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ドル閣下
2026-06-05 20:23:26
18320文字
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きっと君を照らす泡影(かけら)
野薔薇が渋谷で退場してから最終決戦に戻って来るまでの間に、どこかも分からぬ不思議な場所で出会う人々。野薔薇の体験と感情を通し、傷ついた仲間たちと触れ合いを深めていく追想記。誰かの記憶の中に漂う欠片があるだけで、人には生きた価値がある。原作軸完結後if。オールキャラ。
出演…釘崎野薔薇、虎杖悠仁、伏黒恵、七海建人、五条悟、脹相
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五、 邂逅
どこまで走っても、誰の姿もなかった。遠くに農作業をしている人を見つけ、駆け寄ってみるのだが、近づくと誰かがいた気配すらなかった。白く均一に重くのしかかった空は、次第に圧迫感を増しているように見える。それにいくら走っても息が切れない。やっぱりここは夢の中なんだろう。だが、いつ醒めるとも知れない夢は恐ろしいだけだ。このまま、永遠の孤独の中に閉じ込められて過ごすのか。誰か、誰か。
白い空は一向に暮れる様子もない。夕焼けも夜明けもここにはないのだろうか。大気の動きが全く感じられない空間で、ゆっくりと空気の海に溺れていくような気がした。思わず道端に座り込み、膝をきつく抱え込んでいた。
そもそも私は、どうしてここへ来たんだろう。また分からなくなっている。何か酷い事故があったのか、顔が焼けるように痛かった。皆はどうしてるだろう。皆? 皆って誰だったっけ。さっき会いに来てくれた人たちは誰だったろう。七海さんと五条先生だ。もうそれも曖昧になりかけている。泣くべきだろうか。落胆し、喉の奥から悲しみが迫り上がって来ていた。
その時だった。何か、熱のようなものを感じた。寒さも暑さもないこの空間に、とてつもない熱量が近づいてくる。思わず顔を上げて、熱の行方を探した。道の遥か遠くから、大股だが滑らかな足取りで、男の人がこちらへ向かって歩いてくる。その人が近づくにつれ、熱は次第に鎮まっていった。
袖のなびく和服のような装いをしている。だが、足元は瓦礫を容易に踏みしめそうな頑丈なブーツだ。初めて見る人だ、と思った。闇のような黒髪はきっと長いのだろう、頭の上で二つに分けて結んでいる。普段の自分ならこき下ろして別の髪型に直すところだが、大理石のように曇りのないこの人の白い肌には、妙に似合っていた。太目の眉は眉尻がいくぶん下がり、切れ長で琥珀色の瞳がこちらを真っ直ぐ見下ろしていた。この瞳はどこかで見たことがある、と少し考えた。
私は弾かれたように立ち上がった。その人の額から、滑り落ちるように細く形の良い鼻梁が顔の中心に刻まれていた。鼻の上を横切る赤黒い線紋だけが気になったが、それさえもこの人を形作る美しさだと思った。
「悠仁を助けてやってほしい」
予想よりずっと低い声だった。が、威圧というよりむしろ言葉を絞り出すように
惺
しず
かに、その人は口を開いた。
「悠仁っていうのは
……
虎杖のこと?」
「そうだ。手を貸してほしい。宿儺を倒すのに、どうしてもお前の力が必要なんだ」
そうだった。なぜ私はここにいるのだろうと、ずっと引っかかっていたのだ。宿儺を中心に廻っているあの呪いの世界はどうなったろうか。ここに来る前に見た虎杖の、大きな目が見開かれた表情を思い浮かべる。ただでさえデカい目なのに、怖いのよ。そうだ、アイツ自身も怖かったのだと思う。
「あの呪霊、真人はどうなったんです?」
「真人は祓われた。呪霊らしくもがいて
抗
あらが
って、悠仁がとどめを刺そうとしたところを最後は羂索に使い捨てられた」
「羂索って誰?」
「それは
……
お前自身が戻ってから、悠仁にでも伏黒にでも聞いたらいい」
虎杖も伏黒も、何とか無事なのか。よかった。
「あなたも術師なの。なぜここにいるの」
「まぁ
……
そんなようなものだな。俺がここへ来たのは、お前をここから連れ出すためだ」
「私を迎えにくる意味なんてあるのかしら。私に今更何ができるって言うのよ」
あそこには、私より力も経験もある格上の術師が何人もいるはずだ。
「お前には役割があるからだ。お前にしかできないことだ。できれば俺が弟と共にやり遂げたかったが、どうやら俺の役割は終わったらしい。弟を守れたと思う。それでいいんだ。だが、お前はまだだ。果たすべき役割が残っている」
弟も、この兄も、虎杖との関係もさっぱり分からないけれど。でも、この人は自分の弟を助けたんだ。よかった。何の
衒
てら
いもなく、自分の思いを真っ直ぐにぶつけて来るこの人の真剣さを見て、なぜか説明できない恥ずかしさに似た思いが込み上げて来た。立派な大人にしか見えないのに、子どものような純粋な思いが、こんなにもこの人から透けている。
「頼む。弟を、皆を助けてやってくれ」
何と返事をしていいのか分からなかった。この人は私の知らない間に、皆と親しくなったんだな、と考えていた。目の前の姿が薄くなり始めた気がして、慌てて声をかける。
「待って、あなたは誰なの?」
その人は少し片側の口角を歪めて、微笑んだようだった。俺は、兄だ、と言うと、周囲の景色に姿が溶け込んで消えるまで、私の目をずっと離さず見ていた。最後に残った琥珀色が、一瞬の光を放ったように消えた。
七海さんも、先生も、そしてこの人もそうだ。ここへ私に会いに来る人は皆、何かを伝えに来ている。薄々感じてはいたが、やはりここはそういう場所、最期の別れの場所か。いずれ私はこのまま旅立つのだろう。
いや、違う。彼岸へ渡る人間に願いなど託さない。そうだ、彼らの言葉は願いだ。どれも私には願いに聞こえた。
そうだとすれば、私のやるべきことは一つだ。目を開けて白い空を仰ぎ見た。空には蛍光灯が二本、並んで鈍い光を放っている。蛍光灯? 顔の左顔がひどく痛むが、同時に感覚がない。立っていたはずなのに、床ほど固い板が背中に当たっている。
「さすが安物のベッドだわ」
と言ったつもりだったが、大してまともな言葉にはならなかった。視界の端で、髪を後ろで結んだ白衣姿がこちらを振り向いた。
「お帰り。戻ったか」
と、家入先生が言った。
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