澪標-みおつくし-

トラブルにより身体が小さくなってしまった上、微小特異点に攫われてしまったジナコを助けに行くカルナのお話。

※発行当時のものから大幅に加筆・修正を加えております。内容自体は変わっていません。
※発行当時の情報に基づいた設定となっているので、最新の状況と齟齬が出ている部分もあります。


【エピローグ】



 一寸法師が述べていたとおり、特異点はあのあとほどなくして自然に消滅した。


 カルデアの頭脳たちによると、あの特異点を特異点たらしめていた、歴史上にあってならないイレギュラーが無くなったことによるものだろう、とのことである。
 もちろん、もっと色々と細かい事由はあったようだが、ジナコにはさっぱり理解出来なかったのですでに記憶には残っていない。ただでさえギリギリの魔力で肉体的に限界な状態が続いていたことと、そんな状態のままあれこれ動いていたことによる精神的にもかなり疲労していたこともあり、心身ともにすっかりくたびれきっていたがために、話を理解するための頭が働いていなかったせいもあるが。

 とにもかくにも、今回の一連の騒動は無事にエンディングを迎えたわけであった。

 しかしジナコがいつもどおりの完全な自由を手に入れたのは、帰還してから何と三日後のことだった。カルデアに戻ってからというもの、あれこれ検査に回された挙げ句、経過観察がどうのこうのと言われて、特殊な部屋に一人で隔離されていたのである。
 ジナコは特異点を発生させた原因である人物の力によってカルデアから誘拐され、しばらくその近くに囚われ続けていた身の上だ。悪意を以て何かを仕込まれている可能性を危惧されるのは、まあ当然のことではあったのだろう。
 もしジナコの中に遅延で発動する何らかの術が仕込まれていた場合、カルデア全体に危険を及ぼしかねない。或いはジナコを操って内部の情報を入手するとか、そういう可能性はいくらでも考えられるのだ。異星の神という未知の敵を相手取っており、ここを失えばもう後がないというカルデアの現状に鑑みれば、色々疑われるのも致し方ないと言える。
 そんな諸々の事情を説明しつつ、本当にごめんねとしきりに頭を下げて謝る立香を見ている内に、ジナコも文句を言う気がすっかり失せてしまった。彼のあんなしおらしい姿を見てまだ喚ける輩がいるのなら見てみたいものだ。もしあれでまだあの顔面に向かって暴言が吐ける奴がいるとしたら、それはもう良心というものを持ち合わせていないとしか思えない。
 しかもジナコがああやって一寸法師に誘拐されたそもそもの原因は、間違いなくジナコ自身が興味本位であのよくわからない薬を飲んでしまったせいと言えなくもないわけだ。その失態に対する罰として考えれば、三日間の監視付き軟禁生活も受け入れられたのだった。

 さてそういうわけで、三日ぶりに自分の城マイルームにようやく戻ってきたジナコさんなのである。

 もはや懐かしさすら感じる愛しのベッドに全身でダイブした。突然の襲撃にベッドが悲鳴を上げているが知ったことか。今はこの心地よさに身を委ね、無事に帰ってこられた喜びを静かに噛みしめていたい。

「んぁあ~、オフトゥンさまさま……最高……愛してる、結婚しよ……いや、もう結婚してたわ。我が生涯の伴侶ぉ……
「失礼するぞ、ガネーシャ神」
「失礼だと思ってるならそもそも入ってこないでくれないッスか?」

 しかしそんな甘やかなる安寧の時間が長く続くはずもなく、悲しいかな、ジナコの部屋にはいつも通りの顔で入り込んでくる不敬な輩がいた。

「お前が監視を解かれると聞いていた故にそこまで迎えに行ったのだが、既に帰ったと言われてな。お前のことだ、恐らくどこへ行くでもなく、自室へ直行して怠惰の限りを貪り、その贅肉を蓄えた身体を寝所に横たえていると思ってここまで来たわけだ。予想が的中し過ぎていて、オレも少し驚いている」
「カルナさんは一人で失礼千本ノックチャレンジでもやってらっしゃるんスか? いっつもそうだけど、ボクに対するリスペクトが全然足りていないッス! 神ぞ? 我、神ぞ?」
「オレはあくまで事実を述べたまでだ」
「なおいっそう悪いわァ! 純粋な真実ってのは時に人を傷付けるもんなんスよ! そういうのは敢えて胸の奥に秘めとくべきなのに、アンタはそうもつらつらつらつらと人の痛いところを突き刺しおってからに! 要するに、ボクは今、現在進行形でとっても傷付いているってことッスからね!」
「そうか」
「いや、そうかじゃないが? 人の話聞いてた?」

 交わしているのは至っていつもどおり、これまでカルデアで過ごしてきた日常の中で幾度も繰り返してきたような気安いやり取りだ。けれど今はそんな当たり前の日常が、ことさら胸の奥をぽかぽかとあたためてくれているような気がした。自分がここに帰ってこられたのだなと、先ほどベッドに飛び込んだときより強く感じられているような気がする。
 こんなふうに帰ってこられたことと、彼とこうして共に在れることの喜びを、果たして自分はあと何回感じられるのだろうか。
 ジナコは今回、ちょっと余計なことに気がついてしまったのかもしれない。もちろん彼に伝えるつもりはないけれど、そのせいでちょっとしんみりしてしまうのは否めなかった。
 ジナコが内心そんなことを考えているうちに、カルナが徐にジナコのほうへ歩みよってきた。その足取りが何となくいつもとは違うように見えて、ジナコは内心首を傾げてしまう。ちょっとよれよれしている、というか。
 あの特異点でカルナが非常に多くの魔力を消耗していたことはもちろん知っている。そんな中でどうにかして(手段は敢えて聞かなかった、いろいろと怖いので)魔力供給をしてジナコを繋ぎ止めてくれたことには感謝している。
 それはそれとして、魔力供給が十全に行われるカルデアに戻ってきて、尚且つあれから三日も経っているのだ。未だに彼がへろへろだとしたら、それはそれで何か別の問題が発生している可能性があった。

「カルナさん?」
………………オレ、は」
「うん」
……すまん、悪く思え」

 言うが早いか、カルナは半端に寝そべった姿勢のままだったジナコの腕を掴み、ぐいと自分の方へと引っ張ったのだ。そうして、己のわがままボディの全体重が腕一本で支えられている痛みで悲鳴を上げるより早く、ジナコはカルナの腕の中に閉じ込められてしまっていた。ギョエ、と乙女にあるまじき悲鳴を上げてしまう。
 驚いたジナコが反射的に暴れたというのに、カルナがジナコを解放してくれることはなかった。むしろますますジナコを抱きしめる腕に力を込め始めるものだから、もはや抱きしめられているというより締め上げられているようなレベルである。

「かっ、カルナさ、く、くるし……! ぎ、ぎぶ、ギブッス!」
「すまん……今回のお前の不在が、思いの外、堪えているが故だ。許せ」
「へぁ?」

 そうして耳元で吹き込まれた彼の言葉の意味を、ジナコはすぐに解することができなかった。
 微かではあるが不安定に揺れている声はとうていカルナらしくなく、しかもそれが自分の不在によってもたらされたものだなどと言うのだ。理解しろというほうが難しい。ジナコが居なくなったことによって、カルナの中に決して小さくない穴が空いていたなんて、そんな事実をもたらされるなど一体誰が想像するだろうか。
 いや、やっぱり先ほどのは違う。多分幻聴だ。やっぱり自分はどこかが何かでおかしくなっているのかも知れない。検査のやり直しをお願いするとともに、監視付きの軟禁を数日延ばしてもらった方がいいかもしれない。
 そんなふうに思考を明後日の方向に追いやろうとするが、密着した部分から熱いくらいに染みこんでくるカルナの熱が、それを許してくれなかった。逃げるなと縛り付けられているような心地のまま、ジナコはあわあわと唇を戦慄かせ、声にならない呻きを漏らすこと暗いしかできなかった。

「小さくなったお前がオレの目の前から消えてしまったとき、心臓が潰れるような心地がした。いや、お前が小さくなり姿が見えにくくなったときから、オレは生きた心地がしなかったな。お前を決して手放してはいけないのだと、愚かしくも手を離れかけてから思い知った」

 熱っぽい色をちらつかせながら耳元で吹き込まれる言葉たちに、ひえ、と悲鳴が零れそうになった。ジナコからカルナにもたらされる言葉としてあまりにも不釣り合いすぎて、幻でも見ているような気持ちになってしまう。いや、もういっそ夢か幻であってくれとすら思うほどだ。

「此度のレイシフトを終えたあと、アビゲイルと話をする機会があってな」
「えっ」

 ジナコもアビゲイルとはあまり関わったことはないけれど、純粋無垢なロリっ子というイメージだけは何となくある。だがそんな幼子と、どう見てもそういう幼子に怖がられるタイプのカルナが、二人きりで込み入った話をしている姿が想像もつかなかったのだと思う。まさか泣かせてきたのではあるまいなと、若干失礼なことを考えてしまった。

「アビゲイルは言っていたた。たとえ『アビゲイル・ウィリアムズ』という人類史に刻まれた存在に変化がなくとも、『アビゲイル・ウィリアムズ』というサーヴァントがこのカルデアにいること、その存在が今ここで何かを欲する心を持っていることには変わりないのだと。……その言葉を聞いて、オレは考えた。たとえ必ずいつか終わる夢だとしても、『オレ』と『お前』が今こうしてここで共に在るということは、決して変わることのない事実だ。そして『オレ』は今の『お前』を欲している。そばに居て欲しいと思っている」
「え、あ、アタシは」
「オレはいつかなくなるからといって、今目の前に居るお前を手放したくはない。オレは、ここに在る『今』が欲しい。傲慢な男だと笑ってくれ。オレは元来、強欲な男だ」

 こんなの、わかりたくなくてもわかってしまう。ジナコの意地っ張りな理性で否定したくとも、感情が先に震わせられ、心臓に突きつけられてしまう。

 間違いなく、これは愛の言葉だ。
 カルナからジナコへもたらされる、愛の告白だった。

 顔が熱い。息が苦しい。胸が潰れそうだ。
 今回のことでカルナへの気持ちにはっきりとした名前を得たばかりのジナコにとって、その言葉はあまりにも鮮烈に突き刺さってきた。どう受け取ったらいいのかわからなくて、差し出されたものを前にしてただおろおろすることしかできない。
 そしてそんなジナコに、カルナはさらに容赦なくとどめを刺しにかかってくるのだ。

「■■■」
「ッ……!」

 ひゅ、と知らぬ間に喉の奥から引きつった音が出る。
 カルナの薄い唇は、本来ならば誰も手の届かないはずのないその名を確かに紡いでいた。他の誰でもない、今腕の中に閉じ込めている『ジナコ』をこそ求めていた。
 いつの間にか近付いてきていた彼の顔は、もはや鼻先が触れあうほどの距離にあった。唇を撫でる彼の吐息が、妙に甘くて、熱くて。
 何もない砂漠の真ん中に、急にぽいっと放り出されてしまったみたいな気分だった。かんかんと容赦なく照りつけてくる太陽が身を焼くのに、為す術もなく身を晒していることしかできない。

 ――目をそらすな。『お前』と『オレ』は今、確かに、他でもない此処に居る。

 彼の瞳が強く訴えかけてくる。ぽつんと立ち尽くすしかない哀れな人間に、太陽の光は分け隔てなく、容赦なく降り注ぎ、突き刺さる。揺らいではいけないと冷たく凍らせていたはずの場所があっという間に解かされて、隠そうとしていた淡い花がそっと顔を覗かせる。花が綻んで、甘い香りを漂わせる。

 求めても、いいのだろうか。
 たとえこの先の未来に残るモノが何もなくとも、今ここに在る思いを否定することとイコールにはならないのだとしたら。
 ジナコはジナコとして、カルナを求めてもいいのだろうか。
 名を呼ぶこの声が、彼に届くのならば。触れたいと願うこの手が、彼に届くのならば。

――カルナ」

 彼の名前を噛みしめるように口にすると、その言葉ごと全て飲み込まんとするように、カルナはジナコの唇を奪ったのだった。


 + + + +


「一応断っておくが、オレがお前に口付けたのは二回目だぞ」

 後にそんな話をされて、ジナコは「そんなの聞いてない! 乙女のファーストキスをそんな雑に扱わないで欲しいッス!」とカルナにビンタを食らわせて逃走することとなる。
 カルデア内をぶっ壊す勢いで追いかけるカルナと、ガネーシャ神としてのあらゆる権能をフル活用しながら逃げるジナコの追いかけっこは、カルデア中からなまあたたかい目で見守られる羽目になるのだが。
 それはまた、別のお話である。