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黒竹
2022-05-30 22:24:19
27656文字
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プロセカ
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#1 fastidiousness
【プロセカ】【みのはる】【fastidiousness】
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浮かぶヴィジョンは一面の花畑。澄んでいて、広大で、かわいらしくて、純粋なもの。そういう象徴。
けれどそれをかたち作るなにひとつ、足元に咲く花の花びら一枚さえ、手に取ってしまったらすべてが台無しになるのだと、桐谷遥は知っている。
レッスンを終えて、流れた汗を拭くみのりの姿に、ふと目を留める。
「みのり、そのタオル」
思わず声をかけると、みのりは額を拭いていたタオルを下ろして「うん?」というふうに視線を送ってきてから、遥が言おうとしていた言葉に気づいて相好を崩した。
「あ、これ? うん、ASRUNのライブグッズの推しタオルだよ」
「もちろん遥ちゃんの!」胸を張ってやや興奮気味にタオルを広げて見せるみのりに小さく苦笑が出る。自分の中ではすでに思い出となっているそれを、みのりは大事そうに頬に当てている。
「これは使う用で、おうちに保存用と飾る用のがあるんだ」
「そ、そうなんだ」
「うん! ファンとしてはそれくらい当然だよ。遥ちゃんはグッズの売上とか気にしてなかったと思うけど、応援したいって気持ちがあると自然とこうなっちゃうんだよね」
「
…………
」
ありがとうと応えるか、少し悩んだ。
みのりが話しているのはASRUNの桐谷遥のことだ。『彼女』のファンとしての心得と心理。それを今の自分が我が事として受け止めていいものか、ひっそりと逡巡する。
夏の屋上は暑くて油断するとめまいがしそう。首の後ろがジリジリと焼け付く。日焼け止め、塗ってたっけ。
こめかみから汗が落ちて、「ちょっと借りていい?」みのりの手にあるタオルを引き抜く。
髪の先をつたう汗にタオルを当てる。「はわっ」みのりが一瞬で首から上を紅潮させた。
「はっ、ははっ、遥ちゃんの汗がわたしのタオルに! どうしようもう洗えない!」
「え、ちゃんと洗おう? 汚いよ
……
?」
「遥ちゃんの汗は汚くないよ!」
「あは
……
」
アイドル時代、ファンの子と握手をした時に一生手を洗わないとか宣言をされたりしていたし、まさか本気ではないと思うけれど、なにせみのりなので一抹の不安を覚える遥だった。
コロコロと表情を変えるみのりに口元をほころばせながら、遥はそっと後ろ手に右手を握る。
「このライブのとき、サプライズで新曲発表があったんだよね。わたし感動で泣いちゃったんだ。遥ちゃんがすごくきれいでかっこよくて、振りもすぐに覚えて友だちと振りコピしてたし、今でも遥ちゃんのパート踊れるよ! やってみせようか? あ、もちろん、遥ちゃんみたいに上手じゃないけど」
興奮してきたのか身振り手振りを交えて熱弁してくるみのり。
遥は眉尻を下げた笑顔で首を振った。
「ふふ、嬉しいけど、今日はレッスンで疲れてるからまた今度にしよう。ちゃんと身体を休めないと明日に響いちゃうよ?」
諭すように言って軽くみのりの肩を叩く。それだけで彼女のテンションは限界域に近づき、双眸がかすかに潤んだ。
少しだけ上目遣いで送られるその潤んだ眼差しに、胸の内がざわめく。
『これ』に違う意味があったら、なんて。
瞳を覆う透明な膜は思い出が理由だし、上目遣いになるのはただの身長差だ。そんなことは分かっている。
距離感がつかみにくい。
自分と彼女の距離感と、自分自身の内と外の距離感。
彼女は「遥ちゃん」を好きだと、こんなにもまっすぐに届けてくれているのに。
それは、嬉しいはずのことなのに。
「みのりー、この間上げた動画にあんたのファンからコメントついてるわよ」
不意に後方から声がかかり、みのりがパッと顔を輝かせた。つられて遥も声の主を探す。首を巡らせた先で、愛莉がスマートフォンを掲げていた。
「あ、あの子かな
……
!? 愛莉ちゃん、見せて!」
飛び跳ねそうな様相でみのりが愛莉からスマートフォンを受け取る。食い入るようにコメント欄を覗き込むその姿に、遥は細長く息を吐きながら肩の力を抜いた。
意識しなければそうできなかった。
「要は自分に嫉妬してるんでしょ?」
小さなランチボックスから卵焼きを持ち上げつつ、桃井愛莉はなんでもないことのように言った。
「そう
……
なのかな」
ブロッコリーにフォークを刺しつつ、桐谷遥は釈然としない面持ちで首をかしげた。
「そうよ。まったく、最近妙に浮かない顔してると思ったら」
「そんなにいつもと違ってた?」
「傍から見てる分にはね。みのりは気づいてないでしょうけど。盲目だもの、あの子」
雫も天然だから気づいてないわ。面倒見の良い苦労人は、だから自分にお鉢が回ってきたのだと理解している顔で言う。
「あなた、推し変されたことある?」
「え?」
「ASRUNにいた頃、あなたを好きなファンが他のメンバーに行っちゃったこと、ある?」
唐突な質問に目を丸くしながら、遥はそれほど遠くないはずの記憶を探る。
「ど、どうだろう、あったかもしれないけど、はっきりとは思い出せない」
「じゃあ、他の子のファンだった人が、いつの間にか自分を推してたことはあった?」
「そ
……
それも、分からない
……
」
「そう」
野菜ふりかけのかかったご飯を噛みしめて、愛莉は深くうなずいた。
「要するに、みのりにそのどっちも感じてるってことよ。わたしなんか推し変されるのもしょっちゅうだったし、バラエティを見て面白がって寄ってくる人もけっこういたから慣れてるけど、遥はそうじゃないものね。ま、慣れよ慣れ。そのうちみのりのアイドルオタク仕草にも慣れるし、仲間としての距離感もつかめるわよ」
そんなに気にすることはない、と、愛莉は先輩風を吹かせながら語る。実際に先輩なのだが、そういう意味とは別の、アイドルとしてくぐり抜けたり飛び越えたりしたハードルの話である。
「慣れ
……
」
サラダチキンが妙に口の中に残って、いつまでも飲み込めない。
無理やり喉の奥へ押しやって、つぶやく。
「慣れるのかな」
「え?」
「慣れたら、みのりの頭を撫でたいとか、一緒に出かけた時に手をつなぎたいとか、そういうことを思わなくなるのかな」
ランチボックスの中身はすべて空になっているのに、愛莉の喉がゴクリと大きく鳴った。
愛莉の眉根が開き、唇が真一文字に結ばれる。
己が得意満面で後輩にしてあげたアドバイスがまったくの的外れだったと気づいた顔だった。
桃井愛莉はバラエティ番組で重用されるくらい、場の空気を読むのがうまくて、人の心の機微を察するのにも長けていて、相手の発言から意図を読み取るだけの聡明さがあった。
だから遥の発言に込められた真意すら容易に読み取れる。
「は、遥。ちょっと、それって」
うっかり表に引っ張り出そうとしてしまって、それが悪手だと気づいてとっさに口を閉じた。
遥は愛莉の焦燥に気づかないままフォークを手元で遊ばせている。
「もちろん、ASRUNで活動してきたことには誇りを持っているし、今は後悔もしてない。けど
……
あんなふうに『あの頃』の私ばかり見られてると、少しモヤモヤする」
「な、なるほど」
「みのり、私が唐揚げを食べさせただけで口をきけなくなっちゃうんだよ」
愛莉が大口を開けて天を仰いだ。声にはしないまま「たすけて」と誰かに訴えるが、あいにく誰にも届かなかった。
屋上に出て、空を見上げれば雲ひとつない青空だった。思い出にある一面の海も大好きだけれど、こんなふうにどこまでも広がる蒼穹も気持ちが良い。遥はその場で大きく伸びをして、ひとつ息をついた。
今日はみんなで行うレッスンは休みにしていて、だから自主練のつもりでやってきたのだけれど、すでに先客がいた。
屋上のフェンスにもたれかかって目を閉じている。小さく開いた唇からは規則正しい吐息が洩れていた。その吐息は桐谷遥の胸の真ん中に甘苦い蜜を垂らす。傍らに置かれたイヤフォンとスマートフォン。行儀が悪いと思いつつ、みのりのスマートフォンの画面に触れる。ロック画面に表示されている音楽アプリ。表示されてる曲名は懐かしい。
また今度と遥が言ったから、振りコピの練習をしていたんだろう。それを律儀さだと思うべきか、他のなにか、友情みたいなものだと思えばいいのか、遥には分からない。そのどちらでもなければいいのにとは思う。
みのりを起こさないようにそっと彼女の前にしゃがみこんだ。いつも覗き込むとすぐに照れてそらされる顔は、今は微動だにしない。だから好きなだけその顔を眺める。同級生で、恩人で、仲間である彼女。
それだけじゃないことを桐谷遥はもう知っている。
揃った膝に置かれた彼女の両手に視線を落とす。バラバラにちぎれていた自分を掴んで離さず、つなぎとめてくれたその手。見渡す限りの青を見せてくれた。何を言われても諦めずに、何一つ手放さなかった。
それは。
それは、誰のため?
「──みのり」
静かに静かに、凪いだ海みたいに、彼女の右手に触れる。
「私がここにいるって、知ってる?」
ステージを埋め尽くす青、彼女の部屋を埋め尽くす青。
それら青は、たしかに桐谷遥を表すもので、花里みのりがなによりも大切にしてくれていると、それは明らかなのだけれど。
彼女の手が持つ情熱はその青のなにひとつとして燃やしはしない。
触れている手の甲をゆるゆると指先でなぞる。
自分自身を最低だと思う。
だからせめて言葉にせずに。
ただ黙って、彼女のまぶたに唇で触れた。
なにも壊さないように、傷ひとつつけないように。
そうしてしまえばすべてが終わると、桐谷遥はそう信じていた。
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