お手並み拝見
新宿某所。
――もとい、情報屋・折原臨也のオフィス。
ハイバックチェアに悠々と背を預けつつ趣味と実益を兼ねた仕事に勤しんでいたこの部屋の主、折原臨也は、眼前に立った来客を上機嫌な様子で出迎える。
「あぁ足立さん、お疲れ様。今日はどうだった?」
「報告は逐一メールで送ってるでしょ。ついでにそれをまとめたのがコレ。わざわざ口で同じこと説明する必要ないと思うけど」
机の上に書類袋を差し出しながら、何がそんなに楽しいのかと足立は顔を顰めた。ニコニコと軽薄だが端正な笑みで書類を受け取る男は、足立にとっていつ見ても得体が知れず油断のならない存在だった。
「そう言わずに。なんなら手当出すよ」
「
……いいや、お構いなく。あいにく気分じゃないんだよ、おかげさまで生活費には困ってないしね」
「おかげさまで、ねぇ。その割には雇い主に対する態度があんまりだなあ。
まぁ折角来たんだし、コーヒーくらい飲んでいったら?」
そう言うと臨也は机に手をついて腰を上げ、吹き抜けを通し二階に向けて「波江さん、そっちの書類はとりあえずそのへんに置いといていいから、お願いできるかな」と呼びかける。どうやらこちらの返事を聞く気はないらしい、と察した足立が堂々と溜息を吐いた。
「
……また新しい人雇ったの? 景気が良いね」
「俺もやりたいことが多くなってきたし、秘書を置くのもいいかと思ってさ。業務の効率化って大事だろ?
あぁ、そうだ。取次なんかで顔を合わせる機会もあるだろうから、ついでだし一応紹介しておこうか。波江さん、コーヒー入れる前にちょっと来てもらえる?」
悪態を意にも解さず、どうぞとソファスペースに促す雇い主に従うのは何となく癪だった。が、断ったところでどうせこいつは涼しい顔で自分を見送るだろうと足立にはわかっていた。足立がいずれの選択を取ろうともそれ自体は関係なく、どちらにしろこの男の鼻を明かすことはできないのだ。まだ彼と関わって間もない足立もそういう類の厄介さは把握できていて、どこかむかむかとする気持ちを仕方なく内心に押し込めながら、L字型に配置されているソファの奥側の一辺に着席した。
次いで臨也がもう一辺に腰掛けると同時に、コツコツと足音が降りてくる。次第に近くなるそれを追って視線を持ち上げると、そこにすらりとした女性が長い黒髪を靡かせて現れた。
「こちら矢霧波江さん。見ての通り、ここでの一通りの雑務を請け負ってくれてる。
波江さん、この人が足立透さん。俺の大事な女の子のことを頼んでる人」
こんなごく簡単な紹介にすら歯の浮くような悪意を仕込めるのか、と足立はついヒクつきかけた口元を咄嗟に誤魔化すよう顎に手を添えた。一方の波江は特にリアクションもなく、冷めた目をしてじっと佇んでいる。見るからに近寄りがたいが顔とスタイルは整っており、聡明さを感じさせる高嶺の花といった印象だ。わざわざ顔がいいだけの役立たずを雇用するわけもないだろうから、実際相当の才女なのだろう。足立は波江をまじまじと眺めてから臨也に語りかける。
「ふうん。美人だし、仕事できそうだし、オンナ侍らして日中二人きりとか良いご身分だなあ。ひょっとしてプライベートでもよろしくしちゃってたりするの?」
「気色の悪いことを言わないでくれるかしら。初対面の相手によくもそう低俗な話ができるわね。こいつを煽りたいからと言って無関係の私を出汁にするのはやめなさい」
間髪入れずに飛んできた非難。予想はある程度できていたが、思いの外苛烈な視線を受け足立は返って舌を巻いた。どうやら彼女もこの男のろくでもなさは承知済みらしい。あからさまな挑発に対する嫌悪と威嚇は当然であるが、眼の前にいる雇い主を「気色悪い」とバッサリと切り捨てる潔さに寒気を覚えた。
「ッフフ、ああもう、ダメダメ! そんな下手な冗談じゃ波江さんを怒らせるだけだよ。この人、自分の弟にしか興味ないから。
それにさ、実際そうだったら、足立さんとしてはむしろ願ったり叶ったりじゃないか。冷やかしてなんの意味があるの?」
さて、当の臨也はと言えば「あんまりにも無理やり過ぎて俺はまあまあ面白かったけどね」などと言って口元に手をやり、可笑しくてたまらないというふうに肩を震わせている。波江は呆れ返った様子で小さく溜息を吐くと、何も言わずにキッチンへ足を向ける。彼女が最後に向けた眼差しには僅かに憐憫が差していて、足立は苦虫を噛み潰したような顔をした。それを見た臨也はますます満足げな表情を浮かべる。
「ホント、足立さんって結構人が良いよね。
三琴のこと気にかけてくれてるんだ」
「
……しょうがないでしょ。どっちつかずだろうとどうでもいい、って言っちゃったんだから。
僕には正直、君のどこが良いんだか全然わかんないけど」
「やだなぁ、勿論俺だって
三琴を何より大事に思ってる愛してるさ。だから今みたいな心配は無用だし、もしもいつか
三琴が足立さんを選んだなら、その時は諸手を挙げてお祝いしよう。
好きな子を悲しませないためなら気に食わない相手のことも無視できない、貴方みたいな『人間』なら大歓迎だ」
足を組み替え背もたれに全身で寄りかかり、手振りを含めて饒舌に語る。そんな臨也を足立が半眼で見ても、彼の方はもはや足立を見ていない。即ち彼の目には今ここにはいないはずの少女、平和島
三琴その人の像だけが映されている。足立はぞわりと肌が粟立つのを感じた。全て本気で言っているだけにたちが悪い。さも親しげに祝福を謳う甘やかさ、そこに煮詰められた醜悪さが纏わりついて不快だった。
「そりゃどうも。今後も精々、あくせくと働きますよっと」
何もかも君の思い通りになるかはともかくね、とわざわざ口に出すことはしなかった。そうしてひとまずその場しのぎの適当な相槌だけを呟いた瞬間、不意にふわりとほろ苦い香りが鼻を擽る。
とにもかくにも、今日はコーヒーを飲んだらさっさと帰ろう。足立は彼にとっても大事な存在である少女の顔を思い浮かべてそっと心に決めた。
<了>
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