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つなみ正登/ぱるこ
2024-06-15 08:17:10
39373文字
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ワ
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思い出になる日が来たとしても(神田×弓場)
テキスト全体の半分くらいまで(試し読み用
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八時過ぎに行くと言ったけれど、神田が弓場のアパートの共用玄関の前に着いたのは八時になる前だった。
階段を上り、貸し農園が見下ろせる外廊下型の共用廊下を歩く。突き当りの一番奥が弓場の部屋だ。前に来た時は廊下の途中の腰壁にひび割れがあったけれど補修されていることに気づいて、その丁寧な仕事に神田は薄く微笑む。どんなに建築士が凝った設計をしても、現場の誠実な施工がされてこそだ、という父の言葉を思い出す。
形にされた理想は、維持していく努力こそが必要なものだった。何であれ、きっと、すべて。
部屋の前に立ち、インターフォンに指を伸ばしたが、押し込む前にふと思った。
彼と体を重ねたのは、何度だっただろうか、と。
この扉を彼と体を重ねる為に開いたのは、あの始まりの冬から数えて、春に二度、そして秋にも二度だけだった。学業と防衛任務、例えランク戦がなかったとしても、オンシーズンに立てこんだ用件がずれこみ、多忙の中でも何とか紡いだ逢瀬だった。その分、一夜に交わす情は長く、激しいものだった。おそらく受け入れる側の弓場の負担は大きいはずだった。
少なくとも神田の主観では。
だが一度も弓場は疎ましい様子を見せはしなかった。
(あんたって、人は)
汗ににじんだ瞳は潤んでいても、己の裡を蹂躙する神田へと向けた揺るぎないまなざしで、かけらも牡としての矜持を譲渡さないと突き付けてきていた。それでも彼を暴き、攻め立てる快楽を手放せなかった、この限られた一年という時間。
いまどんな表情をしているのか、神田は自分のことなのに分からなかった。
本当に何をいまさら、だ。
でも。
もう神田は弓場の下を離れる。
弓場隊神田忠臣ではなくなる。
その献身と忠節の証として肌を許される日は終わる。この、恋心は尽きる時が見えないというのに。
それでもたった一回。あと一度だけ神田は弓場を抱ける。重ねた記憶が、神田の脳裏と、そして若々しい肉体に蘇り、ずくんと下腹部に鈍く重たくも激しい熱が疼く。
だけど。
神田は両手で自分の頬を叩くと、おそらく最後に押すことになるであろうインターフォンのボタンを力強く押し込んだ。
すぐに、扉は開いた。
「寒そうじゃねェーか。さっさと入れ」
「弓場さん
……
」
室内から柔らかな暖気と共に、彼の部屋の気配がこぼれ落ちてくる。すっかり、とまでは言わなくても、それでもじゅうぶんに神田にとっては親しんだものだった。
「ったく上着もなしにフラフラしていい陽気でもねェだろうに。何か淹れてやる。こんな時間だ、コーヒーっていうのも案配良くねェーだろうし、白湯ってのも野暮だし、まァ朝呑んでるから牛乳があるな。こいつをあっためてやらァ」
冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、何度かモーニングコーヒーを呑ませてもらったマグカップへと注ぐ。
彼の、その、無骨な優しさ。
レンジへと牛乳を満たしたカップを入れようとした弓場のその手に神田は手を重ねる。
「?」
そんな神田の所作に、弓場はかすかに眉をひそめると、カップをレンジのターンテーブルの上に置いてから手を離す。
神田はそれを確かめたかのように一呼吸置いてから、彼の手を引き寄せて、自らの口元へ招いた。あの日のように。
冷てェーな、とされるがままにされながら弓場は呟いた。
その言葉で神田は自分が手袋をしてないことを思い出した。
あの時、木の根元から掘りだして泥だらけの手を、まだ水が通っていた公園の水飲み場で洗った彼女の真っ赤になった手に、コートのついでとばかりに手袋も貸してあげたのだった。
それはいつかのように不意に思い出し、そして僅かな皮肉を伴った感慨を抱いた「幸福の王子」のように、与えられるものなら与えようとする彼を無意識に真似ようとしたのだろうか、とそんなことを思う。
そうしたとて、弓場が自分にくれたこの一年足らず、いや出会って、彼のともがらとして過ごした時間に敵うはずもないというのに。
「どうした、しみったれた面ァしやがって。せっかちに抱きに来たってェわけでもなさそうだな」
その弓場の言葉に神田は唇が歪むのが分かった。
『人なんて繋がってるうちに、気持が引っ張られることはあるものだろう?』
狎れた、とは思いたくない。弓場はそこまで芯のない牡ではない。だが、あえて、そう、あえてそうさせてしまっていたとしたら。彼のその厳しくも寛い性情ゆえに。
「抱いて、いいんですか?」
「仕度《・・》はしてねェーぞ?」
少しだけからかうように彼は、だが厚みのある笑いを口元に灯して返す。
「はは
……
そんなんじゃないッス。俺は
……
弓場さん、俺」
「何だ?」
今さらの愚かなためらいに途切れた次の言葉を促すように、薄いガラスの向こうの美しく厳しい瞳が神田を見据えた。
このまなざしに、どう映りたかったのかということを今更に思い出した。
「今更
……
ホントに今更ですけど、もう、あんたとのそういう関係《コト》おしまいにさせてください」
「
……
は、そういうことか」
弓場の夜色の双眸がすがめられる。そこにどういう感慨が抱かれているのか。神田の目には手繰ることができない。
だが弓場は引いた自らの手の、神田の唇が触れたあたりに、かすかに自らも唇を触れさせてから言葉を継いだ。
「そうしてェならこれきりだ」
「
……
」
「おめェーから言い出して始めたことだ。おめェーがしまいにしてェって言うのなら、俺からどうこう言うことじゃねェ」
「すんません」
「なんで謝る必要がある?」
「
……
謝りたいんス」
今まであんたを俺の一方的な恋情に、付き合わせてしまったことを。駆け引きとも言えない、稚拙なやり方で。
(俺が、本当に欲しかったのは
……
)
だが、それを言葉にする前に、弓場の手が神田の左肩を掴んで、壁に押し付ける。
「理由もねェーのに謝られンのは収まりが悪ィぞ
……
ったく」
あのな、と弓場は神田に、それこそ口づけしそうな距離に顔を近づけて、低い声で囁いた。
「こういう時泣きそうなツラすんのは、フラれたほうだぞ」
「フラれるって
……
っ」
「袖にされちまったのは事実だろ」
ふん、と弓場のかたちのいい鼻が鳴らされる。
「けど、そいつが最後のおねだり《・・・・》だってェーのはおめェーらしいのかもしれねェーな」
自らへと向けられた不敵さをたたえた彼らしい微笑に、神田は、赦されるなら最後にもう一度だけ口づけしたい、などと未練たらしくも思ってしまったけれど。
4
ねだられるままに神田と体を重ねた。そしてそうしたのは、思えば片手で数えられるほどではあった。
たったそれだけの関係《こと》だった。
未練になるほどの関係《こと》でもない。
きっと。
トリオン兵の討伐数が十を数えたあたりで、今回の混成部隊のオペレーションを担当した月見から交代時間が告げられた。
年の瀬が迫ろうがトリオン兵の襲来が納まることはなかった。ありふれた、異常な日常がすでに当たり前なものとしていることを、ホルダーに銃型のトリガーを戻しながら弓場は改めて感じた。
「弓場くん、お疲れさま。担当エリアに三輪隊現着。撤収してください」
「弓場、了解。おい、月見、保護した侵入者はどうなった?」
「本部で事情聴取中。未成年ということもあってご家族が迎えにいらっしゃるタイミングで久摩支部に身柄を移すとのことよ」
「そうか。それと
……
いや、なんでもねェ」
「これは私見だけど、今回程度では記憶の処理はされないんじゃないかしら」
弓場が飲み込んだものを心得たのは、同輩ならではの阿吽の呼吸とでも言うべきか。
「弓場くんあいかわらず優しいわね」
「やめやがれ、痒くなる」
帯島とたいして年の変わらなさそうな少女が警戒区域に侵入していたのを見つけたのは、まだ所属する部隊を持たないC級から上がったばかりの狙撃手だった。いい目をしているばかりか、そこから一番早く駆けつけられるであろう隊員を即座に判断してオペレーターに提言して判断を仰げる処理能力は、まだ現場での経験が殆どない新人にしてはなかなかだった。
(悪くねェ人材だが、荒船ンとこじゃあるめェーし狙撃手二枚ってェーのはうちのガラじゃねェな。そう都合良くはいかねェーな)
なァ神田よ、と弓場は唇だけでその名前を形作る。
「にしても月見、連続でオペレートするそっちこそがお疲れさまだろ」
「次であがりだし、ここにふんぞり返って指示を出しているだけだから、たいした労力ではないわよ」
伝法な口調で気遣ってくる同輩に、もはや古株とも言ってもいいオペレーターは彼女らしくもない、ちょっとだけ無頼な言い方で応じた。
「ふんぞり返ったってェーのはなかなかの言い様だな。太刀川さん《おさななじみ》の影響か?」
「弓場くんのかもよ?」
軽やかにやり返され、弓場は軽く肩をすくめる。
「現場で動く弓場くんのほうが大変。ランク戦がせっかく終わったのに、シフト、毎日のように入れてるじゃないの」
「さっき交替した柿崎《ザキ》だって夜通しの連勤だ。それに俺もトリオンが回復《もど》る時間は休んでる。大学もねェーし、この時期は仕方ねェー。ま、弟や妹にくれてやるお年玉にイロがつくから結構だ」
「ふふ、じゃわたしも花緒にお年玉をあげようかしら」
「だとよ?」
と弓場は傍らに立つ、吉里隊の攻撃手に振る。
「いらないって、わたしだってシフト入れてるし」
凛としたおもざしに相応しく、ぴしゃりと姉の提案を異を唱えた月見の妹を見やってから、いつもの自隊とは違う、臨時部隊として集めた他隊やフリーの隊員たちへと声をかける。
「よし、じゃァおめェーら、時間だ。解散して遅ェー昼飯たんと食ってゆっくり休め。風邪ェ引くなよ」
弓場のねぎらいに頭を下げて、隊員たちはそれぞれ撤収にかかる。
クリスマスを終え、世間は新年へと向けて浮き立つ空気ではあったが、それに流されることはない彼らが頼もしい。帰省中の三門市外からやってきた隊員たちの穴をふさぐのはここに根を張って生きていく者が請け負うべき当然の義務と心得ていた。
「弓場さんは帰らないんですか?」
警戒区域外へと足を向ける彼らの流れに逆らうように、本部方面へと向かう弓場に、花緒が尋ねる。
「ちっとばっかやんなきゃいけねェーことがあるんだ。めんどくせェーことを今更頼みやがるバカがいてな」
「バカ」
「ああ、三門を出ていっちまう前に心残りはナシにしてやりてェーからな」
姉同様聡い少女はすぐに誰か思い至ったのだろう、声にしないまま「あ」と形作った唇をすぐさまに引き締め、ご苦労様です、と労わる言葉でその背中を見送った。
一昨日の夜。
それからもうひとつ、と彼は垣間見せた泣き笑いのような表情は弓場の錯覚だったかのように拭い去り、淡々と付け加えた。
『俺の代わりを見つけてください』
できるだけ早く、次のランク戦が始まる前に馴染むだけの時間は必要でしょうから、と弓場の返事に先んずるかたちで神田は付け加えた。
その声音にもはや揺るぐものはなかった。
いつもの、神田だ、となぜか一抹の寂しさを感じながら一時の愛人でもあった片腕を見やる。
『帯島たちが信用できないわけじゃないです。でも王子と蔵内が抜けた時とは違う。今の弓場隊で、あんたっていう駒《エース》を有効に使うことを考えれば、もう一枚、できれば接近戦がこなせる戦力はあったほうがいい。これは、弓場隊生え抜きの、まがりなりにもあんたの片腕だった男からの見解です』
『てめェーが抜けたせいで弓場隊が中位に下がるとでも?』
『絶対はないでしょう? 俺がイヤなんです』
少しばかりの、息を吸い、吐き出すくらいの間を挟んで、神田は付けくわえた。
『これが、俺があんたへのホントに最後のワガママです』
蔵内も似たようなことを言いやがったが、と弓場は低く呟く。かつて違うかたちで隊を抜けた部下であり後輩である若者と、そして目の前の神田と、そしてその神田が終わらせようとする関係を紡ぐきっかけとなった今はライバル部隊の隊長である青年三人が弓場の指揮のもと肩を並べて戦った日々が脳裏を過る。懐かしく、遠く、そして手の届かない黄金の時間。
『前《・》のに較べると、ずいぶんと可愛げのあるモンだな』
揶揄のつもりはないがそう告げると、彼はほんのひとさじ分ほどの困ったような笑い顔で報いた。
分かった。考えておく、と弓場は答えた。だから。
「
……
未練一つなく、送り出してやらァーな」
己ひとりだけの作戦室でそう呟くと、弓場はB級のフリー隊員や昇格間近のC級隊員の資料が映し出されたモニターから一旦視線を外すと、メガネをずらして、目頭の横を親指と人差し指で摘まむように揉んでから立ち上がる。
エレベーターに乗り、新鮮な空気を吸い
――
空調は正常に稼働している以上ただの気分ではあるが
――
に屋上へと出た弓場は師走も終わろうとする冷えた空気に入り混じる、紫煙の香りに気づく。
換装体でもくわえ煙草を模する程度には愛煙家の諏訪かと思ったが、冬の早々と迫る夕暮れの気配の中、柵に肘をついて寄りかかっている、私服のジャケットを羽織った後ろ姿から見える髪は特徴ある金色ではなかった。
「おう、どうした」
気配に振り返った相手に、弓場は軽く頭を下げる。
太刀川だった。男は吸いさしの煙草を唇から抜き取り、こっちに来い、とばかりに指で招く。
「待機シフトだっけか、おまえ?」
「ちょいと書類仕事がありまして。眠気覚ましに来たって感じッス。邪魔ァしちまいましたね」
「邪魔になんかなるか。にしたって、帳面つけなんざ換装してやっつけちまえばいいのに」
「防衛任務中でもねェーのに、てめえ都合でトリガーに頼っちまうのは道理が通らねェーかと」
「めんどくせー奴だな」
それでも隣に立った弓場から見える太刀川の横顔は緩い笑いを浮かべていた。
「太刀川さんは?」
「見ての通りだよ。屋内で吸うと二宮とかがうるせーからな」
くく、と太刀川は喉を鳴らした。
だったら喫煙所で、と言いかけて、太刀川の視線が警戒地区の一角、まだ最近崩れたように見えるあたりを射抜くように見据えていることに気づく。
(あのあたり、近界民が最近出現したって話は聞かねェーが
……
)
「ま、あとは反省会かね」
最後のひとふかしをすると、太刀川は携帯灰皿に吸い殻をぎゅっと押し潰した。かすかにその口元が皮肉そうに歪んでいるように見えた。
少し前に帰投したばかりの遠征についてだろうか、或いは帰投したばかりで遠征部隊たちが何らかの任務を与えられ、嵐山隊が同タイミングで動いたという件絡みなのか。宵に浮かぶ現役隊員最強の男の横顔からは弓場の目で見透かせるものはなかった。
「俺も、実のところ反省会みたいなもんスね。うっかり隊員《シタ》に見せてェー面でもねェですから」
「ランク戦は惜しかったな。けど二宮も影浦も手強いだろ? 降格してショゲるようなタマでもねーしな、どっちも面の皮がぶ厚いから」
「確かに」
間違ってはいないが容赦のない太刀川の言い草に、弓場は苦笑交じりに頷くしかない。
四ツ巴となった最終ラウンド、王子に神田を獲らせるのを引き換えに弓場が狩ったものの、初期配置で早々に外岡が南沢にやられ、帯島も樫尾と斬り合ってる最中に北添の爆撃で見せた隙に隠岐にスナイプ、そして弓場は結局影浦と生駒との乱戦の中時間が切れ、生存点の点差で影浦隊生駒隊の後塵を拝し、今期は得失点差により四位で終わることとなった。
「神田、行っちまうんだって?」
「
……
ッス」
かつて自隊から烏丸という卓越した万能手をやはり手放した男は、弓場を見る目をすがめさせた。
「淋しそうじゃねえか?」
「まさか」
そう見えてしまうのか、と弓場は微苦笑を浮かべた顔を掌で撫でた。
「ずいぶん前に分かってたことッス」
そう。分かっていた。
『俺、大学は外を受けるつもりです。建築を本格的に学ぶ為に九州の大学に。だから後腐れだってない』
だから受け入れた。そう告げてくれたからこそ、そう告げたことでここから未練なく発つと言外に宣したからこそ、神田と身をひとつにしても、いや彼の言い様に倣うなら「夜を分けてやって」も過《あやま》たうことはないと思った。
こいつは大丈夫だ、と。
(神田は、な)
「その件についてはとうに覚悟はキメてた、なんて言っちまったら大仰なモノ言いでしょうが。ただ、A級に上がって送りだせてやれなかったことだけが残念とでも言ったらいいのか。
……
こんな時期まで弓場隊でいてくれてたってェーのに」
あんな手段を経たことでつなぎ留めてしまったのかもしれない、という、悔いなどという言葉にしてしまえば薄っぺらい感情が弓場の胸をつく。
「
……
見せてやりたかったッス、A級が見る風景」
「たいして変わりゃしねーよ。固定給が出るか出ないか程度の違いだ」
その風景の中に傲然と立ちはだかっている男はあっさりと言い放つ。が。
「ま、けど、てっぺんから眺めんのは満更でもねーぜ?」
弓場を見る太刀川のまなざしは、弧月の刃めいて鋭く、容赦ない。それでいて、さっさと来てみろよ、と誘うようでもあった。
実際に刃をつきつけられたわけでもないのに、それだけでうなじの毛がそそけ立つようだった。
「ま、まだ実力が足んねーってことだ。太刀川隊《うち》なんざ唯我《ハンデ》があっても頂点は譲らねーし」
ふふん、と太刀川は褒められた子供のように鼻を鳴らす。まとった空気が途端に和らぐ。
「さっさとこっち側に来いや。おまえは残んだろ?」
「そのつもりッス」
勢いよく弓場は頷く。
この男と互角の存在として抗してみたい、と腹の底から思った。発つ者の背を見送り、抗い続ける生き方を選んだ者として。
彼を育み、愛したこの街で。
「ところで」
と太刀川は顎髭を撫でながら問う。
「風の噂《・・・》に、迅が風刃手放したって聞くが、獲るつもりはあんのか、おまえ」
「適合者は俺だけじゃねェーでしょ。どういういきさつでそうなっちまったのかは知りませんが、あれを迅から取り上げちまうのは仁義が通らねェー。俺はそう思うッス」
「仁義か、なるほどな」
まあ、今頃最上サンと離れてべそべそしてるかもしんねーだろうから迅に会ったら慰めてやってくれよ、と太刀川は言い置くと踵を返す。
「太刀川さんがやってやんねェーんスか?」
「は、バカ言うな。そいつは俺の役回りじゃねーんだよな、これが。
……
ちっと遊んで来る」
肩をすくめた彼は換装すると、そのまま屋上から身を躍らせた。グラスホッパーの足場で駆けるその先に、門の兆しの空間の歪みが生じていた。
標的に向かって一閃される弧月の光跡を眺めやりながら、弓場はかろうじて在りし日の面影はいまだ残している東三門とかつて呼ばれ、蹂躙された街並みを見下ろして、白い息を吐き出した。
そして、気づく。神田と初めて会ったのは、まさにあのあたりだった、と。
第一次、大規模侵攻。
多くの三門に住む者たちにとって、大きな運命の岐路となった日。
『そこのチビ、動けるな。行け、そいつを連れて!』
神田の上に降った雪は積もることのなかった、もう人が暮らすことのなくなった、面影のような街。
「
……
役回り、か」
だったら俺は、あいつにとって、それ、を存分に果たしてやれたのか。
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