●予兆。或いは彼方より届く潮風の匂いについて
晴天の霹靂だった。
私は他人に教えを乞いたいと思ったことなど一度もないが、私に物を訊ねる人間は多くいる。プライベートで、あるいは取材として。
流行や世情についての腕試しのような会話。趣味の話でセンスを図る。友人や家族の近況。仕事のこと。収入や夫婦生活についての詮索。社会貢献活動で会社のイメージアップ。経済界への重要度を語りどれだけ優良企業なのかを訴える。そして玄人ぶるために必要な、業界人しか知らない秘密。混ぜ込んだ一振りの特別という名のスパイス。
まあ色々話したけどぶっちゃけね。これは君にだけ話すんだけどね、ああくれぐれもオフレコで頼むよ。そういう類の言葉だ。
全てを卒なくこなしてきた私にとって、帰り道に突然話を聞かせて欲しいと声をかけてきた男も、無礼だとは思ったが驚くべきものではなかった。
履き潰して底の擦り減った靴と、動きやすい服。会社に馴染むように羽織ったジャケットは肩に掛けた鞄で歪み、袖山がずれている。ポケットには三色ボールペンと三ドルの手帳。細かい傷だらけのボイスレコーダー。
身につけている中で一番高価に見える仰々しいカメラを、社員証のように首に掛けていた。
礼儀を払うべき男には思えなかったが、たとえどんな不愉快な人間であっても、威丈高に対応してはならない。どこで誰に見られて、どこを切り取って使われるかわからないからだ。
「取材ならば、会社を通して申し込んでいただけますか?」
「いえぇ、あの、お仕事のことじゃないんですよぉ」
語尾が間延びしたような耳障りな喋り方をする。この男から取材を受けるとしたら、神経がささくれ立つことだろう。
「プライベートのことならなおのこと、人に詮索されるのは好みません」
その答えを待っていたように、記者の男は顔を歪めて笑った。
「あなた自身のことではないんですぅ」
その言葉で、私のプライドが傷つくことを期待したのだろう。
そしてその怒りから、私が記者に興味を持ち放っておくことができずに話を聞くことになると、そう思ったに違いない。
愚かしい男だ。
「私のことでないのならなおのこと、秘書を通してアポイントを取ってください。連絡はここに」
礼儀正しく男に名刺を手渡す。そして彼の名刺は受け取らなかった。
「君は個人取材ですか? できれば次は他の人間に来てほしい。その場合は検討します」
あなたに聞きたいのは、実は会社のことでもあなたのことでもないんです。では私に話を聞く必要はないですね。理由を纏めて別の人間にお願いします。
それで終わりだ。会話が自分の思った通りに進まないと、うつ手がなくなる程度の男だ。
私を驚かせたのは、その件がそれで終わらなかったことだ。その出版社
――個人ではなく小さな会社に所属していたらしい
――は担当記者を変え、取材を申し込んできた。
『グレイ・ファルビィという男について内々に話を聞かせてもらいたい』
思ってもみないことだった。
あの男について記者が何を聞く必要があるのか。それは私の興味をひき、取材について同意した。
グレイについて聞きたいということでしたね。
グレイ・ファルビィという男が何者であるのか。
私の部下である。
彼から私が受け取ったものはたった一つだった。
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