戸倉
2024-06-29 02:34:32
22053文字
Public 終わらない牧台シリーズ
 

終わらない牧台⑤

【ニコラス・D・ウルフウッドと秘密のボックス編】
・現パロ W23歳 会社員 × V 23歳 売れない役者
・4年前に失踪したVと再会して同居5か月目
・リヴィオやミリィが出てきたり
・キスに関する暗黙の了解でもちゃもちゃするふたり
・付き合ってない



「ウルフウッド、まだ寝ないの?」
「おー、月曜日のプレゼン資料で修正したいとこがあってな」
 休日の夜だからといってさっきまで一緒に浴びるほど酒を飲んでいた男は、数十分前からラップトップとにらめっこ。散らかしたビールの缶を片づけ終わり、ヴァッシュが歯磨きを終えて洗面所から戻ってきてもウルフウッドの作業は終わりそうになかった。珍しく家に仕事を持ち込んでいる男の横顔をじっと見つめ、ヴァッシュは立ったまま足の指先を擦り合わせる。
「ん? 先寝とってええで」
 顔を上げた男と視線がぶつかり、ヴァッシュは面喰らい一歩後ずさる。ヴァッシュと同じくらい、あるいはもっと酒を飲んでいるはずなのにウルフウッドの顔色はいつもと変わらず、素面みたいな顔をしてキーボードを打っている。
……あったかいお茶入れたら、飲む?」
……飲む」
 メリルに教えてもらったリラックスできると評判のハーブティー。ティーバッグなのでお湯を注ぐだけで飲める手軽さもあり、偶然近所の店で見つけた時に購入した。散々酒を流し込んだあとの身体がハーブティーでどうにかなるとは思わないが、一人で先にベッドへ行かない理由にするにはちょうどいい。
 キッチンの調理台に青色と赤色のマグカップを並べ、三分間ティーバッグを湯の中で揺らす。茶葉が開き、薄い茶色が染み出す様子を見ているうちにドッと眠気が襲ってきて、ヴァッシュはウルフウッドから見えないように欠伸を噛み殺した。
 ウルフウッドの正面の椅子に座り、テーブルの上に頬杖をついてマグカップを傾ける。行儀が悪いと叱咤が飛んでくることもなく、部屋にはカタカタとキーボードを打つ音だけが響いていた。ウルフウッドは集中しているため当然何もしゃべらない。時折、目線は画面に縫い付けたままマグカップに口をつけ、ほっとしたように目を細める。どうやらハーブティーの味はお気に召しているらしい。
 流行りの食べ物、服、音楽――。そういったものに明るいとは決して言えないヴァッシュにとって、メリルから得る情報はいつも目新しく、助かっている部分がたくさんある。一人暮らしをしていた頃には気にも留めなかったようなことも、反応が返ってくる相手がいるだけで話す甲斐があるものだし、ウルフウッドの反応はいちいち面白い。
 いつもコロコロと表情が変わる――主に喜怒哀楽の怒と楽の部分が多い男の静かな一面をヴァッシュはここぞとばかりに楽しんでいた。こっちを見るなと文句を言われるまでは楽しんでやろう。手の甲から腕にかけて浮き上がる血管、ハーブティーを飲んだあとに上がる喉仏、欠伸をする時にちらりと見える白く大きな歯。
 キーボードを打つ音は次第に速くなり、そこへマウスのクリック音も加わる。視線に気づいているくせに何もお咎めがないことが嬉しくなって、少しでもこの時間が長く続くようヴァッシュはわざとゆっくり深夜のティータイムを楽しんでいた。しかし、そんな努力も虚しく赤いカップの底は見えてきてしまう。さすがにここに居続ける理由を捻り出すことはもうできない、と潔くカップをシンクへ置きに立ち上がる。「おやすみ、先に寝るね」と先延ばしにしていた一日の終わりの挨拶を告げたところで、ウルフウッドがラップトップをぱたんと閉じた。
「お、終わったの?」
「ま、こんなもんでええやろ。歯磨いてくるわ」
「あ、おれも」
「さっき磨いとったやん」
「お茶飲んだし」
 洗面所でふたり並んで歯を磨き、リビングの電気を消して寝室へ。ウルフウッドは早々に掛け布団の中に潜り込もうとするヴァッシュの手を引き起き上がらせた。
「待っとったくせにもう寝るんか、トンガリ」
「べつに待ってな……はぁ、こういうのがよくないんだな」
 クソ、とヴァッシュにしては毒づいた言葉がこぼれ、ウルフウッドは鑑賞中の映画が意外な展開を見せた時みたいに片眉を持ち上げる。
「おれたち、こういうの多いじゃん」
「こういうの?」
「なにも言わずにおまえが寝るまで待ってるとか、おまえがおれの顎に触ったら………キスする……とか……
 ヴァッシュはベッドの上で胡坐を掻き、前傾姿勢を取りながら身体を前後に揺らす。子どもっぽい仕草だと分かっていてもこの浮ついた状況にじっとしてなどいられない。
……そもそもなんでおれたちキスしてるんだっけ? それもこう……ディープな方の……
「それな、考えてみたんやけど、一つだけ言えるんは――
 ウルフウッドはうつむいた男の旋毛をじっと見つめる。視線に気づいてもヴァッシュは顔を上げようとしなかった。
「気持ちええからとちゃう?」
「はぁ? やっぱり欲求不満ってことだ!」
 もっともらしい言葉を期待していただけに、ヴァッシュは心の底からがっかりした。
「百歩譲ってそういうことにしてやってもええねんけど、ほんならそれに応じてくれるトンガリはんもおんなじなんとちゃうか?」
「うるせえ」
「ほれ」
 ウルフウッドの指がヴァッシュの小さな顎を掴み、上を向かせる。視線がぶつかると、早く目を瞑れと言わんばかりの圧をかけられる。指摘されてしまったあとではどうにも恥ずかしく、ヴァッシュは目を瞑ることができず真っ向からウルフウッドを凝視する。手を振り払うことはしなかった。
「どした? 目ぇ瞑らへんの?」
 ぐっと顔を寄せ、息のかかる距離でウルフウッドが声を弾ませる。さすがに遊ばれていると感じて腹が立ちヴァッシュは睨みを利かせたが、ウルフウッドがその挑発に乗ってくることはない。暗黙の了解に切り込みを入れたのはヴァッシュ自身。いくらウルフウッドの眼力が強かろうと今日は負けるわけにはいかないのだ。そう思っていたのに、ウルフウッドは自嘲するような笑顔を見せたあと、困ったように眉を下げた。顎に添えた指の力が抜けていく。そのままだらりと落ちそうになった手をヴァッシュは咄嗟に両手で掴んだ。
「べつに目開けててもすればいい……じゃん」
 苦肉の策だった。睨みつけたことを茶化してくれればよかったのに、そんな申し訳なさそうに離れていかれると困ってしまう。
 以前、ウルフウッドはヴァッシュにこう言った。「誰でもよかったわけではない」と。けれど今のヴァッシュが欲しかったのはそうじゃない。それよりもう一歩だけ踏み込んだ一言が欲しかった。
「けど、おどれ素面の時にするん嫌なんやろ? この前もワイの出勤前にさらっと躱したやんけ」
「あれは! 出かける前にキスするなんて恋人じゃないんだから!」
「そらそうやな」
 ウルフウッドは目を丸くして頷く。ヴァッシュは掴んだままのウルフウッドの手をどうしようか悩んでいた。離すタイミングがない。緊張で手が微かに震え始める。
「で、するのしないの?」
「なんやいつも何も言わずにしとったから、改めて許可取ってからするん変な感じやな」
「するんなら早く済ませてよ」
「雰囲気が台無しやなぁ」
 雰囲気ってなんだ――。台無しもなにもそんなものは元から存在しない。最初にしてきた時だって何も許可を取らなかったくせに。ヴァッシュは不貞腐れながら、掴んだままのウルフウッドの手を自身の頬に擦りつける。大きくて分厚い手のひらはあたたかく、少しささくれだったヴァッシュの気持ちを優しく包み込んでくれるようだった。意図せず親指の付け根あたりに唇が当たり、ヴァッシュはふっと笑みを漏らす。角度を変えてもう一度同じ場所にちゃんと口づけると、それまで全く動きを見せなかった手がピクリと動いた。
 ヴァッシュは恐る恐る目の前の男を見上げる。さっきまで軽口を叩いていた男は薄く開いた唇の隙間からすーっと息を吐き出し、「アホ」とヴァッシュを罵った。眉間に皺を寄せているくせに、口元が緩み切っている。どういう雰囲気の時の顔なんだ、ソレは。言葉と表情が合っていないぞ、と教えてやる暇もなく、ヴァッシュは唇を塞がれ勢いよく押し倒された。
 ベッドの上を埃が舞う。舌を絡め合い、ウルフウッドの耳の淵に指を滑らせながら、ヴァッシュは見ることが叶わなかったあのボックスの中身のことを思い出す。未練がましいにも程があるが、結局ウルフウッドの好みを知ることができなかったことがどうにも尾を引いている。共通の知り合いを通じて聞くという手もあるけれど、勘の鋭い男のことだからきっと誰から頼まれたか気づいてしまう。それでは意味がない。
 施設で兄貴役として育ったから年上のお姉さんに甘やかされたい願望があるかもしれないし、世話好きだから年下でも同い年でも。勝手に相手の性別を決めつけるのもよくない。一緒にいてウルフウッドを笑顔にしてくれるような穏やかな男かもしれないし、ウルフウッドが放っておけないような泣き虫かもしれないし。
 いずれにせよ自分には当てはまらないだろう、と心の中でヴァッシュは苦笑する。そんな思考の棘が脳から信号となって伝わったのか、ウルフウッドの耳に触れる力が無意識に強くなった。
「何考えとんねん」
 不満げに顔の左側だけヒクつかせた男が低く唸る。おまえの好きなタイプってどんな人かなって考えていたんだよ、とは言えるはずもなくヴァッシュは唇を引き結び視線を外す。しかし目の前の男は楽しげな笑みを漏らし鼻先を擦り合わせてきた。
……言えへんこと考えとったん?」
「べつに大したことじゃ……
「言うてみ? ワイなぁ、人の話聞くの昔からごっつ上手いねん。どんな悩み事もチャチャッと解決や」
 至近距離で人懐こい笑みを見せられ、暗闇で急に眩しい光を見た時みたいにヴァッシュの目の前がチカチカした。
――おまえの、すきなタイプって、どんなひと?」
 今度はウルフウッドの視界が眩む番だった。
 ぴたりと思考停止し微動だにしないウルフウッドを見て、急な不安がヴァッシュを襲う。身を捩り、シーツの上で両手を動かしウルフウッドの下から這い出ようとするが、手首を掴まれ阻まれた。
「ちょ、逃げんなや」
「答えたくないならいいよ!」
「そういうわけやなくて、あー、えー、――強いて言うなら、やけど」
 熱を持ったヴァッシュの頬の上、ウルフウッドは親指の腹を滑らせて笑みをこぼす。
「笑っとる顔がええな、と思うひとやな」
 柔らかく包み込むような声。それなら自分にもちょっとくらい当てはまるかも、と考えてヴァッシュの目頭が熱くなる。
 ウルフウッドは次の言葉を紡がなくていいようにもう一度ヴァッシュの唇を塞いだ。こじあける必要もないくらいヴァッシュは簡単に唇を開き、互いに食べ合うみたいに忙しなく口を動かす。鼻で息をするのには大分慣れたが、それでも長く続けていると息が苦しくなってくる。やんわりとウルフウッドの肩を押すと、その意図を理解した男は唇を離した。そして、今日はそれだけでは終わらなかった。男の唇は顎を伝い首筋へと降りていく。一瞬にしてヴァッシュの全身は強張り、爪先がシーツの海を忙しなく泳ぐ。状況を理解しようにも耳から入ってくる可愛らしいリップ音が邪魔で仕方がない。ヴァッシュに鋭い睨みを向けられてもウルフウッドは薄く笑うだけ。熱い息は肌の上を擽り続ける。
「新しいティーシャツ買いに行かへんおどれが悪いねんで?」
 ウルフウッドは伸びきった襟元に噛みつき、躊躇うことなく下へ向かって歯で思い切り強く引っ張った。ギチッと繊維の切れる音がした次の瞬間には、露わになった鎖骨の下に音を立てて吸いつかれ、ヴァッシュの身体が跳ねる。何するんだバカヤロウ――、そう言って固く握った拳を頭に振り落とそうとしたその時、下肢に触れる熱に気づいた。同じものがついている男だからこそ、その正体が分かってしまう。
「おまえ、それ……
 ウルフウッドは素早い動きでヴァッシュの上から身体を退かす。散々欲求不満だと軽口を叩いてきたが、その欲がキスだけで収まるようなかわいいものだとは思えない。齢二十三、枯れるにはまだ早い。
 自分自身の性欲があまり強くないせいもあり、ヴァッシュはウルフウッドとのこの戯れを深く考えていなかったことを今になって少し反省した。しかしそれと同時に、ウルフウッドが今こうなっているのは自分が原因だということに少なからず喜びが込み上げてきて、上がる口角を必死で抑える。
 結局、あの白いボックスに何が入っていたのかを突き止めることはできず、今さら聞いてもウルフウッドは教えてくれないだろう。ヴァッシュの見立て通りのものが入っていたとして、今まで散々それにお世話になってきたのだとしても、今は違う――
 今のウルフウッドは自分とのキスで興奮して反応している。恥ずかしいとか嫌悪感よりも前に嬉しいと思ってしまうなんてヴァッシュ自身想定外だった。
 何か言わなくては、とヴァッシュは必死で口を動かす。謝るのもおかしいし、揶揄うのは良くない。考えてようやく出てきた言葉は「……処理する?」だった。ウルフウッドから食い気味に「は?」と地を這うような声が返ってきて、ヴァッシュは咄嗟にうつむく。
 てっきり急いで風呂場かトイレで抜いてこいと言われると思っていたウルフウッドは耳を疑った。まるで今から自分が手伝います、みたいな言い方。ヴァッシュはきっとそんなことを微塵も考えていないだろうに、もしかしたらを想像してしまい心臓がうるさい。今しているキスをともだちの戯れの延長線とするならば、その先に進むと戻って来れない気がして怖い。きっとここが分岐点――
「一緒に、抜く?」
「はぁあぁぁ?」
 地鳴りのようながなり声。普段ならすぐにああでもないこうでもないと小言付きで返事ができるのに、いつも冷静が売りのウルフウッドの脳内は柄にもなく大パニックだった。大きな瞳でじっと己を見つめるヴァッシュにちらりと目を遣り大きく深呼吸をする。
――おんどれ意味分かって言うとんのか」
「もちろん。子どもじゃないんだから」
「ほんっっっまに意味分かって……!」
「おれもおまえと同じモンついてるんだから分かるよ!」
 下ネタには乗ってこないことはないが、あまりそっち方面に対して積極的なイメージのない男。そんな性欲の薄そうなヴァッシュがどうして今これほど意欲的なのかウルフウッドには訳が分からない。
「おどれも溜まるんやな……。今もソウイウ人おらんのやろ?」
「おれだって男だし溜まるもんは溜まるよ。あとソウイウ人はいません」
「ほーん、この家に来てから抜いたか?」
………何回か……
 言葉尻が小さくなり、ヴァッシュの顔がじわじわと赤く染まっていく。生理現象なのだから別に恥ずかしいことではない。しかし、ウルフウッドにとっての問題はこの家のどこでいつヴァッシュが抜いていたか――である。生活リズムが違うため、ウルフウッドが不在の時にしていたのはまず間違いないが、もしかしてあの日の「おかえり」の前にとか、「いってらっしゃい」のあとに――とか、想像は幾重にも膨らみ放題だ。
……せやけどなぁ、一人で抜くのとはまた勝手が違うやろ。無理すんな」
「なんか気持ちいいらしいよ?」
「はっ、なんでそんなこと知っとんねん」
「知り合いの知り合いから聞いただけ。やったことはない……
 あってたまるか! と声を上げそうになったが、どうにか堪えて歯を食い縛る。ウルフウッドの脳内ではけたたましい警報が鳴り響いていた。この先に進むと戻って来れない。なんか気持ちいいらしいから、なんてよく分からない情報を鵜吞みにしている無垢な顔をした男を己の欲に巻き込んで本当によいのか――。判断しあぐねていると、ウルフウッドの視線の先で布の塊みたいなものが落ちた。ペールグリーンとホワイトのストライプ柄のショートパンツ――、ヴァッシュの寝巻きだ。
「アホ! 早いんじゃボケ……
 展開の速さに更なる異議を唱えようとも黒のボクサーパンツ姿のヴァッシュを目の前にしてしまえば、それ以上の言葉は喉の奥に引っ込んだ。
「脱がないとできないよ?」
「わぁっとるわ!」
 ウルフウッドは後頭部をがしがしと掻きむしり、覚悟を決めて無地の濃紺の寝巻きを脱ぎ捨てる。顔を上げた先には膝立ちでパンツを半分まで下げるヴァッシュ。淡い色の陰毛がわずかに見えたところでヴァッシュは視線に反応してぴたりと動きを止めた。
「ちょっと、あんまりじっと見られてるとさすがに脱ぎにくいんだけど」
 ウルフウッドが口の端をヒクリと歪ませ、顔を背けたその時、宅配便とメリルくらいしか来ない家のインターホンが鳴る。ヴァッシュは情けない声色で「ど、どうしよ」と頬を引き攣らせた。
「ワイが見てくるわ」
 邪魔が入ったことに苛立ち半分、安心半分。中途半端にパンツを下ろしたままのヴァッシュの横を通り過ぎ、ウルフウッドは片手に自身の脱いだ服をぶら下げてインターホンの画面を確認しに行く。画面を覗き込んでその人を見た途端、ウルフウッドはなだれ込むように寝室のヴァッシュの元へと戻った。
「おい、トンガリ……! 緊急事態や!」
「えっ、誰だったの?」
……自分で見てみ」
 尻の割れ目を見せたまま目を丸くする男の純粋な顔を見てしまうと、その名を口にすることは憚られた。いつかは向き合わなければならないと分かっていたが、あまりにもタイミングが悪すぎる――あの人。
 重苦しい雰囲気を纏ったウルフウッドに首を傾げ、ヴァッシュはパンツを片手で引き上げる。続けて寝巻きのショートパンツに足を入れ直し、膝辺りまで上げたところでインターホンの画面を覗き込んだ。
――レム⁉」
 長い黒髪を蓄えた女が両脇に荷物を抱えて立っている。ヴァッシュの保護者であり、数年前まで一緒に暮らしていた人。
 驚いた拍子に思わず応答ボタンに触れてしまい、あっ! とヴァッシュは間抜けな声を上げる。同時にウルフウッドは天を仰ぎ、ヴァッシュの横を素早く通り過ぎて洗面所へ向かうと、扉をしっかりと締めて誰も入って来られないよう鍵をかけた。
「ん? ヴァッシュ?」
「あっ、あ、えっと、レ……ム、なんで」
 だいすきなレム。いつだって会えたら嬉しいし、笑顔になれるひと。でも今日は――、今日ばかりはちょっと待ってほしい。
 画面越しの急な再会にヴァッシュは大混乱で、助言を求めようにもウルフウッドは鍵のかかった扉の向こう。インターホンが備え付けられた横の壁に頭のてっぺんをぐりぐりと押しつけ声にならない声を上げる。
「ヴァッシュ、あそびにきたよ!」
 雲一つない空に星々がくっきりと浮かぶ深夜、突然の来訪者の正体はだいすきなレム。快適な温度に保った部屋にいるのにさっきから冷や汗が止まらなくて、だいすきな彼女の名前さえ上手く口から出てこず喉奥で絡まってしまう。

 ショートパンツに添えた手から力が抜け、ヴァッシュの足元に虚しく落ちた。