黒竹
2022-05-30 21:13:57
19064文字
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フォルテッシモじゃ強すぎる

【ルカミク】現パロ。アイドルミクさんとピアニストルカさん。


 ミクのプロデューサから連絡があったのは午後十一時。それまで方々を探したそうだが見つからず、そちらに来ていないかと尋ねられた。
 受話器を耳に当てながら、ルカは戸惑い混じりの否定を告げる。
「今日はこっちには来てませんけど……、いったいどうしたんですか?」
『どうもネットの噂の件で友達になにか言われたらしい。赤の他人ならいざ知らず、けっこう仲のいい子だったみたいだから、ショックが大きかったんじゃないかな』
……あぁ」
 苛立ちと失望。無神経な友人への憤りと、自分を頼ってくれなかったミクへの落胆が同時に訪れて、胃の裏側が薄暗く澱む。
 どうしてここに来てくれなかったのだろう。傷ついて、心を手折られて、そんなふうになって目の前で倒れてくれたら。
 抱きしめてあげられるのに。
 唇をかみしめることで薄闇の情動を捻り潰したルカは、できるだけ平静を装って彼女を探してみるとプロデューサに伝えた。彼はなにも気づかなかったようで「よろしく頼む」と簡単な一言だけを返して通話を終える。
 それからすぐにミクへ電話をかけてみたが、留守番電話サービスにつながるばかりでまったく応答がない。メッセージを吹き込んでみたりもしたのだが反応はなしのつぶてだ。
 どうしたものか、と頭を抱えたくなり、疲れた仕草でピアノの前に腰を下ろす。自分の足で探しに出るにしても、彼女の行きそうな場所など心当たりはない。このご時世、二十四時間営業のサービスなどいくらでもあるし、年齢確認もろくに行われていないところがほとんどだ。
 まあどこか一つ所に落ちついているなら、夜の街を徘徊されるよりは安心ではあるけれど、それにしたって妙なことに巻き込まれないとも限らない。
 嫌な想像ばかりが浮かぶ。いつかの雨の日、膝を抱えて涙を落とす彼女の姿が想起された。あんなふうに一人で縮こまっているのだろうか。それとも、ひょっとしたら誰かと一緒なのかもしれない。誰と?
「──……
 益体もないことを考えるものだ、と我ながら呆れた。
 誰といたって関係ないではないか。
 そこにいるのが誰であっても、自分じゃないなら耐えられない。
 息衝きをして、ピアノにもたれかかる。その仕草は大きな守り神に甘える子どもに似ていた。ルカが頼るのはいつだって光沢のある黒だ。どうしようか、と胸中でピアノへ語りかける。
 ピアノが恋人のようだ、と言われた過去を思い出した。四六時中いっしょにいて、片時も離れなかったせいだ。本当にそうなら良かった。それなら、こんなふうに悩まなくて済む。
 恋人ではなく保護者なのである。安定したフォルムと全てを包み込んでくれる音色。不安も寂しさも何もかも受け入れてくれるその包容力こそ、ルカがピアノに拘る理由だったのだ。
 ルカとピアノの蜜月を壊したのが初音ミクだった。癖の強い歌声が完全無欠だった世界に穴を開けて、それからルカは不安定になった。安定したリズムを保って崩れることのなかった鼓動が、時に激しくなったり時に切なく潜んだりするようになった。ピアノのために弾いていたピアノが、いつしか彼女のために弾くものになった。艶黒色はそれすら受け入れてくれる。
 身体を起こし、蓋を上げる。結局、これしかないのだ。己が両手は鍵盤を叩く以外の価値を持たない。
 もう一度ミクの携帯電話にコールを送る。予想通り、留守番電話になって、機械音が小さく聴こえた。
 オンフックにしている電話を置いて鍵盤へ指を乗せる。
 奏でるのは例のバラードだ。彼女と出会ってから数えきれないほど演奏したそれ。甘やかな恋の歌だが今はそのことに意味はない。
 いつも彼女に聴かせる時、ルカはあえて譜面を追うだけの演奏をしていた。自動演奏みたいに機械的な、感情のない弾き方をしていた。
 けれど今は違う。
 聴かせてはならないと思っていた音だ。メロディも歌詞も意味をなさなくなる、身勝手な想い。それを余すところなく指先から放出する。
 
 そばにいてほしい。
 
 一曲を弾き終えないうちに、規定時間がきて通話が途切れる。ルカはすぐにリダイヤルして再度ピアノの音色を録音した。それを何度も繰り返す。彼女はいちいち録音メッセージを聞いたりしていないかもしれない。ルカ以外にもたくさんの人がミクへ呼びかけているだろう。それらを全部聞くなんて面倒すぎる。
 一度でいい。一度だけ、フレーズひとつでかまわない。ただそれだけ聴いてくれれば。
 何度目かのリダイヤルをかけようとしたところで、着信音が鳴り響いた。
 期待していたはずなのに、ディスプレイに表示された名前を見た瞬間、口の中が苦くなる。気がつけば日付はとうに変わっていた。
「──もしもし」
『ルカさんしつこいよ』
 苦笑でごまかしきれない湿度をその声に感じ取って、小さく胸が痛んだ。
「今どこにいるの?」
 受話口の向こうから騒音のようなものは聞き取れない。むしろ静寂の中にいるようだった。繁華街にいるわけではないらしい。
 逡巡の沈黙の後でミクが自嘲気味に笑った。
『ルカさん家のそばの公園。ぶらぶらしてたらルカさんが何回もピアノの音聴かせるんだもん、勝手に足が向いちゃったよ。ハーメルンの笛吹き男みたい』
「ピアノは持ち歩けないから、街の外に連れ出したりはできないけどね」
 冗談だったのに、ミクは『残念だね』と本気の口調で応えてきた。どこかへ連れて行ってほしかったのかもしれない。
「近くにいるならうちに来なさい。みんな心配してるわよ」
『んー、どうしよっかな』
「ミクっ」
 煮え切らない態度に思わず声を荒げたルカへ、ミクが何か言いたそうな呼気を吐いたけれど、結局それは言葉にならなかった。ただ、叱られておびえたのではないことは伝わる。どちらかと言えば空虚感のある呼気だった。
 いらだち紛れに指先でピアノを叩きながら彼女へ語りかける。
「じゃあ、私が迎えに行くからそこで待ってて」
『やだよー、ルカさん怒るもん』
……怒らないから。あなたを心配してるの。こんな時間に一人で出歩いたりして、誰かに絡まれたりしたらどうするの」
『大丈夫だよ、周り誰もいないし。……ひとりでいるの、ちょっと楽』
「私はあなたをひとりにしたくないの」
 埒が明かない。埒もない説得を早々に諦めて、ルカは通話を続けながら玄関へ向かった。
 マンションから徒歩数分の公園に足を踏み入れると、果たしてそこに彼女はいた。見つけた瞬間ルカは目を丸くする。古ぼけたベンチに腰かけている彼女は、頭からペットボトルの水をかぶっているところだった。
 慌てて駆け寄りミクの手首を掴んで止める。「何してるの?」前髪から水を滴らせた彼女は亡羊とした視線でこちらを見上げてきた。
……ルカさんがこっち来るのが見えて」
「だから、どうして水を?」
「泣きそうになったんだけど、そういえば明日撮影だって思い出して、泣いたらまぶた腫れちゃうから冷やさなきゃなーって」
 意味が判らない。何もかも放り出して逃げ出したくせに撮影の心配をするとか、そもそもどうしてルカを見ただけで泣けてしまうのか。
 ハンカチで濡れた顔を拭いてやると、彼女の言葉通り、水に隠れていた涙がいくつも目元から落ちているのが判った。
 彼女はどうして泣くのだろう。叱りつけたわけでも感動的な助言をしてやったわけでもない、ここにいるだけだ。何もしていないのに、何もできないのに、己が彼女に何の影響を与えたというのだろう。
 鈍い動きで頭を抱き寄せた。「とりあえず、うちに来なさい。そのままじゃ風邪引くわ」
「とりあえず?」
 どこかからかいじみた口調で繰り返す彼女に、思わず溜め息が出た。
「ぜひとも。どうかうちに来てくれませんか?」
「喜んで」