つなみ正登/ぱるこ
2024-06-15 08:17:10
39373文字
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思い出になる日が来たとしても(神田×弓場)

テキスト全体の半分くらいまで(試し読み用



 本部基地を出た神田は、十二月の寒気に息を白く曇らせながら、トリオンで構築された建物を見上げる。一カ月足らずで大学受験の本試験を迎える男にとって、高校生活以外の青春の大半を過ごした場所でもあった。
 もし、トリオンの技術が民間に下りて来ること――そんなことはまずあり得ないだろうが――があれば、今までの建築技術ではできなかったような構造が可能だったりするのではないだろうか、と改めて思う。亡き父だったら、どんな風にそれを活かすのだろうかとも。
 もしかして、そんな未来もあるかもしれない。
 だから、自分が往く道はこれでいい。
 そう言い聞かせて、神田は足を踏み出した。
 連絡通路を使わずに、基地をとりまく警戒区域を抜ける帰路をあえて神田は選んだ。最後になる防衛任務ではいつも通り現地集合で、現地解散だ。あと、ここに来るのは一度だけだ。最後の防衛任務終了後に、トリガーを返還し、正式に除隊の辞令を受け取る為に。
 だから、ゆっくり見ておこうと思った。近界民と闘い続けた場所であり、壊れた懐かしい街並みを、この目に。
 ボーダーを辞め、一般人となったならもう足を踏み入れることはかなわないのだから。
 だからその道すがら、街灯などもなく、すっかり宵の闇に沈んだ警戒区域内の道を、おそらくは携帯端末の灯りを頼りに歩く人の姿を目に留め、神田は駆け寄った。
 安全を確保して、区域外まで送り届ける。それもボーダー隊員の役割で、そしてまだ神田は弓場隊の隊員だった。
「そこの人、迷い込んじゃいましたか。ボーダー隊員です。このあたりはいつ門《ゲート》が開くか分かりませんから、安全な場所までご一緒します」
 あ、とかすかな驚きを含んで振り返った顔は見覚えがあった。
 少し前にラウンジでぶつかったC級隊員の少女のひとりだった。
「神田先輩」
 見知った顔を認めてか、宵の闇にも分かる程度には不安そうな表情をほっと安堵にほどけさせて、彼女はぺこりと頭を下げた。
「ああ、きみか」
「さっきはすみませんでした」
「だから、大丈夫だって言ったろう? もう謝らないでいいって」
 ましてこちらの娘はコーヒーを手にしていたほうではない。
「でも、神田先輩、さっきと同じ服を着ていらっしゃるじゃないですか」
……よく見てる。ポジションは?」
「え?」
「もしかして狙撃手かな? うちの外岡もよく目配せが出来てるから」
 神田の少しおどけてみせた言い様に、彼女は顔をほころばせた。
「違います。銃手志望です。……でも、神田先輩のようにいつかは万能手になってみたいんですけど、まだ正隊員にもなってないのに、ちょっと生意気ですかね」
「そんなことないよ。経験を積んで、努力を続ければ結果はついてくるから。ある程度は」
「気休めをおっしゃらないんですね、神田先輩は」
「神田さん、でいいよ」
 どうせ今期で除隊するし、という言葉はあえて口にしないでおく。
「弓場隊《うち》では外岡も中学生の帯島だって俺のことは先輩って言わないし、俺も……隊長が高校の時から弓場さんって呼んでたし」
「弓場隊の流儀ですか?」
「そんなに大袈裟なもんじゃないよ」
 ただ、と、あの頃の弓場を想い出して薄く微笑する。まだそれこそ外岡も帯島もおらず、あの頃から残っているのは神田を除けば藤丸だけで、そしてその代わりに王子と蔵内が、いた。
『この五人でやっていくワケだが、いちおうは俺が音頭を取って集めた以上、隊長としてアタマ張らせてもらうが、同じ釜の飯を食う仲間で、ボーダー隊員として背負う義務も責任も同じだ。だから、これからは先輩ってェ呼び方はしなくて構わねェ』
 え、ですが、と戸惑った声を上げたのは蔵内だった。律儀で真面目な彼らしい反応に、弓場は換装体特有の色の入ったレンズの向こうの瞳を少しだけ和ませた。
『第一、俺がおまえらの上にいンのはただちぃーとばっか先に生まれたってェーだけの話だ。そんなん大した価値じゃねェ。特にボーダー《ここ》じゃな。そういう杓子定規なのは学校《ハコ》だけで十分』
 けどな、と弓場は続ける。
『どうにも案配が悪いってぇーなら、六頴館《むこう》では前の通りに先輩呼びで構わねェ。それで、いいな?』
 半歩だけ引いてみせる、その彼の細やかな気遣い。
『了解、……弓場さん』
 あの時は舌に馴染まず、少しだけぎこちなく口にしたその呼び方が、もはやそれ以外は思い出せないほどに神田は呼んだ。去年までは学校でも、そしてランク戦のただ中で、或いは防衛任務のさなかで。
 ベッドの、中でも。
「神田、先輩?」
 呼びかけられて、神田は自らを捉えかけたひそやかな夜の記憶を胸の奥へと押し込む。
 寝台の軋む音と荒々しい呼吸が響く夜の静寂で、弓場の名前を唇にのぼらせる日々ももうすぐ終わることを、改めて思い知りらされ、それを理解していても、少しだけ打ちのめされた己に自嘲しながら。
「あ、ごめん。ちょっと思い出すことがあってさ……あ」
「あ」
 C級隊員の少女も、神田と同時に小さく声をこぼした。
「ホワイトクリスマスになるかな」
 神田は空を見上げた。
 ちらちらと白いものが落ちてくる。鼻先に触れて、すぐに溶けてなくなる儚さだったけれど。
「さあ、行こうか。積もる前にな」
 神田が促そうとすると、少女は少しためらったようだった。
「どうかした?」
「あの、自分で帰れますから、先に行ってください」
「ラッドは掃討できたけど、このあたりは門がランダムに開くのは分かってるだろう? 幾ら担当の部隊が哨戒しててもすぐに来られるわけじゃない。C級のトリガーは緊急脱出機能がついてないから万が一があったら危ない。ひとりには出来ないよ」
「でも」
……理由がある?」
 神田の問いに少女はこくりと頷いた。そのうなじにもはらりと雪のひとひらが舞い落ちる。少女の唇がわななくように震えたのは、皮膚に落ちた冷ややかさゆえではないように神田には思えた。
「もしかして、行きたいところがある?」
 少しの間を置いた問いに、少女はもう一度頷く。
「てなると、ここから歩いていけるところか。……分かった。一緒についていってやる」
「そんな」
「いいよ。どうせ家に帰っても誰もいない」
――え」
「ああ、そう《・・》じゃない」
 きっと彼女が想像したことは、三門にいた人間やボーダーにあえて所属している者にはごくありふれたことで。
「家族から急な仕事で今日は帰れないって連絡があってね。だからきみの共犯になってあげられる」
「共犯?」
「俺も、見たいところがあったから。でも、それはいい。俺は、後でも来られるしね」
 それはもうすぐ退役する彼の小さな嘘ではあったけれど。
 あえて直通通路を選ばず、自宅への道筋より少しだけ迂回してたどろうとしてた行き先は、両親が自宅兼事務所を構える以前、まだ小学生だった頃に暮らしていた賃貸コーポだった。
 おそらくは神田が三門に戻ってくる頃には、整地されているだろうと予想していた。何度か近くに門が開き、一度は神田自身がその近くで近界民を討伐したこともあった。見慣れた建物はもう外壁にヒビが入り、子供の頃に洗濯物を取り込みながら、両親の帰りを待って外を眺めていたベランダのフェンスも今の神田がよりかかれば折れてしまいそうなほどに錆びてしまっていた。歳月と災禍がそうさせたけれど、侵攻がなくてもいつかは取り壊され、そこに神田と家族が暮らしていた跡形などなくなるものだ。神田の理性はそれくらい弁えていたけれど、それでも幾許かの感傷が足を向けさせようとしていた。
 それだけのことだった。
「こんな日だから、サンタクロースの真似事くらいさせてくれよ。さあ」
 手にしていた携帯端末の灯りにだけ僅かに照らし出された少女は、少しだけ泣きそうな顔で笑った。


 彼女が向かったのは、神田も遊んだ記憶があるこども公園だった。色は剥げたり、錆びたりはしていたけれど、奇跡的に殆どの遊具は残っていた。
 恐竜のスプリング遊具にうっすらと積もり始めた雪を払いのけながら、「少し待っててください」と言い残して、敷地内に植えられた樹のひとつの根本にしゃがみこんだ。
 ベニバナトチノキ、ともはやかすれてしまった表示板に記されたその大樹が春には枝先に赤い花をつけることを神田は思い出していた。
 子供が遊ばず、人が憩うこともなくなったこの場所でも、この樹木はこの四年の間花を咲かせ、実を結んできていたのだろう。
 たぶん、神田はもうこのトチノキが花を咲かせているさまを見ることはない。
 でも、もしかしたら、任務でこのあたりを巡回している誰かの目を楽しませてくれる時はあるかもしれない。幼い神田が見上げたこともあるこの樹の紅を。
 それが弓場であったらいい、と願うのは望みが過ぎるのかもしれないけれど。
 あった、と小さく声が聞こえたのは十分ほどそうした後だったろうか。
「家に残した大事なものなら、ボーダーに申請して隊員に同伴してもらって取りに来ることは出来るじゃないですか。でも、こんなのは、きっと無理だから」
 トチノキの根本から掘りだしたそれを、少女は宝物のように大事そうに、泥で爪の間を真っ黒にした手で抱え上げた。
 ぼろぼろになったビニール袋に包まれた、可愛らしい子供向けアニメの絵の入ったブリキの缶だった。
「なっちゃん――友達と一緒に埋めたんです。小学校に入った時に。その時に持ってた一番大事なものと、おとなになったお互いに書いた手紙を入れて。わたしは初めてお小遣いで買った髪留めを、なっちゃんは大好きだったアイドルのブロマイドを」
 その言葉の先を促すように神田は頷く。
「でもなっちゃんとはわたしがボーダーに入るって言った時からずっと喧嘩したままで、でもなっちゃん、県外の寮のある高校に推薦が決まって、春には三門市かいなくなっちゃうから、その前にどうしても仲直りしたくて、きっかけが欲しくて」
……そう」
 その言葉で神田はやっと、彼女が自隊の帯島のひとつ上だということを知った。
「でもわたし、ボーダー隊員の立場を使って、勝手なこと、してる。神田先輩のサンタクロースに相応しい子じゃないです。ごめんなさい! こんなことに付き合ってもらって」
 色々な気持がごちゃ混ぜになってしまったのだろう、彼女は泣き笑いになりながら、その錆びかけたオモチャの缶を抱きしめて神田へと大きく頭を下げた。
 神田は王子から借りたコートを脱ぐと、彼女の頭へとかぶせてやった。
「女の子が体を冷やしちゃダメだよ。それくらいのワガママ、きみがこれからこの街にしてくれることを考えたら大目に見てもらえる程度のことさ」
(王子、悪いな)
 けど、彼だったら大目に見てくれるだろう。
 そして、女子供には優しくしろ、が弓場の口癖だった。
『その割には帯島にも厳しいじゃないッスか』
 入隊したばっかの俺たちにも、と神田が告げると、
『鍛えてやるのが優しさに決まってんだろ。てめェーも分かってるくせに茶化してんじゃねェーよ』
 剣呑だけど優しさを奥にひそめた笑いで応じた彼の声も、表情も大好きだった。
 だから。
「きみの『なっちゃん』はいなくなるんじゃないよ。絶対にまた会えるから。夏休みになったら戻ってくるんだろう? きみが遊びに行ったっていい。この世界から消えちゃうわけじゃないんだから、そんな言葉を選んじゃふたりにとって、あんまりにも淋しいじゃないか」
 だから、俺も。
 見上げた大樹には、赤い花の代わりに、舞い降りる雪が白い花びらのように枝先に積もろうとしていた。


 警戒区域を出て、C級隊員の少女がバスに乗るのを見届けた神田は携帯端末を手に取って、メッセージを入力した。弓場へ、明日、いつもの日《・・・・・》よりも少し前ですが、ふたりで会える時間をいただけますか、と。
 返信は来た。
 彼の闘い方にも似て、すぐに。
『急ぎというのなら今日でも構わない。九時以降なら部屋にいる。良ければ来い』
 分かりました。八時過ぎに行かせていただきます。
 そう返信して、雪が静かに舞い降りる中、己の覚悟を反芻するように息を白く曇らせながら神田は思い出していた。
 もう一年も経とうとする、この不自然で、けれど手放しがたかった甘く苦い関係が始まるきっかけのひとつになった日のことを。