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ドル閣下
2026-06-05 20:23:26
18320文字
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きっと君を照らす泡影(かけら)
野薔薇が渋谷で退場してから最終決戦に戻って来るまでの間に、どこかも分からぬ不思議な場所で出会う人々。野薔薇の体験と感情を通し、傷ついた仲間たちと触れ合いを深めていく追想記。誰かの記憶の中に漂う欠片があるだけで、人には生きた価値がある。原作軸完結後if。オールキャラ。
出演…釘崎野薔薇、虎杖悠仁、伏黒恵、七海建人、五条悟、脹相
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三、 凪の中の星雲
大して中身の入っていないランドセルを背負って、今にも降りて来そうな白く低い空の下、一直線に伸びる畦道を歩いていた。きょうはふみがいない。いつも二人で歩く道なのに。そうだ、久しぶりに沙織ちゃんの家に寄ってみようか。数日前にも会ったような、何年も会っていないような、妙に現実味のない記憶の欠片が浮いている。綺麗で憧れのお姉さんだった。沙織ちゃん、どうしてるかな。渋谷から離れたところで無事にしているといいけど。
いつの間にか、広い県道のアスファルトの上を歩いている。太陽はどこにも見えないのに、陽射しが頭を突き刺しに来る。
「野薔薇はさ、なぜツライって言わないの」
あたりの空間を揺らすような、深くて清涼な声がどこからか降ってきた。聞き慣れた明るい口調に少し安心する。
「五条先生!」
柄にもなく、喜色に溢れた顔をしてしまったと思う。声のした方へ思わず駆け寄る。姿も見えないのに。誰かが会いに来てくれると、それだけで嬉しい。ましてや、最強なら尚更だ。泣きたくなるほど心強かった。
「へぇ、野薔薇から嬉しそうに呼ばれると感激しちゃうね」
例によって軽さの鎧を身に纏っているし、私たち生徒の方も碌な先生扱いをしてこなかったけれど、結局はそこにいるだけで誰もが先生を大好きになるのだ。
「先生」
「んー?」
「どこにいるの? 姿見せてよ」
「おお? 嬉しいねぇ」
筋肉がしっかりと付いた長い手足と、形のよい白い頭が空から降りてくる。本格的な体術訓練で着るような黒と白の道着を来ていた。きょうは珍しく、尊敬の念を台無しにしない程度の適度な威厳も漂わせている。
夏の星雲を映し込んだような、何層にも奥行きのある大きな瞳。今まで、先生の瞳はどこまでも曇りのない夏空の色だと思っていた。よく見ると、宇宙に浮かび上がる星団を詰め込んだように、光と影がくっきりと輝いている。いつ見ても先生は煌びやかだ。ちょっと
癪
しゃく
だわ。
「私、ツライのかしら。自分ではよく分からないのよね」
「
……
そうかぁ。じゃあ、ここにいるのは楽しいかい」
「楽しいかどうか? そういえば、まだここから出たいかどうかも考えてなかったわ。何かやらなくちゃいけないことがあるのに、それが分からない。こんなところでなぜうろうろしているんだろう、私」
高専生のつもりで話す小学生。私の頭に手を置きながら、先生は笑う。
「野薔薇は強いからね。誰かに相談したり吐き出したりしなくても、自分の中で苦悩を強さに昇華できるんだ。僕にもさ、野薔薇のそういうところが欲しかったよ。昇華できたと思っていたのに、とんだ勘違いの執着野郎だったかもな」
はははっ、と少し乾いた笑いが聞こえる。そんなことないでしょ、と言おうとして、先生は寂しいのだろうか、とふと思った。何かを後悔しているのかも知れなかった。
「君は自分を曲げないようでいて、結構柔軟性があるから対応自在だ。それは僕も安心してる」
「そう?
……
そりゃどうも」
「だけどね、他人は君の思うより百倍も弱いかもしれない。強く見えてもだ。誰かが情けないことを言っても、くだらないと思わずにちゃんと聞いてやりなよ。それが強者の義務、いや特権かな」
「わ、分かってるわよ、そんなこと、強者ではないけどね」
ついそんな風に応じてしまうが、先生から厄介な愛すべき強者という評価をされるのは、案外心地よいものだった。
「特に悠仁はさ、強いけれど脆いところもある。脆いけれどなかなか崩れないところもある。分かる?」
「どっちなのよ」
「強くて明るいヤツほど、本当の気持ちを隠すのが上手いからね。この闘いはいずれ首尾よく片付くと僕は信じてる。問題はその後だ」
先生の言うことは絶対に聞き逃せない、忘れてはいけないという気がした。
「悠仁は見た目よりずっと大きな傷を負ったんだ。そして、この先も長く心に抱えて生きることになる。それなのに、さらに大きな責任も背負って前へと進まなくちゃならない。それがどんなに辛いことか、僕には分かるよ。もちろん野薔薇だって、まるっきりの他人事じゃないからね」
先生の横顔がまっすぐ道の果てを指している。静かだが、何者にも邪魔をさせない強靭な意志がそこにあった。先生はおそらく、何かを覚悟しているのだ。無性に先生を引き留めたかった。嫌な予感がして、背中に一筋汗が流れた。
「意地は張るべき時に張っていい。痩せ我慢だってしていいよ。でも、寂しい時は寂しい、悲しい時は悲しいって言ってもいいんだ。君たちが子どもだからじゃない。自分の気持ちに寛容になれるのが大人だ、と僕は思う」
大切な気持ちを押し殺すな、と言われたようだった。先生の言葉を聞いているうちに、私がずっと恐れていたのは、自分で自分を許せなくなることだったのだと知った。弱い自分を曝け出すことが許せなかった。私を私たらしめているのは、強くあるべきという矜持そのものだったから。
「野薔薇、時には意識して力を抜かなきゃダメだよ。そしてもう一人、ガチガチに力が入ってるであろう悠仁のそばにいてやって。がんじがらめになっている彼に喝を入れるでもよし、慰めるでもよし。やり方は野薔薇に任せるよ。恵はまぁ
……
大丈夫でしょう。僕が育てたようなもんだからね」
「ヤダ、私が責任負うの? 荷が重い
……
まぁいいわ。できる限りのことはやってみる」
「ホント? 約束だよ、野薔薇」
「約束する。でも先生、私たちまだ一年だし、呪術のこともよく知ってるとは言えないし、もっと先生に教わりたいことがたくさんある」
「大丈夫さ、君たちは。僕から離れるのはちょっと早いかもしれないけど、このGTGの教え子たちだからね。五条悟がいなくても、野薔薇も悠仁も恵もきっとうまくできるさ」
「待って、離れるってなに、先生、」
全て終わったら、いつものバカ目隠しに戻ってくれるのよね、先生。言おうとしたが、目の前はもうただの虚空だった。私は確かに先生と話をしていたのに。先生はここにいたのに。
なぜだか居た堪れなくなって、私は車の一台も来ない県道を全速力で走った。
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