望月 鏡翠
2023-07-02 11:31:41
17630文字
Public リアタイ
 

灰は灰に

ウルフレグニ/グレイハウンドの過去 1/#DRE_C_享楽主義


グレイ? ああ、あんな奴はくだらない。ただの雑魚。子悪党さ。

 彼らは私を懐柔し、味方にでもできるつもりでいた。敵の敵は味方の法則に従えば、グレイが私の敵であると納得させれば協力を引き出せるはずだった。
 しかし、彼らは私にコンタクトを取るたびに駆け引きで明かすべき情報を溢していた。
 彼らはグレイを探っている。
 なぜ彼のような男が、私と同じ企業に務めることができているのかを知りたがっている。
 記者たちは私はあの男の本質を見極められておらず、話を聞かなければ後悔すると言いたいらしい。
 つまり、グレイという男は叩けばホコリが出るような経歴を持っているということだ。おそらく記者たちはひとつ大きな勘違いをしている。私が口を閉ざしている理由は、同僚や部下のプライベートや経歴に関することを第三者に明かすことはできないというモラルの問題でしかなく、記者に何を話すのかは、マーケティング部門の広報課が企業イメージを考えて決めている。
 グレイという男が私や会社に悪影響をもたらす可能性があるのなら問題だが、その情報をもたらすのは記者ではないし、リスクの判断も会社の人間が行う。
 だが私はその件を上に報告しなかった。
 時期尚早。
 一体何が起こっているのか、把握してからでも遅くはない。内部監査部門に依頼をするのは、同僚という中立性を欠く視点が信用されず、仕事と並行して調査をするのは手に余るからだ。独力でやるには限界があり、プロに任せた方が早い。
 それを実現できるのならば、報告書をあげるのは私でも良い。
 グレイという男について、私は深く考えたことも意識したこともなかった。むしろ特筆すべきはその友人であるレスリーの方だった。自己肯定感の低さからくる卑屈さが、人に悪影響を与える。今のキャリアが望んだものではないと顔に描いてある。システムハード関係知識がやけに広い、私の部署の経理担当者である。絵に描いたようなオタクのデスクを作り、中に引きこもっている。その友人でらうグレイという男が、私の部署に入ってきた。
 友人というには年が離れ過ぎた、私と同じ年の男。それがグレイである。
 人間関係が仕事のパフォーマンスに影響を与える人間に、私は理解を示す。
 会社を自宅のように飾り付け、業務に不要な品々を持ち込むのも、それによって業務を円滑にする触媒と思えば納得できる。一見、不要と思えるものでも結果に結びつくのなら、切り捨てるべきではない。
 しかしグレイという男に対して、私は好意的な解釈をするのは難しかった。
 自分と同じくらいの歳の私に頭を下げなくてはならない。それが我慢ならないという顔をしていた。途方もない強欲と、欲に似合わぬ実力しか持ち合わせない。
 まるで、飢えた痩せ犬のようだと思ったものだ。
 あの男は、どんな男であったのか。
 全てが終わった後、思い返してみても、あの男が私にもたらしたものはたったひとつだけだった。

  ◇◆◇

 若い事務員は、今日も己の城に閉じこもっている。隣のデスクを侵食しないギリギリのところまで積み上げた彼の好きなオタクコンテンツのグッズは、自意識は過剰だが傷つきやすいレスリーの心を守る壁になっている。物理的壁であり、心理的壁でもある。
 そこを超えてくる人間がいると、彼は相手が自分を侵害しようと思っているのではないかと思ってひどく怯える。
 だからこれだけ好きなものを主張しているくせに、それについて少し見たことがある程度の興味で他人が話かけてくると、拒否を示す。その態度は彼なりに精一杯婉曲に感情を表しているつもりなのだが、人間関係を滑らかにできる側の人間から見れば、露骨な反応だった。
 だから、彼は部内で孤立している。虐めに発展しているわけではないから、私はそれを知りながら放置している。グレイが入ってきて二人が話しているのを目にして、人間関係が改善するのを期待した。
 上司が話かけるより、同じ立場の同僚の方が話しやすいのは明らかだからだ。だが、二人は閉じた人間関係をつくるばかりで、周りとは親しまなかった。
 大きな問題ではないが、些末な人間関係の齟齬を生んでいる。それは人が複数人いれば当たり前のものだ。
 一人で仕事をしているレスリーに近づく。画面を注視していて、声をかけるまで気がつかない。
 姿勢が悪い。
 オフィスチェアの座り心地は悪くないはずだが、彼は非常に浅く腰掛けて姿勢が悪い。肘掛はいっそない方がいいのではないか。あれで自室には本格的なゲーミングチェアなどを設えているのだろう。
 整えるのを面倒くさがって、毛先が揃わず伸びすぎた前髪。剃刀まけして荒れた口元。首の方の剃り残しはおそらく本人も気付いていないのだろう。
 レスリーに声を掛けると、びくりと体を震わせた。
「レスリー」
 私の部署に配属されて数年経つのに、彼はいまだに上司に声を掛けられるのを怒られる前兆だと思っている。
 確かに彼が職場で個人的SNSをチェックしていることについては注意するべきなのかもしれないが、今のところ仕事にさしたる影響はない。本人は知らないだろうが、目の前でこっそりと更新されている彼の個人アカウントを私は把握している。
 会社の愚痴も私に対する不満も、特に注意するべきものだとは思っていない。個人を特定できる情報が発信されたり、社外秘の情報に触れたら話は別だが、その辺りの常識を彼はよく心得ている。
 だから私にはレスリーを指導する理由がない。
 声を掛けたのは別の理由だ。
 つまり、グレイに社外の人間が興味を持っている。それも良くない類の興味を。
 叩けば埃が出る人間ならば、最初に上司である私が把握しておきたい。レスリーはグレイと親しい。
 だが二人がどういう理由で親しくなったのかを、私は知らなかった。よく考えれば年若いレスリーと、私と同い年のグレイの間に友人同士になるような理由があるようには思えなかった。
 それを疑問に思わなかったのは、従業員のプライベートに必要以上の興味を持つべきではないという配慮からだった――少なくともレスリーという男は、それを好むタイプの男ではなかった――が、今はその必要が出ている。
 二人を友人と思っているのは一緒に話しているのを度々目撃し、関係を尋ねた時に友人だと答えたからだ。
 そのぎこちない返答を信じてしまうくらいには、レスリーとグレイに興味がなかった。今は大いにある。
「あー、ええと、どうされました。モリアーティさん」
「少し話したいことがあるんだ。君のことではない、グレイのことについて」
 顔が青ざめた。
 考えていることがすぐに顔に出る、わかりやすい男だ。彼は何か知っている。
 話す場所を考えたときに、困った。彼には行きつけのカフェやレストランがあるようには見えなかったからだ。
「社内のカフェと外の店、どちらがいい?」
……人が、いないところが」
 人がいないところという条件は、案外難しい。
 どこにでも人がいる。
 グレイは他に人の残っていないオフィスを見回した。彼は仕事を他と分け合わないから、最後まで残っていることが多い。
「なら、ここで話すべきだろう」
 コーヒーを取ってくる。普段オフィスのコーヒーを飲むことなどないのだが、今日は話が長くなる気がした。
「君たちの関係について。あるいはグレイという男について、率直に言おう。外から君たちを調査している人間がいる」
 カップを落としそうな気がしたので、私は彼に手渡さなかった。いつも何を入れて飲んでいるのかわからなかったので、砂糖とミルクを一つずつ添えておいた。
 私の提案は単純だった。
 記者がグレイの周りを嗅ぎ回っている。もし関係があるのなら、教えて欲しい。会社は、問題がある従業員をそのまま雇用することはできないため、近々調査をする予定だ。
 知っていることを明かしてくれれば、トラブルがあっても守ることができるかもしれない。こちらとしても優秀なチームメンバーを失いたくはない。
 優秀だと言われたことに、レスリーの自尊心は少なからず慰められたらしかった。
 報告をするのは、私だ。つまり、君とグレイの進退は私が握っていると言っていい。
 膝の上で握りしめて震えている手を、そっと握った。


 レスリーはグレイとの関係を白状した。友人関係とは程遠い、共犯関係だった。
 その話は不明瞭で回り道が多く、全てを聴き終えるのに長い時間がかかった。こんなことのために、仕事が終わったあともオフィスに残らなければいけない不幸を内心で嘆きながら、半分身の上話の事情説明が終わるのをまった。
 コミュニケーションを放棄してきたツケを払っているのは、彼の話を聞いている側だった。
 途中からすっかり退屈し、早く結論を言ってくれないかと思いながら、靴についた汚れを気にしていた。見つからないようにそれを拭うことができるかどうかというのをゲームにして、私は退屈を潰していた。
 結論、下をむいて喋っているレスリーは多少大きな動きをしても気がつかなかった。これではゲームにならないので、試合は無効だ。つまらない。
 彼の話を簡潔にまとめよう。大学時代から友人がいなかったレスリーは、唯一ゲームの趣味があい優しくしてくれた同級生にまんまと騙され、悪い遊びに手を出した。対した罪ではない。少し〝リラックス〟してしまったのだ。
 それは確かに法律に反しているが、若者であればよく火遊びで、気に病むようなことではない。だが、レスリーにはそれを共有してくれる友達がいなかった。助けてくれと求める相手は、悪い友人しかしなかった。だからより深みに落ちていった。
 罪を塗り固めるために些細な罪を犯した。それを黙っていてもらうために非合法な仕事の手伝いをした。少しずつ逃げ場を失っていった。
 グレイは経歴を改竄し、この会社に潜り込んでいる。その手伝いをしたのが、レスリーだ。もはや若いときの火遊びでは言い訳ができない犯罪だ。
 彼はこの会社に潜り込み、金を幾ばくか懐に収めるつもりでいたらしい。
 私はグレイよりもむしろレスリーという男の方に感心していた。情報系に強いとは思っていたが、まさかそこまでとは知らなかったのだ。ただの事務員をしているべき器ではない。
 ホワイトハッカーの方が適職なのではないか。
 そこまで考えて、そのキャリアに失敗したから不本意な事務員という職についているのだと思い直す。自己アピールがうまいようには見えないし、エージェントもついてくれなかったのだろう。
 そして、罪を犯しているという負い目もあったはずだ。
 話の最中、何度も何度も意味のない謝罪を繰り返していた。
 悪いと思っているのなら、罪を償えばいい。
 これ以上悪い連中と付き合いたくないのなら、縁を切ればいい。
 どちらもできず、保身をしようとしてどんどんと身を持ち崩す男に対して、何をしてやることができるだろう。
 自業自得だ。
 彼の口にする謝罪は、自分が悪いことをしていると思いたくないから吐き出す、自己愛の結晶だ。
「それではグレイが就職した時点で、君の出番は終わっているのではないかな。全ての秘密を知っている君は不都合だ」
 悪事に手を染めた小心者の末路だ。罪の意識に耐えられなくなったら、口を割る。彼を手玉に取っている悪党ならば、当然その辺りは心得ていて、先手を打つ。秘密を漏らす前に始末をしてしまうのがいい。だからグレイが調査をされることになれば、証拠を握っているレスリーは、始末される。
 その可能性に思い至ることすらなかった哀れなレスリーは、ガタガタと震えだした。
 コーヒーは結局一口も飲んでいない。飲み物を口にせずに、よくずっと話し続けられるものだ。
「助けて、くれないんですか?」
 どうして助けてくれると思ったのだろう。
 自業自得の犯罪者を庇うほどの働きを、見せていると思っているのだろうか。だが、そんなことは口には出さない。
「助けよう。だから教えて欲しい。君が持っているグレイの悪事の情報を、渡してくれればあとは全て私がいいようにする。彼と話してみるよ」
 レスリーは迷っていた。
 迷うだろうと思っていたので、私は根気強く待った。待ってやる態度は示しはしたが、一度提案を持ち帰って検討させる暇は与えなかった。頼むという形式をとっているが、これは決定事項だ。彼はグレイの情報を渡すことになる。そうなるように、必ず誘導する。
 だから、彼のハッキング技術が始末するには惜しいくらい優秀であることや、秘密を握っているのに今日まで無事である理由や、私に全てを打ち明けたからといって具体的に助ける方法があるわけではない点には触れずに話を進めているのだ。
 私の目的はレスリーを助けることではなく、グレイの情報を集めることだ。多少興味を持ったのは、彼が想像よりも優秀であることがわかったからだが、それは興味以上のものではない。
 やがてレスリーは、金の卵を吐き出した。必要な情報が詰まった記録媒体を、私に手渡した。
「ありがとう。グレイとは後日話してみよう。証拠を集めて、じっくりと腰をすえてね」
 気がつけば深夜になっている。
 私は足早に家に帰った。一刻も早く、その中身を確かめたかったからだ。もっと骨が折れるかと思っていたが、グレイの悪事がこんなに簡単に明らかになるとは思っていなかった。
 面白いくらい簡単に、ことは進んでいる。

          ◇◆◇

 一人残されたレスリーは、パソコンの画面をじっと見つめていた。そこに何かがあったわけではない。途方に暮れていたのだ。
 長い間そうしたあと、携帯を取り出して電話をかけた。
 相手が応答する前に、自分が水分のある生き物であることを思い出したように、合わせてて冷めたコーヒーを飲み干した。
「あ、あのグレイ。……ごめん、ごめんなさい。違くて、大事な話が。モリアーティが。そう。そうだと思う。……うん、きっと、呼び出されるよ」
 暗いオフィスに泣きそうなレスリーの声が響いていた。