黒竹
2022-05-30 21:13:57
19064文字
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フォルテッシモじゃ強すぎる

【ルカミク】現パロ。アイドルミクさんとピアニストルカさん。


 バスルームを使わせて、リビングに戻ってきたミクへマグカップを差し出す。なみなみとそそがれたホットミルクに、彼女は「子ども扱いして」と少々不満そうに呟いた。
「でも好きでしょ?」
「そうだけどね。……あ、お砂糖ちょうどいい感じ。おいしい」
 さっきとは打って変わってふにゃりと相好を崩した。ちょっとぬるめで砂糖はスプーン二杯。甘ったるいそれが好物だと知ったのは雑誌のインタビュー記事だ。ここではいつも紅茶をリクエストされていたから、てっきり紅茶党なのかと思っていた。
「言ってくれればいつでも作ったのに」
「太るから控えろってプロデューサーに言われてるんだよね。うちにいると結構飲んじゃうけど、ここだとルカさんがいるから我慢しちゃう」
「どうして? 別に私、牛乳嫌いとかじゃないけど」
 首を傾げたらミクは横目でじっとりと睨んできた。
「そのプロポーション見せつけられて、不摂生なんかできません」
 軽く返答に困る。特に気をつけていることがあるわけでもなく、別段、己のスタイルに誇りを持っているわけでもない。
 ルカが貸したパジャマの袖から指だけ出してカップを包む手が口元に近づく。冷ますほどでもないそれを一気に飲み干したミクは、テーブルにカップを置くとその場で大の字に寝転がった。伸びをした拍子に裾が少しめくれて腹部が覗く。ルカはさりげなく視線を彼女から外す。
「ねールカさん」
「ん?」
「アイドルって人を好きになっちゃいけないの?」
 酷な質問をする、と、ルカは胸中で苦虫をかみつぶした。
……そんなことないんじゃない? 結婚する人だってたくさんいるわけだし」
 聞き分けの良い大人のふりで答える。
「そうだけどー。やっぱ十六とかで……あ、でも十六歳って結婚できるよね、たしか」
「法律上は一応ね」
 「じゃあもう結婚しちゃおうかなー」ゴロゴロ転がりながらとんでもないことを口走るミク。「えっ!?」椅子を鳴らして立ちあがったルカに驚いて、ミクの動きが止まった。
「ミ、ミク、そういう人いるの!?」
「いないけど。そしたら色々言われなくて済むかなって思っただけ」
 いたらルカさんのところに来ないよ。苦笑とともに言われて、ホッとしたのが半分、ショックを受けたのが半分。そのどちらも渋面で覆い隠して、ルカがまた椅子に座り直す。
 転がるのに飽きたのかミクが身体を起こした。背後からルカに抱きついて、こちらの両腕を取って操ってくる。
「ちょっと気晴らしにピアノ弾いて?」
「何時だと思ってるの? 防音っていっても完全じゃないから、さすがに近所迷惑よ」
「えー」
 ミクはつまんない、と頬を膨らませると、そんな表情のままピアノを置いてある部屋に入ってしまった。「ちょっと、ミク」悪戯をされてはかなわないとルカがその後を追う。
 室内ではミクがピアノの表面を撫でていた。女性の曲線をモデルにしたとも言われるそれを撫でる手つきに妙な色気を感じてしまって、面映ゆい感覚を持て余す。
「ピアノってなんか安心するよね。お母さんに抱っこされてるみたい」
……まあ、そうね」
 「よいしょっと」ミクがおもむろにピアノの下にもぐりこんだ。床へ横になってピアノの裏側を覗いてる彼女は感心したように「おー」とか言っている。
……楽しいの?」
「けっこう。裏側って初めて見たけど、こんなふうになってるんだね。うわー、いつもは見下ろしてるから、なんか変な感じ。ちょっと秘密基地みたいで面白いかも。ハマっちゃいそう」
 なんでも楽しめる、この柔軟性は少し見習いたいものだ。ルカの場合、調律の具合を確認する時やフットペダルの調子が悪い時など、裏側どころか内側まで見るが、そこに何か面白みを見出したことはない。
 しばらく待っていたがミクはそこから出てくる気配がない。仕方なく椅子に腰かけて彼女が飽きるのを待つ。
 手遊びのようにメトロノームの針を外した。規則正しくリズムを刻み始める。カウントは数えていない。
「っ!?」
 突如襲われた感覚に飛び上がりそうになった。ストッキング越しに撫で上げられた脛、余韻を残す足を引いてピアノの下を覗き込むと犯人を睨みつける。「ミク!」
 悪戯を仕掛けた本人は悪びれるでもなく、かといって無邪気に笑っているわけでもなく、奇妙に煌めいた双眸をこちらに向けていた。
 ルカの背中に怖気が走る。
 ああ、この眼。これは。
 『愛される者』の眼だ。
 圧倒的に、絶対的に、自分自身の愛され方を知っている者の眼。たちが悪い。このタイミングでそんな視線を送ってくる彼女の狡猾さと、それに流されそうになっている己の弱さが。
 振る舞いの切り替えが早すぎて追いつけないのだ。天使のように笑ったかと思えば小悪魔のように見つめてくる。どちらかに対応しようとしているうちにいつの間にか切り替わっていてまた振り回される。足がすくんでいた。その動かない足をミクの人差し指と中指が這い上がってくる。軽く持ちあげられて、甲に口づけされた。
「──っ、ミク、変な悪戯しないの」
「だってルカさんがピアノ弾いてくれないんだもん」
「私のせいだって言うの?」
 とんでもない言いがかりだった。ピアノの代わりにその身で慰めろというその傲慢さときたらない。周囲の声がうるさくて仕方ないから、一晩かぎりの結婚をしろと命令してくる幼さに、ルカは義憤に近い、ひどく理性的な怒りを覚えた。
 馬乗りになって殴りつけてやりたい。勝手なことを言うなと、そんなことで自分の『特性』を利用するなと。
 こちらの想いを、ないがしろにするな、と。
 常識的な怒りである。
 つまり、『相手の気持ちも考えろ』、という。
 それを言えるか? 言えるわけがない。この激しい怒りの源は常識的でありながら理不尽だ。知らないものを慮れという方が無理なのだ。不毛な怒りだった。不毛な恋だったから。
「馬鹿なことしてないでもう出てきなさい。明日は撮影があるんでしょう? ちゃんと寝ないと駄目よ」
「ルカさん、なんでこっち見ないの?」
 くだらない揺さぶりをかけてくる彼女には取り合わない。右足が動かない。彼女に捕まえられているせいだ。
 つま先から踵までなぞられて、ふくらはぎのあたりまで撫で上げられる。雷に打たれたような刺激。は、と思わず息をついた。
……ミク……っ」
「ねえ、こっち見て。こっち向いて」
 色めいた呼び声。ゆるりと触れてくる指先を感じるたびに鼓動が跳ねる。違う。彼女は慰めてほしいだけでルカを求めてなどいない。子が母に抱かれて眠るその安心感、それと同じものを欲しがっているだけなのだ。それは、そんなものは、与えられない。
 ぐい、と右足を引っ張られた。唐突だったのでバランスを御しきれずに椅子から転げ落ちる。尻もちをつくのは避けられたが、彼女の領域に引きずり込まれてしまった。アリ地獄にはまった気分だ。
 「つーかまえた」首筋に腕をまわされて動きを封じられる。ピアノが彼女の顔に不思議な影を作っている。押しのけようとするけれど存外ミクの力が強くて叶わない。
「ふざけないで」
「ふざけてなんかないよ。安心したいだけ」
 ピアノとルカさんが必要なんだよ。ミクが陶酔に似た口調で囁いてきた。そんな意味じゃないと判っているのに、感情は素直に喜びを覚える。
「ね、『わたし』は人を好きになっちゃいけないと思う?」
 壮絶な質問にルカは絶句する。
 彼女はどう答えてほしいのだろう。己はどう答えたいのだろう。
 いつしか声を発することができなくなっていた。彼女もまた無言だった。メトロノームの音だけが響いていた。いつかの静謐さはなかった。不純と不実と不粋と不穏があった。つるりとしたまなこが見上げていた。誰でもなく、なんにでもなれる彼女。ルカの求める姿を取ることなどたやすい。
 そうだ。これはルカの願望だ。こうしたかった、抗しがたかった、飢えていた、憂えていた、愛しかった、意図を叱った。好きだった。好きだ。
 バスや電車の中で具合が悪くなった時に似ている。逃げ出せない密室の中で、我慢しよう、耐えようと踏ん張っていて、ふと、もういいや、と思ってしまう瞬間が訪れる。そう思ってしまったら最後、身体中から力が抜けて倒れ込んでしまうのだ。
 何も考えられなかった。ただ薄暗い影の中で、愛される者の瞳が強い光を放っていた。
 キスをしたらあとは貪るほかになかった。
 はだけたパジャマの隙間から触れた肌は冷たかった。それが悔しくて、唇と指でいたるところに触れた。ささやかな胸の奥で鳴る心音が激しくなることを願った。衣擦れを恥じらう余裕すら与えたくなかった。声を聞きたかった。どうせ防音だ。
 ミクがすがるようにきつく手を掴んできた。握り返したタイミングで、固く閉じていた彼女の両目が開く。
「ね……ルカさん」
 切れ切れの吐息が混じる声に、触れていた手を止める。「なに?」粘度の高い熱に浮かされながらその双眸に魅入られる。
「名前、呼んでよ」
「? ミク?」
 願いを叶えたつもりだったけれど、彼女は小さく首を横に振った。
 両手で頬を包まれる。
「そうじゃなくて、そういう、ただの音みたいに呼ぶんじゃなくて。あの時みたいに、ちゃんと呼んで」
 あの時がどの時なのか判らず答えあぐねていたら、ミクはしょうがないな、という顔をした。
「この前の……雷の日みたいに」
「え……、ミク、あの時聞こえてたの?」
 眼を瞠るルカにミクはくすくす笑って頬を撫でてきた。「耳ふさいでたから声は聞こえなかったけど、顔は見たよ」
 どんな顔をしていたのか、想像したくもない。
 ミクの首筋に顔をうずめる。「じゃあ、知ってたのね」「うん」脇腹をいらうと彼女が小さく息を詰めた。
「だから、こんなことを?」
「どうかな。そうかも」
 ふざけた話だ。
 するりと下着の中へ手を滑り込ませる。これまでの行為で彼女の身体はひどく反応していて、その証拠が指先に感触として伝わった。短い嬌声がミクの喉から断続的に飛び出る。熱い。擦ってやるとひときわ大きな声が上がる。反らされた喉に噛みつく。ピアノに守られて、二人の声は他の誰にも聞こえない。彼女の手が空をつかむ。耳の裏側を舐めた。風笛みたいな甘声が上がる。
……ミク」
 二度と言わないと決めていた。あの日限り、何があろうと告げることはないと。
 それなのに今、彼女の耳元でささやいている。
 情けなくて泣きたくなった。
 それなのに今、彼女はくすぐったそうに笑っている。
「ん。……それ」
 安心する。満足そうに彼女は言った。
 衝動だけの行為は、夜の黒とピアノの黒に包まれて、誰の目にも留まらない。
 彼女の中に這入った時、ルカは己の自尊心が瓦解したことを悟って泣いた。
 ピアノを弾くためにあったこの指は、彼女の肌を知ってしまった。
 もう彼女のこと以外考えられそうにない。