乙麻呂
2024-05-02 17:43:19
21265文字
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花も実も在る

アンソロ開催ありがとうございます!!
参加させていただきました。二人の関係性のゆらめくような変化を……描けていたらよいな(願望)


・原作二巻、アニメ二季までの内容
・not CP




【ひと月】


小さな蝋燭の灯りがゆらめく部屋で、慕情は淡々と仕事を片付けていた。
太子殿下は既に自室に戻られており、今頃はぐっすりと眠っているだろう。
運動量が常人離れしている太子殿下だが、その分睡眠はたっぷりととる。
あの人は『寝てるか動いているか』だと言い換えても良い。
まぁ、その方がこっちも助かるが。
片付けた側から服を汚されたのではこちらとしても堪らない。
慕情は太子殿下の絹で出来た服をシワひとつ無いよう、丁寧に畳んでいく。
それが済んだら、明日着る道袍を用意し、 くつを磨いておかなければならない。

…………………おい」

大して大きくも無い呼びかけに、慕情はそっと目を上げた。
部屋には、慕情の他に一人少年がいた。だから、自ずとその声の主はその少年で、呼びかけた相手は慕情と言う事になる。
「なんでしょう」
声が固くなったのは警戒が三割、緊張が一割、疑念が一割、不快感が一割、後は面倒臭さだろうか。


およそひと月前。
太子殿下の目に留まり、慕情は晴れて皇極観の門下生となった。
そして同時に、天上の存在だと思っていた仙楽国の太子殿下の侍従として取り立てられた。
下働きに過ぎなかった身の上からすればあり得ない程の幸運であり、栄誉だ。母は安堵と歓喜に涙し、慕情の生まれ育った町の人々は大人から子どもまで自分の事のように喜び、励ましてくれた。
全ては、何故か異様に慕情の事を気に入った太子殿下の気まぐれの賜物だ。
気まぐれだからこそ、慕情はその気が変わらないように努めるしか無い。
殿下の周囲の“生まれが確かな人々”が自分の事を怪しみ、疑い、嫌い、妬むのは重々承知している。
自分がそれを跳ね除け、信頼を得るだけの立ち回りが出来るほど器用な性格をしていない事も分かっている。
それでも、殿下に、殿下の周りの人々との不和を知られるわけにはいかない。


目の前の少年は、そう言う意味で慕情にとって一番厄介な相手だった。

風信。

慕情とそして太子殿下と同じ年頃でありながら、太子殿下の侍衛と言う輝かしい役職を与えられている。
よく鍛えられていると一目で分かる体躯。よく日に焼けた小麦色の肌を持ち、精悍な顔立ちには常に怒っているような険しい表情が浮かんでいる。
皇極観での修行に参加する事はなく、常に修行する殿下の側に立って睨みを効かせている。
そして、太子殿下はこの少年の事を心底気に入っており、全幅の信頼を寄せているのだった。
ぞろぞろと侍従を連れ歩く事を好まない太子殿下が常に伴うのは………………いや、“伴う事を許す”のは、風信だけだ。そこに、慕情も加えられた形になる。
つまり、慕情はこの風信とは多くの時間を共に過ごす事となる。
だが。
問題は、風信も慕情もあまり交友的な性格では無い事だった。
慕情が黙々と働く様を、いつも風信はじっと無言で見つめている。
警戒されているようで、何とも気分が悪い。
いや、実際警戒されているんだろう。太子殿下の御身を護る重役を担う人間にとって、慕情の存在など不穏分子でしかないだろうから。
それに、風信の性格は慕情とはまるで真逆で、思考も噛み合わなければ会話も碌に成り立たない。
慕情にとって、最も関わりたく無い相手であり、どう接したら良いか分からない相手でもある。
それでも、風信が慕情を無視する事は出来ても、慕情が風信を無視する事は出来ない。
本当に面倒だ。



風信の手には黒い長弓が握られている。
太子殿下の侍衛となった時に国主直々に賜った、風信の命と同等に大切な相棒だ。
風信はそれを柔らかい布で丁寧に磨きながら、こちらを見もせずに言った。
「お前はいつまでそうやって働いてるんだ?」
ちんたら仕事をするな、と聞こえた。慕情はこめかみが引き攣るのを感じる。
「現在、殿下の身の回りのお世話をする侍従は私一人です。本来なら何十の人間がすべき仕事をこなしているのですから、夜更けまでかかるのは当然でしょう」
しかし、不快や怒りをぶつけるわけにはいかない。
慕情はあくまで淡白に答える。当然の事を言ったまでだが、風信は眉を寄せた。
「お前も殿下と同じ修行をしてただろう」
「私が太子殿下と肩を並べて修行する事を許したのは、他ならぬ太子殿下です」
今まで何も言って来なかったが、やはり風信もそれが気に食わずにいたのか。
先程よりも、返す言葉が刺々しくなる。
風信は不可解げに眉を上げた。
「そんな事は知っている」
「なら、何故わざわざそんな事を聞くのでしょうか?」
苛々と問い返すと、風信は首を傾げた。
「あの体力馬鹿な殿下が体力を使い果たすくらいだ。お前も疲れてるだろう?」
「は……………………
予想もしなかった言葉に、慕情は思わずまじまじと風信を見てしまった。
見つめられている事に気付き、風信も弓から目を上げる。ぱちり、と視線が合った。
風信の目には蔑みも不快も浮かんではいなかった。
「そんなに神経質にならなくても、殿下は多少の落ち度で咎めたりはしない。さっさと休め。………身がもたないぞ」
どうやら、風信の目には慕情が『太子殿下に対してどんな些細な不備も無いよう、修行で疲れた体に鞭打ち、身を削って働いている』ように見えているらしい。
慕情は思わず呆気に取られたが、風信にじっと見られている事を思い出して思わず顔を逸らした。
………………太子殿下は、本来すべき事の十倍もの修練を己に課しておられました。私など、殿下の半分も動いてはいませんから」
つまり、国師が課した内容が物足りなくて、勝手に苛烈な修練に勤しんでいたわけだ。主に肉体的に。
慕情も近くで同じ修練はしたが、その量は殿下には遠く及ばない。
それを間近で見ていた風信は嘆息した。
「殿下の武術好きは最早病気の域だ。特に最近は、一緒にやる相手が出来てはしゃいでおられる。…………お前も、他の奴らよりは動いてただろう」
確かに、他の軟弱な師兄達よりは殿下の修練に付いていけていたとは自覚しているが。

まさか、気遣ってるのだろうか。コイツが?自分を?

風信は唖然とする慕情に舌打ちすると、吐き捨てた。
「さっさと寝ろ。俺ももう寝る。一人で夜中までごそごそされたら気になって眠れない」
風信がそんな繊細な人間だとは思えないが、どう反応したら良いかも分からず、慕情はただ頷いた。