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黒竹
2022-05-30 22:24:19
27656文字
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プロセカ
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#1 fastidiousness
【プロセカ】【みのはる】【fastidiousness】
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屋上へ続く階段の踊り場は、窓もなくコンクリート打ちっぱなしの壁のせいか夏でも少しひんやりしている。涼しい、とまではいかないが、日差しも避けられるし居心地は悪くない。
桐谷遥は本を読みながら他の子たちが来るのを待っている。人が寄ってくるのが嫌で屋上に来ていたのに、今では人を待つために屋上の手前にいるのだから不思議なものだ。考えなければならないことは山ほどあるけれど、それと同じくらい毎日が楽しい。困ったことに桐谷遥にとってそれはほぼイコールだった。企画を考えたり、動画編集の勉強をしたり、ダンスの練習をしたり、今だって練習スタジオのあてを頭の片隅でリストアップしている。そのどれもが苦ではない。
──いけない、また雫に心配されちゃう。
せっかく本を持ってきて休憩がてら待とうとしているのに、自分で気づいて苦笑した。努力だと思っていないから止まらないし、意識して歯止めをかけないとどこまでも進んでしまう。
ぱたりと本を閉じる。階段の手すりにもたれかかって、ゆっくりと息を吐いた。
「もしかして短所かな、これは」
まあ長所でも短所でもどちらでもいいのだけれど。
どちらだろうと、どうせ彼女は。
「遥ちゃん」
足音で気づいていたから声をかけられても驚きはしない。首だけを階段の下に向けて微笑む。
「みのり」
「愛莉ちゃんと雫ちゃんはまだ来てない?」
「うん、二人からは特になにも連絡ないから、もう来るんじゃないかな」
そっか、とみのりがうなずき、靴の爪先が少しだけ迷った。気軽に隣へ座れないみのりのために遥が立ち上がる。
顔を合わせるだけで緊張して何もできなくなるようなことはなくなったものの、未だ花里みのりにとって彼我の間には越えられない川があるらしい。それに対して言いたいことのひとつやふたつ、みっつよっつはある桐谷遥だったが、何も口にしたことはない。
ひとつでも伝えてしまったら、彼女の顔が曇ることは分かっていたので。
みのりの首にかかっているタオルに目を留めた遥が、軽く伏し目がちになった。
「みのり、もう汗かいてる」
タオルを奪って顔と首元をくしゃくしゃ拭いてやる。「わわっ」視界をふさがれたみのりが慌てたように両手をさまよわせた。
「もう夏だね」
「うん、ここまで階段を上ってくるだけでもけっこう汗ばんできちゃう。
……
あの、遥ちゃん、もう大丈夫だから」
さまよっていた手が意を決したように一度止まって、タオルを離さない遥の手首を掴んできた。わざと抵抗するように腕を引くと、そのまま引っ張られた彼女の手の力が無意識に強まる。
バランスを崩したみのりが体勢を立て直すために一歩近づいて。
「ひゃあああ!」
「近い、近いよ!」眼前に迫った見目麗しい顔に耐えられず絶叫した。
「遥ちゃんなんでいつもそんなに近いの!?」
「今のはみのりから近づいたんだよ?」
「そうでした
……
」
もじもじ離れるみのりに遥が肩をすくめる。彼女は知り合ってから遥のいろいろな表情を見られて嬉しいとよく喜んでいるが、それはこちらも同じだ。彼女の百面相が可愛くてたまらない。どんな表情でも、そのどれもが愛しい。だからついついこうしてからかってしまう。その後はかすかに自己嫌悪。好きな子に意地悪をして喜ぶなんて、小学生じゃあるまいし。
「あ、ごめんみのり。髪の毛乱れちゃったね」
「ん? 平気だよ、どうせ練習始まったらボサボサになるし」
みのりは首を振ったけれど、遥は手を伸ばしてみのりの髪を手櫛で梳いて直してやる。「はわ
……
」照れくさそうにみのりが首をすくめた。
薄く開いた唇から吐息が洩れる。
こんなことでもして誤魔化さないと、どうにかなってしまいそうで。
頭を撫でたいとか、手をつなぎたいとか。
いつか愛莉にこぼしてしまったそれすら、理性が働いていた。
本当は、本当の欲求は。
窓もない屋上前の踊り場は薄暗くて肌を焼く熱もない。
だからこの喉の奥でじりじりと痛むのが、夏のせいじゃないと分かりきっているのが、切なかった。
レッスンスタジオのように鏡を見ながら練習できるわけではないので、動きの確認は撮影した動画を見て行うことになる。
今日も四人は膝突き合わせてスマートフォンの小さな画面を覗き込んでいた。
「雫はここのターンがワンテンポ遅いわね」
「そうね、どうしても軸足の移動で少し止まっちゃうの」
「原因は体幹とバランスかな。雫用に筋トレメニュー考えようか」
「みのりはまだここのステップが苦手、と」
「うう、ごめんなさい
……
」
「謝るようなことじゃないよ。少しずつ良くなってるし、練習すれば大丈夫」
愛莉が立ち上がって居丈高にみのりを見下ろす。見られているほうはきょとんと首を傾げていた。
「みのり、教えてあげるわ。一緒にやりましょ。遥と雫は筋トレメニュー考えといて」
屋上の中央付近まで進んだ愛莉が、みのりに向かって手招きする。
手招きについていったみのりの背後に愛莉が回り、その腰をしっかりと捕まえた。
「ふえっ!? 愛莉ちゃん、なにを!?」
「鏡がないから横でやってても見えにくいでしょ? ステップだけやるから合わせて。はいワン、ツー」
「わわっ」
面食らいながらもみのりが必死に愛莉の動きを追いかける。複雑なステップだから時々みのりが愛莉の足を踏んでしまって大いに慌てたが、愛莉は平然として「いいからステップに集中して」と気にもしなかった。
ぴったり密着しながらステップをおさらいする二人。
ひとつずつ丁寧に繰り返していくと、やがて愛莉が足を踏まれる回数も減ってきた。
「愛莉ちゃん、できてきた気がします!」
「うん、その調子よ、みのり」
みのりに愛莉が後ろから抱きついてステップを踏む姿は、知らない人が見たら遊んでいるようにしか見えないが、本人たちはいたって真剣。流れる汗がその証拠だ。
カウントの声とスニーカーが屋上のコンクリートを踏む音をバックに、遥は筋トレ動画を雫に見せている。
「このへんとか参考になると思う」
「ありがとう、遥ちゃん。おうちでも見たいけど
……
しぃちゃんにお願いすればいいかしら」
「アドレスは雫に送っておくから。見られなかったらメニューを紙に書き出して渡すね」
さすがに遥もそばにいない時の機械音痴はフォローできない。
ステップの練習をしていた愛莉が戻ってきた。ドリンクボトルを手に取って唇を湿らせる。水分補給の休憩らしかった。みのりはひとりで反復練習を続けている。
「みのり、良くなってるわよ。もう一度四人で合わせてみましょうか」
「こんな短時間で? すごいね、きっと愛莉ちゃんの教え方が上手なのね」
雫の弾んだ声に愛莉は無言で肩をすくめ、「雫、みのりとシンメだから一回並んでやってみて」「ええ」雫がみのりの隣に向かう。
動画の再生を止める遥の横で、愛莉は視線を明後日の方向に流している。
「怒らないのね」
「え?」
「わたしや雫がみのりとくっついても、妬かないじゃない」
遥は言われたことの意味が分からなかった。それを伝えるために首をかしげる。愛莉はこちらを見ていなかった。
「妬くもなにも、練習してるだけでしょ?」
「そうだけど。ちょっとくらい、嫌だなーとか思わないの?」
顎に手を当てて考え込む。嫌なものなのだろうか。みんな真剣にストレッチやレッスンをしているし、どこが当たったとかどこに触ったとか、そんなことを気にしたことなんてなかった。みのりが自分たちに対してまだ憧れやファン心理のようなものが強いのはよく分かっている。だから愛莉たちと触れ合ってはしゃいでいても、別段なにかを思うこともない。
「おかしいかな?」
「
……
さあね」
でも、と、愛莉はため息のように声を吐く。
「自分自身には妬いてるわけか」
針先で皮膚の表面を刺されて、丸い血が浮かぶようなイメージ。
大怪我ではないし痛みも大したことはない。出血だってすぐに止まる。
だけれど痛いし血は出ているし傷はたしかにそこにある。
そういう愛莉の言葉だった。
前にも同じことを言われたことがあるけれど、もうその意味は変わっていた。
「別に、遥がどうしようと勝手だけど。覚えておいてね、今のわたしたちは自分たちで決められるってこと」
「
……
うん。分かってる。大丈夫」
目を閉じて、開く。
大丈夫、ちゃんと決められる。
不意に突風が吹き抜けた。「わぷ!」愛莉が自身の長い髪にはりつかれて悲鳴を上げる。遥も思わず目を眇めた。空風が砂埃を巻き上げる。この季節には珍しい。この頃は風も穏やかで、颯々とした薫風ばかりだったので油断していた。
帰りに捨てるつもりでベンチに置いていた空のペットボトルが飛ばされてコロコロ転がっていく。遥がそれを追いかけて手を伸ばした。ちょうど行き先にみのりの足があり、スニーカーに当たって止まる。
ペットボトルを拾い上げて腰を起こすと、みのりが右目を押さえてうつむいていた。
「みのり? どうしたの?」
「砂が目に入っちゃって。大したことないよ、大丈夫」
「あ、こすっちゃ駄目だよ、傷がついたら大変」
右目を覆っていた手をはずさせて、そっと目を開かせる。細かい砂なら涙と一緒に流れ出るだろう。下手に触らずそのままにしたほうが良い。
「は、遥ちゃ
……
」
「じっとしてて」
みのりの右手を捕まえたままじっと目を見る。やがて、右の下まつげがゆらりと濡れて、涙が一粒、みのりの頬を流れた。
「
……
あ、もう平気みたい」
まばたきをしながらみのりが小さく口元を緩め、遠慮がちに右手を下ろそうとしてきた。
遥は指先にこめた力を弱めない。
「あの、遥ちゃん、もう砂も取れたし、大丈夫だよ
……
?」
「──うん」
そういえば彼女の泣き顔は見たことがなかった。
頬を伝って落ちた涙。
苦労して指先から力を抜く。
みのりは腰に差していたタオルで目元を拭い、遥になにか言いたげな視線を向けてきた。手にしているタオルはピンク色の無地だった。
「どうしたの?」
意識的に、みのりのまだ潤んでいる目を覗き込む。
「また、されると思った?」
声をひそめて、どこか蠱惑的な声を作って尋ねると、彼女の耳がわずかに赤らんだ。
以前、一度だけ触れたまぶたの感触を遥が忘れられないように、彼女もまた、それを深く刻まれている。
そうしたかったわけではない。あの時は本当に眠っているのだと思っていた。気づかれていたと知った瞬間は罪悪感も覚えた。
ただ、ただ、彼女があまりにも、あんまりな顔をするから。
みのりは答えず、タオルに顔をうずめてしまった。いよいよそこには拒絶が生まれ、けれどそれが本当ではないと二人とも分かっている。
花里みのりが桐谷遥を拒絶することはない。
それを分かっているからこその、それぞれの
みせかけ
ポーズ
だった。
あるいは
ためらい
ポーズ
だったのかもしれない。
うつむいているみのりのつむじを指先でつつく。「花里さん?」呼びかけると唸り声が返ってきた。なんとも複雑な声音の唸り声だった。他人行儀に呼ばれたのがショックだったのと、そんなことを気にするなんておこがましいと自省しているのと、自分がそうなるのを分かっていてわざと名字呼びをした遥への反抗心と、それでも憧れの人に呼ばれて嬉しい気持ちと、声に含まれた親愛をきちんと嗅ぎ取ったための羞恥心がすべて等分に混ぜ合わされた唸りだった。
遥はそよ風でも受けているような様子で目を細める。こういうところ、我ながら最低だと思う。
気分屋の散歩みたいな言動はすべて意識的だった。時々タガが外れてしまうのは修行が足りないなと自分でも反省するところである。そういえば甘いものを食べようと決めたときに似ている。普段の節制でなにか抑圧されている自覚はないが、一度ラインを超えてしまえば際限を知らない。摂取カロリーならいきすぎても後で挽回できるから良いものの、こと、花里みのりに関してはそんなわけにはいかないのだ。
だから慎重にならなければいけない。
そうは思うものの。
「いつまで隠れてるの?」
「うう
……
」
「みのりの顔が見れないと寂しいな」
きゅう、とみのりの喉が妙な音を立てた。見えている耳も首も、きっとタオルで隠れている顔もみんな真っ赤だ。沈黙はまだ気まずくて、みのりはタオルの内側で必死に言葉を探している。言葉なんてなくても、遥としては彼女の銀鼠の瞳が見られたら充分だった。指先で彼女の髪を遊ぶ。かすかな感触にみのりの肩が震えた。
「ひゃあぁぁ〜
……
」
握手会なら禁止事項違反で出入り禁止になるような行為にみのりが崩れ落ちそうになる。手首から先は厳禁なのだ。友人同士ならなんの意味も持たないような、戯れですらないスキンシップなのに。
髪の毛を遊んで、こめかみに触れて、肩に手を置く。ここまで耐えられるようになったのだから大したものだ。はじめの頃は目が合うだけで固まっていた。
こうして少しずつ慣れていくんだろう。きっとそのうち隣に並んでも頭を撫でても肩に触れてもいっそ抱きしめたところで、みのりがなんら動揺しない、ただの友人としての距離感が生まれる。
さすがに希望的観測である。そんなのを待っていたらいったい何年かかるか。
そしてそうなったところで、結局、自分たちは何も変わらないのだろう。
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