望月 鏡翠
2022-12-31 16:07:43
70411文字
Public リアタイ
 

Dear Mr.Cellophane

#祝福の塔3_ミスターセロファン/1P序/2P盲目の街/3P信仰の街/4P愚者の街/5P孤独の街/6P現実世界

 ベッドのスプリングが軋む。
 痛み。
 息がうまくできない。
 意識が途絶えていたのかもしれない。
 不思議な夢を見た――気がする。
 思い出そうとすると、体を内側から破り擦り切るような痛みが貫いて、頭がうまく働かない。
 犯されている最中に時計を確認する癖がついている。これが終わったあと、どれくらい体を休められるのかを、冷静に計算している。なるべく早く解放されるように、抵抗をしない。
 あるいは鷹道を喜ばせるように善がり、従順に振る舞ってみせる。
 そうしなければ殴られるだけで、それが一番良いとわかっているのに、なぜか体が受け付けない。腹の中に、鷹道の体があることが受け入れられない。
 気持ち悪い。嫌だ。放してくれ。
 違う。
 昨日までと変わらない今日なのに、この強烈な違和感はなんだ。
 シーツを掴む。ベッドの上を這いずる。
 逃げようとする腰に、煙草の火が押し当てられた。痛みで背中が仰反る。後頭部の髪の毛が掴まれ、枕に押しつけられる。
 息ができない。
 この感覚を、俺は知っている。鷹道にされたからじゃなくて、もっと致命的なところまで呼吸を奪われたらこの体がどうなるかを、知っている気がする。
 なんで?
 意識が飛ぶギリギリで、髪の毛が引っ張られて首が仰け反った。
「なに? 今日のお前生意気だな」
「ごめんなさい」
 ぐいと頭が、引っ張られる。ベッドの横の壁に叩きつけられる。
 鷹道の機嫌を損ねてしまった。
 体の中がかき回される不快も火傷の痛みも、頭を殴られれば全て朦朧としていく。
「ごめんなさい、ミチくん。ごめんなさい」
 鷹道の気が済むまで、謝らなければいけない。
 なんで?
 なんで俺は謝ってんの。過ぎ去るのを待つだけだった痛みが、耐えられない。
 ――俺、以外のやつは嫌だって、あいつが。
 誰が?
 なんで、俺はこんなところにいるの。
 ◇◆◇
 連絡が入る。鷹道からだ。
 鷹道のスーツを着て、髪の毛を鷹道と同じ形にして屋上に来いという指示がある。少し前からなぜか鷹道の服が着られるか、髪型を同じにしたらどうなるかなど細かく確かめられていた。
 半分だけ血が繋がっている俺たちが、顔立ちや特徴は違う癖に雰囲気がよく似ている。そのことが俺を絶望させる。
 家と父と母と弟。家族という言葉が持つ暖かさを手に入れられなかった俺にとってそれらは呪縛になっている。ここから、逃れられない。
 顔を洗い、洗面台の鏡を覗き込む。
……?」
 知っている。俺は、こいつを。
 この俺を知っている。
 鏡に映った自分の首に、思わず手をやっていた。そこには何もない滑らかな肌があるだけだ。
 ないはずの痛みを、体が思い出す。
 首筋に押し当てられた煙草の痛み。噛み跡の疼痛。
 そうだ。俺は今日、落ちて死ぬ。鷹道に殺される。
 次に来る連絡を、俺は知っていた。
 俺は場所を聞く。どこにいけばいいのかを鷹道に確認するのだ。
 屋上。
 決められた時間に向かう。
 あの日の俺は髪の毛のセットに手間取ったし、マンションの屋上なんて入ったことがなかったから、道がわからなかった。
 だが今日は、時間に遅れなかった。
 それでも鷹道は、不機嫌な顔をしていた。
 いつも怒ってる。俺に会うときだけじゃない。客の女に会うときも仕事にいくときも、態度に出さないけれど怒っている。
 前まで不思議に思わなかったが、なんで鷹道はいつもこんなに苛ついているんだ。
 自分の置かれた境遇が不満で仕方がないくせに、それを変える努力もできない。
 なんでこんなものを、絶対だと信じて縋り付いていたんだ。
「概要の理解、オーケー? じゃ、勢いよく行ってみようか」
 来ると分かっていれば、背中を蹴り飛ばす衝撃を受け止めるのは簡単だった。
 鷹道は足を痛めていた。何より俺が抵抗するという可能性を、考えたことがなかったのだろう。
 手すりを掴み、足を踏ん張って耐える。
「は? 俺が死ぬわけなくね?」
 なんで俺が、お前如きに。
 どれだけたくさんの約束を交わして、ここに立ってると思ってるんだ。
 俺が動かなかったので、蹴り飛ばした反動で転んだ鷹道を見下ろす。
 鷹道は俺を縛り、俺も鷹道を縛っていた。
 この関係は檻だ。
 ――もう、止めにしよう。
 これは俺の選択。
 新しい人生の話。
 転んだ鷹道の松葉杖を蹴り飛ばす。俺がそうしたことが信じられないという顔をして、見上げてくる鷹道の顔。初めて見る記憶。
 ずっと自分を虐げてきた男の惨めな姿を見ても、不思議と溜飲は下がらなかった。
 ただこんな風にしか生きられないことを、哀れだと思う。
 俺が見捨てたらどうなるんだと、ちらりと考えてしまいそうになる。
 そうやって未練を残していたら、二人とも前に進めない。
「ミチくん、いや鷹道」
 名前を呼び捨てにされた鷹道が、唇を噛む。
「借金のことは協力してあげたいけど、代わりに死んではあげられない。俺は、出てくよ。お互いが知らないところで、別々に生きていこう。だから、鷹道も手遅れになる前に、別の生き方を見つけて」
 俺の言葉は伝わっているだろうか。
 いや、無駄だろう。
 鷹道は俺の言葉なんて聞かない。
 こんな言葉で変わるくらいなら、俺たちはこんな関係じゃなかった。
 言葉を掛けたのは、俺のけじめでしかない。
 鷹道が俺に成り代わって新しい人生を始めるために用意していた荷物を持って、家を飛び出す。
 料金を考えずにタクシーに乗り込み、行き先を告げる。一秒でも早くたどり着きたくて、高速に乗ってくれと頼む。
 大丈夫だ。ちゃんと覚えている。
 焦燥感で眠ることもできない車内で、覚えていることを一つ一つメモしていく。
 俺のことをずっと踏みにじっていた鷹道のことは、殴り飛ばしてもよかったのかもしれない。だが今までの人生で飲まされた苦渋よりも、一ヶ月行動を共にしただけの男の方が大事だった。
 待っていると言われた。
 あいつは今日という日に、殺されたのではなく自殺したのだ。
 祝福を受け取って運命はどう変わっただろう。
 生きたいと、思ってくれているだろうか。
 思い出すのに今日までかかってしまった俺のことを、待っていてくれるだろうか。
 もしかしたら、こうしている瞬間にも命を投げ出してしまっているかもしれない。
 怖くてたまらない。
 電話をしようと思い立ち、しかし実家の番号だったのだと思い直す。
 携帯解約して固定電話もない。それで実家の連絡先に十二時をすぎた時間に電話をしてどうすればいい。
 あなたの名前も知らない息子さんが今まさに自殺しようとしているかもしれませんって?
 いたずら電話と思われて終わりじゃないのか。
 ダメ元でも掛けてみるべきなのか。
 絶対に、絶対に迎えにいくから、待っていてくれ。
 絶対なんてこの世界にはないけれど、そうしたいと思った気持ちだけは確かなものとして存在している。
 俺とお前の、二人の話を続けたいと願ったんだ。
 高速を降りたのは、夜明けが近い時間だった。街灯の少ない道をタクシーが進む。
 おそらくは初めて運転するであろう田舎の細道を、慎重に進むタクシーのヘッドライトに歩行者の姿が照らし出された。
「あっ……
 体を流れる血の温度が、上がる。首の後ろから駆け上がり、顔を熱くした。
 その顔を忘れるわけがない。
 こんなところで、会えるなんて。
「止めてください」
 タクシーを止める。清算する間ももどかしく、その間もどこかに歩いて行って、暗闇に紛れてしまいそうな男の背中をずっと目で追っていた。
 タクシーを降り、走る。
 呼び止めようとした。
 なんと声を掛けたらいいのか、わからなかった。
 俺は、あいつの名前を知らない。あいつも俺の名前を知らない。
 どうやって話を切り出せばいい。
 死んだあとのこと、覚えていてくれているか。
 声にならない声を聞きつけたように、振り返る。
 うっすらと、微笑んだ気がした。
「覚えてる? 俺、お前になんて名乗ったらいいんだろうな」
 俺、本当は鷹道じゃないんだ。
 あそこにいる間中、出会った人全員にずっと嘘をついていた。
 だから、この世界に戻ってきたら、本当の自分で会いにいきたいってずっと思っていたんだ。
……覚えてる。俺は拓。お前は俺になんて名乗ってくれるの?」
「俺、俺は……
 ああ、俺は本当に馬鹿だな。
 お前は俺のこと、〝鷹道〟なんて呼んだこと一度もなかった。
 お前の前にいた俺は、ずっと鷹道じゃなかったんだ。
「冬馬って呼んで。お前には冬馬って呼ばれたい」
……ふふ、冬馬。待ってた」
 両手を広げて、俺を呼ぶ。拓の腕に体を預ける。
 笑った顔が幼くて可愛い。
 そういうお前が好きだってこと、いつか嫌な思いをさせないように伝えられたらいいと思う。
「ずっとお前の隣にいる」
 鷹道・ファリントンではなく、丹生 冬馬として。