その街の気質は、盲目の街と似ているようで違う。あのときは自分を揺るがされ奪われたような衝撃を感じていた。それがないのは街の性質の違いか、それとも俺の心に少しだけ余裕ができたということなのかもしれない。
この街は息がしやすかった。
研究などには縁がないし、街の連中が何をしているのかもさっぱりわからないが、この街の人間のあり方が心地よかった。
悪く言えば、協調性がなくて他者に無関心なのだろう。
しかし俺にとって、彼らの孤独は自由に感じられたのだ。
他人に縛られないというのは、自由だ。
きっと生きている間の俺は、ああなりたかった。
あんな風に生きることができれば、俺は死ななかった。
一人で生きる道を見つけられたはずなのに、そうしなかった。
鷹道のために生きようとすることで、俺は自分を閉じ込めて同時に縋っていた。あの関係は檻であり、お互いの弱さを守る砦だった。鷹道に尽くしているつもりで、その弱さを助長して追い込んでいたのかもしれないと、今では思っている。
鷹道がちゃんと一人で生きて選んでいたら、少なくとも借金に塗れて命を狙われるような泥沼に陥ってはいなかったんじゃないか。
どちらにも一人で生きる強さが、足りていなかった。
この街の祝福がどんな形をしているのか知らないが、この街の人間たちのように振る舞えるようになることを意味しているのなら、生前の俺にとっては最も素晴らしい選択だっただろう。
それでも俺はどれを選ぶべきなのか、迷っている。
今の俺は、一人で生きていくことを望んではいないのだ。
一人で生きていく強さは、欲しい。誰のせいにもせずに自分の人生を生きたい。
だが、生き返ったら会いに行きたい人間がいる。
弱さを隠すためではなく、依存を献身と誤認するためではなく、それしかないのだと自分を追い詰めるためではなく、隣に居たい相手がいる。
二人になれなくていい。一人と一人のままでいい。
それでも隣に居たい。
もっと望んでも許されるのなら、生きることを一度諦めた男の、生きるしがらみになりたい。
隣にいると約束したし、連れて行ってくれるといった。
その言葉はまだ、何の具体性も持っていない。
「生き返ったら、会いに行っていい?」
それは生き返ったあとの俺が、自分を諦めず見失わないでいるために必要なしがらみだ。
それを一番大切なただ一人に、まだ言えずにいる。
長いようで短い一ヶ月が過ぎようとしている。
何の祝福を選ぶかは、決められていない。
天使という存在を信じるかどうかも、まだ決めていない。
ただ生き返りたい。
そのために祝福を選ばなければいけないというのなら、選ぶ。
その可能性に縋るために天使を信じなければいけないというのなら、信じる。
あれほど鷹道の役に立って正しく死ななければいけないと思っていた俺が、これほどまでに生きたいと思っている。
今更ながらに人間の真似事を始め、生きている間に一度も正せず、間違いを塗り重ねるだけだった人生を、やり直そうとしている。
正しさのわからない俺は、それでも他人の隣に立って生きたいと思っている。
一ヶ月で他人の何が理解できるというのだろう。
俺もまだ人に言っていないことがたくさんあるし、自分でさえわかっていないこともある。
それでも、わからないことがわかるまで話したい。心の中にあるまだ言葉にできない感情が形になるまで、離れたくない。
まだ相手と話し足りないという気持ちは、限りなく愛情に近い。
――愛を語る資格なんて、百年経っても手に入れられないだろうが。
それでも前に進む方法を見つけたい。
隣に居てもいいと言ってもらった。隣に行くと約束した。何もない自分を変える方法を、一緒に勉強していこうと言った。
そしてたくさんの人と生き返ったら、会いに行く約束をした。
俺はそれを信じたい。
叶わなくてもいい。
望みに応えてもらえなくても、何かが失われるわけでも奪われるわけでもない。
ただどこかで、俺が会いに来るかもしれないと思っている人間が一人いるのだと思っただけで、生きる未練になる。
死ぬ前の俺が手にできなかった、生きるしがらみだ。
長い長い思案の末、巡礼が終わるころになって、俺は同室の男に、それを尋ねる勇気をようやく手にできた。
煙草を吸っている男の隣に座る。
顔はこちらに向けなかったが、俺が隣に座ったことはわかっているはずだ。無言のまま隣にいることを許されている安心感がある。
鷹道らしく振る舞うことを止めた俺は煙草を吸うのをやめていたから、空白を埋める手段がない。だから心の準備もそこそこに、話を切り出した。
「どうするか決まった?」
俺は、生き返って欲しいし一緒に生きて欲しい。このまま死ぬと言われたら、どうしていいのかわからなくなる。だがそうやって縋りつくのは目指している関係と違うから、相手の話をまず聞きたい。
「何選ぶか?」
「何選ぶかもそうだけど、生き返る気があるのかとか、生き返ったあとどうするのかとか。……約束、覚えてるか?」
視線は膝の間にある。相手が少し身動ぎをしただけで緊張する。
どんな答えが出てきても受け止めたいが、それを受け止める度量はあるだろうか。
「……覚えてる。から生き返る。けどその先のことは、何にも決まってない。お前と遊びたいくらいしか。俺たぶん変われない気がする」
顔を上げた。
たぶん、嬉しそうな顔になるのを隠せていなかったと思う。
「じゃ、一番にお前に会いに行っていい?」
自分で死ぬことを選んでここに来た人間が、生き返ってからやりたいことの中に俺を加えてくれた。
「いいよ、変わんなくても。変わりたいなら変われるまでつきあうし、変われなくてもついていく。だからお前がどうしたいかがわかるまで、一緒にいてくんね?」
そのままでも傍にいてくれればいい。
返事を待って横顔をじっと見つめていると、ちらりと一瞥をくれてから、煙草を口元に運ぶ手で表情を隠された。
「いいよ。俺と一緒に居てくれんなら仕方ない。慎重に決めてやんなきゃなぁ」
「お前がどうするか、決まるまででいいからさ、いろんなとこ行かね? ここで会ったいろんなやつと約束したんだ。他のやつが何を選んでどうしてるのか、見に行こう」
「うん。決まってからも居ろよ」
一度は二人の間に置かれた手が膝の上に戻る。
俺はその手を握った。
「あんがと。傍に置いてくれんのすげー嬉しい。お前のこと、教えてよ。どこに会いに行けばいい? すぐ電話するし、走って会いにいく」
浮ついているし、声が弾んでいる。
「ケータイは解約した。固定電話は無し。実家のだったら」
告げられた電話番号を何度も頭の中で反芻する。市外局番からどのあたりに住んでいるんだろうと想像する。
「お前体力も筋力もないのにどうやって走ってくるんだよ。こっちから行った方が絶対速い」
「じゃ、俺の方教えといた方が早いか。俺がお前を迎えに行きたかったんだよ」
携帯と住所を告げる。
一緒にいたいと望んでいるのは、俺だから。俺から迎えにいきたい。
「そっか……口頭で言われてもたぶん寝るまでに忘れてるよ。明日も教えて」
思い出したように、住所が告げられる。そこに行ったら、たぶん会えるのだろう。
「覚えるまで俺に刻んで」
生きて死んでも忘れないくらい、魂の奥底まで刻んで欲しい。
俺は絶対に、忘れない。
お前に会いに行く。
◇◆◇
もし人間に未来を見通す力があるのなら、あるいは時間の概念を持たずに未来とい
うものを全く認識できていないのならば、迷うことなどないのだろう。
選択を迫られている。
天使を信用するのか、しないのか。
一度死んだ人間が生き返るなんていう奇跡は許されるのか。
そして何を手にして生き返るのか。
情報が足りなくても結果がどうなるのか見えなくても、あと数時間以内に決めないといけない。
俺はどうしたい?
本当はこの質問は、生きている間にするべきだったんだろう。
どうしたかったのか。鷹道にどうして欲しかったのか。どうやって生きたかったのか。そうしたら、俺は死なずに済んでいた。
だが、隣で生きたいと思えるような人間に会うこともなかったのだ。
死んでから生きる目的を見つけるなんておかしな話だ。だが人生というやつには、どうやらそんな奇妙な巡りあわせが確かに存在しているらしい。
ならば今までの痛みも過ちも飲み込める。許せるような気がするのだ。
やりたいことは、決まっている。
生き返りたい。
生き返って、隣の男とこれから先も、ずっと隣にいたい。
だから天使は、信じるより他ない。その言葉に何らかの虚構や意図的な事実の隠蔽があったとしても、他の手段を知らない。天使の目を盗んで生き返るなどという方法があるとは思えない。
なら次に考えるのは、どの祝福を選ぶべきかだ。
死ぬべき運命はもう、自分の力で変えられると思う。
それぞれの街の主たちが、改めて自分たちの街の祝福について語っていく。場合によっては効果について質問も受け付けている。
「何を選ぶか、決まった?」
隣の男は静かに塔の主と祝福の内容を聞いて、考えているようだった。
邪魔をしたくはないと思いながら、今自分の中にある考えや不安を誰かに話して纏めたかった。
「……迷っている」
「俺も、迷ってる。何もかも足りていない気がするし、じゃあ何を選んでも今よりマシかも、とか思っている」
「はは、確かに」
「愚者はちょっと怖かったんだよな。街のやつが。話し方が好きだったのはここのやつ。内容で気になってんのは盲目。すげー優柔不断」
愚者の塔の主は、家族になって欲しいと言ってきた。生き返らずにここに残ることを提案してきた。だからもしかしたら、帰してもらえないのではないかとそんな不安を抱いてしまうのだ。
「俺もこの街の奴ら好き。はっきりしてて。賢さ、いいなぁ……でも、俺ちょっと、愚者の内容、悪くないなって思っちゃった」
「愛情とか強さ?」
誰かを守る力。
「うん。今はあの強さ欲しいなって……。うわ、ぞわっとした」
自分の体を抱えた。
照れ隠し、だろうか。
「俺、お前のことを見送ってから降りたいってわがままがあるから、そしたら盲目にする」
「……じゃ、俺愚者。強いの選ぶ」
抱きしめると素直に腕の中に収まり、頭を預けてきた。
苛烈なのに傷つきやすい。人を遠ざける癖に素直で、寂しがり屋。
よくわからない男のことをもっと知りたい。
離れたくない。
「ほんと。馬鹿みたいな話していい?」
「あ? いいよ」
「本当はもう一瞬でもお前と離れんの怖い。死んだ俺たちが生き返るって、一旦手が届かない、俺じゃどうしようもないところに行くわけだろ? 今までみたいに部屋に戻れば会えるわけじゃない」
生き返ったあとの世界にこいつがいなかったら、たぶん俺は生きていけない。
同じ祝福を選べば、こんな不安は抱えないで済む。だが、それだけはするわけにはいかない。
俺は、俺自身の選択をして生きていかねばならない。
他人に阿るためではなく、縋り付いて依存するためではなく自分の足で立ち歩ける俺で、こいつの隣に立ちたい。そのために、自分の選択を曲げるわけにはいかない。
「絶対、会いに行く。でも絶対なんてないの、俺たちはよくわかってるだろ」
人は簡単に死ぬ。願っても叶うわけではない。どれほどあがいても届かないことがある。どん底にいた俺たちはそのことがよくわかっている。
滲んだ涙を隠すように腕の中の体を強く抱きしめる。
背中に縋り付く手の力が強くなる。ジャケット越しに、背中が引っ掻かれる。
「お前のこと忘れないように、もっと痛くして」
額にそっと唇で触れる。拒まれなかった。
「ん、ふふ。お前ってマゾなん?」
「そうだよ。知らなかった?」
「ん〜、今知った」
ジャケットの上から触れていた手が、内側に滑り込んでくる。背中に爪を立てる痛みが、鮮やかになる。首筋にじゃれるように噛みつかれる。
「誘ってる?」
「……誘ってない。けど俺以外は嫌だなってなって欲しい」
「ふふ、わかった。俺はお前のだから」
居住区が動き始める。
選択のときが、迫っていた。
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