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真那
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カルジナ
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澪標-みおつくし-
トラブルにより身体が小さくなってしまった上、微小特異点に攫われてしまったジナコを助けに行くカルナのお話。
※発行当時のものから大幅に加筆・修正を加えております。内容自体は変わっていません。
※発行当時の情報に基づいた設定となっているので、最新の状況と齟齬が出ている部分もあります。
1
2
3
4
5
6
7
【第三章】
《一》
「んぬっ! ぐ、ぬぉぉぉ
……
!」
誰もいない部屋の中、ジナコの踏ん張って唸る声だけが響く。どう考えても女子力をかなぐり捨てた、百年の恋も一瞬にして冷めそうなひどい声だっただ。しかし今己が成すべきことを考えれば、ジナコ自身の恥や外聞などたいした問題にはならないため、気にせず全力で唸っておくことにした。どうせ誰の耳にも届きやしない。
あのあと、青年が振り下ろしてきた小槌で見事に頭をぽかりとやられた結果、ジナコはまたしてもあの珍妙な姿へと身体を戻されてしまっていた。意思疎通ができないと不便だからという彼の一方的な言い分で、口から出る声だけは元のジナコのままにしてもらえたのだが、果たして口がきけるというのが今の状況においての利点になるのかどうか。
少なくとも、ぎゃんぎゃんと抗議の声を上げるジナコを再び小槌で叩き気絶させていったのには、後で厳重に抗議させていただきたい。ジナコはそんなにぽこぽこ叩かれて平気なほど、体はともかく精神も決して頑丈とはいえないのだ。打たれ弱いのは重々自覚している。うっかり潰れてしまったらどうしてくれるのか。
さてジナコが再び目覚めたとき、当たり前だが青年の姿はどこにもなかった。いくらか時間が経っているようだったが、部屋の中は相変わらず薄ぼんやりとした暗い状態のまま。
必死になってあれこれと調べた結果、どうやら現在の時刻が夜になっているというわけではなく、この部屋の外が魔術的に『夜』で包まれているらしいということがわかった。もっと魔術の知識に長けた者であれば最初の目覚めの段階で気がつけたのだろうが、ここにいるのはどう足掻いてもジナコ=カリギリでしかないのでそこは諦めて欲しい。
そうしてこの場にいるのが自分だけであることを改めて確認したジナコは、今度こそこの部屋からの脱出を試みることにした。「聖杯戦争をしよう」だなんて意味不明で、尚且つ恐ろしいことを宣う男を、みすみす放っておくことはできない。立香たちとはもうとっくに接触している頃かもしれないが、だからこそジナコはここで静かに待ってなどいられなかった。立香たちが実際にあの男と対峙するようなことになっていたなら、きっとジナコの救出になど戦力を割いている余裕はないはずだ。となれば自力でこの状況を打破できない限り、ジナコが助かる道はない。
早々に結論を出したジナコは、相変わらず平時と比べれば短すぎる不便な手足を駆使して、ひとまずどうにかこの場から移動しようと行動を開始した。カルナに面倒を見てもらっていたときはまだ体の使い方がいまいち把握できておらず、手に乗せてもらわなければ一ミリも移動できなかったジナコだが、今は少しだけ違う。時間を経たことでこの体にも慣れてきたのか、何とかじりじりと這うようにして移動できるようになっていたのだ。
もしこの様子を見た人がいたなら、まるで蛞蝓のようだと形容したであろう緩慢な速度しか出なかったが、一切動けないよりはましである。千里の道も一歩から、塵も積もれば山となる、というやつだ。いやはや、先人は便利な言葉を残してくれたものだ。お陰様でジナコはぎりぎり心が折れないでいられた。
「ファイト一発! リポ○タンDはないけどやるッスよぉお! ガネーシャさんは頑張れる子!」
そんな感じでいちいち過剰に自分を鼓舞していないとやってられなかった。ふんふんと鼻息を荒くしながら、ジナコは畳の上を這っていく。
その後どれくらいの時間が経ったかには定かではないが、どうにかこうにかこの部屋と外界とを隔てる襖の前までたどり着いたのだった。
「あ、あとは、ここを、開け、られ、れば
……
っ!」
ぜえはあ、ひいひい、と肩で息をしながら、ジナコは美しい絵が描かれた目の前の襖を見上げた。普段の姿であれば何の苦労もなしに横へスライドさせて開けていたであろう軽い襖は、しかし今のジナコにとってはどんな堅固な城塞よりも難攻不落に見えてしまう。立ちはだかる高い高い壁による強烈な圧迫感に、ジナコはひっそりと息を呑んだ。
しかし襖と襖の間には、ほんの僅かではあるが隙間が生じていた。青年がここから出て行くときにぴったりと締め損なっていたらしい。好都合だ、とその隙間に体をねじ込ませ、強引にその先へ抜けようと四苦八苦したものの、今のジナコの力では襖はぴくりとも動かない。そして隙間が小さすぎて、これっぽっちも胴体が入らなかった。別にジナコが太ましいからというわけでは決してない。この体が寸胴過ぎて隙間に差し込めそうな部位がなく、唯一ねじ込めそうな手足は、短すぎて先に体がつっかかってしまい隙間に届かないからだ。
「ううっ、せっかくここまで来たのに~!」
おそらく反対側にある障子のほうが軽いため、もしかしたら襖よりも開けられる可能性は高かったかもしれない。だがここからさらに部屋の反対の壁まで移動するとなると、考えただけで気が遠くなりそうだった。いつもの体であれば数歩でたどり着ける距離も、今のジナコにとっては遠い苦難の道のりである。周回の予定がある日の朝早くからカルナに叩き起こされ、朝食を取れと強制的に食堂へ行かれるときのほうがおおいにマシだと思える。あれもなかなかに苦行だが、今の方がよっぽどしんどかった。想像するだけで全身が重くなったように感じてしまう。カルデアにいるときとは違い、カルナが隣にいないのも大きな要因だろうが。
だが一度抜け出すと決めた以上、今更引き下がるわけにもいかなかった。あの青年がいつ戻ってくるのかは定かではないが、のんびりしているだけの猶予がないことはジナコも十分承知している。
「よぉし、もう一踏ん張りいきますか! ダイジョウブ、ダイジョーブ! ボクはやればできる子!」
気合いを入れ直して、まずはじたばたしながら障子のほうへと体の向きを変える。この動作だけでも相当な体力を消耗してしまった。この程度の動きで体力を消耗していることに鑑みると、ここからの道のりの苦労にげんなりしてしまう。入れ直した気合いがあっという間に萎れていってしまった。
しかしいくら大変なことが目に見えているとはいえ、ここでぐずぐずしていることはできない。たとえ今のジナコの力では何も状況が動かなかったとしても、次にカルナと再会できたとき、自分なりに頑張ったんだぞ、とちゃんと胸を張って報告してみたいのだ。そして「よくやった」と笑ってみせてほしい。そんな思いが、疲労困憊なジナコの体をどうにかこうにか突き動かしている。再会できないという最悪の想定は、無理矢理ふんづけて脳内のゴミ箱フォルダの中へ放り込んで、二度と顔を覗かせないようにきっちりと蓋をしておいた。
いくつかの深呼吸の後、ジナコは再び手足を必死に動かしながら、ひいこら移動を始める。
しかしそんなジナコの耳が、不意に先ほどまでは聞こえなかった何かの音を拾ったのだ。それは耳元で何事かを囁かれているときのような、耳の奥がこそばゆくなる音で。
「え、え、何?」
聞き間違いかと思いつつ、一応耳をそばだててみる。
『
――
し
……
もし
……
そこな方
……
もし
――
』
「
……
ん?」
ジナコの耳は、ぼんやりとではあるものの、確かに人間の声を拾っていた。
寸胴故に回らない首に舌打ちしたい気持ちになりながら慌てて辺りを見回すが、やはりこの部屋にジナコ以外の存在は見当たらない。
まさか目に見えない幽霊がここにいるとでもいうのか。そんな予想が頭の隅を掠めていき、ぞわわっ、と背筋を薄ら寒いものが駆け上がっていった。まさか、そんな、非現実的な。
けれど今の自分も大概非現実的ななりをしているし、カルデアにはもっと信じがたいおかしなモノがたくさん実在している。だからたかが幽霊ごとき、普通に存在していたって特におかしくはないのだ。けれど現状においてそんな存在を許容できるだけの余裕が、果たしてジナコの中には残っているのかと言われれば、答えは当然「否」である。
「
……
ッ」
ごくり、といつの間にか口の中にたまっていた唾を飲み込んで、ジナコはよくよく目を凝らしながら改めて部屋の中を見回す。
するとジナコのいる場所からほど近い場所の天井が、ゆらりとその形をぼやけさせたのが見えたのだ。インターネット回線が弱すぎるせいで、強制的に画質を落とされた映像を見せられたときのように。
しかしこれはジナコが目で見て捉えている映像そのものが歪んだというより、ジナコと天井の間に何かが割り込んだというほうが正しいはずだった。ジナコはその揺らぎの部分を、目を細めたり、逆にかっぴらいたりしながらじいっと注視する。
やがてその揺らぎが、どうやら一人の女性の輪郭を持っていることがわかってきた。一度そうだと気付けてしまえば簡単なもので、今やジナコの目はすっかり女性の美しい姿を視界に結んでいる。
「えーと
……
おねえさん、どなたッスか?」
『!』
ジナコの呼びかけによって、ぴくり、と揺らぎがはっきりと震えたのが見て取れた。そうして数秒の硬直の後、絵の具を染みこませた筆でさっと撫でたかのように、彼女の姿に色がつき始めたのである。
『ああ、ああ! よかった、ようやく気付いていただけました! もう駄目かと諦めかけておりましたのに
……
!』
よよよ、と女性はわざとらしいほど大仰に袖で目元を拭うような仕草をしながら、ふわりとジナコのそばへ下りてきた。全体的に輪郭がぼやけているので断言はできないが、美しい色をした日本の着物を身に纏っているらしい。加えて彼女のどこかゆったりとした所作などは、高貴な身分の者らしき雰囲気を見る者に対して十分に伝えてきていた。
ざっくりと観察を済ませたジナコは、どうやらこの幽霊(推定)が身分の良いお嬢様であるらしいことを何となく把握する。
『先ほどから何度も呼んでおりますのに、貴女はじたばたと蛞蝓のような動きをするのに必死で全くこちらを見てはくださらないし! ようやく止まってくださったからと、改めてお声かけしてよかったです~』
「はあ
……
」
だがしかし、いくら高貴さが所作や身なりから滲み出ていようと、いざはっきりと口を開けばこれである。蛞蝓みたいにのろまだったことはジナコ自身もそう思っているので素直に認めるが、面と向かって他人にはっきり言われると、何となく癪に障るというか。
しかしここで幽霊(推定)を怒鳴り飛ばしていても何にもならないからと、大人の対応が出来る大人のジナコさんは、口から飛び出しかけた文句をぎりぎりのところで腹の中へと押し戻した。こんなところでわけのわからないまま、空気の読めない生粋のお嬢様の相手をしているほど、ジナコも暇ではないのである。
「声かけまくってたって言うけど、ボクに何か用でもあるんスか?」
『もちろんですわ! 実はわたくし、折り入ってあなたにお願い事がありますの。たとえ足で踏みつぶせばその命が潰えそうな珍妙な生き物でも、現状この世界のモノに対して何も干渉できないわたくしよりは億倍ましというものです』
「人様に頼み事する口ぶりとは思えなくない? 慈悲深きガネーシャさんもさすがに草を生やさざるを得ないッス」
いちいち鼻につくことを言わねば気が済まない性格なのだろうか、彼女は。或いは本当にただ性格が悪くて、そのよろしくない性格から生み出された言葉を素直に出力しているだけなのか。何となくではあるが、ジナコをぶっ叩いていったあの青年に似たものを感じなくもない。
しかしこういう輩にうっかり深く関わり、相手の理解不能な言動に理不尽に自滅させられた者を、ジナコは長年のネット上生活で掃いて捨てるほど見てきた。つまるところ、あまり関わり合いたくない部類の生き物であることは間違いないわけで。
「あー、すんません。残念ながらボクも今は暇じゃないんで、できれば他を当たっていただけないッスかね?」
『私の頼み事は、きっと今の貴女のためにもなることです! 何なら今ここで、貴女の脱出に私のお力をお貸しいたしますとも!』
「話を聞こう」
自分の力の限界値が低すぎる現状、ここで協力者が得られるのはたいへん大きな成果だ。特に恩が売れればこちらに有利に事を進めることができる。この好機を逃す手はない。
くるりとひっくり返したみたいに表情と言動を変更したジナコを見て、女性はその大きな目をぱちくりさせていたが、ひとまず相手が聞いてくれる姿勢になったのを感じてか、小さくほっと安堵の息を吐いていた。
「そんでボクへの頼み事っていうのは、いったい何なんスか? 仰るとおり、ボクは今ちょっとでもぷちっとされたらそのまま天に召される脆弱な存在ッスけども」
『はい! わたくしはあの御方を
――
一寸法師さまを、何とかしてお救いしたいのです!』
「い、いっすんぼうしぃ?」
彼女の口から飛び出してきた突拍子もない単語に、ジナコは思い切り怪訝な声を上げながら顔をしかめてしまっていた。
一応、その名自体には覚えがある。たしか日本で有名な昔話の主人公の名前だったはずだ。物語の内容を詳細に全て覚えているわけではないが、何となくの全体像は思い出せる。日本が大好きだった父が、小さい頃に日本の絵本を山ほど取り寄せては、ジナコにひとつひとつ読み聞かせてくれていたからだ。ジナコが日独のハーフでありながらこうして日本語を何不自由なく話せているのは、おそらく父と母が積み重ねてくれたそういった下地の賜物なのであろう。その成果を、もっぱら掲示板における低レベルのレスバや、オンラインゲーム内での放送禁止用語が飛び交う地獄のチャット欄のやり取りなんかに全振りで駆使しているのは、若干の申し訳なさもあるが。
と、彼女の言葉によって、ジナコはふとひとつあることに気が付いてしまった。ここで彼女が救いたいと言う相手について、今のところ一人だけ心当たりがあるというか、寧ろその人物しか、現状この場における登場人物がいないということに。
「えーと、さ。まさかとは思うッスけど。さっきの男の人が、一寸法師ってオチだったりなんか、しちゃったりしちゃう感じ?」
『はい、そのまさかですわ。あの方こそが、かつて『小さ子』としてこの日ノ本に顕現し、校正の御伽噺の中で英雄として語り継がれるようになったお人なのです!』
「
……
うっそぉ」
きらきらきら、という擬音が、まるで漫画に掻き込まれている効果音のように見えそうなほど顔を輝かせて語る、彼女に曰く。
一寸法師という存在は、どうやらこの国において歴史上に本当に実在していた者らしい。その後、彼の活躍をどこぞかで耳にした何者かが脚色を加え、ひとつの御伽噺として世に出したのだと。そうして史実と物語によって紡がれた存在とがあれこれ混ざり合ってサーヴァントとして顕現したのが、ジナコがこの部屋で邂逅した青年だというのだ。
「
……
あの男の人が一寸法師だってのは、まあ、信じたくなくても信じなくちゃいけない状況なんでとりあえず受け入れるッスけど。でも『救いたい』ってのはどゆこと? あの人、何かまずいことにでもなっちゃってるんスか?」
『貴女も彼とお話しているときに、少なからず感じておりましたでしょう?
……
あの方の中の心に焼き付いてしまっている、その闇を』
「闇、ねえ」
見るからにしおしおしながら口にする女性を見ながら、ジナコはあの手負いの獣のような、どこか痛々しさすら感じる何かを宿した烏の濡れ羽色の瞳を思い出していた。
あのときにいくらか交わした会話だけでも、あの青年が何か仄暗いものを己の内に抱えているというのはぼんやりと察しがついていた。けれどあれこそが彼の『闇』なのだなんて大仰な言い方をされると、正直なところ少し困ってしまう。ジナコは自分が抱える闇を見つめることにすらあんなに苦労し、さらに忘れられない痛みに苛まれることになったのに、他人のものに向き合うなんてことが果たしてできるのだろうか。そのまま闇の深さに呑まれてしまうのではないだろうか。ぞっとしない話である。
きっとどんなに逆立ちしたって、ジナコはあのミラクル求道者みたいにはなれないし、あんなふうに誰かを救うことはもっとできそうもない。でもだからといって、簡単に諦めて背を向けることもまたできそうになかった。背負わされてしまったものが、残念ながらそんなに軽くないものだから。
「
……
でも、救いたいって言っても、具体的にどうするんスか?」
気付けばジナコは、面倒くさいと文句をたれる脳内の自分を蹴り飛ばして、彼女に積極的に協力するようなセリフを吐いてしまっいた。そんな自分でも驚きながら、とにかく今は前を向いている自分に従って話を進めることにする。
「おねえさんは、あの人の心の闇
……
とやらの正体を知ってるみたいッスけど。でもそういうことなら、自分から直接話せばいいじゃないッスか。
……
もしかしてお姉さんの声、あの人には届かないの?」
『はい、そうなのです。どういった理由かはわたくしにもさっぱりなのですが、私はあの方の付随物としてともにこの世界に召還されました。しかしはっきりと目に見えるカタチを形成できないほどに弱い存在でしかなく、あの方には声はおろか、姿を見せることすら叶わないのです』
「ボクはおねえさんの声聞こえてるし、今は姿も見えてるんスけどねぇ」
女性は相変わらず水彩画に水を落として滲ませたようなぼんやりとした姿で、ジナコの頭上を漂っている。今のサイズだとまるで巨人に見下ろされている気分だが、あまりにも彼女の存在感が希薄なためか、あまり恐怖の類いは感じなかった。
『ええ。あなたはどうやら、魂のカタチを事象として観測する
……
といったような行為に対しての素質がおありのようです。そしてあなた
――
第三者に観測されたという事実が付随したことで、私の存在が固定され、やや濃度が高まったのかと。ただこれでもまだ、あの方の目にとまることは難しいようで
……
』
そう言って静かに目を伏せる女性。あいかわらずぼんやりとしている姿でもはっきりと感じられるほど、彼女の様子は暗く悲しげに曇っていた。
彼女の言う素質とは、おそらくジナコがウィザードとして会得していたものだ。ジナコのいた世界と時代においては、自身の魂の本質を電脳として明確に数値化できる才能を持つ者だけが、一流のウィザードとして月の聖杯へ挑む権利を手にすることができた。故に曖昧に存在するものを数値化し、存在する事実として並べ、出力されたものを観測するということを、ここでも無意識にやっていたのかもしれない。
しかしジナコの才能は、月の聖杯戦争に参加した者たちの中においては、正直みそっかすみたいなものである。仮にここにいるのがあの生徒会のメンバーであれば、もっとはっきりと彼女の存在を知覚して固定することができたはずだ。今目の前にいる彼女の存在をどうにかこうにかいじって、一寸法師に直接会わせるというようなこともできたかもしれない。
ただまあ、今のジナコがどんなにひっくり返ったところで出せはしないものを、今更あれこれと悔やんだり惜しんでいたりしても仕方がない。とりあえず今は彼女の話を一通り聞いてしまおうと、ジナコはさらに先を促した。
情報として淡々と聞こうとしていたジナコは、しかし次に彼女が口にした言葉に、小さく息を呑んでしまっていた。
『あの方は、自分が親に疎まれて見捨てられたことを、ひどく憎んでおいでなのです』
「
……
っ!」
自らの親にその存在を疎まれ、捨てられた。
それはジナコにとって一番の英雄
――
カルナの境遇と同じものだった。彼もかつて実の母親にその存在を疎まれ、箱に入れて川へと流された。奇跡的に拾われて生き延びることになったものの、その結果として、彼と彼の兄弟たちを中心に勃発した戦争はやがて悲劇的な色を内包することとなるのだ。彼自身はそのことを恨んだり憎んだりはしていないようだけれど。
そして一寸法師が親に疎まれ捨てられたというのは、恐らくは彼が主人公として登場する物語の中で、京の都へ上るきっかけとなった出来事を指すのだろう。あの手の昔話には色々なバージョンがあるが、一部の物語の中では、いつまで経っても成長しない我が子を不気味に思い疎ましく思う両親の忌避の視線に耐えきれず、自ら家を出たとされたものがある。今ここにいる一寸法師は、現在伝わって居る様々なバージョンの中でも、その物語の色をより濃く宿したものなのだろう。
『そして一寸法師さまには、一寸法師さまとしてこの世界に遣わされるより前にも、同じように親から捨て置かれた経験がおありなのだそうです。どんなにカタチを変えても自分がこうなってしまうのは、もはや自分である限り変えようがない。だから聖杯を使って自分という存在を根底から作り直すのだと、そう仰っていて
……
』
「一寸法師になる、前?」
奇妙な発言に首(といっても今は首に該当する部分がないので、気分的にそうなっているだけ)を傾げると、女性は躊躇いがちに話し始めた。
自分が愛した男が、一体どのような運命を強いられた存在なのかを。
《二》
「それで、一寸法師のルーツっていうのは?」
先に紫式部が投げかけてきた言葉に対し、立香は改めてそう問いかけた。
あの後、日が暮れる前に山を下りる必要があるということになり、一行はひとまず話を切り上げて村へ戻ることとなった。当初懸念していたとおり、暗闇の中で襲撃を受ける危険はできるだけ避けたいところだ。あの一寸法師が自分たちを急いで排除するといった意図がないことは把握できたものの、あくまで『現時点では』としか判断がつかない以上、用心するに越したことはない。
さらにいえば、少年をこのまま話に付き合わせておく必要はない、寧ろ早めに家へ帰してやったほうがいい、という判断によるものでもあった。夜になっても彼が帰らなければ、きっと彼の両親などが不審に思うはずだ。村の人々がただでさえ外敵の存在によってぴりぴりしている中で、暗くなった時間にこんな怪しい連中が子どもを連れて戻れば、要らぬ誤解を生む事態になりかねない。
一旦戻ろうという立香の提案を、少年はなかなか受け入れようとはしなかった。信じたかったものを目の前で打ち壊され、けれど信じたいという気持ちがそれですっぱりと諦め切れたわけではない。寧ろさらに強くなったその思いを、しかし自分でもどうしたらいいのかわからず持て余していたのだ。己の中で燻っているその熱は恐らく一朝一夕で消えたりはすまい。
結局、明日の朝早くにも再び合流し、その日中きっかり調査に同行させるという落としどころで、ようやく少年を家に帰すことができたのだった。
そうして少年と一旦別れた立香たち一行は、彼が紹介してくれた村はずれの宿に腰を落ち着けることとなった。
本来ならば村はずれでひっそりと野営をしようという予定だったのだが、そのことを聞いた少年が待ったをかけたのだ。村に泊まるでもなく、しかしそのすぐそばで身を潜めながら火を焚いているのは、逆に不審に思われるのではないかと。この少年は自分の心情に対しては少し頑固なところがあるものの、基本的には聡明な思考を持ち合わせているようだった。
少年曰く、件の村はずれの宿の主は、村人らとは一定の距離を取って暮らしている変わり者であるらしい。たとえどう見ても部外者であり怪しい一行が宿泊したいと申し出ても、おそらく快く受け入れてくれるだろうとのことだった。
実際に彼の言ったとおり、恐る恐る宿泊を願い出た立香たち一行を、宿の主であるという老婆は気持ちいいくらいの笑顔で応えてくれた。齢八十を優に超えているであろう見た目の老婆は、腰こそわずかに曲がってはいたものの歩み自体は力強いしっかりしたものであり、一行をきびきびと宿泊部屋まで案内してくれた。
「きちんとこの宿に金を落としてくれるってんなら、あんたらがどこの誰でもあたしゃ一向に構わないよ。あのボウズの紹介ってんなら尚更さね。ボウズは昔っから呆れるくらい真っ直ぐだからね。あの子が信じたってんなら、あたしも信じるに足るってもんよ」
「おばあさん、あの子のことは知ってるんですか?」
「そりゃあもちろん知ってるともさ。というより、あたしほどこの村のことに詳しいババアはいないよ!」
一部抜けた歯を見せながら、老婆はからからと軽快に笑って見せた。
そうして案内された部屋でようやく腰を落ち着けた一行は、今日得られた情報を整理し直すとともに、紫式部の話を聞くことにしたのだった。
「一寸法師から観測された強力な神性の正体。その正体はおそらく、かの方のルーツとなると言われている神、『少名毘古那神』のものではないかと思うのです」
立香に先を促された紫式部は、まず端的に結論を述べた。
「すくな、びこな?」
「はい。一寸法師や『日本霊異記』における道場法師といった『小さ子』のルーツは、この『少名毘古那神』であると言われております。古事記や日本書紀に登場する、天津神のお一人ですね」
『大国主とともに国造りを行った神か!』
立香が首を傾げる一方、通信機の向こうのダ・ヴィンチは得心がいったというように興奮した声を上げていた。どうやら日本においては高名な神であるらしい。マシュもその名を知識としては持っていたのか、驚いたように眼を丸くしていた。知識が皆無らしいアビゲイルと立香は、ぽかんとしたまま困ったように顔を見合わせることしかできないようだったが。
『じゃあ、少名毘古那神について少し解説を入れようか』
「お願いしまーす」
『はい、良いお返事でたいへんよろしい。少名毘古那神は海の向こうから姿を現し、大国主神と協力して日本という国の根幹を作り上げたと言われる神だね。日本における祖神的存在である
神産巣日神
カミムスビ
の子であり、その体の小ささ故にその神の手から落ちてしまったが故に日本に流れ着き、結果として国造りに関わるようになったみたいだ。紫式部の言った通り、「小さ子」のルーツと言われているのはその身体的特徴に基づくものなんだろうね』
そして彼が本当に少名毘古那神としての力を持っているというのであれば、立香のガンドを彼がいなしたのも頷けるのだという。
少名毘古那神は医学に長けた神として伝わっており、一説では日本という国において薬や医術といった概念をもたらしたのは、死する人間や動物たちを哀れんだ少名毘古那神だといわれている。彼は自らの豊富な医術の知識と技術を以て、この国における『病を治す』という概念そのものを定めたのだと。
つまり元々は指さした相手の体調を悪くするという類いの呪いであるガンドは、かの者には十分な効力が発揮できないということだ。使用者が高い魔力を有していれば物理的攻撃としての側面を強めて相手を撃ち抜くこともできようが、立香の持つ魔力ではその境地にはとうていたどり着けまい。
「つまりあの一寸法師は、サーヴァントとして現界するにあたり、自分のルーツである神の力を色濃く受け継いだ、ということでしょうか?」
『「一寸法師」という生き物がこの国に発生した時点から、そもそも少名毘古那神の分霊や化身だったと考えるのが正しいと言えるだろうね』
つまりこの『一寸法師』という御伽噺は、実際に起こった史実が書き手によって脚色されて世に出たものだったのではないか、というのがホームズの推理であった。
何らかの要因によって神の分霊として顕現した少名毘古那神が、その身体的特徴から『一寸法師』と呼ばれるようになった。そして後の人々によって伝わった物語の属性も付随されてこの特異点に召還されたのが、立香たちが邂逅した『サーヴァント:一寸法師』だったのではないか、と。
『ちなみに、少名毘古那神に協力してもらって国造りをしたとされる大国主神は、神仏習合を経て大黒天と同一視されるようになる。打出の小槌は元々、その大黒天が所持していたとされる代物だね。そして大黒天といえば、インドのシヴァ神が仏教に取り入れられたものだと言われている。カルナが覚えのある気配を感じるはずだよ』
日本神話とインド神話に登場する神々には、神仏習合などを経た結果、何かと深い関わりがある形となって現代へ伝わっているらしい。カルナの生まれた場所から遠く離れた国であるのにもかかわらず、何となく懐かしさを感じるのは、もしかするとこのせいもあるのかもしれない。
さて、そんなこんなで若干ずれかけた話の方向を修正すると、
「やっぱり、打出の小槌をどうにかしないとだよな
……
」
そう、結論としてはやはりそこにたどり着くのである。
本当に彼がこの国における高名な神の分霊であるのならば、本人の力も侮れないことには違いないだろう。しかし現状、彼自身の力については未知数な要素があまりにも多すぎるのだ。少名毘古那神と一寸法師という存在の資料は探せばいくらでも見付けられるだろう。しかしここに召還されているサーヴァントとしての一寸法師が、それぞれに由来する力をどれだけ持っているという点に関しては、改めて確認しなければ判断しようがない。
故に実際に確認できた範囲だけで言えば、とにかくあの強力な魔力源となっている小槌が厄介だ。シャドウサーヴァントを次々と召喚していたこと自体もそうだが、一寸法師自身がそれを引き出して利用することになれば厄介である。彼自身の能力が全て判明していないのはもちろん不安要素だが、まずは目に見える脅威を確実に排除していくべきだ。
「ちょっといけないことかもしれないけれど
……
こっそり盗んできてしまう、なんてことは難しいのかしら?」
授業中の子供のように挙手しつつ、小さな声でアビゲイルが提案する。
彼女の言ったとおり、単純に彼の手から小槌を取り上げてしまうのが一番現実的な方法ではある。彼の潜伏先を探るという難問が立ちはだかるが、真正面から無限の魔力とやり合うリスクとを天秤にかければ、検討する選択肢には十分上がりうるだろう。
だが今回のレイシフトメンバーの中に、そういった隠密行動に長けたものは皆無だ。アサシンクラスのサーヴァントが一人でもいれば話は違っただろうが。
さらにそんな提案に待ったをかけたのは、通信機の向こうから話し合いに参加している管制室の面々だった。
『一寸法師という人物そのものが、原典からして打出の小槌とは深い関係にあるのでしょう? となると、いつだったか鬼一法眼がやってみせたように、強制的に己の手の中へ小槌を戻す方法を持っている可能性もありますよね』
と、困った声で言うのはシオンである。映像がないので姿は見えないが、今頃苦笑を漏らしながら肩をすくめていることだろう。
「う~ん。なんかこう、小槌の力を都合良く無効化できる方法ってないもんかなあ」
「せ、先輩。さすがにそれは、思考の放棄が過ぎるのではないかと」
参ったと言わんばかりに天井を見上げてぼやく立香に、マシュは苦笑を漏らしていた。どちらの気持ちも当然のものであろう。
しかし立香のぼやきに対して一行が苦笑を零す中、紫式部だけが真剣に何かを考え込む様子で顔を俯かせていた。
「紫式部よ、どうかしたか」
「え!? い、いいえ、その、おそらくたいしたことではないのですが
……
打出の小槌にまつわる物語の中から、何か画期的な解決策を得られないものかと思い、色々と考えたりしておりまして、そのぅ
……
」
急にカルナから声をかけられたことで驚いたらしく、彼女はその場で座ったまま小さく跳ねたあと、おろおろした様子でそう答えた。
「そうか。何かあれば話すと良い」
「は、はい。お心遣い、痛み入ります」
その先を促したカルナに紫式部は小さな声でそう微笑んで、しかしそのまま再び考え事のポーズに戻ってしまった。確証には至らないまでも、恐らく彼女の中では何かが掴めたのだと踏んで声をかけたのだが、残念ながらその答えをそのまま自分の内へとしまい込んでしまったようだ。しかし彼女自身がここで話すべきだと考えているのならば、カルナが無理強いすることはできまい。
そんなふうにカルナが紫式部に話している間に、作戦会議の中心における話題は少名毘古那神の情報収集へと切り替わっているようだった。『一寸法師』は物語に記されているとおりの情報しか得られないが、かの神に関してはもう少し深掘りができる、故にそこから何か解決の糸口を見付けようということになった模様である。
再び話の輪に耳を傾けようとした、そのときだった。
「
――
ッ」
ざわ、と肌がどうしようもなく粟立つ不穏な気配を感じたカルナは、反射的に窓の方へと駆け寄っていた。そのまま霊体化して壁をすり抜け、宿の屋根の上へと跳ぶ。
背後で何事かと立香が困惑した声を上げていたのは聞こえたものの、今はそちらに応えている状況ではない。何らかの脅威が迫っていることが間違いない以上、何よりも先にそれの正体を確かめなくてはならないからだ。
屋根の上で再び実体化したカルナは、蒼穹の瞳で気配を感じた方を見やる。ここから少し離れた場所に点々と見える灯りは、恐らく村で灯されているものだ。もうまもなくすれば、その灯りもほとんどが落とされ、この場所は夜の暗闇と静寂に包まれていくのだろう。
しかしその合間に、この静かな夜にはとうていふさわしくない風が流れていた。冷えた殺意を帯びた、鋭い刃を孕んでいるかのような空気。しかし今その殺意を向けられているのは、おそらくこちらではなく。
「カルナ、どうかしたの!?」
開いた窓から身を乗り出した立香が、こちらを見上げながら声を張っている。不穏な気配を薄々ながら察しているのか、その声音は僅かに緊張感を孕んでいた。カルナは村のある位置をじっと見つめながら、静かに応える。
「マスター。今この瞬間、奴に狙われているのは、おそらくあちらのほうだ」
その言葉が何かの呼び声となったかのように、村を通って吹き抜けてくる風がいっそうその激しさを増していく。
山の木々たちを激しくざわめかせ、敷き詰められている木の葉たちをもばさばさと吹き上げるその冷たい風からは、むせ返るような潮の香りがした。
《三》
『はい。寝物語に時々話して聞かせてくださったのですが、何でも彼は元々、この国の創世に携わった神だったのだとか』
首を傾げてきょとんとするジナコに、彼女は彼についてそう説明をしてくれた。
「創世に関わった神様って、そりゃまたとんでもない御方じゃないッスか」
『そうなのです! あの方は立派なことをなさった人なのです! そして一寸法師さまは、自分たちに子をと必死に望む老夫婦を哀れに思った住吉の三神の要請に応えるかたちで、人として転生し彼らの元へ赴いた姿なのだそうで』
――
少名毘古那神、と。
かつて神だった頃、彼はそう呼ばれていたのだという。
かの神の物語は、この国を造り上げた神である大国主神の元へ彼が流れ着くところから始まる。波の彼方より、
天乃羅摩船
アメノカガミノフネ
というガガイモでできた船に乗って現れた彼は、やがて大国主神にとって唯一無二の相棒となり、ともに国造りに励んでいくこととなった。山や丘を造り出し、それらに名を与え、大国主神の国造りに多大な貢献をもたらした少名毘古那神は、医療、温泉、酒造の神として、現代においても厚く信仰されている。
大国主神はそんな少名毘古那神との出会いの際、唐突に現れた少名毘古那神の正体を知るべく、彼に名を尋ねた。しかし少名毘古那神が答えなかったため、大国主神は知り合いの博識な案山子の知恵を借り、神産巣日神という神の元を訪れることとなる。
そうして少名毘古那神のことを尋ねられたかの神は、大国主神に向かってこう答えたのだ。
――
ああ、確かにソレは私の子、少名毘古那神であるな。
――
わたしの手のひらからいつのまにか零れ落ちていた、取るに足りない落ちこぼれの子よ。あまりに小さすぎて、今の今まで落ちてしまっていたことにも気付かなんだ。
少名毘古那神を一瞥した神産巣日神は、興味なさげにそう言い放った。そしてお前の国造りの手伝いにでも使ってやれ、と大国主神に言い残し、その場を早々に立ち去って行ったのという。
『
……
彼は、己を生み出した存在に見向きもされず、放り出されてしまいました。そして人間──一寸法師として新たなる生を得てもなお、その大きくなれない身体のせいで疎まれ、愛されなかった。自分を求めた人の願いに応えて現世に顕れたというのに。そうして一寸法師さまは己という存在に課せられた運命を悟り、深く絶望しておられたのです。
……
自分は誰にも必要とされない、愛されない存在なのだと』
「で、でも! あなたはちゃんと、こんなに、あの一寸法師さんのことを愛してるじゃないッスか!」
我慢ならなくて、ジナコはほとんど叫ぶようにそう言ってしまっていた。
彼女が彼のことを心の底から慕っているということは、この短い時間でしか彼女と関わっていないジナコですら、こんなにも強く感じ取ることができている。リアルの恋愛ごとの経験値がゼロのジナコがここまではっきりと理解しているのに、これを直接向けられている相手が、何ひとつ気が付いていないなんてことはおおよそ考えられなかった。本気で気付けないでいるとしたらよほどの鈍感野郎である。仕方がない、と諦めた顔で肩を落とす彼女の代わりに、ジナコがあの男をぶん殴ってやりたい。
しかし彼女は己の愛が届かないことを嘆き、代わりに一寸法師をぶん殴ってほしいとジナコに乞うているわけではない。自分の気持ちが届かないことを嘆くでもなく憤るでもなく、ただ彼を救いたいのだと、本当にそれだけを一心に願っているのだ。
『当事者になると意外とわからないみたいなんですよね~これが』
もやもやした気持ちを隠しきれずに顔を曇らせるジナコを気遣ったのか、彼女は過剰なくらい軽い調子でそう口を開いた。
『愛されたという実感を得たことがなかったから、愛されることがどういうことなのかを根本的に理解できず、恐れ、臆病になってしまっているのですよ。自分にそんなものが与えられるはずがないと、最初から諦めてしまっているのでしょう。本当は何よりも、そして誰よりも、そうされることを欲しているというのに』
一見するとちぐはぐな話だったが、彼女が言っていることも何となくわかるような気がした。ジナコだって、
孤独
ひとり
が何よりも恐ろしいからこそ、一人でいることを望んでいたことがあったから。
そうして訥々と一寸法師について語っていた女性は、しかし次の瞬間にはジナコのほうへぐいっと顔を近寄らせ、何やら激しい口調で一生懸命にまくし立て始めたのである。
『つまりあの方はですね! わたくしだけの愛では足りないというんですよ!』
「は、ハイ?」
『わたくしはこんなに、こんなにこんなに、こーんなに! 一寸法師さまのことを! 全てを捧げてもいいというくらいには愛しておりますのよ! だってわたくしはずっと、ずうっと、ずぅ~っとあの方一筋ですの。あんなに凜々しくて、お強くて、がむしゃらで、でもどこか足下がふわふわしていて危なっかしくて、それがどうしようもなく愛らしくて、いじらしくて』
「は、はあ
……
」
『わたくしはそんな彼のそばで、少しでもその心の慰めになりたいと思った。守りたいと思った。だというのに彼はわたくしが言う愛の言葉をまったく信じてくれず、わざわざ奸計をめぐらせて強引にわたくしを我が物にしましたのよ! あ、でも、そういう強引でちょっとやんちゃなところもとっても素敵なんですけど
……
』
「あ、盛り上がってるとこ悪いんスけど、それ以上のお惚気トークはノーサンキューッス。そんで、結局ボクはどうすりゃいいんスか?」
こんな恋するリア充のきゃぴきゃぴした雰囲気など縁遠く、できれば必要以上に関わり合いたくないジナコは、苦笑を漏らしながらとりあえず端的に話の結論を求めた。大好きな人を深く愛しておられるのは大変結構なことだが、第三者としてこれを浴びているのは、どうにもいたたまれない気分になってしまうものだ。
『あ、そ、そうでしたね。大変失礼いたしました』
一人盛り上がってしまったことが今更恥ずかしくなってしまったのか、女性はわざとらしく一つ咳払いをした後、また先ほどまでの真面目な顔に戻って話し始める。
『ともかくわたくしは、一寸法師さまが今やろうとしていることを、あなたがたに止めていただきたいのです! 完全なる聖杯戦争を模倣することは当然難しいと思いますが、複数のさぁばんとの魂を魔力として貯蔵した亜種聖杯であれば、或いはあの方の願いも叶うやも知れません。けれどそうしてしまったら、あの方が成してきたことのすべてがなかったことになってしまいます』
彼が一寸法師としてこの世に現れてから行ったことも、それを見聞きした者が紡いだ御伽噺も『無』のものとなり、辻褄合わせとして別のなにかへ書き換えられる。
そして少名毘古那神として彼が成し遂げたこの国の創世の歴史も、また同じく
――
。
「! じゃあ、この日本っていう国が造られていった始まりそのものすら、そもそもなかったことになっちゃう
……
ってコト!?」
『はい、おそらくは。なればこそ、一寸法師さまがかの願望器を手にしてしまったこの時空は、ええと
……
とくいてん、というのでしたっけ? そういうものになってしまったのだと思われます。人理に多大な影響を及ぼしかねない、修正すべき間違った歴史に』
「
……
っ」
日本という国が、初めからなかったことになったら。
或いは、今在るものとは全く別の過程を経て、まったく異なる性質の国として成立したら。
そうしたらこの国は、そしてこの国を内包するこの世界は、一体どうなってしまうのか。
あまりにも途方もない話であるため、具体的なことは何一つ想像がつかなかったが、とりあえずとんでもないことになるであろうというのはさすがに理解できた。そして一人のオタクとしても、この国の文明が最初から綺麗さっぱりなかったことになるなんていうのは真っ平御免である。世界中で一体どれだけの人間が、この国の文化を愛していると思っているのだ!
しかし一寸法師を止めるにしても、今のジナコではこれっぽっちもどうしようもないのが実情だった。体はこのとおり踏みつぶされても気付かなそうなサイズだし、移動するにも多大に時間と体力とを浪費するし、魔力は吹けば飛びそうなくらいしか残っていない。こんなインテリアと良い勝負ができそうなほどの生き物に、いったい何ができよう。
どうにかしてあげたいという気持ちと、しかしどうにもできない実情のギャップの大きさに頭を抱えたい気分になっているジナコの上に降ってきたのは、とんでもない提案だった。
『わたくしの存在すべてを魔力としてあなたへ注ぎ込み、あなたの体を一時的に元に戻しましょう!』
「はぁ!?」
そんなことできるわけがない、とジナコは目をむいて彼女のほうを見上げた。
もし仮に、単純に手段としては可能であったとしても、そんなことをすれば彼女自身が消えてしまうではないか。魔力を失って完全に消滅してしまったら、彼女は今度こそ、一寸法師と言葉を交わすチャンスを確実に失ってしまうのだ。
ジナコの上を漂う薄ぼんやりした存在は、しかし今やはっきりと覚悟の色を宿していた。全てを承知した上で、それでもなお自分は彼のためにできることをしたいのだと、そうジナコに告げているのである。
『だって一寸法師様のすべてをなかったことにしたら、きっとあの方は後悔なさいますもの。今の一寸法師さまはただ己が背負わされた運命を憎み、嘆いておられるだけですが、彼の人生はそれだけではなかったはずなのです!』
他者から見れば、ただただ悲劇的にしか見えないような人生だったかもしれない。けれどその全てが悲しみの色に染まっているわけなんてことは絶対にないのだ。楽しいことだって嬉しいことだって、間違いなくあったはずなのだから。
それすらも全部まとめて手放してしまうのは、きっとあまりにも空しいことだ。そして完全に失ってしまったあとにそのことに気付いたら、きっと想像を絶する後悔と悲しみが彼を襲うことになるだろう。
そんなものを彼に負わせるわけにはいかないと、彼女はそう言うのである。
『彼が少名毘古那神だった頃の思い出を語るときや、大国主神さまのことを教えてくださるとき、一寸法師として京の都にたどり着くまでの旅路の話なんかをするときにね。彼ってば、本当に、とっても楽しそうなお顔をなさるのですよ? わたくしはそんな一寸法師さまのお姿を見るのが本当に大好きだったのです。わたくしはただ、彼のあの姿をなかったことにはしたくない。ええ、そうです。だからこれは全部、彼が私にくれたあの笑顔をなかったことにしたくないという、わたくしの勝手なわがままなのです!』
大切な人が幸せで、そして笑顔でいてくれるのならば、これ以上の喜びはない。それを失わないためならば、自分はきっと何だってできる。
けれどそんな気持ちだって結局は全部我が儘だ。相手がそれを望んでいるかどうかなど考慮せず、追いやって、自分の思いを一方的に押し通そうとしているのだ。これを我が儘と言わずして何と言おう。
だが故にこそ、最後まで我が儘として好き勝手に通させてもらうのだ。この思いが、願いが、彼自身が必死になって叶えようとしている願いを、結果的に踏みにじるような行為だったとしても。
そうジナコに告げる彼女の姿は、どこか炎のようにも見えた。かの人を想う熱い心で燃え上がり、冷え切った闇をも照らす、あたたかい焔に。
「
……
うん。ボクも、その気持ちはわかるッスよ」
ジナコだってあの人の人生を哀れんだことはある。本当はもっともっと幸せになりたかったはずなのに、欲しいものがあったはずなのにと、悲しく思ったこともある。
けれど彼はきっと、自らの人生のすべてが不幸だったとは決して言わないだろう。
一つ一つを思い返せばもちろん後悔だっていくつもあっただろうし、やり残したことだっていっぱいあったはずだ。けれどそんな恵まれない人生だったからといって、歩んできた中で得られた喜びたちが全部なかったことになるわけではない。きっと彼はそのことを知っていて、そしてそういう小さな光たちを何よりも尊いものだと心底思っているからこそ、自分は幸福だったと言って笑えるのだ。
でもやっぱり、もうちょっと欲張ってもいいのではないかと、幸せになったっていいのではないかと、感性が完全に一般ピーポーなジナコはどうしてもそう思ってしまう。だからもっと笑っていて欲しい、幸せになって欲しいと、彼を見ているとどうしたってそう願ってしまうのだ。
けれどこれはジナコが勝手に抱いている、ジナコ自身の勝手な欲望だ。だからカルナの笑顔が見たいとジナコ自身が頑張るのは、結局は全部ジナコの自分勝手に過ぎないのである。でもだからこそ、たとえ彼がそれを「要らない」と言ってもやめることはできないだろう。
ジナコの中にいつの間にか居座るようになったこの気持ちは、果たしてどこからくるものなのか。
ずっと目を背け続けてきたが、いよいよ逃げられないときがきてしまったような気がした。きっとジナコの中にあるそんな我が儘たちの動力源は、目の前の彼女と同じものなのだと。
「
……
わかった。あなたの魔力を受け取って、ボクがここから脱出して、一寸法師サンを止める方法を探せばいいんスよね。多分ボクの仲間たちがここに来てるはずだから、あの人たちと合流して今教えてもらった情報を伝えれば、きっと何か解決方法を見付けてくれると思うッス」
『! はい、ありがとうございます。どうか、どうかあの方を
――
』
女性はジナコの言葉にぱっと顔を輝かせたあと、しずしずと頭を下げた。頭を下げられるほどたいそうなことはできないかもしれないが、彼女にとってはゼロがイチになる大きな一歩だ。ソシャゲのガチャだって、輩出率が一パーセント未満ではあるが一応は出てくれる確率があるのと、そもそもピックアップすらされておらず百パーセントお出ましにならないのとでは、全く意味が異なってくるのだから。
そうしてジナコに魔力を受け渡す準備を始めた彼女は、しかし次の瞬間にははっとしてその手を止めていた。何かあったのかと、ジナコも慌てて辺りを見回す。
どすどすどす、という苛立ちを露わにした足音が、確実にこちらへ近付いてきているのを聞いてしまったからだ。
「っ!」
ジナコは彼女にさっと目配せをして、自分はなるべく襖から離れるように移動を開始した。あの勢いで歩く何者かがこの部屋へ入ってきた場合、部屋の出入口である襖の近くにいるジナコは、ともすれば存在に気付いてもらえず、ぺちゃりと潰されてしまうかもしれない。移動するといっても、ジナコがどこかへたどり着く前に足音の主がここへ到着してしまうだろうが。
果たして部屋の前までたどり着いた音の主は、あろうことか、部屋と廊下を隔てている襖をそのままの勢いで蹴り倒した。美しい柄の襖は豪快な衝撃音を立てて反対側の壁へ、そしてそのまま畳の床へと叩き付けられ、見るも無惨にべりべりと破れたまったく別の物へと変わり果ててしまった。いったいどれほどの力で蹴り飛ばせばああなるのか。
「あ、あばばば
……
!」
一方、吹き飛んでいった襖の破片が鼻先を掠めていったジナコは、完全にその場で硬直しきってしまっていた。もしあと数秒でも動き始めるのが遅かったら、今頃ジナコもあの襖とともに壁へと全身を叩き付けられ、ぺしゃんこの変わり果てた姿になっていたかもしれない。想像するだけでぞっとする。
「ああ、ああもう! くそっ!」
嵐のように部屋へ入ってきたのは、ジナコを気絶させて出ていったあの青年
――
一寸法師だった。
何やら相当苛立っているらしく、その怒りは物言わぬ無機物に対して理不尽にぶつけてなお一向に収まらないようだ。どすん、と勢いよく畳に腰を下ろし、刺々しい口調で独り言を零していた。
「そうだよ、可笑しいと思ったんだ。いくら何でもぼくが引き出せる魔力の量が少なすぎた。そのせいで燃え滓のようなものしか喚び出せなかったわけだが。ようやその理由がわかった。ああ、まさかこんな簡単な話だったとはな!」
「は、はあ?」
「この小槌の魔力は今、そのほとんどが何かの目的の貯めに別のところへと注がれているんだ。そのせいでぼくが使える分が少なくなっている。こんな簡単なこと、もっと早くに気付くべきだったのに
……
!」
青年は忌ま忌ましげに吐き捨てている。その独り言には徐々に自嘲の色が混ざり、唇の端は皮肉っぽい形に歪んでいた。
どうやら彼が今最も強く怒りを向けている先は、外的なものではなく、本来ならばとうの昔に気付いておくべきところに気付けずにいた自分自身であるらしい。そんな彼の姿をただ黙って見下ろしている女性の胸中には、いったいどんな感情が渦巻いているのだろうか。
何となくいたたまれなくなってしまったジナコは、ため息をつきながら畳の上に座り込んだ一寸法師に、恐る恐る声をかけてみることにした。
「あ、あの~?」
「!
……
ああ、なんだ。いたのかお前」
「い、いたのかって」
言うに事欠いてこの男は、とジナコは一瞬呆然としてしまう。言葉どおり、彼はジナコをここに置き去りにしていったことすら頭からすっぽ抜けてしまっていたのだろう。うら若き乙女を一方的にぶん殴って放置していったのもそうだが、扱いがあまりに酷いではないか。どこかから鼻で笑う声が聞こえた気がしたが、そんなものは知らん。
さて、ジナコの声を聞いてハッと目を見開いた一寸法師は、しかし次の瞬間にはどこか安堵のような、或いは落胆のような色すら見せていた。そしてどこか疲れた様子でこちらを見下ろしている。
「随分ご挨拶ッスね。逃げられないようにって、他でもないあんたがボクをこんなにしてったんでしょうがーっ!」
「あ~
……
ああ、そうか、そうだったな」
ジナコの言葉に対して返事こそしてくれるものの、そこにはろくに中身は入っておらず、完全に上の空といった感じだった。何か別に考え事をしているらしい澄んだ黒の瞳と整った横顔は、やはりどこか清流を思わせる清廉な美しさを宿しており、黙っていればイケメンなのになあとちょっぴり場違いなことを考えてしまう。無論、ジナコの好みからはいささか外れているところではあるのだが。あと十歳若返って出直してこいというところか。
それはそれとして、だ。
「え、っと
……
その、魔力がどっか別のところにいってちゃってるってのは、具体的にはどういうことなんスか? ボクには何が何だかさっぱりッス」
考え事をしているせいなのか、いささかぼんやりしているらしい今ならば、もしかしたら重要なことでもうっかり口を滑らせてくれるかもしれない。
そう考えたジナコは、なるべく神経を逆なでしないようにとやわい声音でそう問いかけた。この後ここを脱出し、藤丸たちと合流して事態の解決に当たる必要があるのだから、持ち出せる情報は少しでも多い方が良いだろう。
或いは、これはジナコが何となく感じたものから生じたおおざっぱな予想でしかないのだが、彼が自分の話を誰に聞いて欲しがっているような気がしたのだ。
現状、一寸法師から警戒心や猜疑心といったものが欠片も感じられないのは、十中八九ジナコがこんな間抜けな姿になっているからだ。しかしそんな事情とはまったく別のところで、彼自身が単純に今此処で話し相手を欲しているように見えるというか、一人きりが寂しいというのがうっすらにじみ出ているのを感じてしまうというか。彼を見ているうちに、何故だかそんなふうに感じてしまったのである。
いまだ頭上にいるはずの彼女が言っていたとおり、彼は少し寂しがり屋なところがあり、そのくせ「寂しい」と口にするのが非常に下手くそなのかもしれない。
最初のときはいちいちカルナと重ねてしまっていたけれど、内面だけ見れば寧ろジナコ自身のほうが似ているのではという気がしてきてしまった。気付いてしまった瞬間、若干いたたまれなさが増してくる。
そして案の定、一寸法師は心ここにあらずと言った様子のままであったものの、ぽつぽつとジナコの問いかけに対する答えを口にしてくれた。
「ああ。あのとき、ぼくの邪魔をしてくれた忌ま忌ましい少年だ。まったく、あんなところで答え合わせができてしまうなんて思いもしなかった」
「しょうねん
……
?」
呆気ないほど簡単にジナコの質問へ応じてくれたまではいいものの、肝心の寄越された答えはいまいち要領を得ない曖昧なもので、いったい誰のことを指して言っているのかはさっぱりだった。一寸法師がジナコを気絶させたのち、この部屋を出てからどこで何をして、そして誰と出会ってきたかなど全く知る由のないジナコには、彼の独り言のような言葉の中身が解せようはずもないのだが。
とにかくここまでの発言でわかるのは、彼が言う『あのとき』に、その『少年』とやらの間に何かがあったということ。そして端正な横顔を僅かに歪めているのを見るに、楽しいことがあったという可能性はおそらく皆無である、ということくらいだ。
カルデア側と接触し、マスターである立香が引き連れたサーヴァントたちによってボコボコにされてしまった
――
という可能性は、おそらくではあるが除外してしまっていいだろう。もしそんなことがあったのだとしたら、彼がここへ戻ってくるときには立香たちを連れてきているはずだ。カルデア側が事態の解決を目指している以上、元凶となるこの青年を打ちのめしたにもかかわらず、そのままみすみす逃がしてしまったとは考えにくい。
となると、不測の事態に見舞われて目的を果たせず、渋々戻って来ざるを得なかったといったところか。おそらく彼にとって不機嫌にならざるを得ないようなそんな出来事が、きっと先ほど一寸法師が口にした『あのとき』に起こったことなのだと推測できた。
「ボクには状況がさっぱりッスけど、なんか大変だったんスね」
「大変かどうかは知らんが、面倒なことになっているのは確かだな」
「へぇ~」
適当に返事をしているように見せながら、彼から落ちてくる情報の一つ一つに、ジナコは必死に食らいついては思考をフル回転させる。離してたまるものかと追い縋る。己が今この状況を打破するために、そしてうっかり了承しまった彼女の願いを叶えるために、ジナコは彼と、そして彼を取り巻いている現状を、少しでも知らねばならないのだ。
そこからさらにぽつりぽつりと零されていった一寸法師の独り言のような言葉を、ジナコなりに噛み砕いてみると、つまりはこういうことだった。
いわゆる亜種聖杯である打出の小槌を所持している一寸法師は、本来ならばそこに貯蔵されている魔力を自由に引き出すことができる。しかし現在は何故かそのほとんどが別の場所へ注がれてしまっているため、彼が使用できる魔力が大幅に制限されており、思うように小槌の力を引き出すことができないでいる。
彼はずっと、その魔力の大部分が注がれている場所についての確証が得られずにいたようだが、今回立香たちと接触した際(やはり出ていった先で彼らと接触し一戦交えてきたらしい)に同行していた一人の少年が、その原因であることを確信したのである。小槌を使用している状態で原因と近付いたことにより、魔力の流れを観測することができたことでようやく判明したのだそうだ。
カルデア側が連れてきたサーヴァントを倒し、その魂
――
つまりはサーヴァントの存在を構築する魔力を亜種聖杯である小槌に回収することで、一寸法師は己の願いを成就させようとしている。しかしその魔力の大部分が一寸法師の制御の及ばない状態になっているため、たとえ莫大な魔力が手に入ったところで彼は何もできないわけだ。
「へ~、それは大変ッスね~」
「なんだお前、まるで他人事のような口ぶりだな」
「え、だってボクにとっては他人事っショ? どーせボクはどうしたってこっから一人では出られないんだし、どうこうしてあげることはできないッスよ。だから他人事でもしょうがないじゃないッスか」
「
……
まあ、そうだが」
少し不服そうに唇を尖らせながら、そうジナコにぽつりと返す一寸法師。
変に疑われていないことに内心ほっと安堵しつつ、ジナコはもう一歩、核心に迫る質問を彼へ投げかけてみることにした。
「そんじゃあこの後は、その小槌を何とかしていじくって、少年くんのほうにいっちゃってる魔力の流れを止めるとかッスか?」
「いいや? そんなことはしないよ」
当然するだろうと思って口にしたジナコの予想を、しかし彼は呆気ないくらい簡単に否定した。何故そんなことをとすら言いたげな雰囲気である。あまりにもけろりとした顔で言うものだから、今度はジナコの方が目を丸くしてしまった。どういうことだと、できることなら首を傾げたい気持ちである。こんな面倒くさい身体になってしまったせいで、首という部位は意外と意識しないところで駆動させていたのだと知った。
そんなしょうもない気付きを得ているジナコに対し、一寸法師は語りかけてくる。
「ぼくは残念ながら魔術には明るくないから、小槌をいじって魔力の流れをどうこうなんて真似はできないさ。よしんば、お前が高名なキャスターであれば無理矢理にでも手伝わせたんだが、残念ながらよくわからない
規格外
エクストラ
のようだし。それに、ほら。もっと簡単で、根本的で、ぼくにもできる方法が一つ、あるだろう?」
にやり、とその薄い唇の端が歪んだ。そんな彼の顔を目にしたジナコの背筋を、ぞわっ、と薄ら寒いものが駆け上がっていく。
彼の言うその方法が、一体何を指しているのか。ジナコは既に理解できてしまっている。その方法は最短距離で解決に至るものだったが、同時に普通であれば取りたくないと最初に除外するであろう、最悪の方法であることも。
「ああ、そうだ
――
あの子どもを、殺すんだ」
そう呟くように言った一寸法師の漆黒の瞳は、仄暗い闇をたたえて、どこか不安定に揺れていた。
《四》
足早に到着した村は、しかし予想に反して未だに静かさを保ったままだった。ほとんどの住民たちが寝静まった後らしく、家屋に灯る明かりもすでにまばらである。びゅうびゅうと吹きすさぶ冷たい風だけが、本来ここにあるはずの静寂を激しく乱していた。
――
一寸法師が殺意を向けているのは、あの少年に違いない。
カルナがそう判断したのを聞いた立香は、すぐさま少年を保護すべく彼の元へ向かうことを決めた。
一寸法師が自分の手で明確に排除するために接近していると仮定した場合、あの少年自身もまた、この特異点において重要な鍵となっているはずだ。その要因を確かめることができれば、或いは一寸法師と対峙する上で有利に事が運べるかもしれない。とはいえ、たとえそんな事情がなかったとしても、立香は少年を助けに行こうと同じように走り出していたであろうが。
幸い、少年の身に危険が迫っているという事情をざっくりと聞かせた宿の主から彼の家の場所を聞き出すことができた一行は、足音と気配を忍ばせながら再び村へと赴いた。
少年の家は村の東側、神社のある山を眼前に見上げることができる場所に位置していると宿の主は言っていた。該当すると思しき家屋にそっと近付いていく。一寸法師の姿はまだどこにも見えなかった。家の明かりは既に落とされているが、中にはあの少年の気配が感じられた。
「紫式部。霊体化して家の中に入れる? 一寸法師が今どこにいるのかはわからないけど、とにかく先にあの子の安全を確保しておきたい。もしもう中にいるようなことがあったらすぐ教えてくれ」
「は、はいっ、承知いたしました!」
立香の指示に、すぐさま答えた紫式部の姿が消えた。武器が長物であるカルナや巨大な盾を振り回すマシュでは、万が一狭い室内で戦闘となった際に迅速に動けないこと、アビゲイルはマスターである立香に対してのことならまだしも、それ以外に対する不測の事態が起きた場合の対処はなかなか難しいだろうことを考えた人選である。
そしてこれから自分たちが対峙しなくてはならない相手を考えれば、戦力をこちら側に多く傾けざるを得ないことは間違いなかった。
「っ! マスター! 敵影、補足しました!」
マシュが鋭く声を上げたとおり、少年の家の玄関先にはやはり夕刻に遭遇した青年
――
一寸法師の姿があった。腰に差していた刀は既に抜き放たれており、さらけ出された刀身が、降り注ぐ月光の下でぬらぬらと妖しく光っている。
そしてその妖しい光に照らし出された一寸法師の横顔は、いっそぞっとするほど感情の類いが抜け落ちていた。自然と落としてきたというよりは、どうやら何か意図的に遮断しようとしているらしい。少なくともカルナの目には、今の彼はそんなふうに映っていた。
「
……
ああ。やはり来たか、カルデアのマスター」
一寸法師は一行の姿を認めると、刃の切っ先をゆるりとこちらへ向けた。殺気の矛先が明確にこちらへと移されたことで、刺すような空気はよりいっそうその鋭さを増していく。
そんな刺すような殺気を向けられながら、しかし立香は気丈に一寸法師を睨み付けながら口を開いた。
「この村の人たちはお前の目的とは関係ないし、あの子はただあの場に居合わせただけだろ。どうして殺そうとするんだ」
「
……
どうして、だと? ハッ、腑抜けたマスターの口から出るにふさわしい、間抜けな質問だな。自分の目的のために不必要な邪魔者を排除するのに、いちいち細かに理由が必要なのか? お前だって見ただろう。あのときぼくの攻撃を止めた、この少年の力を」
一寸法師の言葉に、立香は微かに拳に力を込める。
そう、あの少年が制止を求める叫びが響くとともに、一寸法師は何故か立香に向けて振り下ろそうとしていた刃をぴたりと止めたのだ。立香をそもそも殺す予定ではなかったということを差し引いても、あまりに違和感のある行動だった。突然スイッチを切り替えられたかのようなあの不自然な動きに鑑みれば、彼が自主的にそうしたのではなく、彼から一寸法師に対して何らかの強制力が働いたと考えるのが自然である。
一寸法師自身としては、おそらく少年からもたらされる強制力に抗う術がないことを知っているのだろう。故にこそ、彼は今後の己の活動に支障が出る可能性を考え、早急に少年の存在を消し去ることを決めたのだ。
「だが残念ながら、ぼくには
暗殺者
アサシン
になれる才はないみたいだ。こうも簡単に君たちに見つかってしまったし?」
「気付いて欲しいという貴様の真意に応えたまでだが」
「
――――
」
ぴしり、と音を立てたのかと錯覚するほど、一寸法師の顔が凍り付いた。
濡れたような黒の瞳が、抜き身の刃物のような鋭さと、同時に微かな危うさをたたえながら、こちらへ
――
先の言葉を投げかけたカルナへと向けられる。立香の横顔に緊張が走るのを横目に見ながら、カルナは一寸法師の視線に対してさらに言葉を返していった。
「いくら頭に血が上っているとて、貴様は己が発する敵意や殺意を隠せないほどの稚拙な武辺者ではあるまいよ」
「
……
ぼくが
……
ぼくのやることを、誰かに止めて欲しがっている、とでもいうのか?」
ややあって零れ落ちた一寸法師の声は、怒りに震えていた。
その怒りの矛先はその事を指摘したカルナに対してのものであったが、同時に己自身に向けられているようでもあった。どうやらカルナが指摘した点に関しては、一寸法師自身が自分でも意識していないものであったらしい。意識しないように敢えて目を背けていたという方が正しいのかもしれないが。
「そしてかの少年が貴様を止められた理由は明白だ。この程度のことを解せぬような男とは到底思えんが、それほどに貴様の願望は貴様にとって重く意味を持つ代物なのだろう。だがその盲目は己を滅ぼしこそすれ、守ってはくれぬぞ。貴様が今ここでかの少年へ振り下ろそうとしているその刃は、そのまま貴様の心臓に突き立てられることになる」
「
……
なん、だと?」
彼の濡れたような漆黒の瞳が、じろりとカルナを見た。
しかしこちらを射貫くような力のないそれはゆらりゆらりと不安定に揺れていて、一寸法師自身も今からカルナが告げようとしていることを、心のどこかですでに理解していることは明らかだった。ただその変えることのかなわぬ事実を、自分の中で受け入れることができないでいるだけで。
「貴様が何者であれ、この場にサーヴァントとして成立している以上、あの少年が貴様を止められる要因など知れていよう。貴様は
――
」
「ッ、黙れ!」
そうして一寸法師が己自身で堰き止めていた感情が、しかしカルナの
言葉
とどめ
によって唐突に決壊した。その先は言わせない、聞きたくないと全身で叫んでいる。流れ出したものを伴った魔力が濁流となって噴き上がる。
と同時に、潮の香りを孕んだ冷たい風を切り裂いて、一寸法師の刃がカルナの脳天目がけて振り下ろされた。槍を横に構えて難なくその一閃を防いだカルナは、そのまま横薙ぎに振るって彼をいなす。
しかし一寸法師はカルナの動きをすでに見越していたようで、カルナの槍が動く寸前に自ら後方へと身を引き、そのまま己を吹き飛ばそうとしたカルナの槍を巧みに受け流したのだ。自然に、しかし抗うのが困難なほど強く力の流れを操るそのさまは、まるで荒れ狂う川を流れる激流と相対しているかのようだった。
かの一寸法師にはかつて、川に浮かべた碗という頼りなさ過ぎる船をしかし巧みに操り、長い長い道のりを経て都まで上ったという逸話があるという。ともすれば狂人と称されそうなその無謀な行動を無事完遂して見せたのは、おそらく彼が、万物が持つ力の流れを見極める目を持っていたが故なのだろう。そしてサーヴァントとして現界した今、その力がスキルとなって彼に備わっているのだ。これまで感じたことのない類いの感触を己が手に握った槍を通じて捉えたカルナは、彼の能力をそう分析した。
じりじりと距離を測っているらしい一寸法師を見遣り、カルナは再度槍を構える。深く顔を俯かせているせいで、漆黒の艶やかな髪が彼の顔を御簾のように覆い隠しており、その表情をはっきりと知ることはかなわなかったが、その身からは隠しきれない苛立ちの色がはっきりと滲み出ていた。
「ッ、知らない、そんなことぼくには関係ない! ぼくはただ、ぼくの欲しいもののために、ぼく自身の望みによってここにいる! それ以外のことは関係ない! この好機を逃してなるものか!」
「もう少し賢い男かと思っていたが、残念だ」
カルナもサーヴァントとしてのこの世界での在り方を理解している以上、一寸法師を責める気は毛頭ない。だがその願望のために己がマスターと対立するというのならば、カルナもまたサーヴァントとしての役目を果たすまでだ。
一寸法師が昼間のようにシャドウサーヴァントを召喚する様子はなかった。召喚するための魔力を惜しんでいるのか、彼自身にそれをするだけの余裕がないのか、或いは動転しているせいでそこまで頭が回っていないのか。
いずれにせよ、一対一の打ち合いであれば、遅かれ早かれカルナに軍配が上がるだろう。いくら彼が力を見極める目を持っていたとしても、カルナはその分析力と対応を遙かに超えた速度でこの槍を振るえる確信があった。これまで立ってきた戦いの数が、質が、時間が、一寸法師とカルナとではあまりに違いすぎるのだ。驕りなどではなく、それは純然たる事実として今二人の間には存在していた。
だがカルナにはこのとき、たった一つだけ見落としがあった。
とはいえこれはカルナの慢心や何かが原因となるものではなく、寧ろこの場でその可能性を頭の片隅にひとかけらでも懸念していた者は誰一人としていなかっただろう。
「
――
ちょおおおおおおおおおっと待ったぁぁぁぁぁぁぁ!」
対峙する一寸法師とカルナの間、あと数拍で地を蹴り相手に向かって躍りかかっていたであろう二人を止めるように、間に何かが飛び込んできたのである。
緊張に張り詰めた空気にはとうてい似つかわしくない、端から聞けば何とも間抜けな調子の声とともに。
砂埃とともに滑り込むように目の前に飛び込んできた『それ』に、カルナははっと目を見張っていた。思考と己の身体が、驚愕に打ちのめされて数秒完全に動きを止めてしまう。
カルナがようやく息の仕方を思い出したのは、そんな思考の凍結から解凍を経た、さらにその後だった。
「その勝負、一旦ストーップ! ッス! マルチエンディングシステムっぽい話なのにセーブ地点からやり直しもないしそもそも一回限りでゲームオーバーとか正直どんなクソゲーかって感じッスけど! ボクだって一応プライドってもんがあるんスからね! ここまできたらRTAばりに一発でハッピーエンドを目指すッスよ!」
心地よく耳を貫いたその愛おしい声を、カルナはずいぶん久々に聞いた気がした。
じわり、と胸の奥が熱を孕み始める。その熱はどこかくすぐったくて、わずかに目眩を覚えるほどに甘い。
「■■■
――
」
次から次へと際限なく生まれ、湧き上がり、カルナの中を駆け巡る熱が、とうとう抑えきれなくなる。
どうにか外へ逃がそうと吐き出した熱を孕んだ呼吸とともに紡いだ彼女の名前は、やはり何かに遮られてしまって、うまく認識することはできなかったけれど。
この胸の高鳴りと、呼ばれたことで振り返ってくれた彼女がこちらに向けた眩しい笑顔だけは、間違いなくカルナの前にある明白な現実だった。
《五》
――
遡ること数十分前。ジナコは宵闇の静寂に包まれた緑深い森の中を、ぜいぜいはあはあ、ひいこら言いながら駆けていた。
「んおおおおおお! ッ、何で、ゲホッ、こッんな、山ん中にッ、ヒイ、ほっぽらかされッ、てたんスかッ、オエッ、このばかぁっ!」
こういった類いの文句を口にするのも、おそらくこれで既に十二回目である。同時に、これ以上数えるのはやめようと心に決めた。返事がないことが虚しくなってくるだけだし、口にしたところで森が一瞬で吹っ飛んで道を空けてくれるわけでもない。口から飛び出る文句を数えたって無意味だし、そもそも思考リソースを回すべきはもっと別のところにあるはずだ。
現在ジナコの身体は、構造自体はいつもの人間型のものへと戻っており、こうして走ることも叫ぶこともできた。けれど彼女の力を借りて無理矢理元に戻れたというところなので、とうてい十全な状態とは言いがたい。少しでも気を抜けばすぐにでも今のジナコの肉体を構成する大事な何かが抜け落ちて、その場でぐしゃりと崩れ落ちてしまいそうだった。どうやったら抜け落ちないかなんていうのはさっぱりわからないので、とにかく今は落っことす前に目的地にたどり着くという頭の悪い結論しか導き出すことはできない。
一寸法師が幽鬼のような様子でふらふらと部屋を後にするのを、ジナコは呆然と見送るしかなかった。踏んづけられればたちまち潰れてしまうほど小さい生物と化していたジナコに止める術がなかったのもそのとおりなのだが、そのとき彼が纏湿った重たく黒い雰囲気に気圧され、言おうとしていた言葉が全部頭から抜け落ちてしまったのである。
ジナコがようやくはっと我に返ったのは、頭上で黙りこくっていた彼女が慌てた声で何度も自分を呼んでいるのに気がついた頃だった。当然、一寸法師の姿はもうどこにも見当たらない。
『彼のあんな顔、わたくしはもう、見たくないのです』
彼女はそう言って、ジナコに再度頭を下げた。どうか彼を救って欲しいと。
当然、一度は了承したことだ。ビビって逃げ出したい気持ちは大いにあるが、と少しだけいつもの調子で弱音を吐いて、さらにひとつだけ彼女に『お願い事』をして、ジナコは彼女の魔力を受け取ることを了承した。
魔力の受け渡しは、ジナコが思っていたよりも遙かに簡単に終わった。光の塊となったものがジナコのほうへやってきて、その眩しさに思わず目を閉じ、次に開いたときには自分はもういつもの見慣れた人間の姿へ戻っていたから。ジナコの内にいるガネーシャ神が、彼女と協力して何かうまいことやってくれたのかもしれない。
「で、でも、もうちょっと、なんとか、げほ、っ、ならなかった、ん、ス、かね
……
?」
さすがにちょっと休憩しないと死んでしまいそうだ。ぜえ、ひい、と情けないことこの上ない荒い呼吸を繰り返しながら、ジナコは手近にあった大木にもたれかかった。そのままずるずると座り込んでしまいたい衝動に駆られたが、何とか耐える。ここで崩れ落ちてしまったらもう二度と立ち上がれないような気がしたからだ。
そんな状態で本当に大丈夫かと、自分の中で俯瞰して見ている冷めた己が問いかけてくる。諦めてしまえと、遠回しに囁いてくる。その甘言は、ジナコが踏み出す足からうっかり力を奪い去ってしまいそうで。
「大丈夫じゃない、問題だ
……
ッ!」
ジナコは湿った地面に足裏を叩き付けるかのごとく、ダンッ、と力いっぱい次の一歩を踏み出した。
過剰な重量を受け止めた足は、じんとしたしびれにも近い痛みを訴えてくる。けれどそのお陰でほんの少し意識がはっきりしてきた。ぜえはあと、自分が肩で呼吸をしている音がとてもうるさく感じられる。
大丈夫なわけがあるかと、ジナコは胸中で舌打ちをした。テンプレどおりに「一番いいのを頼む」とでも言いたいところだが、現状が一番ましな状態なので如何ともしがたいところだ。けれど神は言っている、ここで死ぬ定めではないと。実際には別にそんな言葉は聞こえてきていなかったが、ジナコは勝手にそういうことにしておいた。
ここから先の攻略法が乗っているWikiなんてものは当然存在していないし、そもそも残機はたった一つきりなので、一度たりともゲームオーバーは許されない。セーブ地点からロードしての都合良いやり直しなんてこともできない。どんな鬼畜な縛りゲーだ、無理に決まっていると、もしジナコがこれを画面の向こうから見てコントローラーを握っている身であったらそう吐き捨てていたところだ。
けれどこれはゲームではなく現実なのだ。ジナコはコントローラーを握る立場ではなく、ここで動くキャラクターの一人なのである。ゲームシステムに縛られていないから何でも自由に選べるが、だからこそ全てがひっくり返るような致命的な失敗を犯してしまう可能性もある。
けれどジナコの中に、立ち止まってしまおうという気持ちは不思議と湧いてこなかった。
やるべきことがあるとか、託されたものがあるとか、負ってしまったそういう理由が背中を蹴飛ばしているというのはもちろんある。
けれど今は、それ以上に。
「ッ、カルナ
……
!」
震える唇から、自然と彼の名前が零れ落ちていた。何十、何百と呼び続けた名前。
今はただ、彼に会いたかった。その衝動が、欲が、ジナコの重たい足を何とか前へと進ませ続けてくれている。
彼がこの特異点に来ているかどうか、ジナコはまだ知らない。けれどきっといるはずだと、根拠も何もなくそう信じていた。ジナコが本当にカルナに助けてほしいとき、そばにいてほしいとき、彼は必ずジナコの前に現れてくれたから。
駆ける。駆ける。駆け抜ける。
深い緑をかき分けて、必死に彼の色を探す。がむしゃらに手を伸ばす。
そうやって無我夢中で走り続けているうちに、不意に目の前を覆い隠すように茂っていた緑たちが姿を消し、視界が急に開けたのだ。はっと我に返って見回すと、どうやらどこかの村へ出たらしいことがわかる。時刻はすっかり夜半であるためか、家々の明かりは既にほとんど落とされているようだった。けれどすでに眠りについているはずの村に、肌がびりびりするような『何か』がある。
ジナコは休息を要求して震える足を叱咤し、何とも覚束ない足取りながら懸命にその『何か』があると思しき方向へと歩き出した。
そして耳をつんざいたのは、何か硬いモノ同士が激しくぶつかり、火花を散らし合う音。
はっきりと覚えがある。ジナコが今でも好きになれない嫌な音だった。
「
……
ッ!」
しかしそんな、普段であれば目を背けて踵を返しそうな状況となっているであろう場所へ、ジナコはあえて飛び込んでいった。不意にジナコの耳を擽った、金属が軽く擦り合いぶつかる澄んだ音は、もはや疑いようもなく、ジナコが求めていたひとが奏でる音色だったから。
濡れたような深く重い宵闇の中で、二人の男が対峙していた。
サーヴァントになったお陰か知らないが、夜目が利いて助かる。ジナコはひとまず気付かれないように一定の距離を取ったまま、状況をじっと観察した。
一方は、ジナコをこんなことに巻き込みやがった尊大な青年。けれどどこかジナコに似ていて、そしてジナコが救ってやらねばならない男だ。
そして長大な槍を油断なく構え、夜の帳の中にあってもなお鮮烈な色を浮かび上がらせるもう一方の男は、やはり
――
。
「カルナ
……
!」
思わず彼の名前を呟いた途端、危うく全身から力が抜けそうになってしまった。うっかり崩れ落ちそうになる刹那、ここで安心している場合じゃないとぞ心の内で己をぶん殴ってかろうじて正気に戻り、震える足にもう少しだけ稼働を命じて事なきを得る。
現在、二人の間にある空気はジナコでもはっきりとわかるほど緊迫したもので、まだかなり距離があるにも拘わらずぴりぴりと肌から痛みを感じるほどだった。あと数秒でこの張り詰めた均衡は崩壊し、二人の手にある武器がそれぞれ相手の命を奪わんと空を切って振るわれることになるだろう。どうなるかはわからないが、どちらかが確実にその一撃によって地面を舐めることとなる。
けれど、それではだめだと思った。カルナがこの場で一寸法師を倒し、この特異点の原因となっていると思しき聖杯
――
小槌を回収してしまえれば、カルデアが目指している『事態の解決』には近付くのかも知れない。けれどその選択肢からでは、ジナコが最も目指すべきエンディングにはたどり着かないはずだ。良くてノーマルエンド、最悪の場合はバッドエンドである。立てたフラグをきちんと回収しなかった場合、結末は往々にしてバッドエンドへと転がり落ちていくのだ。マルチエンディングのゲームも散々こなしてきた歴戦の猛者であるジナコが言うのだから間違いない。
つまり、今ここでジナコがやるべきことは。
「
――
ちょおおおおおおおおおっと待ったぁぁぁぁぁぁぁ!」
ここが今どんな状況になっているかなんて、そんなの自分が知るものか。とにかく無我夢中で、走ってきた勢いそのままに二人の間へ滑り込んだ。
そう、とりあえずまずはここで、一旦『最良ではないエンディングへの直行コース』を阻止する必要がある。
少なくとも、この場で登場人物を退場させるのは恐らくまずい。この後フラグを回収しようとしても、その回収のために必要な要素が失われていたら取り返しがつかないからだ。とにかく手札は残しておくに限る。
特に最重要人物である一寸法師が、解決にとうてい至らぬ場所で退場してしまうことだけは避けたかった。カルナと一寸法師、二人がこの場で本気を出して戦った場合、最終的に一寸法師がカルナの槍で貫かれることになることは想像に難くない。
ズザーッ! と、まるで漫画なんかでよく見る擬音がはっきりと目に見えるような勢いで滑り込んだせいで、立ち上る砂埃がすごい。ゲホゲホ、と派手に噎せていると、
「■■■
……
」
戸惑いを露わにしているカルナの声が、ジナコを呼んだ。
けれどその名前はこの世界に敷かれた、或いはジナコにかけられた制約に則り、すぐさまなかったことにされる。特異点であろうと変わらないその事実に一抹の痛みがジナコを貫くが、ここでは一旦気付かなかったことにしておいた。悲嘆に暮れる心に割く思考的余裕はない。ジナコの脳は一つしかないし、何処ぞかで出会った最強厨(笑)の少女のように、高い演算能力が備えられているというわけでもないので。
「お前、何故
……
!」
夜と同じ色をした瞳を大きく見開いていて、一寸法師が呆然とした様子で問うた。
彼女のことをあれこれ最初から説明してやることも考えたが、そこまでの猶予はなさそうだ。ジナコの乱入という、この場における誰にとっても予想外の出来事によって状況を一旦停止させることができたが、一から十までゆっくりと語り聞かせてやれるような緩やかな空気にはほど遠い。
だからジナコは、彼女から借りた魔力を使わせてもらうことにした。もちろん、ジナコのカタチが保たれている状態が崩れないようにではあるが。
彼女は一寸法師に付随する形で現界を果たした。存在が希薄すぎて実体を持つに至らなかったとはいえ、要はカルデアにいる坂本龍馬とお竜さんコンビみたいなものなのだろう。だったらたとえ残滓であったとしても、同じ霊基を共有していた一寸法師にその魔力を見せることができれば理解るはずだ。ジナコをジナコとしてこの場に立たせている魔力が、一体誰の祈りからもたらされているものなのか。
「
――
『一寸法師様』」
「ッ!」
息を呑んだ音は、果たして誰のものだったのだろう。一寸法師は当然だろうが、他の場所からもそんな気配がしたような。まあ、今はとりあえず置いておく。
口から出た声は、ジナコであってジナコでないものだった。魔力のみとなってしまったが、まだ『彼女』としてのものが僅かに残っている。魔力を渡してもらう際、ジナコが彼女にした『お願い事』がこれであった。一言だけでいいから、カタチが得られないのならば自分の身体を貸すこともこの際構わないから、一寸法師と言葉を交わすための余力を残して置いて欲しいと。
だって大好きな人に、一度も自分の存在を認識されないままなんて、そんなのはたとえ理由が何であれ耐えられないと思ったから。
そうしてジナコの口を借りて、彼女は一言、一寸法師へ投げかけたのだ。
「
――
『わたくしを、おぼえていらっしゃいますか?』」
その言葉を最後に、彼女の魔力は完全にジナコの中へと完全に溶けきってしまった。
どうして彼女がその言葉を選んだのか、今のジナコには何となくわかる気がした。そしてそう問いたくなってしまうほどの感情も、痛いほど知っていた。
「っとと
……
まあ、そういうことらしいッスよ」
「あ
……
き、み、は、
――――
」
一寸法師の唇が震え、おそらくは彼女の名を紡いだ。しかし『一寸法師』という物語の中において明確に語られたことのない彼女の名前を、ジナコやほかの人たちがはっきりと聞くことはできない。『ジナコ』という人間は認識されず、文字化けやノイズによって隠されているのと同じように。けれど一寸法師という一人の青年が、かつて自分のことを愛してくれた女性を、己の意思ではっきりと呼んだことは間違いなかった。
「悪いけど、ボクはアンタを止めるッスよ。あのひとが最後にボクに託した願いだから」
「願い
……
?」
「が、ガネーシャさんっ!」
突然の出来事に呆然としていたらしい立香がいち早く我に返ったのか、ガネーシャ神の名を叫ぶ。
「はいはーい、みんな大好きガネーシャさんッスよ~。今そっちに行くッス」
とりあえず立香の元へ戻り、
回路
パス
を正常な形で繋ぎ直すことができれば、ジナコはこのHPが常に赤ゾーン以上に回復しないヘロヘロ状態から脱することができるだろう。一寸法師が何らかの妨害を施しているのだとしても、カルデアの頭脳たちの手腕をもってすればどうとでもなるはずだ。
が、しかし。
「
――
へ?」
ぐるん、と。
唐突に世界が一回転した。
否、もちろん世界が回ったわけではない。ジナコが立香たちのいるほうへと踏み出した一歩が、何故か波にさらわれたかのようにうっかり地面を踏み抜き損なった上、バランスを崩した身体が宙へ放り出されたのである。
硬い土の上に叩き付けられるはずだったジナコの身体はしかし、大きな泡のような不思議なものに包まれ、空中をふよふよと漂うこととなった。
「が、ガネーシャさん!?」
「ちょ、何コレ怖い! 降ろしてーッ!」
足下が覚束ない恐怖に、ジナコは思わず悲鳴を上げた。己を囲う泡をどうにかぶち破ろうと試みるが、謎の浮遊感によって力が入らずうまくいかない。重力が可笑しくなった隔離空間でぐるぐる、じたばたと暴れている様は、まるで水の中で溺れているかのように見えたことだろう。
そしてジナコを閉じ込めた張本人
――
一寸法師は、どこか据わった目でこちらを見つめていた。おそらくは泡を操作するためにとジナコの方へ突きだしている手が、指先が、微かに震えている。
「どうして、お前が、彼女のように話す。どうして彼女を知っている。だって、彼女は
……
っ、どうして、どうしてお前が
……
!」
何かに取り憑かれたように、熱に浮かされたように、ぶつぶつとしきりに呟き続ける一寸法師。その瞳が今何を捉えているのか、ジナコにはわからない。
そんな彼を横目に、カルナが槍を片手に泡に閉じ込められたジナコの元へ駆けた。美しい黄金の一閃が泡をしかと捉えた。
――
捉えた、はずだったのだ。
「ッ!」
ジナコを囲った泡はカルナの振るう槍に切り裂かれる直前、上空高くへと移動させられていた。先ほどまで自分たちがいた地面が、すっかり手の届かないところへ遠ざけられている。
そしてただでさえギリギリの状態に疲弊していたジナコの肉体は、突如強烈にかかった重力の負荷に耐えきれなかったようだ。急速に目の前が暗く閉ざされ、意識が遠のいていく。
「カ、ルナ
……
っ!」
眼下に映るカルナに手を伸ばすが、あまりにも遠く。
ごぼ、と自分の口から溢れた大きなあぶくが解けていくのとともに、ジナコの意識は暗闇へと引きずり込まれていった。
《六》
不可思議な泡の中にガネーシャ神を閉じ込めた一寸法師は、何故かひどく動揺した様子で、こちらへ言葉を残すこともなくガネーシャ神とともに宵闇の向こうへと姿を消してしまった。
その場ですぐ追跡を開始しようとしたものの、一寸法師は(おそらくは小槌の魔力で)巧妙に気配を隠してしまったらしく、カルデアにある解析器を用いても彼の居場所を割り出すことはできなかった。加えて村の人々がカルナたちの戦闘音によって次々と目を覚ましてしまったらしく、立香たちも急ぎその場を後にせざるを得なかったのである。
この村は先の一寸法師の襲来によって、只でさえピリピリと張り詰めた緊張感がわだかまり続けていたような場所だ。これ以上あれこれと問題事を起こし、自分たちに対して明確に敵意が向けられるのは、今後の動きに支障が出ることを考慮するとあまり好ましくはない。こちらの目的はあくまで一寸法師のことのみであり、村人たちと事を構える気はないのだ。けれどいざ村人たちの疑心が爆発した後にそう告げたところで、納得させるのは至難の業であろう。
ちなみに例の少年も同じように騒ぎで目を覚ましていたそうだが、日が昇った後に改めて状況説明をするということで紫式部が話をつけてきてくれたそうだ。両親を始めとする大人たちには絶対に内緒にする、と少年のほうから言ってくれたらしい。一寸法師のことで村人から冷ややかな対応をされ続けていたから、言っても信じてもらえないと思ったのかもしれないが。
そうしてその場から迅速に退散したカルデア一行は、再び宿へと戻ってきていた。突然の襲撃でうやむやなままになってしまっていたが、いずれにせよこれからのことは結論を出さねばなるまい。
「今は、ガネーシャさんの救出を優先したいと思う」
宿に戻って腰を落ち着けるなり、立香がそう話を切り出した。
「まだわかっていないことは多いけど、ガネーシャさんはたぶん、今までもずっと一寸法師のところにいたんだと思う。しかもガネーシャさんの言葉で一寸法師があれほどはっきり動揺してたってことは、ガネーシャさんは俺たちより一寸法師について知ってるはずなんだ」
『ああ、私たちもひとまずはその方針でいいと考えている。ガネーシャ神が一寸法師に対する有効打となる情報を持っていてくれればいいんだけど』
『彼が既にガネーシャ神を始末していなければ、という前提の話ではあるがね』
「ッ、ホームズ!」
ダ・ヴィンチの意見を補足するように口を出してきたホームの言葉に、立香がぎょっとした声を上げた。
『まあまあ、落ち着きたまえ。あくまでひとつの可能性の話をしたまでだ。今の状況に鑑みれば、彼がすぐにガネーシャ神を殺すことはまずないだろう。わざわざああやって攫っていったということは、彼にとってまだ彼女に利用価値があるに他ならない』
そうでなければあの場で即座に始末していただろう、とホームズは言葉を締めくくった。
一寸法師がガネーシャ神に求めている利用価値について、今の立香たちの手元にある情報だけで見当をつけるのは困難だが、彼女があの場で口にした言葉にも何か手がかりはあるかもしれない。
「ガネーシャさんがあのとき一寸法師に対して言った言葉のって、多分、ガネーシャさんの言葉ではなかったと思うんだよな
……
」
確かにあのときの彼女が纏う雰囲気は、言動は、ここにいるカルデアから来た者たちがよく知る『ガネーシャさん』のものではなかった。
「でも、じゃああれは、一体誰の言葉だったのかしら?」
「おそらくは、一寸法師の伴侶
……
だったのではないかと」
首を傾げるアビゲイルの言葉に応えたのは、宿に戻ってきてからずっと何やら深く考え込んでいた紫式部だった。
「一寸法師の物語は、先にお話したとおり媒体によって多少の変化がありますが、そこには必ず最終的に彼の妻となる女性が登場しております。一寸法師という物語においては重要な人物ですので、もしあの一寸法師というサーヴァントが『一寸法師』という物語の具現として現界しているとしたら、彼女の存在が付随している可能性はあるのではないかと」
「ええと
……
つまり、アンとメアリーとか、ディオスクロイとか、徴姉妹とか、元々はああいう人たちみたいなサーヴァントかもしれないってこと?」
「ええ、おそらくは。けれど物語の中においての『彼女』には名前がありません。日本の古い歴史において、女性が物語の中にはっきりと名を残す例の方が稀ではありますけれど」
「つまりその存在が人理の上において希薄であるがために、さきほど先輩が上げられた方たちのようにはっきりと現界できるほどの存在強度がない。だから何らかの方法でガネーシャ神の身体を借りていた、ということでしょうか?」
「む、むつかしいお話だわ。ええと、つまりあの一寸法師さんは、自分の奥さんがガネーシャさまの中にいるから攫った、ってこと?」
「カルデアから誘拐された際についてはわかりませんが、少なくとも先ほど彼がガネーシャ様を連れ去ったことに関しては、そのように結論づけることができるかと」
「ふむふむ
……
」
もし紫式部が述べたこの仮説が本当に正しいのであれば、それこそ一寸法師はすぐさまガネーシャ神を殺すことなどできないだろう。その行為はすなわち、ガネーシャ神の中にいる己の半身を切り捨てることと同義であるからだ。
だが本来は完全に別の存在であるはずのものが、いつまでも他者の中で存在を保てるとはとうてい考えにくい。伴侶の存在を抜きにした本来のガネーシャが、彼にとってどのような利用価値があるのかは未知数だ。救出をするならば急ぐに越したことはないだろう。
「カルナさんも、それでいい?」
「
……
何故、今ここでオレに問う」
突然立香からそう話を振られたカルナは、思わず一瞬言葉に詰まりつつもそう返答した。一行の方針として決めたことに対し、カルナ一人が異を唱えようはずがなかろうに。そもそもガネーシャ神を助けるために、カルナは今回のレイシフト参加に自ら手を挙げたのだ。
「カルナさんが一番、ガネーシャさんを助けたいって思ってて、でもそういう気持ちに一生懸命蓋をしてると思ったから」
「オレはお前に、そうやって労られるほどの無様な姿を晒していたのか? そうであったとしても要らぬ気遣いだ」
立香が先に述べたとおり、ガネーシャ神と助け出したいという気持ちはもちろんある。だがこれはあくまでカルナの個人的な都合だ。優先されるべきものでは決してない。
けれどこんな個人的で身勝手な感情に対して、立香がこうしてわざわざ気遣ってくれるのは恐縮してしまうほど嬉しいことだった。ただでさえ様々なことに対してその心を砕かねばならぬ立場であるのに、彼はいつだってこうして一つ一つを大切に拾い上げようとしてくれる。だからこそカルデアに召喚されたサーヴァントたちの多くが、この藤丸立香という少年の助けになりたいと自分から立ち上がるのだろうが。
「カルナさん、何か怒っていらっしゃるの? せっかくマスターが気遣いをしてくださっているのに
……
」
「ま、待ってアビー、違うよ。あの、多分これはその、カルナさんなりの気遣いの言葉で、多分そう! うん!」
アビゲイルが細い眉をキッと釣り上げてこちらを睨み付けてくるのを、辛うじてカルナの真意の欠片を拾うことができたらしい立香が慌てて宥めてくれた。
「
……
すまん、マスター。オレはまた言うべき言葉を間違えたらしい」
「だ、大丈夫だよ! たぶん! ギリギリ伝わってたから!」
「そうか」
立香が気を遣ってそう言ってくれることは有り難い限りだが、それはそれとして気苦労をかけてばかりなことは重ね重ね申し訳ない。
『じゃあ一寸法師の居場所についてはこちらで解析しておこう。夜が明ける前にはどうにかして割り出すさ。でもガネーシャ神の救出という方針はいいとして、やっぱりあの『小槌』の対処についての問題は避けられないよねえ』
「あ、そうだった」
そもそも宿を出る前は、その点についてどうするかという話をしていたのだ。先ほど対峙した際は、一寸法師も頭に血が上っていたのかあの小槌の力を出してくることはなかったが、次はそうもいかないだろう。やはり事前に十分な対策を練っておかなければならない。
さてどうしたものかと、一行が再び沈思し始めたときだった。
「あんたたち、もしかしてあの神社の『打出の小槌』の話をしてんのかい?」
「うわっ!?」
不意にかけられたはっと振り返ると、いつの間にか宿の主であるあの老婆が立っていた。どうやら風呂の支度ができたからと、一向に声をかけに来てくれたらしい。だが話を聞かれたタイミングがまずかった。ともすれば、自分たちが一寸法師とともに『打出の小槌』を奪おうと画策しているとも取られかねない。
「うわっ、とは何だい、ご挨拶だね」
「あ、あの、おばあさん。実は」
「いいや、今更あれこれと細かいことを説明しなくても構わんさ。あたしゃ堅苦しい話は肩が凝っちまってね。とにかくあんたたちは、一寸法師の疑いを晴らしたい、なんて言ってたあのボウズの手伝いをしてくれてて、そのために『打出の小槌』をどうにかしたいってんだろ?」
「え?」
ぽかんとする立香に、老婆はまたあのからりとした笑顔を向けた。
「いやね。村の外れまで一人めそめそしてたあのボウズに、自分の信じたいものを人に信じさせたいなら、まず証拠を出しなってけしかけたのは、他でもないこのあたしなのさ。そんなボウズが自ら連れてきた連中が何をやってるかなんて、そんなもん聞かなくたってわかるってもんだろ。ああ、もちろんあのボウズの手伝いだけが全てじゃないってのも知ってる。でもあたしの目からすりゃあ、あんたたちが『打出の小槌』をどうこうして、悪いように使ってやろうって思ってる連中にはこれっぽっちも見えないんでね。特にあんた!」
「エッ、俺!?」
いきなりびしりと指をさされた立香が、驚いたのかその場でぴょんと飛び上がる。
「ええと、立香とか言ってたっけか。あんたは特に駄目だ。根の素直さがすっかり顔に出ちまってる。そんな男が、このあたしをだまくらかして悪巧みするなんてできっこないんだからね!」
「え、ええ
……
?」
褒められているのかだめ出しを食らっているのかわからないと、立香は本気で困った顔をしている。マシュはあわあわした様子で、けらけら声を上げて笑うと老婆と立香を交互に見やっていた。
「さぁて。じゃああんたたちに、とっておきの話をしてやろうかね。村の連中ですら忘れてそうな、あの『打出の小槌』にまつわる物語さ。そこの別嬪さんは知ってるかもしれないが」
「!」
ちらりと老婆が視線をやったのは、相変わらず何やら俯きながら考え込んでいた紫式部だった。彼女ははっと顔を上げると、一瞬躊躇うように視線を彷徨わせたあと、おずおずと口を開いた。
「この村の『打出の小槌』は、『芦屋の小槌』と呼ばれているのではないでしょうか?」
「?」
そうして紫式部がそっと口にした『芦屋の小槌』という単語に一行が揃って首を傾げる一方、老婆だけがにやりと不敵な笑みを浮かべていた。つまり紫式部の答えが正解であるという証左だった。
「ええと
……
つまり、どういうこと?」
「もしかしたらマスターはご存じでいらっしゃるかもしれませんが、日本には『打出の小槌』に纏わる説話や昔話が多数存在いたします。現代の芦屋市という街に伝わる民話もそのうちの一つです」
「あー、ごめん、俺よく知らないや
……
」
もう少し勉強すればよかった、と立香は気まずそうに顎の辺りを掻いている。
「というか、聖杯みたいな願望器の話があちこちにごろごろ転がってる日本とかいう国、そもそも結構やばくない?」
「せ、先輩は、本当にとんでもない修羅の国にお住まいだったのですね
……
!」
若干遠い目をして呟く立香に、真剣な眼差しでそう返すマシュである。
彼女の中にある『日本』という国のイメージは、果たして今どんなものになってしまっているのだろう。とはいえ彼女の中の認識が何だかおかしな方向へ傾いているのは、ボイラー横のデッドスペースを陣取っている連中だとか、主にそういう者たちが引き起こす騒動が原因となっているに違いなかろうが。
さて紫式部によると、『芦屋の小槌』なる民話の内容はこうだ。
そもそもこの話に登場する打ち出の小槌は大黒天の持ち物ではなく、芦屋の沖に住まう龍神のものであったという。小槌はこの龍神より当時の朝廷へ授けられた後、何らかの事情(ここは諸説あり定かなものはないとのこと)により、打出という村の長者の手に渡った。小槌を振るえばありとあらゆる宝物、牛や馬、食物や衣服などを心のままに出現させる事ができたが、小槌の力で生み出したものたちは、鐘の音が鳴り響くとたちまち消えてしまったという。
「平安時代の末期に成立した『宝物集』という仏教書にも、似たような打出の小槌に纏わる記述がございます。あらゆるものを生み出すことができるが、それらはすべて鐘の音とともに消え失せる。小槌によって呼び出したモノは結局のところ現世に実在するものとは見なされない、と。その点を由来とする噺なのかもしれません」
「村の中で口伝えられているだけの話だから、何がどこまで本当かなんてのは誰にもわかりゃしないけどね」
紫式部が語った物語に対し、老婆は最後にそう付け加えた。
つまりこの話を総合すると、一寸法師が持っている小槌は、鐘の音を鳴らすことで効果を打ち消すことができるかもしれないということである。一寸法師が物語の登場人物である以上、別の物語であるとはいえ、話の筋書きとして定められているロジックにはより逆らえないのではないか、とのことでもあった。
「あとはこのへんに鐘があるかどうかだけど。今日行った神社には、確かあの、棒で突いて鳴らすでっかい鐘とかなかったよな?」
「神仏習合によって、鰐口
――
おそらくマスターがおっしゃる大きな鐘ですね。それをつけている神社も存在しているそうですが、基本的には寺に付けられているものと聞きます」
「オッケー、ありがとうマシュ。あの、おばあさん、ここの近くに鐘のあるお寺ってありますか?」
「うう~ん、寺、寺ねえ
……
」
暫し腕を組んで思案していた老婆は、やがてぼそりと零した。
「鐘を供えてる寺は近くにはないが、デカい鐘には一応心当たりがなくもないね」
「ほ、ホントですか!?」
「ああ。ちょっと待っといで、今地図を持ってくるよ」
老婆はぱたぱたと、軽快な足取りで部屋を後にしていった。
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