浮いて沈んでアンダンテ

ピアノ調律師カルナ×元ピアニストジナコの現パロ小説。捏造設定過多につき何でも許せる方向け。

※本編はpixivに掲載済みですが、本にのみ収録していた「番外編」と「エピローグ」を加えて全編まとめました。



【Fermataフェルマータ

※二人がジナコの家で食事を共にするようになった頃のお話。

 ここ最近の話であるが、カルナは料理をする楽しみというものを知った。
 理由は単純である。自分が作ったものを、何だかんだ言いつつも喜んで食べてくれる人が出来たからだ。

 自分だけで食べるのであれば、必要な最低限の栄養が補給できるものでいいのだと思っていた。というか、正直今でもそう思っていることにはあまり変わりない。
 そこまで料理の味というものに頓着があるほうではなかったし、わざわざ手間暇をかけて凝ったものを作るような趣味があるわけでもない。極論を言ってしまうと、必要最低限腹が満たされるのであれば所謂「十秒メシ」と世の中で謳われているような簡単なものでも一向に構わないわけだ。こんなことをアルジュナの前で零そうものなら、また「貴様がそんなだから私が実家から幾度も召喚されるようなことになるんですよこの大馬鹿者が」と怒られそうだから、大きな声では言えないことなのだが。
 しかしここ最近、カルナのそんな考え方を少しだけ変える出来事があった。変わったというより、新しい考え方が生まれたというほうが正しいかもしれない。とにかくカルナは、自分一人で食事を摂る為ではなく、大切な誰かを思って料理をすることの楽しみや喜びを知ったのである。
 今更改まって言うまでもないことだが、ジナコ=カリギリという女は日頃から非常に不健康極まりない生活をしている。本能の赴くままに食べて、寝て、起きて。目を覚ましているときも、起きているのか寝ているのかわからないような状態でだらだらと時間を浪費して。そうかと思えば、三日三晩徹夜で一睡もせずゲームに勤しんでいるのから恐ろしい。結局眠いのか眠くないのかわからない。カルナにはさっぱり理解の及ばない生活の送り方だった。もはや自分と彼女は違う生き物なのではないかとさえ思ってしまうほどである。
 しかもそんな生活の中で好んで口にしているものは、とうてい体にいいとは言い難いジャンキーなものばかりときた。スナック菓子、チョコレート、カップ麺、その他もろもろ。なるほど、カロリーはお友達、糖分は人生の伴侶だと豪語するだけのことはある品揃えである。この上ジナコは部屋に引きこもっているのが常で、最低限の食料品の調達など以外はろくに外にも出ないときた。そんな彼女の一日辺りの運動量などは改めて調べるまでもないだろう。
 そんな彼女のために、カルナは現在ほぼ毎晩夕食を作っていた。ちなみにこれは「どうせならここで食べていけばいいッスよ。家に帰ってからじゃ遅くなっちゃうでしょ」という、ある日突然ジナコから投げて寄越された、思いもよらぬ提案に乗ったことが始まりである。
 他者が己の領域に、そして何より心の中に入ってくることを頑なに拒んでいたはずのジナコが、それでもカルナに対してはほんの少しだけ心を許してくれた。自分が当たり前に過ごしている日常の中に、カルナの存在を組み入れてくれたのだ。その時のカルナの喜びといったら、それこそ三日三晩夜を徹して語り尽くしても足りないほどである。
 それにしても、最初の夕食はあのジナコが自ら動いて作ってくれたというのに、興奮と歓喜とで味をよく覚えていられなかったのは非常に残念だった。たとえそれが、お湯を沸かしてカップラーメンにのカップの中に注ぐだけだったとしても、ジナコがカルナのために動いてくれたという貴重な結果だ。死後ですら忘れられぬように脳へ深く刻み込んでおくべきだったのに。だからもう一度作ってくれないかと頼んだことがあるのだが、馬鹿にしているのかと憤慨されてしまったので残念ながら果たされてはいない。しかし、そんなに怒り狂うほど癇に障るようなことを言ったつもりはないのだけれど、一体何がそんなに気に食わなかったのだろう。
 とにかくそういうわけで、カルナは夕食のほとんどをジナコの家で摂るようになったわけだが、それをぜひ自分に作らせて欲しいと頼んだのは、他のでもないカルナのほうからだった。彼女の不健康極まりない、自分で自分の寿命を削っているとしか言い表しようのない見るに堪えない生活を、己の手で少しでも改善できる絶好の機会なのではないか。ふとそんなことを思ったのである。
 とはいえカルナ自身も、先に述べたとおり食事のバランスや栄養管理などの知識に明るいというわけではない。むしろ疎いと言っていい。自分の体のこともあるし、最低限の栄養バランスについては気をつけているつもりだが、ジナコのことをとやかく言えるほどではなかった。
困ったカルナがアドバイスを求めたのはアルジュナだった。彼は忙しい仕事の合間にも自宅で自炊をしており、友人に弁当を作ってやったこともあるのだと以前ぽつりと零していたのを思い出したからである。
 そこである日、実家から様子見のためにとカルナの家へ寄越されたアルジュナに、何となく問いかけてみることにした。

「アルジュナよ、貴様はどうやって料理をする」
……もう少し具体的に聞いていただかないと、私も答えるに答えられないのですが」

 あまりにも端的すぎる問いに、アルジュナはいっそ怒る気力も削がれたのか、唇の端をひくつかせつつも困ったように眉をひそめていた。
 どうやら意図がうまく伝わらなかったらしいことを察して、カルナは先程己が投げかけた言葉だけを、もう一度脳内で反芻してみる。なるほどこの問いかけ方だと、単純に料理に用いる技術的な話なのか、それとも料理のために使う道具だの食材の話なのかがいまいち伝わっていないかもしれない。アルジュナが答えづらいと困惑するのも当然だったのだろう。
 以前の自分であったらきっとここまでは気が付けなかった。ジナコに助言をもらってからは意識して口にする言葉に気を払うようになり、そのおかげが「自分の言葉に何が足りなかったのか」がわかることが多くなってきたように思う。本当なら口に出す訳に気が付ければいいのだろうか、残念ながらまだそこまで熟練されてはおらず、今のアルジュナとの会話のように未だに人を意図せず苛立たせてしまうことはままある。それでも悪い点に気が付けるようになったのは大きな前進だった。ジナコには改めて感謝せねばなるまい。
 それはそうと、問いの答えを得るためにはさらに詳しい話をする必要があることは理解出来たが、一体どこから説明したものか。イライラした様子を見せながら、それでもカルナの言葉を待っているらしいアルジュナの顔を眺めながらカルナは考えた。
 彼にはジナコの話を既に何度かしているし、そこは省いていいだろうか。いや、アルジュナが以前カルナがした話を全て覚えてくれているとは限らない。そう考えると、ジナコとの一番初めの出会いからまた語る必要があるかもしれない。しかしそうなると、いつまで経っても話の本題にたどり着かなくなってしまうような。
 どうしたものかと小首を傾げて一人考え込むカルナを横目に見ながら、アルジュナは独り言のようにぽつりと零した。

「貴様が一体何を求めているのか私には分からないし、敢えて踏み込んで理解してやるつもりもない。必要なことが己の中では分かっているのだったら、そのとおりに自分で調べればいい。料理のための本など世の中には山ほど溢れているのだから、己の目的に合ったものを自分で探してきなさい」
「! なるほど、流石はアルジュナだな」
……この程度のこと、私には言われるまでもなく気付いていただきたいのですが」

 アルジュナは何度目になるか分からないため息をつきながら、頭痛に耐えるように目頭を摘みながらにそう言った。
 そういうわけで早速次の日、カルナは会社近くの本屋に立ち寄って、ダイエットや健康のためにという文言が表紙に書かれた料理本を、ひとまず目につく限り全て買い込んでみることにした。
 今まで全く手に取ったことのない類の本だったものだから、どういったものがいいもなのかという判断材料がない。だからとりあえず当てずっぽうでも多くの数の本を読んでみれば、その中のどこかには自分が求めているものがあるだろうと思ったのだ。
 そうして知識として蓄積させた健康にいいらしいレシピを、カルナは早速ジナコとの夕食で活用してみたのだが、様々なことを意識しながらする料理というの意外にも楽しいものだった。色とりどりの野菜を使ったおかずたちは彩りも良く、テーブルに置くだけで何だかいつもより遥かに絵になるというか。出来上がったものを見て思わず「おお……」と声を上げてしまった程である。会社の同僚の女性たちがこぞって自作した料理の写真を撮影しSNSに上げている理由が、今になってほんのりと理解出来た気がした。
 そして何より、夕食だと声をかけられて渋々ゲームを中断して一階のダイニングに降りてきたジナコが、そんな料理を口にした時の反応を見るのが非常に楽しかった。
 ご飯なんてどうでもいいのに、と言わんばかりにぶすくれた顔から一転、丸みを帯びた柔らかな頬を僅かに赤くし、幸せそうに目を細めながら口を動かしてカルナの作ったものを咀嚼して。しかし数拍置いてからようやくハッと我に返り、慌てたように顔を引き締めて「まあまあなんじゃない?」と嘘つきな言葉を吐いている。
 己の中から湧き上がってきた感情を素直に表に出すこと、そしてそれをカルナに見られるのが恥ずかしいのだろう。それはきっと他者と直接関わることを断ち続けてきたせいなのだろうが、慌てたように取り繕うその姿を見ていると、何だか妙に庇護欲を擽られるのである。カルナの前では気が抜けてしまうのだというのならば悪い気はしない。
 その後もカルナは店で料理本を買ったり、インターネット上で投稿されているものを見たりして、徐々にレシピのレパートリーを増やして言った。料理上手だと以前から評判の高かった同僚に声をかけたこともある。すわ何事か、と彼女は素っ頓狂な声を上げてカルナの顔を穴が空くほど見つめていたが、作ってやりたい人がいるのだと言うと呆気ないくらい納得してくれた。自分も大切な伴侶のために腕を磨いているから、あなたの気持ちはよくよくわかるのだ、と。

「カルナさんにも、とうとうそういう人ができたんですねぇ〜。拠り所が出来るのはいいことでございますよ。特に、あなたのような方にはね」

 そう言って、彼女はまるで幼い子供を見守る母のように顔を綻ばせていた。カルナが人並みに誰かに寄り添いたいという望みを持ってくれて良かったと安堵しているようだ。入社以来色々と気にかけてもらい世話になってもいたから、カルナがこうしていることで何かしら喜びをもたらすことができたというならば、きっと良いことなのだと思う。
 そうしてレパートリーを増やしてジナコの為に腕を振るう日々だったが、もちろん毎回顔を輝かせて喜んでくれるというわけでもなかった。彼女が苦手としている食材が並んでいると、食卓と見るなりあからさまに顔を顰めていることもある。
 けれどカルナはそんな嫌悪を露わにした姿も含めて、見ているのが楽しいのだ。「好き」と「嫌い」の感情を、ありのままカルナの前にさらけ出してくれるジナコを見ているのが。許されているとそう思えるし、そうしてくれる彼女が愛おしくてたまらなくなる。
 それに「嫌い」をむき出しにしていても、ジナコはそのまま踵を返し、料理に一切手をつけずに去っていくようなことは一度もなかった。嫌いだ何だとぶつくさ文句を言いつつも、必ず一口は手をつけてくれている。
 カルナがそれを指摘すれば、「食材が勿体ないからであって他に深い意味は無いッスよ!」と、そう強い口調で言い放って背を向けてしまうが、それが嘘であることなど手に取るようにわかる。カルナはそれが、全部ひっくるめて嬉しいのだ。

 だからカルナは、今日も台所に立って料理を作るのだ。
 今日は一体どんな表情を見せてくれるのかと、期待に胸を躍らせながら。

 ちなみに、そんな話をある日アルジュナやアシュヴァッターマンに零したところ、返ってきたのは何とも言えない微妙な顔だった。嬉しいとか、煩わしいとか、微笑ましいとか、腹立たしいとか、そんな色んな思いがごちゃ混ぜになった顔である。
 今までカルナが特定の人間にここまで執着したことはなかったから、奇妙なことだと思われているのかもしれない。
 それはそれとして、アルジュナからは重要な助言を得ることができた。改めて礼を述べて対価になるものを差し出さねばばならないと、カルナは家にやってきたアルジュナにこう切り出した。

「オレはこれまでも度々お前に助力を乞うてきた。だからアルジュナよ、お前も何かあればオレに言うといい」
「結構です」
「遠慮はするな。とはいえ、オレは恋愛だとか情事だとか、そういうことにはいっとう疎いからな。断言できる」
「断言するな。分からんでもないが自分で言うな。言ってて虚しくならんのか」
「だがそれでも、第三者の目線だからこそ言えることというのも当然あるだろう。オレがそうだったようにな。故に、何かあれば遠慮なく声をかけるといい」
………………まあ、そうですね。一応、覚えておきましょう」
「ああ、そうしろ」

 お前が割って入ってきたら更に事態がややこしくなるのが分かりきっている、と目の前の弟の顔にはありありと書いてあったが、それでもカルナは受け入れる言葉を述べてくれたことは単純に嬉しいと思う。
 人の気も知らないでと、アルジュナとアシュヴァッターマンは後日会った際に揃って深いため息を吐いていたのだが、それがカルナの耳に入ることはないのだった。