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つなみ正登/ぱるこ
2024-06-15 08:17:10
39373文字
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ワ
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思い出になる日が来たとしても(神田×弓場)
テキスト全体の半分くらいまで(試し読み用
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これ、もう片付けていいですよ。
最後のランク戦をかつての同胞に打ち取られる形で終わりながらも、少し前にベイルアウトで身を預けたマットを飄々とした風情で指さした神田を、あれだけ日頃は闊達で直截な隊員たちは物言いたげに視線だけを向けた。
ランク戦が終わり、今年一杯で退役が決まっているとはいえ、まだ防衛任務は二回ばかり残っているのだ。
「神田さん、でも」
とおずおずと口を開きかけた外岡を遮るように藤丸が、おう、と返した。
「てめえが哨戒任務程度で落ちるとも思えねえからな。万が一、しくっちまって痛え思いしたら、後々まで笑いものにしてやるよ」
笑いものは酷いや、と聡く意を汲んだオペレーターの豪快な言い様に神田は笑いで応じた。
「
……
ここの備品なんざ中央室に申請して基地のトリオンに還元するだけだ。侵攻の後片付けと違って楽なもんよ、任せときな」
「っスね」
侵攻、という言葉に、しくり、と神田は背中が痛むような錯覚を覚えた。たぶんそれは肉体ではなく心の軋みがさせるものだったにしても。
「
……
また、弓場隊が四人編成になる日が来るんですかね」
「まァなりゆき次第ってトコだな。藤丸が四人サバけるからには三人で納めとくってのも勿体ねェーしな」
「ですよね」と神田は弓場を見やり、そして腰を曲げて三人に向かって頭を下げた。「すんません、女々しいことを言いました」
「女々しかねェーだろ」
藤丸が笑い飛ばし、弓場が続ける。
「そいつは配慮って言うんだ。発つ鳥あとを濁さずたァ言うけど、抜けてくてめェが古巣を気にかけんのは当然の仕儀だ。卑下してもいいことなんざあるめェよ」
ぽん、と神田の後頭部を軽く弓場の掌が叩く。
「はい」
四年を経てもまだトリオン兵に脅かされ続ける三門を離れ、南の地で過ごすことになったら、この痛みは遠くなっていくものなのだろうか。胸に抱えた記憶と想いごと。
だったら俺は
……
、と神田はいつも通り、腕を組んで直立したままの隊長を見やった。
換装体と違ってさらりとこぼれた前髪の、その下の瞳は、それでも闘いの残滓にか、鈍い熱を伴ったままなことに気づく。その熱が、神田という男の中で揺らぎ続け、ここに至っても顔をもたげようとする未練を焼き捨ててくれることを願った。
「じゃ、任務の時にまた。現地集合現地解散ですよね」
「あァ、いつも通りだ。遅れンなよ」
背中に投げかけられた弓場の声に、神田はこくりと頷いて、万感の思いでというほどに感傷的にではないものの、それでも長く第二の居場所として数年を過ごし、そしておそらくは二度と足を踏み入れることのない弓場隊の作戦室を後にした。
基地を出る前に、ふらりとラウンジに立ち寄ったのは特に理由があったわけではなかった。少なくとも神田の中に明確な理由はなかった。急いで帰宅する理由がなくなった、それだけのことで。
作戦室を出た時にだった。私物の携帯端末に、母親から連絡が入っていたことに気づいたのは。ランク戦が始まる少し前に送信されていた。
曰、急ぎの仕事が入ってしまった為、一緒に夕食を取ることは出来なくなった。帰るのは明日の午後になってしまう、という事情が簡潔にしたためられていた。そして、ごめんね、と。
謝らなくてもいいのに、と、神田は無機質な液晶に浮かんだメッセージをそっと撫でる。父の死後も設計事務所をたたむことなく、自らが所長として幾人かのスタッフを抱えて忙しく働いてる母をどうしてそんなことで恨もうか。ただ、無理をして体を壊さないで欲しい。神田にとって望むのはそれだけだ。まして、もうすぐ自分が近くで心配
――
そんなことたいして役に立つものではないと承知だが
――
していることも出来なくなるのだからなおさらだった。
俺に遠慮しなくていいからいい人がいたら再婚とか考えてくれてもいいよ、と一度冗談めかして言ったことがあるが、「まだお父さんのことが一番好きだから、無理ね」と笑い飛ばされたことがある。
例え、その人と二度と会えなくなったとしても、好きになった想いは色が淡くなったとしても消えない。
(だったら俺は
……
)
過るのは、凛としたその背中と肩越しに見える厳しくも篤い横顔。
だが神田は、ラウンジの六人掛けのボックス席にたむろしていたグループの中にその姿を見つけて、目を細めた。
王子だった。
ラウンジの六人掛けのボックス席にたむろしていたグループの中に、その姿はあった。同席していたのは、今しがたまでの最終ランク戦の対戦相手のもう一角であった生駒隊の水上、そして解説に招かれていた当真と影浦。ちょうど今まさに王子を残して、彼らは席を立つところだった。
ちょうど三門一高《ミカイチ》組だな、と他校で同年代の連中を結果的に気づかれないまま見送ってから、神田はひとり座すかたちになった王子を遠目から眺めてみる。
確かに綺麗な男ではあるのだ。王子が手にすると、売店のありふれたプラカップがボーンチャイナの茶器のようにも見える。出来過ぎなくらいにそういう雰囲気を備えていた。
そして、そうさせるのは、見てくれだけではない、クレバーなしたたかさゆえだということも神田はよく知っていた。だからこそ、その見た目もいっそう際立って艶やかに映える。軍服にも、学ランにも見える黒づくめの装いに。
だから。
弓場が彼を抱いたのも、正直理解できなくもなかった。男
――
他ならぬ弓場
――
を組み伏せ、その深い部分を暴く快楽を知っている神田としたら。
一度くらい寝てみても良かったかな、と埒もないことを思わせる程度には。
(もっとも王子《こいつ》が呑むかどうか)
いやそれとも好奇心に満ちた彼のひととなりなら、むしろ向こうからの誘いがあってもおかしくはないかもしれない。
ただ、巡り合わせと機会がなかっただけだ。
B級上位でしのぎを削るライバルチームの一員だということは、きっと王子にとってはたいした障害にはなるまい。事実、いま王子が身体を重ねている相手は、それを恋人と呼んでいいかはともかく、ボーダーに所属する誰かだということを薄々察していた。
そして、むしろ今の王子にとって、弓場は聖域のように触れざる存在になってしまっているのではないだろうか。
少なくとも、王子隊が弓場隊の上を獲り、そして共にA級へと昇格し、互角の立場となるまでは。
(意外と純情というか、いや律儀な奴だな)
そういう意味では余程己のほうが厚かましい、と卑下ではなく思っている。九州の大学に進学することを選ばなければ、きっと自分はボーダーを辞めたとしてもあの人を手放そうとはしなかっただろう。情にも体にも訴え、あらゆる手段を使って、弓場との関係を絶つまいとしたに違いない。
そんな取りとめもない考えに耽っていたからだろうか。背後から、お喋りに夢中になりながら歩いてくる二人連れのC級女子隊員に意識が向けられなかった。
おかげで。
「わ、ごめんなさい!」
お互い気がつかない同士での衝突から生じたのは、隊員が手にしていたコーヒーが撒き散らされるという結果だった。トリオン体の女子隊員たちはともかく、神田の羽織っていたブルゾンには褐色のシミがあちこちに飛び散ってしまっていた。よりによってオフホワイトなものだから一際目立つ。
「どうしよう
……
神田先輩、今から帰宅です、よ、ね」
「あ~、大丈夫大丈夫。ぼんやりしてたのはお互い様だから」
それより手にかかったりして火傷してない? と眦の下がった柔和な目でコーヒーを手にしていた隊員を覗き込む。
「ああ、トリオン体だから火傷なんかしないか」
間近で神田と目が合った片方の隊員の顔がほんのりと赤らんだ。
「着替えは作戦室にあるから。君たちはもう行って。まだ用があるんだろう? 幾らボーダー隊員でも女の子はあんまり遅くならないほうがいいし」
ね、と人当たりのいい顔で神田は、頭ひとつ小柄な少女たちがこれ以上罪悪感に囚われないように促す。
すみませんでしたとありがとうございましたを交互に繰り返しながら頭を下げて遠ざかっていく、かつては神田も袖を通していたC級の隊服
――
ラインの色は違うけれど
――
の姿を見送った。
すると。
「ホラ吹きの人たらしだね、きみは」
「酷い言い様だな、王子」
「嘘つきは嫌いじゃないけどね。すぐに分かっちゃうような底の浅い嘘をつくバカはともかく」
くすくす、と意味ありげに笑う碧い瞳。
彼女たちとは違って、あえて気配を押し殺した王子がいつの間にか忍び寄っていたが、それで驚かされる神田でもなかった。今しがたのランク戦のようにカメレオントリガーを使われていたわけでもないのだ。
そもそも、聡い王子なら、どうせたいして遠い場所でもない同じフロアのハプニング程度嗅ぎつけるに違いないと推していた。
「だって、きみのことだから、どうせもう作戦室に私物なんて置いてやしないだろう。着替えどころかシャー芯の一本だって残さず綺麗に片付けて、きみのいた気配ひとつ残してやしないに決まってる」
「元々そんなにあれこれ持ち込んでたワケじゃないしな」
王子の指摘に神田は軽く肩をすくめた。
その神田の肩を、ぽん、と白い手袋をはめた掌が気安く叩く。
「ぼく、明日の朝から任務入れてあるから仮眠室を取ってあるんだ。そこで着替えなよ、コート貸してあげるから。大きめだからきみでも入るでしょ」
ね、と王子は弓場すらも篭絡したかもしれない、油断ならない無邪気な笑顔を惜しみなく神田へと向けてきた。
つ、と突然触れてきた指に、神田の裸の背がびくりと震える。
「おい」
「
……
結局、消えなかったね」
王子の意図をやっと汲んで、神田は、ああ、と感情の色をなるべく交えずに応じた。
神田の鍛錬と若さで張りつめた肌に無惨に走る、肩の下あたりから肩甲骨にかけて、剥がされ、引きつれたような古い傷。王子の指が辿ったのはそこだった。
ラウンジでかけられた珈琲は結局ブルゾンだけではなく、下に着ていたスエットにも飛び散っていて、インナーまでしみていないか脱いで確かめなよ、という王子の勧めに上半身すべて脱いだところでのちょっかいだった。
「仕方ないさ。それに、体を動かす分には不自由はないからな。
……
染井に較べたら気楽なもんだ」
四年半前のあの日、三門を襲った最初の大きな侵攻に巻き込まれて出来た傷だった。そして、それと引き換えにして有り余るほどの出会いと。
『弓場拓磨だ。お互い命冥加に生き延びたんだ。三門《ここ》にいる限り、またどっかで会えるさ』
六頴館中学の制服をまとったその少年の、まだその時の神田にとっては見上げるほどすらりと高い背丈の姿は、ディザスター映画のような現実離れしたその状況でも揺るぎなく見えた。彼とてまだたった十五だったというのに。
市民病院に弓場の手を借りてたどり着いた神田は、同じ年頃の少女に肩を貸すようにしながら、自らは両手の指を血で真っ赤にさせた、髪の長いメガネの小学生らしき女の子を見かけた。
数年後、後に香取隊のオペレーターとその隊長となる娘たちを本部で目にはしたが、すぐにはその時の少女たちだとは気がつかなかった。
思い出したのは六頴館高校でたまたま同じ委員会で一緒になった時に渡した書類を取り落とした時に、痛みにか少し辛そうに指先を握る仕草を見た時だった。そして、おそらくは同隊の若村から聞いたであろう犬飼から、染井があの侵攻で家族をすべて失ったこともそれから少しして知ったのだ。
『やるからには一番を目指そうと思ったんです。ひとりきりだったとしても』
何かのおり、ふとボーダーに入隊した理由について話した時に、同じ高校に通うふたつ年下の少女はきっぱりとそう告げた。だが、でも、と続けかけた染井を「華」と呼ぶ声に、凜然とした彼女が一瞬だけ表情に年相応の柔らかさを宿して、どこかほっとしたことも覚えている。
「体じゃなくてここ」と神田は胸のあたりを指し示し「にも三輪みたいに、消えないままの疵を抱え込んでる奴もいるしな。ボーダー《ここ》にはそんな連中がごまんといる。俺だけに限ったことじゃないよ」
ここは
――
ボーダーだけではなく三門という街はそういう場所でもあった。
それに、と神田は声に出さずに思う。
俺にとってこれは勲章だ。
――
そう、言ってくれた人がいたから。
四年半の歳月で、痕こそ残ったものの、傷としてはとうにふさがった。もし、痛みを感じるとしてもそれは記憶が誘うだけの錯覚にしか過ぎない。それこそ感傷だ。
だがあの人への想いはどれほど経ったら、疼きを伴わない思い出に変わってくれるのかは、トリオン兵と切り結ぶ幾つもの戦場を経た少年兵の端くれの青年には分からなかった。
「ねえ、神田《カンダタ》。ここのこと、何て言うか知ってる?」
今度は傷を避けるようにして、背のくぼみをはさんで左右にはりだした肩甲骨双方に王子は指先を置いた。
「貝殻骨?」
「英語で」
「さあ?」
医学部志望でもなければ、幾ら進学校に籍を置いていたとしても意識したことはなく、とっさには思い浮かばない。
「Shoulder bladeとかblade boneって言うんだって。ブレードって言っても、羽根って意味のほうらしいけど」
「羽根? ああ、なるほど。手を上げると、肩甲骨の内側のラインが折りたたんだ鳥の羽根っぽく見えるからか」
王子の言葉に、幾度となく触れ唇を置いた、あの人の背中のさまを思い出す。
「実際は翼の部分は腕だけどね。でも天使の羽はここから生えてるんだろうし」
ロマンチックなことを言う、と神田は苦笑しそうになる。彼らしくもあり、らしくもないような気もして。
「きみはここに傷を受けたからこそ、剣《ブレード》を取ることになったんだ。羽根みたいにふわふわして柔いものじゃなくて。そしてここから飛び立っていっちゃうんだね」
「人より少し巣立ちが早いだけで、そんなたいしたものじゃない。こそばゆいからやめてくれって」
神田《カンダタ》は褒め殺しに弱いとはね、と王子はようやく物理的にもくすぐる手を離すと、タオル二枚でシミを挟むようにしておいたスエットを手に取った。幸い、オリーブグリーンだったおかげで、そうするとスエットのほうは殆どシミは目立たなかった。
「殆ど分からなくなったな。助かる」
「クリスマスの夜にいかにも何かかけられたのを着てたら、すれ違う人の想像力を刺激しちゃうからね」
「そう言えばクリスマスか」
言われてやっと気づく。最終戦だということばかり気に取られて、十二月の二十五日という日付の、世間一般で思い浮かべるアニバーサリーはすっかり関心の外だった。
「そう。聖なる夜にもランク戦なんだから、防衛隊員っていうのも世知辛いっていうか」
しかも、と王子は着替えをすませた神田に向かって、立てた人差し指を軽く左右に振ってみせる。
「せめてクリスマスプレゼントくらい強奪したかったよ。時間切れじゃなくて生存点取れてたら、今期弓場隊を抜けたのに」
すねたようなその呟きに、神田は厚みも上背も勝る体つきに似つかわしい磊落な調子で答える。
「そう簡単に王子隊《おまえんとこ》に上を行かせたくはないし、そのつもりもなかったからな」
瞳の奥に自負と自尊をかすかに煌めかせて、神田はかつての朋輩を見やった。
弓場隊は、部隊としての経験、練度、実力
――
そのどれひとつも王子の率いる部隊に劣るものはない。遅れを取ることが皆無とは言わないが、それとてこれから伸びていくであろう、若芽たちへの経験という肥やしのひとつだ。神田たちからすればまだ幾許かは若い外岡も帯島も、かつての王子たちのように、敗北の屈辱にすらも喰らいつき、啜り、呑み干し、厳しくも寛い懐を持つ弓場の背中を見上げながら、その身の糧として蓄えてゆくことだろう。
「まだ、君がいるうちは、ね」
含みのある物言いに、神田は軽く片眉だけを器用に上げて見せ、王子は咲きこぼれる花のように表情をほどいた。それが果たしてどんな花なのかはさておき。
合格しようがするまいが、来年の二月から始まる次期シーズン、もう神田はボーダー隊員ではない。
それでも受験生としては、こんなギリギリまで防衛組織に身を置いていたのは。
「
……
俺がいるうちにA級に上げてみせたかったな」
それはたぶん傲慢な考えだろう。でももう関わることができなくなる神田にとっては切なる願いだったのだ。
「タイミングが悪かったね」
矜持が声音に嘆息こそ交えさせなかったが、ふたりのB級上位部隊の隊員の脳裏に過ったのは、二宮と影浦、A級《トップグループ》を目指す者たちにとって、門番のように立ちはだかった一位と二位に並ぶ元A級の隊名だった。しかも、入れ替え戦で落ちたわけではなく、降格処分で下ってきた、しかも四位と六位という上位チーム。血の王冠と、なにものをも食い破る牙。
何かと反りが合わなさそうとはいえ、幹部に拳を上げた隊長を戴く影浦隊に関しては、「カゲくんならこれからも期待通りやらかすに決まってるから、上がってもまた下がったりでジェットコースター気分が味わえるね」という王子の信頼に裏打ちはされてはいるのだろうが実も蓋もない言い草はともかく、関係者の間ではさもありなんという空気にはなっていた。
だが二宮隊については、前々シーズンが終わり、次に備えたオフの五月に突然「A級四位二宮隊、鳩原隊員の重大規律違反によりB級降格」とだけ通達され、隊員たちは訝しさを伴った驚きに襲われた。
二宮隊の銃手と同じ学校、同じ学年の蔵内などは顔色を変えて詳細を問い詰めたものの、いつもの人を食ったような、でも犬飼にしては少しばかりやるせなさそうなものを含んだ笑顔ではぐらかされてしまったきりだった。「ごめんね、会長、ごめん」と。
蔵内と違ってある程度割り切れる神田は、詳細が公開されてないのならされてないだけの理由があるのだから聞き出すのも野暮というか、酷だろうとは判じていたが、ポイントを争う立場となれば対岸の火事と決め込んでいるわけにもいかなかった。
先輩や後輩として母校を同じとする彼らは敵として見れば、これほどに厄介な壁はなく、ついに弓場隊は彼らを追い抜くことは出来ないまま、神田はトリガーを手放すこととなった。
「そうだ、週末遅いクリスマスと打ち上げを兼ねたホームパーティをする予定なんだけど、神田《カンダタ》も来たまえよ。うちのカシオが銃手トリガーについても知りたいみたいだから、ついでにひとつふたつアドバイスをくれると喜ぶと思うんだ。勉強熱心だからね」
「熱心さなら、うちの帯島も引けを取らないがな。俺の分も埋めようとしてくれてる。ありがたいよ。いいライバルになるだろうな。蔵内と水上みたいに」
そうだね、と頷いた。隊を別ってからの神田ともそうだった男は。
「申し出は嬉しいけど、その日は遅番で南エリアの哨戒任務が入ってるんだ。だから、最後のご褒美《・・・》を頂戴してくるよ」
「ああ、そうか。そう言えばそうだったね」
含みを悟って、いいな、と色とりどりの飴玉でもねだる幼子めいた無邪気な口調で、かつて同じようにうたかたの褒賞を賜っていた王子は神田を見やる。
「おまえだって可愛がってもらったろう?」
「まあね。それでもやっぱり羨ましいや」
「悪いな、王子隊長《・・》」
隊長、の部分に意趣を含ませた言い様に、さすがに王子も軽く肩をすくめるしかなかった。あれ程、在り方にもそれに伴う強さにも焦がれた人の許から発ったのは、王子自身の選択だったのだから。これからの神田同様。
「ずるいなあ、神田《カンダタ》は。こんなことなら自慢しなきゃ良かった」
「立場は違うけど、おまえは最初のオトコだろ。羨ましくないとでも思ったか」
「なるほど、そう考えれば少しは気がすくね」
あっさりと王子は言ってのける。
「母さんが待ってるからそろそろ行くな。このコート、どうしたらいい?」
「そうだな、クラウチに渡しておいてよ。どうせきみたちならまだ六頴館《がっこう》で会うだろう。スミくんやテツくん経由だっていいし」
ドアに手を伸ばした神田の背に王子が告げる。
「
……
学校も違うし、めったに会えなくなるね」
まして神田は遠く離れた九州へと去るのだ。亡父と同じ建築士という未来を目指し。
「生きていればどうにでもなるだろ?」
だが神田は、これでもうボーダー本部では顔を合わせることがないであろう王子へとそう告げてみせた。
そうだね、と彼は華やかに微笑した。
「ねえ神田《カンダタ》、キスしていいかな」
「ああ」
王子の唐突な願いは、しかし神田にとってはそんなに驚きを伴うものではなかった。きっと、ささいなきっかけひとつでもしかしたら、彼と想いを交わし合ったかもしれないと思える程度には、神田にとっては好ましい存在ではあった。うぬぼれていいなら、きっと王子にとっても。
あの人の存在さえなければ。
弓場に口づけをねだり、奪った唇同士がそっと重なる。
「最後に君を殺せて良かったよ」
甘い声音に、一滴の毒をしたたらせて王子が呟く。
「大将《ボス》を守れたから本望さ」
刹那、王子の瞳が、弓場と共寝をすると聞かされた時よりも焦がれるような蒼い焔を灯らせたけれど、それを悟られまいとばかりに長い睫毛がそっと伏せられた。
それでも、メリークリスマス、と呟いた声は聖夜の教会の鈴の音よりも涼やかだった。
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