるからそんなシンプルな名前だと思わなくて。もっと難しい名前のやつだと思った」と可愛げがあるからたちが悪い。

 ロナルドが今年も誕生日を迎えたことに、ドラルクは内心焦っていた。同居してはや数年、最初は軽い気持ちで押し掛けたのだ。こんなに長く彼の事務所に居るとは全くの計算外だった。今の暮らしにすぐ飽きるだろうと思っていたし、彼も若いからすぐ彼女くらい作ってくると思っていて、その時は出ていけばいいと軽く考えていた。

 困ったことに、ドラルクは飽きなかった。それどころか、この生活を今や愛しているといっても良かった。同胞も多いこの町は、トンチキ集団で溢れていて退屈しないし、同居人のロナルドもかなり面白く、毎日楽しい。
 ロナルドはすぐに人の言うことを信じるお人好しで、悪戯は何をしてもいい反応だし、ジョンのついでに食べさせている趣味の料理も、食べっぷりがよく作り甲斐がある。

 なのでだらだらと居座り続けていたが、このままでは良くないと危機感を抱いていた。同居しているだけあって、ロナルドにはそれなりの情が湧いている。ありきたりで陳腐な言葉にはなるが、友人として人並みの幸せをつかんで欲しいと思っていた。
 ワーカホリックな彼なので、将来に渡って支えてくれる人を見つけて、家族をもって欲しい。そうすれば今の生活を手放しても、ロナルドの子供、もしかしたらその孫までも楽しく過ごす友人になれるかも知れない。

 対外的な顔ではない素のロナルドはかなりアホだが、それを補って余りあるスペックを持っている。容姿は無駄に良いし、上背もあり均整の取れた体躯。ドラルク以外の人には優しくて真面目。仕事も退治人と作家の二足のわらじなのにどちらも優秀。浮気なんて出来ない性格だし酒は嗜む程度、ギャンブルもしない。
 もう字面だけ追えばどこに出しても引く手数多の男なので、縁やきっかけがあればすぐに恋をして結婚まで持ち込むと思っている。

 なので、ここを出ようと思った。自分も甘え過ぎたし、ロナルドを甘やかしすぎた。炊事も掃除も当たり前の様にやってしまっては、生活に不便がなくロナルドも惰性で過ごしているかも知れない。
 ドラルクにしては殊勝に、今までの責任を取ろうと思った。ここを出るにしてもロナルドを一人にすれば、部屋は荒れて食生活は酷いものになり、想像するだけでおかんのようにキレてまた世話を焼きたくなってしまう。
 贅沢は言わない、栄養バランスを少しは考慮した食事と、病気にならない程度に掃除が出来るように育てなければ。


 若造に料理を教えるなら何からにしようか。
 好物の方がやる気が出るだろう。唐揚げが好きなことは分かりきっているが、しかし初っぱなから揚げ物はハードルが高い。あと野菜がとれん。よし、まあ無難に唐揚げの次くらいに作っているオムライスにするか。
「ヘイ、ロナ造!そろそろ人間に進化する時がきたぞ。料理を覚える手伝いをしてやる」
 見慣れたいつものスーパーに入店してすぐ、上機嫌に吸血鬼は話し出す。
「喧嘩売ってんのかクソ砂。元々人間なんだわ。突然なんだよ」
 ロナルドはカートをガラガラ押す手は止めず、横の吸血鬼をじとりと睨み、静かに蹴りを入れた。無力にもドラルクはバサリと砂になる。
「こんな公共の場で殺すんじゃないよ!一般市民の皆さんがビックリするだろ」
 ロナルドは泣くジョンを抱き抱えたまま歩を止めないので、慌てて再生して後を追う。
「新横で吸血鬼の塵なんて珍しくもねえ。誰も気に留めないだろ」
「うーん。それはそれで麻痺しすぎていてどうかと思うが」
 青果売場でその日安い野菜はすぐカゴに入れながら、あとは作りたい料理とリクエストの料理に必要な野菜を高くても買うか、献立を変更するか取捨選択しながらカゴへ。
 今日は荷物持ちがいるので、大根やカボチャなど重い野菜は買っておこう。
「まあそう怒らずちょっと聞いてよお兄さん。まだだいぶ先だけど、一族の社交パーティーがあってね。数日留守にするつもりなんだ」
「それが何の関係があんだよ?」
「堅苦しい席であまり楽しくないから、ジョンは置いていこうと思っている。その間ジョンに作れる日だけでいいからご飯を作ってやってくれないか?」
「えっ?ジョンと数日ふたりきりになれんの?」
 とたんに破顔して、ジョンにニコニコと熱い視線を送っている。単純な男だと、ドラルクは思っても今は口にしない。納豆、豆腐、厚揚げ、大豆。朝ごはんや副菜、味噌汁に入れる材料も次々カゴに入れる。
「君にいきなり作れというのは酷だろう。だから、手が空いている日は練習として一緒に料理しよルド君!」
 努めて明るく、ドラルクは目の前のかごを押す男にプレゼンを開始する。日用品はドラッグストアの方が安いので、後日買い足す為に売場を素通りする。米や調味料も然り。
「あー……、でもお前の料理を食べなれてるジョンに俺が作ったってなぁ……
 歯切れの悪い返答をするロナルドをよそに、鮮魚コーナーで魚を一瞥する。切り身は高い。一尾買った方が安いが今日はオムライスと決めているので、魚は次回に回す。
「私が居ない間、ジョンにレトルトばかり食べさせるつもりか?私の料理は至高だが、たまにはゲテモノ料理も乙なものさ」
 押していたカートから手を離して無言で拳を入れてきた。予測しているので秒で再生する。
「冗談だそう怒るな。その為の練習だろう?ジョンもロナルド君が作る料理食べたいよねぇ?」
「ヌヌヌーイ!」
「うっ……!じゃあジョンの為にいっちょ頑張るかな」
 チョロかった。別にプレゼンする程もなかった。ジョンの為と言っておけば大抵のことはまかり通る気がしてきた。
「じゃあ早速今夜からね!」
 精肉コーナーで鶏肉と豚こま、角のラックにある卵をカゴに入れつつチルドコーナーから無調整牛乳も追加。おやつ売場は買いすぎ危険なのでなるべくスルーするが、ひとりと一匹は共謀してこそっと追加するので油断はならない。案の定チョコ菓子をそっとジョンが入れてきたが、ドラルクも多少なら目を瞑る。これがクッキー類なら、若干拗ねる。
 店内をぐるっと一周し、今日はこんなところか。
 会計を済まし、帰路に着く。


「なんだそのエプロンは」
 帰宅したら今日使わないものは冷蔵庫に片付けて、マントとジャケットを脱いで変わりに黒のエプロンを身に付けた。
 手を洗って調理を開始しようとしたら、ロナルドが引き出しから引っ張り出してきたエキセントリックな絵のエプロンが目に入り、絶句したところだった。
「家庭科の授業で作ったエプロンに文句あんのか」
「大有りだ。まずサイズがあってないだろう。よくそんなくそダサの持ってたな」
「いいだろ使えれば」
 ぴッッちぴちで辛うじて紐で結べているエプロンを、まだ使えると主張するのは如何なものか。黒地の前面に赤で不死鳥の絵が印刷されており、“phoenix”と装飾文字が並ぶ。ドラルクは自分が着けた方が皮肉が効いていいかもしれないと思ったが、すぐに死んでも嫌だと思い直す。ロナルドの誕生日にエプロンを贈らなかったことを激しく後悔した。次のクリスマスプレゼントはこの時点で確定した。
「まあしょうがない。調理に取り掛かろう」

 美味さだけ考えるなら具は玉ねぎとマッシュルームくらいで良いのだが、ロナルドは発破をかけず放っておいたらメインさえ作るか怪しいところ。つまり副菜を作るなんて期待するだけ無駄だ。ならば可能性のあるメインに少しでも野菜をねじ込んだ方がいい。玉ねぎに加えて人参とピーマンも追加しよう。肉はウインナーやハムでもいいが、今日は鶏肉で。
「いつもこんなに野菜入ってるか?」
 ドラルクが使う野菜をまな板の近くに並べれば、意外にもロナルドは違いに気付いたらしい。
「五歳児なのにオムライスの具を覚えていて偉いね。いつもは入れないさ。今日は君に合わせて家庭的なオムライスね」
 はい、包丁もって。と塵にされる前にドラルクは用意しておいたまな板と包丁の前からずれて場所を譲る。
「えっ、これどう切んの」
「大きめの一口大くらいに適当に切って。あとはこれに入れたら細かく出来るから」
 戸棚の奥に仕舞いこんでいたブレンダー付属のチョッパーを調理台に置いた。みじん切りはさして苦ではなく、むしろ趣味としてやっているのでドラルクはあまり使わないものだ。
「何これ?」
「いいから入れてみなよ。使えば分かる」
 ピーラーで人参の皮を剥いてから、たどたどしく包丁を握った手でザク、ザクとゆっくり野菜が刻まれる。「一口大ってこんくらい?」「うん。それくらいでいいよ」確認しながら容器に放り込む。
「じゃあまずは人参からどうぞ」
 促され、ロナルドが蓋を閉めスイッチを入れると、ブンッと激しめの音のあと、ガガガガガガッと根菜が刻まれる音が響く。
「おー!すげぇ!ちゃんとみじん切りになってる」
 真新しいおもちゃに興奮する幼児のように、素直にはしゃぐ姿を見てドラルクは内心ほくそ笑む。目論見どおり五歳児には物珍しかったようだ。玉ねぎとピーマンも同じくチョッパーでみじん切りに。
「鶏肉は包丁で小さめに。二センチ角くらいかな」
「細かくね?めんどいな。ドカッと切って終わりじゃ駄目なのかよ。う~~まどろっこしいな、もっとスパスパッと切れねーの?」
「擬音で喋るな五歳児。でかいと米に馴染まないぞ」
 きちんと手入れされた切れ味のいい包丁でも、肉を細かく切るのは思ったより大変なようで後半は集中の為か大人しく静かな作業風景が続く。
……できた!」
 まだ素材のままの肉と野菜たちなのに、早めの達成感で誇らしげに笑うロナルドにつられ、ドラルクも思わず笑みで返す。
「お肉触ったから手を洗って。……よし、焼くぞ」
 フライパンにバターを落として、溶けたら鶏肉と野菜を入れる。じゅうう、と良い音がキッチンに響く。しばらく炒めて火が通った頃合いをみて、冷蔵庫に行って戻ると、ドラルクは横からサポートの形で調味料を渡す。
「はい、ケチャップ入れて」
「えっ?ど、どれくらい」
 ロナルドは焦りながら慌ててケチャップを受け取るが、どのくらい入れたらいいか検討がつかないようだ。
「えー?ぴゅーーを三回?か四回くらいかな」
「お前も擬音でしゃべってんじゃねえか二百歳児。わっかんねえよ!」
「優しいドラちゃんは五歳児に言語を合わせてやってるんだよ。まあ、最初は無難に量った方がいいな。ほら大さじ。ゴリラは知ってるかな?小さじと大さじがあるのですよ?」
「料理中くらい煽んのやめろや!焦がすぞ!」
「ジョンが可哀想だからやめてやれ。ほれ、大さじで取り敢えず三回入れて」
ケチャップを入れたら混ぜ、ロナルドが鶏肉を切っている間にレンジで解凍しておいた冷凍ご飯を二膳分、ドラルクが投入する。
「はい、混ぜて、混ぜて」
 ある程度混ざり米が解れたら、ロナルドが期待に煌めく視線をドラルクに寄越してきた。
「おいドラ公、鍋振るのやりたい。手本みせろ」
「いいだろう、貸せ」
 ニヤリと笑いフライパンを持つ手を交代する。事も無げにジャッ、ジャッと鍋を振れば、チキンライスが綺麗な弧を描いてフライパンに戻る。おおー、と小さな歓声が上がる。
「いつも思うけど、お前貧弱なのに何で鍋は器用に振れんの?」
「尊敬しろ崇め奉れ。なんか気合いだ。まあ、なんだ、コツを分かっていれば最低限の力で振れるからな。振りすぎると翌日筋肉痛で死ぬけど」
 ザコ、と言葉とは裏腹に、存外ロナルドは柔らかく笑う。
「大体な、心意気が違うのだよ。万が一失敗してあっつい米の一粒でも体に飛んでみろ。死ぬぞ。文字通り命懸けでこちとら調理しとるんだ」
 今度こそロナルドはわはは!と笑いだし、「ほんとお前ザーーぁこ!!」と肩をぱしぱし叩いてくる。「おいマジで死ぬぞやめろ」肩を叩く手の力がそれ以上強くならないか戦々恐々としていると、「俺もやる」とフライパンを引ったくられた。
 ロナルドは先程見た手首の使い方と鍋の角度を思い出し、ドラルクを真似て鍋を前後に跳ねさせる。ジュウジュウ美味しそうな音を立ててトマト色の米が舞う。やや不必要な力が入っているが、思ったよりは様になっている。コンロや床に若干転げ落ちた具はご愛敬。
「割りといいじゃないか。最後の仕上げだ。塩コショウどうぞ」
 ドラルクは塩とこしょうを別々で入れるが、初心者のロナルドの為に混ぜたものを用意しておいた。
「どんくらい!?」
「パッ、パッ、くらい。入れすぎたらこしょうが辛いぞ」
「わかんねえ!こんくらいか?」
「自分達で食べるんだから適当でいいんだよ。ジョン、味見お願い」
「ヌー!ヌヌシイ!」
 可愛いマジロが親指を立てる。
「良かった。ほれ、ロナルド君も」
 ひとくち分のチキンライスを乗せたスプーンが、ロナルドの間近に迫る。ジョンに味見をさせた流れで、結果食べさせられるような形になったが勢いに流される。ぱくりと口に含めば、素朴なケチャップ味のチキンライスがほろりと口でほどけた。
「ん。……うーん?うまい、かな」
「じゃあ次は卵だな。包めそう?無理ならのせるだけでもいいと思うけど」
「包む。やってみたい」
「じゃあ先にジョンの分を包んでみせるから見てて」
 卵を割り、塩と砂糖と牛乳を加えて溶くと、油を引いて熱しておいたフライパンに広げた。ジュウと卵が焼ける音が響く。
「砂糖は普段は入れないけどね。おこちゃまの君の舌には馴染むだろ。ジョンも君の舌につられて随分と甘いものがお気に召してしまったし」
 くるくると卵液の中心を混ぜながらすぐ火を止めると、チキンライスを卵の半分にこんもりと盛り付けた。チキンライスが乗っていない方の卵をフライ返しで器用に折り畳み、もう一度ひっくり返せば、綺麗な形をした小ぶりのオムライスがもう皿に乗っていた。
「はい、次、若造の番」
「うぇ、お、おう」
 わたわたと手を動かして、先程のドラルクの動きを再現しようと試みる。しかし見ている時は簡単に出来るような気がするのに、いざチャレンジしてもどうにも手は思うようには動いてくれなかった。なんとか皿に乗せたオムライスは、具が溢れて卵も少し裂けてしまった。
「全然上手く出来ねぇ」
 不恰好なオムライスを前に意気消沈する。想像との乖離にうなだれてドラルクを見やる。
「初回にしては上出来だろ。まさか最初からこの私と同等に出来るとでも?年季が違うのだよ」
 二百年早いわ、と言いながら皿を引ったくるように手に取ると、ダイニングテーブルに運びに行く。
「ほら、ぼさっと突っ立ってないでスプーンとケチャップを持ってこい。冷める前に席に着け。ジョンが待ちわびて可哀想だろ」
「ジョ、ジョンごめん!お待たせ!一緒に食べような!」
「ヌー!」
 スプーンをふたつ手に取り、食卓に着く。いただきます!とひとりと一匹が仲良く手を合わせれば、ドラルクはいつもと変わらずはいどうぞ、と柔らかく微笑んだ。
「どうかね、自分の手で一から作った料理の味は?」
 ドラルクは麦茶を入れてやりながら尋ねてみる。
「ん、俺が作ったにしては旨いと思う」
 けど、とロナルドは言葉を続ける。
「ドラ公のオムライスが食べてぇ」
 ほんの一瞬、間があった気がした。ドラルクが麦茶の入ったコップをダイニングテーブルに置こうとする手が僅かに止まった気もした。いやしかし、ロナルドの気のせいかも知れない。
「おぉ!青二才がついに私の料理の有り難みが分かったか!もっと『ドラルク様憐れな私めにその神がごとく手で作りたもうた料理をお恵み下さい』くらい言ってもいいぞ?」
「何キャラだよ、俺が言ったらキャラ崩壊も甚だしいわ」
「ジョン、お味はどうだい?」
「おい無視すんな」
「ヌヌシー!」
 可愛らしい丸は、目を細めて愛らしく小さい手でほっぺを押さえている。ジョンは決してお世辞だけで褒めている訳ではない。
 研鑽を重ねて好みを追求したドラルクの料理は美味しいに決まっている。しかし、人もマジロも、どうしても同じ者が作った料理にマンネリ、飽きは多少なりともあるものだ。なるべくそうならないよう味付けを変え趣向も凝らすが、それでも時として栄養度外視のジャンクな物が食べたくなったり、外食がしたくなったり、料理とも言えないシンプルな卵かけご飯やお茶漬けが食べたくなったりする。
 だから、ロナルドが作る料理はドラルクのそつがない料理とは一風変わっていて、家庭的な味でありながら新鮮で嬉しいものなのだ。
 なのに、ロナルドには伝わらない。
「ジョン、ありがとな。ジョンの分の卵はドラ公が包んでくれたから良かったぜ」
 言外に、俺なんかの料理を褒めてくれて、と思っているのが透けて見えるようだ。
 ──面白くない。
 それがドラルクの今の率直な感情だ。
「おい若造、何か勘違いしているようだがな」
 微笑みを張り付けた顔をずいっとロナルドに寄せて、青と赤の瞳をかち合わせる。「な、なんだよ」と疑念を込めた目で少し体を引き、座りが悪そうにしている。
「この料理はなんといっても私自ら指導してやってるのだ。曲がりなりにも及第点くらいは取ってもらわなくてはな。ジョンが情けで旨いと言っていると思うか?私の料理の要はジョンだ」
 ヌン!とジョンも誇らしげに愛らしい手を上げる。
「そのジョンが、正当に君を評価しているのだ!素直に誇りに思いたまえよ!!」
 大袈裟なほどの身振り手振りで、ミュージカル俳優ばりに興が乗った声でドラルクが伝えてやれば、ロナルドは子供のようにぽかんと口をあけている。
「ヌヌヌヌヌン、ヌンヌーヌ、ヌイシーヌ!」
 また作ってね!と、ジョンもドラルクの言葉を後押しするように言葉を重ねる。
 ロナルドはドラルクとジョンの顔を交互に見ると、少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「ん。また作るわ。ドラ公、そんだけ大見得切るなら、次回もちゃんと指導しろよな」
 今度のロナルドの笑みは薄暗さを含まず、ドラルクも満足して目を細めた。
「当たり前だとも。一回や二回料理をしただけで、作れる気になるな。何度でも教え込んでやるから、精進したまえよ」

 それからは暇をなんとか作っては、にっぴきで料理を作るのが当たり前の日常になっていった。ワーカホリックなロナルドなので、週に一、二回と頻度は高くないが、いつの間にかロナルドはその時間を楽しみにしていた。ネタが出ないときや依頼が上手くこなせなかったとき、その時間はちょうど良い息抜きになった。

 料理を教え込む傍ら、並行して副菜などの調理や、切り方の見本として、包丁やフライパンをドラルクも握ることが多い。なので煽って殺され調理器具を落とすと危ないので、自然と不急不要の煽りは減った。いやもう脊髄反射のようなものなので完全に無くなりはしないが、ロナルドも殺すと危ないことは重々承知なので、多少の軽口なら拳を抑えて口頭でいなした。
 結果自然と穏やかな会話も増え、ジョンも交えながら笑い合うことも多くなった。

 ドラルクは日を分けて掃除も教えた。
「私は掃除機を毎日かけるけど、忙しければそこまでしなくてもいいかな。でも一週間に一度くらいはやって欲しいところだ」
「お前毎日してくれてたの?暇かよ」
 ロナルドは驚き、どおりで埃が全く溜まらない訳だと半ば呆れている。
「清潔を保ってやってんのになんて言い草だ!趣味の一環なんだよ。第一、城に比べたらこのうさぎ小屋の掃除なんてあっという間に終わるわ」
「城と比べんじゃねえ!!ここは狭くねえわ!つーかお前が居ないの二、三日つってたじゃん。その間くらいはいいんじゃねえの?」
「そうだけどさ。私が御真祖様に拐われて数週間帰って来ない事態だって想定していた方がいいだろう?」
「こえぇよ。そんな自分の身に降りかかるリアル怪談、よく想定出来るな」
「その時は君も巻き込まれる可能性があるわけだが」
「やめろや原稿落とすわ」
 想像しただけで鳥肌が立つらしい。それでも「いや、ロナ戦のネタは出来る訳だからそれでフクマさんを説得して、締め切りを伸ばしてもらって……」とぶつぶつ呟くのは、社畜精神に富んでいて憐憫の目を向けてしまう。
「水回りは出来れば小まめに頑張って欲しいところだ。早速シンクの排水溝、掃除やってみよルド君」
「うへぇ。あまり見たくない……あれ、綺麗だ?」
「当たり前だろう。私が毎日掃除してるんだから。ここに来た当初は酷かったんだぞ。あらゆる水回りが何年放置されてたのかという汚れっぷり。毎日やればそんなに大変じゃないから」
「うう、くそっ、それはすみませんでした!」
 綺麗に保たれた排水溝の掃除はさして苦ではないと分かったのか、洗剤やスポンジの場所と手順も教えてその日は終了した。後の実践は本人のやる気次第だが、そこはもう任せる他ない。
……病気にならない程度には、掃除も頑張って欲しいな」
 ぽつんと誰に聞かせるでもなく漏らしたそれは、ドラルクの本心だった。

 そんな日々を経て、ドラルクがロナルドへ料理と掃除を教え始めてから三ヶ月ほど経過した。季節は夏から秋へ、寒さも深まり冬への準備も始まる頃だ。

 11月27日の午後11時55分、ロナルドは事務所の扉を勢いよく開けて、肩で息をして帰ってきた。ヴァミマに行くと言い残し、三時間程前に出掛けて帰ってこなかったので、ドラルクはジョンとまたポンチにでも絡まれたかと勘繰っていたところだった。
「やる」
 帰宅早々あまりにも短い言葉と共に、ぐいっと胸に押し付けられたショップバッグの中を覗き込む。リボンが掛けられた細長く四角い箱だ。
「どうせあと五分とか隠せねぇ。ちょっと早いけど」
 顔を真っ赤に染めて、不本意だと言わんばかりにこちらを睨み付け、唇を噛んでいる。およそひとにプレゼントを渡す表情ではない。息が上がっているので、顔が赤いのは走ってきたからだろう。でもきっと、走ってなくてもこの顔は同じ色だったんじゃないだろうか。
 それから目線をそらして、低く絞り出すような声を出した。
「フライングだけど、誕生日おめでとう」
 今までの誕生日は、お高い牛乳や血液ボトルなど、消えものしか貰ったことがなかった。ドラルク相手では何を贈ったら良いかは難しかったのだろうし、忘れずにおめでとうと言ってくれるならそれが一番だった。
 初めての食料ではないだろうプレゼントを手に、口を開けて間抜けに立ち尽くす。しかし、自然と言葉は舌が紡いだ。
「開けても良い?」
「お前にやったものだ。好きにしろ」
 丁寧にラッピングを剥がして箱を開ける。
「ネクタイ……
 何でネクタイなのかは、ドラルクには分かっていた。随分と前の会話が蘇る。

『お前いつもその格好よな』
 いつも通りクラシカルな装いに身を包む吸血鬼に、ロナルドは独り言のように言葉を溢した。
『何を言う。ベストもスーツもその時々で替えているわ。柄が違うだろう』
『そんな細かい違い聞いてねぇよ。いっつもそのヒラヒラつけてるなって話だよ』
『伝統を重んじる古き血の吸血鬼であり、その末裔なのでね』
 ふふんとご機嫌に斜に構え、でもね、と言葉を続けた。
『いつか、何年後か、何十年後かに、私の渋みが今より更に増したら、スマートにネクタイを着けてみても良いかなって思ってるんだ』
『やっぱり変わんねえよ。ヒラヒラがネクタイに変わったってスーツはスーツなんだろ』
『そのときはマントもジャケットも脱いで、シンプルにシャツだけでもいいかな。なにせ素材がいいのでね。着飾らなくとも私の魅力を引き立てるよね』
『ほんっとお前のその自己肯定感よ……

 何気なく交わした会話だった。
「まだ先の話だって言ってたから無理に身に付けなくていい。でもお前に似合うかなって思って」
 ド派手が好きなロナルドが選んだにしてはシンプルな深いえんじ色のネクタイは、熟成されたブラッドワインの色味に似ていた。きちんとドラルクが身につけることを考えて、選ばれた物に違いない。
 夜遅くにまだ開いているのは、高等吸血鬼御用達の紳士服屋くらいだ。
「君、その格好でお店に買いに行ったの?」
 いつもヴァミマに行く赤いジャージそのままで、お店に入る度胸は逆に感心する。良い生地を使い、縫製にも気を遣われた値段も張る服屋だ。
「そうだけど何が言いてぇんだ」
「ゴリラが服装に無頓着なのは仕方ないが、それなりのお店に入るには配慮をブエッ」
「年が増える前に殺し収めしといてやらぁ」
「ヌーー!!」
 砂山に泣いて飛び込んできたジョンを先に再生させた右手に抱え、続いて生やした左手にはネクタイを掲げ、するりと全身を再生させてから、ドラルクは神妙な面持ちでロナルドを見た。
……ありがとう。嬉しい。大切にする」
「お、おぅ?お前が素直なの調子狂うな」
 こちらの言葉に照れて困惑し、頭を掻くロナルドにずくんと胸が傷んだ。贈り物は素直に嬉しい筈なのに、それを身に付けたドラルクを、ロナルドが見る日は恐らく来ない。そのことが心を苛んでいた。それが何故なのか自身の心を計りかねていた時、日付が変わり事務所の窓が唐突にガラリと開いた。
「ドラルクーー!!誕生日おめでとう!!パパがお祝いにプレゼントを持ってきたよっ!!」
「ウワーー!!お父様、来るのは予測していましたがいつもアポを取ってくださいと言っているでしょう!?ウサギ小屋にそんな大量の物資置ききれませんよ!?」
 大量の荷物と共に飛び込んできたドラウスに、ドラルクはつらつらと講釈を垂れていたが、ジョンからもお祝いの言葉を言われて機嫌を直したようだ。
 ロナルドは先にプレゼントを渡せて良かったと、心底安堵した。豪華なプレゼントを目の前にして後手に回っては、気後れして渡すことなど叶わなかったかも知れないから。

 それからまだひと月も経たない12月24日。バカどもの恒例の謎騒ぎプラスαで迎えた賑やかなクリスマスパーティーは、散々騒いで笑って泣いて、無事に幕を閉じた。楽しかった余韻を残し、お開きになって残った料理を片付ける前に、ドラルクは季節が変わる前に決定していたプレゼントをロナルドに手渡した。ジョンは乱痴気騒ぎに疲れて先に寝床で丸まり、可愛らしくすうすう寝息を立てていた。
「ロナルド君、これ良かったら」
「えっ、え?……俺、何にも用意してない」
「いいよ。私があげたかっただけだから」
 こちらを伺うような視線のロナルドへ開封を促せば、素直に不器用な手付きで包装紙を取り払う。ビリビリに破けて情緒が無いなと思っても、まあそこが彼らしい。
「エプロン?」
 綺麗に畳まれていた布を持ち上げれば、端に濃淡のボーダーが斜めに入った、銀灰色のエプロンが姿を見せた。

 ドラルクはシンプルが好きだ。己の好みだけでエプロンの色を選べば、黒色一択になるだろう。しかしそれだと二人のエプロンはお揃いになってしまうし、そもそもロナルドに黒は似合わない。
 いや、本音をいえば、彼はその容姿と体躯ゆえ、なんでも着こなす。クソダサTシャツですらイケメンが着るとさまになる。
 しかし少なくとも、黒はロナルドを引き立てる色ではない。ならば彼に似つかわしい色とデザインを選びたかったし、そしてこれは贈り物なのだから相手の好みに寄せるべきだろう。
 しかし男性用のエプロンはそもそもシンプルなものが多く選ぶのには苦労した。
 彼の好みそうなド派手なものも無くはなかったが、ドラルクが許容出来る範囲を越えていた。身に付けるのはロナルドとはいえ、全く好みで無いものは贈りたくなかった。ドラルクが隣で見ても目にうるさくない、かつロナルドも悪くないと思ってくれる、塩梅の良いものを選んだつもりだった。
 それでも、実際にロナルドが気に入るかは別だ。内心、反応に緊張していた。
 ロナルドはまじまじと真顔でエプロンを凝視して、裏返してまた表に戻している。それはどういった心境だと、ドラルクはそんなロナルドを注視する。やきもきしながら待ち続け、ようやく帰ってきた反応は怯えと懐疑が混ざった声だった。
……これ、呪いのアイテムじゃねえよな。着けたら緑の悪魔が寄ってくるとか」
「はあ?そんなんあったら面白そうだが、もう吸血野菜には懲りてるからな。残念ながら違う」
「じゃあ着けたらロナル子になっちゃうとか?」
「やっぱり君その願望があるのか!?んな訳あるか」
「じ、じゃあ──」
「ああもう!安心しろ普通のエプロンだわ!!」
 日頃の悪戯が災いして、素直にプレゼントを正しくそうだと認識されていなかった。気に入るかどうかの次元の前に、純然たる贈り物と認識して貰わなければ意味がない。ドラルクは焦慮に駆られて捲し立てる。
「大体!!ピチピチで限界まで引き伸ばされた不死鳥が可哀想だとは思わんのか!?中身は五歳児でも図体だけはでかいんだから、あのエプロンは君には小さいとそろそろ認識してだな?伝説上の不死鳥と違って人もモノも限界があると学べゴリ」
「ごちゃごちゃうるせえ!!」
「ブエー!!」
 腹を立ていつも通り拳が炸裂したが、煽りの言葉にようやくなんの変哲も、含みもないエプロンだとロナルドは理解した。顔からゆっくり再生していたドラルクは、彼が頬を徐々に赤らめて、瞳に潤みと熱を含ませていくのを見た。それからじわりと口角を上げて、花が綻ぶように笑った美丈夫。
「ははっ、ドラ公ありがとな!これ着けて早く料理したいぜ」
 普段容赦なく拳を振るう彼と同じなんて思えない、こちらをキラキラと見つめる澄み渡る泉のような瞳。その屈託のない笑顔を見た時、開けてはいけないところに仕舞われた感情が飛び出しそうになった。焦りが全身を駆け巡り、脳裏に浮かびそうになった靄のような感情にすぐさま蓋をして、必死に忘却の彼方に押しやった。
「年末年始、毎年君はろくに休んでいる記憶がないからな。いつになるやら。締め切りも一月末にあるだろ?ドラちゃんが予想してやろう二月だな」
「んなわけ。流石に一月中に一度くらい作れるだろ」
「フラグ立てちゃった。今まで締め切りに余裕を持って入稿出来た奇跡は何度あったかなゴリルド君?」
「ウホッ!メリークリスマスパンチ!!」
「プレゼントを拳で返すな!!」

 そんなこんなでお決まりのやり取りを繰り返し、正月も明けて、ドラルクの予想通り一月はバタバタと過ぎ去っていった。ロナルドは締め切りギリギリに入稿して、脱稿ハイをドラルクは辛うじて凌いだ。貰ったエプロンをようやく身に付けられたのは、二月に入ってすぐのある日だった。

「流石ドラドラちゃんのセンス。似合うじゃないか」
「ヌヌヌヌヌン、ヌッヌイー!」
 くすんだ鈍色のエプロンが、明るい銀の髪を引き立てる。すっかり当たり前の日常になったふたり並び立つキッチンで、どうよ?と少し照れた面持ちの美丈夫を、上から下までドラルクはじっくり観察する。
(本当に、何を身に付けても似合っちゃって)

「君が料理を始めて早半年か。五歳児が五歳半くらいには成長したな」
 まだ調理前なので、ロナルドは遠慮なく砂にした。
「時間相当分しか進んでないんだわ」
 ははっと笑いながら、泣くジョンを頭に乗せてドラルクは再生する。
「君ったらこの半年、片栗粉もホワイトソースもだまにしたし」
 冷蔵庫に向かい、この日使う野菜を用意しながら他愛ない話を続ける。キャベツ、ねぎ、かさ増しと栄養プラスでもやしとニンジンも入れてしまおう。今日はお好み焼き。キャベツが冷蔵庫に余っていたので、大量消費に丁度いい。たくさん焼いて、余ったら冷凍しよう。
「あれはテメーの監督不行き届きだろ」
「君は私がちょっと目を離したときにやらかす天才だからな。お陰でお守りのジョンが大変だったわ。大さじと小さじ間違えるベタなことするし」
「大さじの塩入れたやつ、人間の食べ物じゃなかったな」
「普通はそんなに塩を入れればヤバイと気付くのだが?なんとか調整して人間の食べ物に戻した私を褒め称えろ」
「ああ、お前はすごいよ」
 予想外の賛辞に、作業を続けていたドラルクの手が止まる。ロナルドは、長い睫を伏せがちに、口許は柔らかく微笑みながら人参を受けとる。
「いつも、美味しいものをつくる魔法のような手だ。料理を教えてもらって、改めてお前のすごさが分かったよ。いつもありがとうな」
……なっ、何だ、変なもんでも食ったか?拾い食いはいけませんと、いつも口酸っぱく言ってるだろう?」
「言われてねえし、食べてねえよ。なんだ?珍しく照れてんのかよ?」
 ロナルドがにやにやと笑えば、ドラルクはそれには答えずキャベツをものすごい速さで切り出した。
「あっ、お前が切ってどうするんだよ!」
「ああッ!!しまった!先月は君に任せなかったから、ついうっかり」
 手際良く切り進めて八分の一ほど千切りになってしまったが、まだまだお好み焼きには大量に使うので問題はない。ふたりは場所を交代して、キャベツが刻まれる速さも八分の一ほどになった。
「そういえば、お前はいつパーティー行くんだよ?最初話を聞いてから半年も経ったじゃねえか」
 ぎこちないが丁寧に、手を切らないようにゆっくりと包丁を進めながらいつものように雑談をする。そもそもなぜ料理を始めたかといえば、ドラルクが不在の間にジョンに料理を作る為だ。半年経ってもまだ具体的な日付をロナルドは聞いていない。
「ああ、主催者がまだ日取りを調整出来ていなくてね。はっきりとは分からないんだよ」
 ドラルクは心中で焦りを感じていた。この半年、思いの外ロナルドと料理をするのが楽しかったのだ。危うく本来の目的を忘れるところだった。掃除も料理も、最低限はもう教えた。そろそろ頃合いをみても悪くない。しかし──
「ひよっこはまだまだ料理を覚えるチャンスということだ。都合がいいだろ」
「半年でひよこかよ。鶏になるまで何ヵ月かかんだよ」
 唇をつきだし拗ねる5歳半児。「ヌシヌシ」慰める可愛いアルマジロ。デレデレのゴリラ。こんな穏やかな光景を、あとどれくらい目に焼き付けられるのか。
 決断がつくまで、もうちょっと、あと少しだけ、狭いキッチンで横に並んで立ちたかった。

 それから一週間ほど経ったある夜。ドラルクが起きるとロナルドの姿はなく、ジョンは今朝、朝更かしをしたようでまだ寝ていた。夜食の仕込みでもするかとキッチンへ向かった。冷蔵庫を開けると、入れた覚えのないラップの掛かった皿が目についた。取り出すと、メモがマスキングテープで張り付けられていた。
『遅くなったけど、クリスマスに貰ったエプロンのお返し。いつも、料理教えてくれてありがとな』
 「……ブラッドジャムサンド」
 ラップを取り払えば、それはドラルクの幼少期の好物。母が作ってくれた、思い出の料理。それを今は、ロナルドが作ってくれた。
 冷蔵庫の前で呆然と立ったまま行儀も関係なく、誘われるように口にした。蕩けるように口内でほどけて、甘く喉へ流れ込む。冷蔵庫には使いかけのブラッドジャムの瓶が入っていた。キッチンの端に、見覚えがあるパン屋のロゴが入った紙袋を見つけた。袋の中には使い切れなかったであろう十枚切りの食パンの余りと、ジョンへのお土産なのかメロンパンが入っていた。それは吸血鬼が運営している老舗のパン屋で、母が何度か買ってきたこともあると記憶している。

『危ないからひとりの時は火を使うなよ?』
『大丈夫だわガキ扱いすんな殺す』
『ブエーー!!レンジを爆発させたことのあるやつに言う資格はない!』
『チクショーー!!その節はごめんなさい!!』
そんなやり取りをした記憶がある。半分は冗談だと言うのに、ロナルドはそれを律儀に守っているのかひとりで料理はしなかった。忙しかったせいもあるだろうが、コンロを使うのはせいぜいお湯を沸かすくらい。
 ブラッドジャムサンドなら、火を使わないし失敗も少ない。吸血鬼が作ったパンだけあって、普段は液体の摂取ばかりのドラルクでも食べやすい。口どけがよく血が練り込まれた食パン。
 店舗は新横浜から離れていて少し遠出になる。何故ロナルドがこの店を知ったのかは分からないが、わざわざ買いに行ったのかと思えば疼くように胸が痛くなる。

 ここ半年、目を反らし続けていたこと。ずっと無視しようとしてきた。しかしもう限界だった。心のなかで、確かに何かが決壊して、溢れ出してしまった。
 自らの心の内を知ったとき、胸の奥が急激に熱せられて、そして急転直下、凍りつくように冷え込んだ。

 ドラルクの知っている恋は、情熱的で燃えるようにお互いを求め合うものだった。真剣に恋をしたつもりだったし、その時なりに相手に愛情を示し、大切にしたつもりだった。しかしそれはひとときの甘い夢のようなもの。どちらかの熱が冷めてしまえばそれでおしまいだった。あんなにも求め合ったのに、もう名前はおろか下手すれば顔すらも思い出せない。でもきっと相手だってそうだろう。お互いに束の間、楽しい思いをした。あと腐れもなく、過ぎてしまえばさっぱりしたものだ。もちろん苦い思い出だってあるが、それも忘れているのは同じこと。

 しかしロナルドに対する想いはどうだ。
 毎日の騒がしさのなかに、そんな甘いひとときなど欠片もない。ただ、胸にじわじわと確かなものが少しずつ溜まっていた。日々の積み重ねと同じだけ、くだらない言い合いや掛け合い、にっぴきでゲームをして子供のようにはしゃいだり、出掛けたり買い物も行って、そこでまたお決まりの騒動に巻き込まれたり、一緒に居ないときも後で話を共有して笑った。
 料理を教えるようになって共通の話題も増え、話し、笑い、より一層何かが積もる速度は早さを増していった。
 しんしんと降り積もる雪のように、この想いは音もなくいつの間にかドラルクの心をすっかりと埋め尽くしていた。
 雪ならば、いずれ溶けて跡形もなくなる。この想いも、きっとそうだ。そうでないと困る。
 人の子になど、懸想して執着してどうする。人の子は吸血鬼みたいに長生きはしない。彼は遅かれ早かれ、いずれ居なくなる。──そう、居なくなるのだ。

 人間は、死んだらドラルクみたいに蘇らない。そしてそれは、いつ訪れるかなど分からない。事故、事件、病気、極めつけに彼の仕事は、本来死と隣り合わせだ。ポンチな吸血鬼ばかりで麻痺しているが、いつ危険な敵性吸血鬼が牙を剥いてくるかなど神のみぞ知るところ。
 例えそれらを回避しても、寿命は年を取るごとに確実に迫り来る。

「ッ……!! ハッ……!」呼吸が苦しくなる。
 なんで、今更気付いてしまったのか。
 出ていくならさっさと出ていけば良かったのだ。ロナルドは立派な成人男性だ。一人暮らしだってしていた。ドラルクが居なくなったって、元に戻るだけで普通に暮らせるはずで、その後のことを心配する必要なんてなかった。
 そうだ、言い訳をしていた。独り立ちする雛を見守る親鳥がごとく心境を装って、本当は彼のためではなく自分が安心したくて、お為ごかしの愚かな優しさで、もう少しだけ彼の傍に居たかったのだ。
 焦っていたのは、この恋心が確かなものになっていくのが怖かったからだ。
 早く、名前がつく前に、形が出来てしまう前に、出ていかなければと焦燥に駆られていた。

 でもとっくに遅かったのだ。
 抵抗など無駄だった。出会ったあの日を鮮明に覚えている。その名前と顔を忘れたくないなんて、今まで思った相手が居たか?
 喪失が怖いなどと、そこまで先の未来を想い描いたことなどあったか?
 足元が急にぐらついた気がした。目眩がする。平衡を保っていられない。ずるずると、キッチンを背にして崩れ落ちて手を着いた。放心して体に力が入らない。

 ロナルドに出ていってくれと言われた訳ではない。別に居座ろうと思えば、今までがそうだったように堂々と居ればいいのだ。
 でも本当にそれでいいのか?二十代の若い彼は、色恋や仕事を謳歌する年代だ。その時間をドラルクひとりの我が儘で消費して、それでも平気な顔をして彼と過ごせるのか。

 本音を言えば、彼とずっと共に居たい。例えこの恋が実ることなく静かに消えていくとしても、今は一番近くにいるのはドラルクだ。この立場を何者にも譲りたくない。でもそれで本当に後悔しないか?

 出ていこうと思ったのも、彼の為ではなく自分のためだ。長い吸血鬼生の中で、彼の人生を台無しにしてしまったと、後々まで罪悪感に苛まれたくないから。
 それに彼に恋したって、いずれ居なくなってしまうから。人間になど恋するなんて馬鹿馬鹿しい。しかも相手は男で退治人で、相棒のロナルドだ。どうかしている。どうかしているけど、どうにもならない。

 とにかく喪失が怖かった。想像すると、異様にからだが冷たくなり、震えが走る。彼を説得して転化させたらこの恐怖は取り払えるのか?
 いや、きっと彼は人間の退治人として生き、人間として死ぬ。長年一緒に暮らしてきたドラルクの感が告げている。他のことにはチョロ過ぎてチョロ過ぎて心配するくらいなのに、それだけは決して首を縦には振らない。笑顔でこちらの言葉を躱し、断り続けるイメージしか沸かないのはどういうことか。
 そもそもロナルドがドラルクになびくことも全く想像出来ないのに転化の話など、鬼が笑うというものだ。

 考えは堂々巡りで纏まらず、答えなど出そうもない。思考を放棄し、目を瞑り、祈るように天を仰ぐ。ドラルクに祈る神など居ない。ただただ、焦燥しきった心を慰めるように心臓に手を置いた。
 どのくらいそうしていたのか。心臓が落ち着いてきたら、目をゆっくりと開けて、携帯を取り出した。
 決断は早い方がいい。これ以上縋っても別れがきつくなる一方だ。慣れた番号にコールすれば、すぐに相手に繋がった。
「もしもし、お父様。以前からお願いしていた件、今日お願い出来ますか──」

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