望月 鏡翠
2022-12-31 16:07:43
70411文字
Public リアタイ
 

Dear Mr.Cellophane

#祝福の塔3_ミスターセロファン/1P序/2P盲目の街/3P信仰の街/4P愚者の街/5P孤独の街/6P現実世界

 そこは真っ暗だった。
 何もかもがない空間だった。光も匂いも、存在しない。
 触れるものは?
 身動ぎをすると、靴の底が床の上でざりと鳴った。音と触覚はある。その瞬間に体が垂直になっていることを認識した。
 どこか、暗い場所に立っている。
 おそるおそる自分の体に触れてみる。クリーニングから帰ってきたばかりのスーツとワックスで整えた髪の毛。記憶の中のままだ。
 で、あるならば。
 そうだとするならば、ここにいるのはおかしい。どこだから知らないが。どこだかわからないというのが、一番の問題だ。
 ここは一体どこなんだろう。
 暗闇に目が慣れてくると、物の形がぼんやりと見えてくる。ここはどうやら階段の途中であるらしい。段と手すりはゆるりと弧を描き、捻れながら上に向かい、見えなくなっている。
 螺旋階段だ。
 知らない場所だった。石造りの立派な螺旋階段があるような建物に、心当たりはない。映画の中ですら見たことがなかった。


 あまりに無機質な空間だから、最初は病院のベッドにでも寝かされているのかと思った。
 それならば話に、筋が通るからだ。
 マンションの屋上から転落した男性は、奇跡の生還。
 病院のベッドで意識を取り戻す。
 気がつきましたかといって駆け寄ってくる看護師と医者。涙ぐむ友人。
 ハッピーエンドだ!
 そんなドラマみたいな展開はなかった。
 感激して駆け寄ってくるような家族はいないし、友人にも心当たりはない。そんなことをしそうな女とは、現在絶賛別れ話が拗れているところで、生存を知ったら殺し直しに来そうだ。
 そもそもベッドに寝てすらいないじゃないか。
 手で触って確かめた限り、ちゃんと頭はあったし服も綺麗なまま。
 何より、病院には螺旋階段なんてない。
 本当に落ちたのか。
 まさかその記憶自体が、夢オチだったとでもいうのだろうか。
 幻覚を見るような薬はやっていないし、酒に溺れてもない。
 あんなにはっきりと、頭蓋骨が潰れる音を聞いた。
 それは耳で聞いたのではなく自分の頭の内側から発生した、耳の奥にこびりつく音だった。人間の体はあんな風に嫌な水気を纏っているのだ。
 怖気がして体が震えた。
 幻覚であるはずがない。あれは夢ではない。マンションの天辺から落ちて、確かに俺は死んだのだ。
 落ちたことではなく、今こうしてここにいる方が非現実的で夢みたいだ。ここはひょっとして、死後の世界なのだろうか。
 天国に来てしまったんだとしたら、どうすればいいのだろう。
「俺が、死ぬわけなくね?」
 震えを払うように、口に出す。
 喉が震え、音が出た。
 声はどこまで続くかわからない空間に反響し、耳に戻ってくる。
 体はしっかりと肉体と空間を認識している。これは紛れもない現実じゃないか。
 自分が死んだ記憶と同じくらいはっきりと、今ここで息をして、心臓を動かして、生きている自分の体を認識できる。
 死んだ。それは確かだ。だが、同じくらい確かに俺は今ここに存在している。
 少しだけ落ち着きを取り戻した。
 時が果てるまでここでじっとしているわけにはいかない。
 向かうべきは上、それとも下だろうか。
 上に決まっている。
 死んだのなら天国に、いくべきだ。
 そうでなくても上に行くのが鷹道・ファリントンという男だろう?
 階段を登る。
 どこまで続くのかわからない長い長い階段だった。
 不思議と足が疲れることはなく、息も切れずに上り続けることができた。
 どれくらいの高さがあったのか見えないし、時間の感覚は定かではない。
 だが歩いている内に、一番上に出た。
 ずっと暗闇を歩いていたから、光を見つけられたことに安堵した。雑踏のような人のざわめきを感じていた。
 広い場所に出たときは、あまりの明るさに目が眩んだ。
 目が慣れると、どこかの建物の中のような空間だというのがわかった。たくさんの扉、あとはソファなどがあり休めるようになっている。
 こんな場所が階段の上にあったらしい。登ってくる最中誰とも会わなかったが、こいつらは一体どこからここに入って来たのだろう。自分が登ってきた階段を振り返ると、そこには継ぎ目のない床があるだけだった。
 奇妙なことばかり起きる。まるで夢みたいだ。自分の正気が疑わしくなって来て、頭を振る。
 ラウンジのような空間を軽く歩き、小さな街を丸ごと持ってきたような人数がいる人々を順番に見ていって俺は遂に理解した。
 ここは少なくとも、死後の世界であっても天国ではない。
 死んだというのと同じくらいはっきりと、それが理解できた。
 俺が死んだことは自体は、気のせいでも夢ではない。この頭は死ぬ瞬間をあんなに詳細に再現できはしないからだ。階段やここについても同様。こんなに詳細に世界を形作れるほど、世界に興味がない。
 だが天国でもないこともはっきりしていた。
 そこはホテルのラウンジのような場所だった。年老若男女、人種国籍問わず人間が詰め込まれてるようだった。神のいる場所にしては俗っぽくて雑多すぎる。
 俺が、ガキやジジイと同列に扱われるはずもない。
 それになんというか、全員に生命力があり実在感があった。死んで魂だけになったら、もう少し落ち着きを持って存在がぼんやりしていていいはずだ。個性の塊みたいな連中しかいない。人間の癖が強すぎる。
 戸惑う俺に、ここに集まっている人間と同じくらいキャラが濃い男が告げる。
 いい年をした成人男性のツインテールは視覚的に結構きついものがあるが、それも大して目立たないような連中がここには集まっている。
 男は天使を名乗った。生まれる前に死んだ子供。同じく死んだ人間が、この祝福の塔と呼ばれる場所に集まってるのだと言う。
 ――巡礼をして、祝福を得て、生まれ変わるために。
 現実ならふざけたことを言うなと切り捨てる。
 だが、俺はもう俺が死んでしまったということを知っている。今いるラウンジの構造もどこまでも続く螺旋階段も、よくよく考えれば非現実的だ。
 ふざけたことを実際に目の当たりにして、それを説明できる人間が語るのだから信じるより他はないのだ。自称天使の正気を疑ったところで、俺が現実に戻れるわけではない。
 天使は、ここにいる全員の命がもう絶えていることを、大袈裟に嘆いて見せた。
 そして、生き返って幸福になれると語った。
 巡礼。祝福。生き返り?
 ぞっとしない話だ。
 男の説明と、渡された巡礼の栞とやらに書いてある内容によると、今ラウンジにいる全員はこの場所と用意された個室を居住区として、塔の中に作られた街を巡礼するのだと言う。
 塔の中に街があるという点については、おそらく深く考えるべきではない。
 どうやって登っていくのかも、どうなっているのかも、実際にそのときになったらわかるだろう。
 問題は、一ヶ月も素性のわからない連中と一緒に行動しなければいけないと言うことだった。夢ではなく同じ日にどこかで死んだ誰か。つまり人間と言うことだ。
 更に厄介なことに、天使は部屋には限りがあると告げた。
 飲食も必要ないし寝なくてもいい状態になっているから、野宿でも問題はないとかなんとか言っていたが、俺はそんな惨めな夜は絶対にごめんだ。プライベート空間がないというのも耐えられない。
 宿の確保は急務。
 そして味方を見つけておきたかった。何かあったときに俺に味方してくれる人。
 言葉が通じなさそうな連中とコミュニケーションをとるのは苦労しそうだから、日本人がいい。可愛い子なら言うことなし。
 並ぶ人々を見廻し、セーラー服の後ろ姿が目が止まった。
(あれは、たぶん、日本人だよな)
 線が細くすらりと背が高い。横を向いたとき、長い髪の毛がさらりと肩を流れた。
 その横顔は意思の強そうな瞳をして、鼻筋の通った顔立ちをしている。
(いいじゃん)
 同じ部屋で過ごすなら、ああいう子がいい。
 中学生まで年齢が下がると子供としか思えないが、高校生は許容範囲だ。許容範囲というか、むしろいい。
 彼女に近づき、後ろから肩を組んだ。
 違和感。腕に返ってくる感覚が、何か違う。
 思ったより、骨張ってる。
 胸もない。顔がよければ、デカさは別に問わないが。
 ともかく既に接触を果たしているので、話を続ける。
「ねー、君さ日本人だよね、その服。こんなことになって心細くてさ、しばらく一緒にいてくれない。あ、そうだ聞いた? 部屋足りないんだってさ。君みたいな可愛い子と同室になれたら嬉しいなーって思うんだけど、どう? 俺のこと慰めてくれない?」
 彼女は、怪訝そうな顔をして見つめ返してくる。
「俺、男だけど?」
 眉根を寄せても整っているその顔立ちはどう考えても美少女。だが、その喉から出た声は、声変わりを果たしている男のものだった。脳味噌が混乱する。
「ハァ、男かよ。ねーわ。今の話無しな。全部聞かなかったことにしろ」
 紛らわしいんだよ。
 男に抱きついたことで消費されたMPはそうそう回復しない。嫌になる。
「なんだよ。失礼すぎんだけど」
「半分はお前の過失。半分つーか全部お前の過失だこの場合」
 この顔でセーラー服まで着て男というのは、あまりにも詐欺だ。
 男ならオスって顔に書いておいて欲しい。
「まぁ、俺は男だけど世界一かわいいからな」
「自己肯定感の塊かよ」
 どうして女装して堂々と胸を張っているのか、理解に苦しむ。やっぱり高校生なんてまだガキだ。理解できない。
「まぁ、いいわ。男でも。部屋の話は全部頭から抜け。お前のことなんて呼んだらいいの」
「名前? あ〜、あいちゃんって呼べ! 可愛いだろ」
 名前の可愛さは不明だ。
「あっそ。じゃーあいちゃん、俺のことはミチくんでいい。そうでなければ敬意を込めて鷹道様とでも呼んでくれ」
 男でも、一人よりはマシか。
 思ったより、話も通じる。
「その辺、見て回らね? 今日泊まるところ探さないとだしよ」
 隣に並んで歩けるくらい顔も、いい。
 そう結論づけて、自称あいちゃんとラウンジを歩き出した。


 可愛い女子が良いとはいうが、隣を歩くだけなら相手が男であっても女であっても構いはしない。ただ連れて歩くなら、顔がいい方が気分がいいという理由だ。
 顔がいい女(に一見すると見える)の横に俺がいるんだから、見ている人間にとってもお得だろう。
 歩くたびにプリーツスカートの裾がひらひらとしている。
 男だとわかってみれば、裾のあたりから見えている膝などはしっかりと男の骨をしている。
「股間周り、スースーしねぇの」
 風呂上りにパンツで歩いているときは家の中だから開放感だけ楽しめるが、ズボンを履かずにいてましてそれで外に出たら、心許ない気持ちになるに決まっている。
「慣れてるからスースーしても別になんとも思わねーよ」
「そういうもんか」
 確かに、人間が異常を感じられるのは最初の間だけで、どんなに非日常的な日常も時間が経つと馴染んでしまう。そして飽きてしまうものだ。
 もしかしたら一ヶ月経つ頃には、この塔という場所にも馴染んで飽きてしまっているのかもしれない。
「死ぬ前もその格好だったん?」
 どんな状況で死んだか知らないが、若いのに特殊な趣味を持っている。
「いや? 死ぬ前は普通の格好だったんだよ。ここにきてなぜかセーラー服になった」
 そういうパターンもあるのか。
 自分の服を見下ろす。そう言われてみればこの格好も、厳密には死ぬ直前の格好というわけではない。
 もっといろいろな物を持っているべきだ。財布はポケットに入っているが、それしかない。煙草とライター、スマホ、そういうものが欠けている。それに死んだときには、腕時計は付けていなかった。
 電波が通じない状況にあるというのは、周りの人間が試すのを見ていたからわかっている。持っていなくて不都合があるわけではない。
 ただ煙草とライターがないのは困る。
 鷹道・ファリントンという男は煙草が手放せない。
 ああ、そうだ。
 死ぬ前とこの姿の誤差を確かめるためには、そもそも生きている間の俺がどんな人間だったのかを、確認しないとな。
 思い出してもろくなことがないとわかっている記憶を、俺は辿ることにした。


証言者① 鷹道・ファリントン
 しばらく前から便器と向かい合っている。首と全く色が違う粉を顔面に塗りたくった女の顔は、いつの間にか理想的な白い陶器に置き換わっていた。
 こうしてる時間が一番無駄だろ。
 悪態の代わりに、水分だけの吐瀉物を吐き出す。
 そろそろ行けるかと立ち上がろうとしたが、まだ胃の中がぐるぐるとしていた。
 俺の仕事は吐くことではなく、女を楽しませることだ。隣に座り好まれる面で微笑んで、気持ちよくさせるためのトーク。場合によっては実際にお楽しみまでさせて、金をもらうのが仕事だ。
 胃液以外は九割スパークリングワインのゲロはほぼ酒と言っても差し支えないはずだ。このままリサイクルできたら、俺は高級酒を好きなだけ供給できる人間ということになる。
 瓶から出たら金になり、口から出たらドブになる。どれもこれもブランドネームを高々と掲げている代物だが、中身を炭酸とウォッカにすり替えられていても気づかないに違いない。酒の味、高い酒の良し悪しなんて酒を飲み始めてからこの年になるまで一度もわかったことがない。
 それは大人になった気分を味わうためのアイテムだったし、今では仕事の道具だ。
 金額とアルコールがどれだけ入っているのかだけが重要だ。それは客を酔わせて判断力を落とすためにある。とにかく飲めば金になる。
 ボトルを空にすれば、次のボトルを入れろと要求することができる。
 高い酒というのは売り上げと交換できるチケットであって、少しでも減らすことが目的だ。酔わせられれば役に立つが自分が酔ってちゃなんの意味もない。
 別のテーブルに呼ばれたふりをしてトイレで吐き出し、またありったけ胃の中に詰め込んでは吐いてを繰り返す。
 アルコールで食道を洗っているようなものだ。
 手探りで、〝流す〟のボタンを押す。
 客が注いで俺が飲み込んだ換金チケットが渦を巻きながら白い便座に吸い込まれていった。
 さようならだシャンパンたち。また一時間後に。
 早く戻らないと行けない。
 項垂れていると、個室のドアが控えめにノックされた。
「あの、鷹道さん。大丈夫ですか?」
 大丈夫だったら便所になんかこもらねぇんだよ!
 怒りたかったが、声が出ない。
「本名で呼ぶな!」
 ドアを殴り返すと静かになった。この仕事を何年やっているのか知らないが、全く使えないやつだった。
 余計なこと聞きにくる暇があったら、早く水でも持ってこいよ。
 気が利かない。よくボーイなんてやっていられるな。
 売り上げが負けているから、あんなハズレをつけられる。
 どう考えても俺がこの店で一番いい男だろ。あんな根本が地毛に戻ってるような汚い金髪のどこがいい? 店が暗くて見えてないのか。
 人当たり? 人格?
 馬鹿が。結局、面のいい男とヤりたいから馬鹿みたいな金払ってんだろ。
 ようやくボーイが水を持ってきた。口を濯ぐ。鏡を見て、身嗜みを直す。
 今に、見てろよ。


証言者② 同級生
 都会に出てきたときに、ここで生まれ育ちたかったと思った。誰も隣の人間に興味がない。周辺にいる全員が他人でよそ者だから、目立たない。とても居心地がいい場所だった。
 僕の育ったところは、排他的な田舎だった。随分前に市町村合併に巻き込まれて市の一部になったらしいけれど、その地域の体質は依然として〝ムラ〟のそれだった。
 その村に住んでる人間は、誰も彼もよそ者が嫌いだった。彼らは先祖がここの人間ではない外から来た人間のことを、共有財産を盗み取っていく泥棒だと思っていて、なるべく早く村から叩き出さなければいけないと感じているらしかった。
 その中で、僕はよそ者を象徴するような存在だった。
 つまり村の全員が僕のことを嫌っていた。大学生になって村を出ていくまでの十年間、誰もが叩いていいサンドバックだった。
 中でも、一番僕のことを嫌っていたのが鷹道くんだった。
 中学生の頃は毎日叩かれて蹴られていた。高校生になってもそれは変わらなかったけれど、僕が同じ反応しかしないから、飽きて別のやり方を試すようになった。
 鷹道くんは僕が持っている物や欲しいと思っている物、何もかもを奪わなければ気が済まなかった。
 僕の心を壊すために、ありとあらゆることを試していたし、僕が逃げていかないように注意深く監視をしていた。
 鷹道くんが初めて女の人を抱いた日のことは、忘れない。
 僕はそれをずっと見ていた。
 僕が好きだと答えた女の子を僕の名前で体育館倉庫に呼び出して、鷹道くんは彼女を犯した。
 そのとき僕は、ガムテープで手足を縛られ口を塞がれて、体育館倉庫の跳び箱の中にいた。埃と体育マットと、使い古したバレーボールと汗。色んな匂いが混ざり合っていた。そこの臭いは嫌いだった。
 息苦しくて必死に息を吸い込む僕の呼吸は、口を塞がれたあの子の悲鳴と徐々に激しくなっていく鷹道くんの息にかき消されて誰にも聞こえなかった。
 僕は、それを、ずっと見ていた。
 でもこんなのは僕と鷹道くんの関係の、始まりでしかなかった。

証言者③ 同僚
 え、鷹道のやつですか?
 まー、控えめに言ってもクズですね。
 別に他のキャストの人が善良とは言いませんよ。程度の差はあれど人のこと騙すようなことはみんなやってるわけだし。やってないことになってるけど、枕もしてますからねなんだかんだ。
 でもその中でもあいつはマジで最悪ですよ。金とセックスのことしか頭に詰まってないから、薄っぺらいんですよね、人間が。
 ハーフらしくて、生まれつきの金髪だとか目が青いとか、それをやたら押してくるんですけど、まぁ結局あいつそれしかねーんだ。
 でも一番嫌なのが、あいつすぐキレるからうるっさいんですよ、本当に。
 仕事だから一応わがままにも付き合いますし、面倒も見ますけど。でも平気で手を出してくるから、なるべく近づきたくないですね。言ってくれないとわかんない振りして、わざとタイミング外したりして、話しかけるとき大体ドア越しです。
 怒るのわかってるんですけど、むかつくからあんまあいつのために何かしてやろうっていう気にもならないんですよね。
 動物に例えると鷹っつーか、ハゲワシ? 屍肉食らいっていうんですか。
 自分で獲物捕まえてくる力がないから、弱ってるやつを捕まえて食うみたいな。都合のいい餌が目の前に落ちているの待ちっていうか。そういう感じです。
 別に稼いでくれるなら多少の横暴は許すんですけど、あいつの場合は対して売れてないんで。
 めんどくさい女捕まえて貢がせてるから、今の状態維持してるならクビにはならないけどー、このまま続けてくつもりならちょっと厳しいんじゃね、みたいな。
 やめてくんないかなって内心みんな思ってますよ。
 その内、女にナイフで刺されるんじゃないかな。ウケますよね。
 ぶっちゃけそうなってくれたらいいと思ってます。
 いない方が世の中のためになる人間っていますからね。

証言者④ 鷹道・ファリントン
 マンネリ化している。同じ女と同じプレイを繰り返すのに、三ヶ月前からうんざりしている。だがこの女が金を運んでくる限り、媚を売ってやらないといけない。
 愛なんて初めからなかったが、裸すらももう見飽きている。
 早いとこ切り上げて、帰ってもらいたい。抱いてる最中に首を締めるのは、女を喜ばせたいからじゃなくその方が早くイくことがわかったからだ。
 鬱陶しい喘ぎ声も懇願も、指の元で握り潰せる。
(俺に抱かれてる体力あるなら、店に行って男に股を開いてこいよ)
 金が要る。
 この女は俺を父親に捨てられたかわいそうなやつだと思っている。本当はホストを辞めて、小さな店をやりたがっていると思い込んでいるのだ。それは一部、本当だ。
 実家の助けがあれば、こんな生活はしないで済んだ。父親が希望する進学先に合格できなかった俺は、実家から縁を切られた。そんなことで離婚まで行かないだろうから、俺の知らないところで父と母の関係はおしまいになってたんだろう。
 馬鹿女が何をやらかしたのかには、興味がない。
 ただ、金のない母親の方に引き取られたのは、俺の失敗のせいだった。手元に置いて置く程の魅力がないと、父に判断されたのだ。そのことだけは後悔している。
 生きていくには金がいる。服を買うのも、靴を買うのも遊ぶのも。
 誰からいくら借りたか覚えていないが、手元には残っちゃいない。
 今の俺みたいな感じだったんじゃないかと想像する。
(友達紹介しろっつったらキレんだろうな、このバカ)
 自分中心で世界が回っている女に、友達がいるかどうかも知らないが。
 この女は消費期限が過ぎている。だが替えがないから、捨てられない。歯磨き粉の最後の方みたいな女だ。
 だからスローモーションになる景色の中で、縁を切るいい口実ができたと思っていた。階段から突き落とされたのだ。
 痛い。こいつのせいだ。そう叫ぶつもりでいたのに、意外と洒落にならない滞空時間が存在して、胃のあたりが急にスッと冷たくなった。
(あ、ヤベ)
 馬鹿女。くそ。お前が落ちろよ。
 咄嗟に後ろに出した足がなんとか階段の面を捉えたが、靴がズルと滑った。手すりを掴もうと伸ばした手が空を切る。重力が容赦無く体を引っ張り、足首の関節に妙な向きで体重が掛かる。
 二人で話したい。そんな切り出し方をされる話はろくなもんじゃない。店で話せない内容ならなおのこと。
 ガキができた。めんどくさい話持ってきやがって。
 客の男じゃないってなんでわかる。俺の子供だなんて言い切れないのに、なんで俺に言うんだよ。それが調べられるようになるまで、育てさせるつもりもなかった。
 答えは早く堕ろせの一択。ガキなんて冗談じゃない。
 いくら掛かるのか知らないが、そんな金があるなら俺に払えよ。
 そう言わなかった俺は、かなり優しかったと思う。それなのに言うに事欠いて、産みたいとか言い出しやがった。
 それが事の発端。
 勝手にすればいい。だがガキは俺と無関係だし、女も無関係。それが嫌なら、ガキは堕ろす。二つに一つだ。金がないなら、俺が手っ取り早く片付けてやろうか。
 階段から突き落とそうとした女は、物凄い力で俺を弾き飛ばした。
 で、こうなったわけだ。回想終了。
 落ちた。
 俺は捻挫。女は無傷。腹のガキも、無論無事。
 店の建前としては枕はなしってことになっているから、女を孕ませたことに対して形式的な注意があった。トラブルを大きくして店の評判を下げるようなら罰則も。
 トラブルが大きくなると言うのはつまり、俺があの女とガキをどうにかできなかったらと言うことだ。人を階段から突き落としたんだから、それでいい感じに罪になって引き離したりできないのか。
 それを期待していたから、俺は甘んじて階段から落ちたあとも、女の顔面を殴り飛ばさずに耐えたのに。
 店の対応はにべもない。痴情のもつれは自分で処理しろという答えだった。
 痴情ってなんだ。俺はあいつに何の感情もない。
 同僚の冷ややかな視線が突き刺さる。怪我人なんだからもっと優しくするべきなんじゃねぇの、という常識的主張は無視をされた。仕事できないなら今日のところは家に帰るべきだと、店を追い出される。
 そいつらの目線と態度で、閃くように俺は一つの答えを悟った。
 ――もしかして、みんな俺が死ねばいいって思ってる?
 そういえば借金の積み増しのときに入らされた生命保険がちょうど三年経つ。自殺で保険金が下りるようになるのが、三年後だったはずだ。
 世界のあらゆる制度に興味はないが、それは三年以内に金をどうにかしろという意味だというのは俺にもわかる。
 俺を階段から突き落とした女からひっきりなしに、構ってアピールの連絡が届くこの状態で、どこの女の家に転がり込めばいい。
 どこにも行けやしない。
 家に帰るしかなかった。
 鍵は持っていない。インターホンを押し、鍵を開けさせる。
 使い勝手はいい。そこら辺の女の家よりは掃除されているし、飯も頼めば出てくる。何より抱かなくても言うことを聞いて、言えば金を出すやつがいるのがいい。
「鷹道くん」
 話す用事がなかったので、俺は無視した。
「あの、鷹道くん、お金」
「なに、あんの?」
「いや、あの、貸してたでしょ?」
「は? 金、お前から? あー、そうだっけ。いや今ねーから返せないからな」
「それは、全然いいんだけど、ね。他の人からも、お金、借りてたの? あ、あの。家に、なんか怖い人、来てたよ」
 マジかよ。いよいよもってやばい。
 聞き流したが、俺は内心焦っていた。
 いよいよ持ってやばいんじゃないか。どうしたらいい。
 俺、今まで愛される以外やったことないんだけど。

証言者⑤ ■■ ■■
 メッセージが届く。
 呼び出しだった。
 場所は深夜の屋上。
 関係者以外立ち入り禁止の表示を無視し、鍵を壊して押し入ったマンションの屋上には、当然一人しかいない。
「おせーよ。怪我した俺が時間通りに来てんのに、お前が遅れてくるとかなくね?」
 柵に松葉杖が立て掛けてある。
 申し訳なさはあるが、仕方がない。こちらはこちらで準備があるのだ。
 話し合いとは言ったけれど、それはすでに結論が決まっている話し合いだった。必要だったのは、金の問題と保険と、追い詰められた生活。
 最後の詰めで、呼び出されればのこのこやってくる愚かな男。
 鷹道・ファリントンが死んだら、いろんなことが解決する。
 借りている金。
 彼を疎んでいる同僚。
 過去に買っていたらしい恨み。
 そして鷹道自身だって、女とその子供の問題は考えなくて良くなる。
 万事解決。これでみんなが幸せ、ハッピーエンド。
 これはそういう話なわけ。
 概要の理解、オーケー?
 じゃ、勢いよく行ってみようか。
 背中を思いっきり蹴り飛ばす。それは反動で転ぶくらいの勢いだった。
 ぐらりと体が傾く。
 落ちることが確定し逃れられない事実になってから、ようやく自分の身に起こってることを認識した。
 落ちる。加速。重力が、体を引っ張る。遠ざかる。
 伸ばした手が空を切る。
 スローモーションになる世界の中で、考える。
 なんで落とされたんだ。
 地面に落ちる瞬間まで、その疑問で頭がいっぱいだった。
 逆さまのクエスチョンマークはグシャリと潰れて、脳漿の色をエントランス前のスロープにぶちまけた。
 なんで落ちた?
 なんで落とされた?
 は? 俺が死ぬわけなくね?

自室①
 勘違いしてもらっちゃ困るが、俺は別に悪人じゃない。
 人間のクズなんていうひどい言葉を投げかけられたことがあるが、流石にあのときは深く傷ついた。俺はこんなに優しいのに。
 鷹道・ファリントンの仕事は、人をキモチよくすることだ。
 だが金のために人と関係を結ぶことを、不誠実だと糾弾する層がこの世に一定数存在するのは確かだ。そういう考え方もあるんだろう。心の内側に踏み込まないままの気持ち良いを追いかける、上っ面の関係。
 倫理的ではないのかもしれないし、社会で受け入れられる貞操観念ではないのかもしれない。
 そういうことをする人間を悪人だというのなら、確かに俺はクズかもしれない。
 そしてクズには、同じくらい倫理に悖る振る舞いをする人間が見分けられる。理由はない。強いていうなら、臭いだ。表情や立ち姿、人を見るときの視線の送り方。そういう一つ一つが、伝えてくるのだ。
 だから初めて見るはずの名前も知らない青年が何であるのか、顔を見た瞬間に理解できた。
 あいつは俺と〝同類〟だ、と。
 ラウンジのベンチに座っているのは、綺麗な顔をした男だった。腹立たしいくらい整った、女に好まれる顔。きっと愛を注がれるばかりで少しも受け取らず、相手を振り回したところで誰に疎まれることもないのだろう。
 仲間意識など抱かない。
 俺は顔を見た瞬間に、そいつが嫌いだと思った。
 目の前に立つ。
 興味というよりは、確認のための反射の動作。俺を見上げるその目は長い睫毛に縁取られ、少女のようにすら見える。
 なんの感情も含まれていない顔をしていた。
 突然視界に影を落とし、パーソナルスペースに踏み込む距離の近さに対して、疑念も不満も不安もない。自分が死んだというこの状況に対してすら、動揺や恐怖は感じていないように見えた。
「お嬢さん、煙草持ってね?」
 小馬鹿にした声色を投げかける。人違いで片付けられるほど近くに人は多くない。
 俺と同類ならば、これだけで十分に伝わるはずだ。
 僅かに歪んだ眉が、意図が伝わったことを教えてくれた。
 返事をしないので言葉を続ける。
「いや、可愛がられてそうな面してたからそれくらいは、接待してくれんのかと思って。あんた誰のペットしてたの」
 愛嬌を売り買いするのを仕事にしていたのなら、たとえ自分が煙草を吸わなくても、客を喜ばせるためにライターくらいは持ち歩いているものだ。
 不愉快を隠しもせず表情を歪ませたのを見て、溜飲が下がった。
「あ? ああ、なんだお前誰かのオナペットしてたことあんのか。ホモそうだもんな。今回は初対面だから見逃してやるけど次間違えたら殴るぞ。煙草は俺も欲しいと思ってたところ」
 悪いが、こちらは飼う側だ。
「メスの面してんのは、お前の方だろ。そんな可愛い面で喧嘩とかできんのかなぁ」
 黙って言葉を聞いていたように見えた男の姿が、ブレた。
 視界が揺れ、少し遅れて衝撃が脳みそまで駆け上がった。
 この種類の暴力は、知っている。咄嗟に手が動いた。
 吐き気の中で、泥の中を泳ぐように動きが鈍い。気が付いたときには腕を取られ、頭を掴まれていた。意に反して視界が流れるとき、死んだ瞬間の長い長い落下を思い出し胃が縮んだ。
 ラウンジの清潔な床に、頭を地面に押し付けられていた。
 細腕に見えたのに、頭を押さえつける手が少しも緩まない。関節が動かないように押さえつけられている。
 感情の揺らぎから隙を見つけようと、声を絞り出す。
「なんだよ、ガチギレじゃん図星か?」
 見上げる男の顔は逆光になって、表情がわからない。
「喧嘩とか出来るのかという質問に答えただけのつもりだけど、お前は一歩動いたら自分で言ったこと頭から抜けるらしいな」
 押さえつける力が強くなり、関節が軋んだ。
「ご丁寧に教えてもらって助かるな。マジレスどーも。空気読めないって言われね? 見下ろされんの性にあわねーから今度はお前が這いつくばってもらっていいか」
 頭を押さえる手が離れた。
 勢いをつける一瞬の空白のあと、背中を踏みつけられて地面に這いつくばる。靴底の感触が離れた瞬間に、次に来るものがわかった。
 腹を庇った腕の隙間に靴先が食い込み、内臓がひっくり返る。
 胃の中身を吐き出し、胃液の味に咳き込む。
「クソ、ペットかと思ったら野良犬か? 目の前にいるやつ全員ボコして優位に立たないと怖いのかよ」
 すぐに立ち上がれ、と頭の中で警鐘がなる。
 次が来る。ここで、手が止まるはずがない。
「よく吠えるな。いや、鳴くって方か」
 頭が踏みつけられた。すり減って平らになった靴底が側頭部を押さえつけ、少しずつ体重をかけて来ている。
 だが手は動いた。顔を押さえつける足首を掴み、思いっきり爪を立てる。
「いッ……!」
 男が顔を歪ませ足を引いた。
 地面を転がり、距離を取る。追撃を警戒していたのだが、男はまだ血の滲む肌を見ていた。その隙に拳も蹴りも届かない場所まで逃げた。
 立ち上がるときに、盛大に舌打ちするのが聞こえた。暴力に慣れている風をしているくせに、痛みに弱いらしい。
 それが、ひどく滑稽に映った。
「なにまともな人間みたいな面して痛がってんだ。 自分を殴り返したことない雑魚としか喧嘩したことないわけか 。だせぇんだよ」
 人間ぶるなよ。
 お前は、俺と同じ。どうせ人間未満だろうが。
 渇いた笑い。
 男は人目を気にするように、周囲を見回す。
 髪の毛を掴まれた。
「いってぇ! 離せよクソ」
 引きずられる先は本来、寝泊りするための部屋なのだろう。
 個室の中なら、何をしようと他の人間は干渉できない。
 密室へ。
 扉が閉じた。