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マチ
2026-07-10 21:06:11
34865文字
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太陽を待っていた
漫画「ゴールデンカムイ」、アシリパさんと杉元さんのひと夏と、その追憶。
映画「アフターサン」パロです。パロ未満、映画の設定やシチュエーションのみをお借りしているようなストーリーです。杉元さんとアシリパさんは親子ではありません。
前世の持ったふたりが生まれ変わり、現代に暮らしている世界です。他のキャラクターたちは登場しません。
カップリング要素は原作程度。
現代を生きる杉元さんの誕生日が夏になっています。アシリパさん視点。アシリパさんの見た世界。
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空港へ向かうバスに乗り込んだ。昼まえの空港行きのバスはがらんとしていて、私たちは大きな荷物を抱えたまま、一番後ろの席に並んで腰掛けた。互いの飛行機が飛び立つまではまだ時間があって、けれどもどこかに遊びに出かける余裕までは持てなかったから、わざとこの鈍行バスを選んだのだ。このバスはゆっくりと街を巡り、そして終点の空港へと向かってゆく。私たちは一週間ですっかり、この街のことが好きになっていた。
バスの中で、私たちはしばらくの間何も話さずにいた。というよりは、私のほうが一方的に口をきかなかったのだ。寂しかったのだ、いまは何を話してもその先に待つ別れを思わせて悲しかった。
いまは目に見える何もかもが私と杉元とを引き離そうとする。私はそんなふうに寂しさのあまり不貞腐れ、せっかくの街の風景を見納めることもせず、杉元と会話することもせず、自分の膝に目を落としたままひたすら停車したバス停の数を数えていた。
空港に近づくにつれて、バスの中にも人が増えた。私たちは荷物が邪魔にならぬようできるだけ身を寄せ合い、荷物を手や足で抱えながらバスが空港に到着するのをじっと待っていた。
ある瞬間に不意に杉元のミサンガの鮮やかな青がぱっと私の視界を横切って消えた。それはブレーキを踏んだバスの勢いで私の身体が少しだけ前のめりになったのを、とっさに支えようとした杉元の手だった。その手につられて顔を上げる。その視線の先で、私はすんなりと杉元と目が合った。たまたま視線が交錯した訳ではなかった。杉元が私を見ていたのだ。杉元は私と目が合うと安心したように小さく笑みを浮かべた。それでいまさら気がつく。杉元は、私が顔を上げるのをずっと待っていたのかもしれない、と。気付く頃にはもう、話す時間なんてほとんど失われてしまっていた。杉元だって、何か話をしたかったかもしれなかったのに。なのに杉元はただニコリと微笑んで「大丈夫だったかい?」と私を慰める。私に向けられるのはいつだって優しくて、親切で、どこまでも愛情深いまなざしだった。それに見つめられるうち、私の中であっさりと何かが決壊した。そしてその瞬間から私はいかにも子どもらしくしゃくりあげ、さめざめと泣いた。杉元の膝を借り、お腹にすがりつくようにして泣きじゃくった。「寂しい」「まだ一緒にいたい」「帰らないで」
……
私はなりふり構わず杉元にそう訴える。杉元はひたすら私の髪を撫で、背中をさすりながら「俺もだよ」「そうだね」「ごめんね」と言うばかりだ。こういう時に不思議と杉元は困った顔をしない。悲しい顔もしない。いつもそうだった。私がいくら杉元のシャツを汚そうともみっともなく癇癪を起こそうとも、杉元はそんな私を見つめて目を細め、ただひたすら愛おしそうに微笑むのだ。
さんざん泣き通したからか、空港に着く頃には気持ちはすっきりと落ち着いていて、いまや先ほどの振る舞いを省みて恥ずかしささえ覚えるほど。今度こそきちんと杉元の目を見てシャツを濡らしたことを謝ると、杉元は首を横に振り「いいんだよ、そんなこと」と微笑んだ。杉元が私の顔を覗き込む。
「ほっぺたも目も真っ赤だ。冷やせるもの買ってこようか。顔に当てるとすっきりするかも」
「ウウン、いいんだ。平気だから」
「そう
……
? じゃあ、何かごはん食べる? お腹空いてないかい?」
そう言いながら杉元がさりげなく腕時計に目をやって時間を確認する。今日、私たちは時間の支配から逃れられない。何もかもをほんの少しずつ、早めに切り上げなければならない。息が詰まりそうだ。焦りで何かをやり忘れているような気がしてくる。
私たち二人の大きな荷物はもうカウンターに預けた。電子掲示板にはもう私が乗る飛行機の出発予定時刻が現れている。すぐそばで、誰かが手を取り合って別れの言葉を掛け合っている。大きなひとつの人の波がゲートに吸い込まれて行くのが見えた。私たち一緒にいられる時間は、もうあと少ししかない。私はずっと、頭の隅でいったいどのタイミングで杉元に別れの挨拶を切り出すべきかを考え続けている。こんなこと、考えたくもないのに。じわ、と目の奥に熱いものが込み上げて、私はそれを必死に飲み下す。
「
……
アイスたべたい」
「よし、アイス食べよう」
私のワガママにも杉元は嬉しそうに微笑んで頷く。杉元はさっと私の手を取ると少しだけ足早に歩き始める。たったそれだけのことなのに、私は泣きたい気持ちを堪えなければならなかった。歩く速度だけでも、杉元が一緒にいられる残りの時間を惜しんでくれていると分かるから。私も杉元の速度に合わせて歩いた。どうにもならないものに、少しでもふたりで抗うために。
私は杉元に手を引かれながらふと思う。この手を離してしまった後、私はこの手の温度をいつまで覚えていられるだろう? 杉元はいつまで、覚えていてくれるだろう、と。
「ーー明日子さん、」
杉元の声ではっと我に返る。
搭乗案内が始まったのだ。杉元が不安げに私を覗き込んでいる。「明日子さん、もう
……
」と、杉元は後に続く言葉を濁した。別れの寂しさに散々泣いた私を急かし追い立てるわけにはいかなかったんだろう。だから私は自分の意思で行かなくてはならない。この瞬間がやって来るまで気が付かなかったことがある。私の方が、見送られる側でよかった。きっと私は空港に一人取り残される悲しみに耐えられなかっただろうから。
「杉元、」
私は渾身の力で杉元の身体を抱きしめる。「寂しい」も「離れたくない」もさっきバスの中で散々伝えたから、いまはこうするだけで十分だった。杉元は手荷物を足元に置いて膝をつき、腕を目一杯に広げて私をその身体のすべてで受け止めてしっかりと抱きしめ返してくれた。私の背を支える杉元の右腕の力強さを大きく感じていた。
「大好きだよ、明日子さん」
「うん、うん。私もだいすき
……
」
乗り込み口に向かう私を、杉元は目を細めてじっと見つめていた。私が振り返るたび、杉元は私に見えるように大きく手を振った。杉元の右手にミサンガのビーズがキラキラと煌めいていた。私も手を振り返した。私の耳には、杉元の声がまだ残っていた。私が杉元の姿を見たのは、それが最後だった。
終わり
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