マチ
2026-07-10 21:06:11
34865文字
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太陽を待っていた

 
 漫画「ゴールデンカムイ」、アシリパさんと杉元さんのひと夏と、その追憶。

 映画「アフターサン」パロです。パロ未満、映画の設定やシチュエーションのみをお借りしているようなストーリーです。杉元さんとアシリパさんは親子ではありません。
 前世の持ったふたりが生まれ変わり、現代に暮らしている世界です。他のキャラクターたちは登場しません。
 カップリング要素は原作程度。
 現代を生きる杉元さんの誕生日が夏になっています。アシリパさん視点。アシリパさんの見た世界。





2.

 杉元の乗った飛行機は、私の便よりも30分あとに目的地にたどり着く予定になっている。
 私は杉元が事前に知らせてくれた空港出口の広いホールで杉元の到着を待った。売店で買ったジンジャエールのペットボトルを片手に、スーツケースの角に腰を下ろしたり立ち上がったりして、ゲートから次々に出てゆく人の群れを追目で素早く追う。杉元が乗った便の到着まではまだ時間がある。だからまだこうして監視員をしなくたって良かったのに、私は逸る気持ちでそこにそわそわと立ち尽くしていた。そうしないではいられなかったのだ。
 杉元が北海道にやってくる……それも私に会うために。こんなに嬉しいことはない。私の両親はあっさりと許可をくれ、14歳の私には多すぎるくらいの小遣いを持たせてくれた。初め杉元は、杉元と私たち家族で出かけることも提案してくれていたようだったけれど、最終的に私の両親のほうが二人で行っておいでと送り出してくれた。私のスーツケースには私の家族が持たせてくれた旅の道具や杉元へのお土産がたっぷりと詰まっている。
 結局、杉元が待ち合わせ場所にやってきたのは予め知らせてくれていた時間から15分ほど経った後だった。茶色いボストンバッグを提げた白いシャツにジーンズ姿の杉元が、グランドスタッフに怒られないギリギリの速さでこちらへ駆けてくる。空港ロビーに降りてきた杉元は私の姿をほんのひと瞬きで見つけ出してしまった。そういう小さな喜びが、私をたちまちに高揚させてしまう。
「明日子さん本当にごめん、到着時間が遅れたんだ」
「いいんだ、よくあることだし。気にしない」
 こうして顔を合わせるのは初めて札幌の街で会った時ぶりだった。電話越しではあんなに親しく話せたのに、顔を合わせると妙にどぎまぎしてしまう。私たちは少しの間顔を見合わせ、それからおずおずと互いを抱きしめあう。再会を確かめるためのハグ。杉元が身をかがめてそっと私の背に触れる。私はめいっぱい腕を回して杉元のぶ厚い身体にしがみついた。温かい身体の真ん中で心臓が力強く脈打っているのが伝わってくる。不思議なもので、それだけあれば言葉なんていらないような気がしてくる。杉元と抱きしめ合う時、どの瞬間であってもこの腕の中に私の居場所があることが嬉しくてたまらなかった。私が「おかえり」と言うと、杉元がにこりと笑って「ただいま」と頷いた。

 「いいもの買ってるね」と、杉元が私の半分残ったジンジャエールを指差した。私が「一口いるか?」と差し出すと、杉元は少し考えてから「明日子さんのだから貰えないよ」と遠慮した。
 半袖のシャツを着た彼の右腕はギプスで覆われている。杉元が出口から出てきた時からずっと、やけにそのギプスの白ばかりが目立っていた。遠目から見てもしかしてと思っていたけれど、近づいて見たらやはり、それは包帯でぐるぐる巻きにされた右腕なのだった。
「これね、階段から転げ落ちたんだ。マヌケだろう? 見た目よりそんなに酷くないんだよ、大丈夫。もう痛みもないし。心配ないからね」
 私の視線がそこに注がれていることに気がついていたのだろう。私がその話題を切り出すより前に、杉元が先にそう言って私を慰める。
「杉元も階段から落ちることがあるんだな」
「まあね。スギモトも、階段から落ちること、あるんだよ……
 杉元は左肩から自分のバッグを襷掛けして、空いた左手でさりげなく私のキャリーケースを引く。私が自分で運べると申し出ても、杉元は遅れたお詫びをさせてほしいと言って頑なにそれを断った。私は少し考えてから、杉元の右手が誰かとうっかりぶつからないよう、杉元の右側を歩く。隣り合って歩くと私の視界の隅に杉元のギプスの白色がチラチラと目に入った。ギプスからは時々、病院の待合室を思わせる消毒液の匂いが漂った。杉元はそれに気がついてまた「本当に大丈夫なんだよ?」と繰り返す。

 空港から出ていたシャトルバスに乗り、私たちは街へと繰り出した。夏休みらしく繁華街は人で賑わっている。私たちは予めガイドブックの中から選んだ海鮮が有名な定食屋で昼食をとり、それから荷物を預けるためにホテルへと向かった。二人で選んだコンドミニアム・ホテルだ。部屋の中に備え付けの小さなキッチンがあって、比較的安価で長期間滞在できるこじんまりしたところを選んだ。
 杉元がフロントスタッフに「杉元です」と伝える。はたしてこのスタッフから私たちはどんな風に見えているのだろうと想像する。受け取った鍵には可愛らしい貝殻のチャームが付いていて、杉元は嬉しそうにそれを私に見せてくれた。
 問題が起きたのは、予約した部屋に入室してからのこと。着替えたいから一度部屋に寄りたいと私が杉元に頼んだのだ。緊張していたのか、ここに来るまでにすっかり汗をかいていた。
「アア嘘だろ、ベッドが一つしかない」
 部屋を覗いた杉元が悲鳴をあげる。部屋にはダブルベッドが一つきり。私たちが予約していた部屋はツインベッドのはずだった。
 杉元が慌てて備え付けの電話機でフロントと話し始める。ベッドは2台必要だったのだと訴える杉元の背中を眺めながら私は、別にこのままでもいいのにと小さな声で呟く。もちろん、杉元には聞こえないくらいの大きさで。かつて山の中の小さな猟師小屋の中で寒さを凌ぐために互いを温め合いながら眠った日々を、杉元はきっと忘れてしまったわけではないだろう。ベッドはダブル・サイズで、私たち二人ならその大きさで十分に眠れるはずだ。けれどもいまの私たちには、そこで一緒に眠るだけの理由がない。
「そうですか……ウーン、まいったな……
 電話をかけながら、杉元がちらりと私を見る。私は「ここでもべつに構わない」のつもりで首を振る。杉元はそれにニコリと頷いて、「だいじょうぶだよ」と唇を動かした。私たちはもう、アイコンタクトだけで通じ合うことはできないのだ。

 結局、15分ほど交渉したのち、他の部屋が満室であることを理由にこの部屋に簡易ベッドを入れてもらうことで決着した。用意された簡易ベッドは備え付けのものと比べるとどうしたって見劣りがした。人の身体を支えるにはあまりにも粗末で小さく、どこまでも頼りなく見えるのだった。
「明日子さんがこっちだからね」
 杉元はそう言って私に大きなベッドを譲った。杉元は運び込まれた簡易ベッドにさっそく横たわる。私に見えるように大袈裟に身体を小さく丸めて寝返りを打ったり膝を曲げて寝相を変えて見せたりして「ほうらピッタリだもん」といたずらっぽく笑ってみせるのだ。杉元は変わらない。いつも、すべての瞬間、胸が苦しくなるくらい私に優しかった。





 ホテルの近くの神社で夏祭りをしているとあらかじめ聞いていたので、私たちは日暮れを待ってそこへ出かけた。途中でペットボトルのジュースを買い、あらかじめ揃いで用意していたストラップに着けて肩からさげる。祭の会場は地元の住民や観光客でずいぶんと賑わっていて、私たちははぐれないように手を繋いで屋台を順繰りに見て回った。射的は二人で五発ずつ撃った。はじめの一発が景品に掠ったきり、私のコルク玉は二度と景品に当たらなかった。杉元は大きなぬいぐるみを狙って撃ったけれど、ぬいぐるみは大きすぎてピクリとも動かなかった。もらった参加賞のキャラメルの箱が、二人のポケットの中でかさこそと音を立てていた。別の屋台で一回ずつ引いたくじ引きで杉元が引き当てた青いガラス玉のついたヘアゴムを、杉元が私のおさげにした髪に結んでくれた。代わりに私が引き当てた地ビールの引換券と取り替えっこをした。ガラス玉が屋台の裸電球の明かりに照らされてオレンジ色にきらきらと輝くのを、杉元は嬉しそうに眺めていた。
 お腹が空いてくると杉元はたこ焼きや焼きとうもろこしや海鮮の串焼きをどっさりと買い、私には姫りんご飴とイカ焼きと焼きそばを買って持たせてくれた。設置されたプラスチックのテーブル席にかけ、ふたりで分け合って食べた。りんご飴の飴の部分が硬くて、少しかじってから袋に戻した。あとでホテルに戻ってナイフで切り分ければいいだろう。代わりに分厚いホタテの串焼きにかぶりつきながら、祭り会場の中央に設置されたステージで行われる催しを眺めていた。ビンゴ大会、太鼓の演奏や地元有志会のダンスパフォーマンス、カラオケ大会……。スピーカーからは定期的に同じ迷子の男の子の呼び出し放送が流れている。
 いま、ステージでは地元住民の誰かが舞台に上がって歌を歌っている。クラスの女子たちの間で人気の曲だった。歌手が誰だったかは忘れたけれど、愛がどうだとか恋がどうだとかそういう曲だ。歌と観客たちの手拍子につられて杉元がゆらゆらと横に揺れていた。杉元の口元には焼きそばのソースがこびりついている。さりげなく自分の口元に手をやると、杉元よりもひどく汚れていることに気がついてこっそりと拭った。杉元はそれに気がつかない。杉元はいま、次にステージに上がった、杉元と同じくらいの年齢の青年の声に耳をすませている。
『傷つき、敗れ、何も見えなくなった愚か者みたいに……
 青年の歌声が響き渡る。知らない国の、知らない歌。きっと、あの青年が歌わなければ、私がこの曲にたどり着くことはきっと永遠になかっただろう。スピーカーの調子が悪いのか、高音にさしかかるたびに青年の声がひび割れた。けれども、そんなことで青年の歌声が損なわれてしまうことはなかった。スピーカーの届く範囲にいる人々全員が青年の声に耳をすませているような気がした。そのくらい、青年の歌声には何かしらを思わせる大きな力があった。
『あなたの笑い声を聴いた気がした。あなたの歌う声を聴いた気がした……
 私の視界の隅っこにいた杉元の頰から一筋、涙が流れ落ちる。杉元はさりげなく鼻を擦るフリをしてそれをぬぐい去った。私は前を向いたまま、けれども意識はもはやステージではなく杉元の横顔に注がれていて、杉元の一挙一動を追ってしまっている。
 青年の歌声はその日1番の歓声と拍手をもらい、照れくさそうにはにかみながらステージを降りて行った。そのはにかみ顔が私には少し、杉元に似ているような気がした。
……そろそろ帰ろうか。混み合ってきたね」
 テーブルの上を片付けながら、杉元が言った。杉元の鼻声は拍手に紛れてほとんどかき消されていた。けれども私だけは、その声を、言葉を、ひとつだって聞き逃さなかった。
「うん」
 人混みの中、はぐれないように杉元に手を引かれて、私は大きな杉元の影の中を歩いた。私たちの背中でどおん、どおんと大きな音がし始める。花火大会が始まったのだ。花火を見ようと押し寄せる人並みに逆らって、私たちはホテルを目指した。杉元の歩幅が少しだけ大きくて、私の足はだんだん小走りになり、たちまちに息が上がってゆく。杉元はなんだか急いでここから立ち去りたそうに見えて、私はどうしても止まってと言い出せなかった。私が走るたび、胸元で結んだおさげがぽんぽんと弾んだ。そこに一瞬気を取られる。
「あッ」
 私が急に立ち止まっても、杉元の足は全く戸惑うことなくぴたりと止まる。はじめからそこで私の足が止まることを予期していたかのように。杉元はその瞬間に起こった大きな爆発音に一瞬気を取られて顔を上げた。今の今まで花火大会が始まっていたことに気がついていなかったみたいに。それからハッとしてすぐさま私の顔を覗き込む。
「どうかしたの? 明日子さん」
「ヘアゴム……! どこかに落とした……