燈 ともしび
2026-05-26 20:43:42
24329文字
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ぎゆさねオメガバ【熱と衝動】

ぎゆさねオメガバース。
教育実習生🌊×教師🍃の歳下攻です。
🍃さんの妊娠描写があります。
あとぎゆさねの子どもが出てきます。
苦手な方はご注意下さい。



……どなたですか?」
 玄関のドアは開けずに問うた。
 この時間は流石に鍵を掛けているのだが、今は掛けていて本当に良かったと思う。少なくとも俺が開錠しなければ相手は中へと入ってこられないのだから。

「遅くに悪いね。庭で獲れたやつだけどみかん食べるか?」
 おばあの声だった。
 張り詰めていたものが一気に脱力する。
 三和土へ降りて鍵を開けると、そこに立っていたのはやはりおばあだった。手にはビニール袋をぶら下げている。
「さっきやけに顔色が悪かったからね。これならサッパリするかと思ってお節介するよ」
「あ、ありがとうございます」
 礼を言って袋を受け取ると柑橘の良い匂いがする。開ければ小振りだけれど艶々の美味しそうなみかんがたくさん入っていた。
「あまり無理しなさんな。何かあったらうちにおいで」
「はい。何から何までいつもありがとうございます」
 おばあの優しい気遣いに涙が出そうになった。妊娠してからホルモンの関係なのかやけに涙脆くなって困る。

「でね、アンタに確認してからと思ってうちに留め置いているんだが」
「はい?」
「昼間にアンタんちに来てた若い男が今うちにいるんだわ」
「え……
「うちの前辺りを彷徨いていてね。孫が話しかけたんよ。アンタのことを不死川さんってはっきり名前で言ってたから他人ではないかとも思ったんだけどね、ちょっと思い詰めた感じだったからすぐ会わせないほうが良いかと思って息子に捕まえさせといてる。アンタは妊娠中だし何かあったら危ないし」

 まさか、と思っていたが、俺の予想は当たっているのかもしれない。不死川なんてそういる苗字ではない。なら、確実に相手は俺のことを知っている人間だ。おばあが昼間に言っていた容姿の通りなら、冨岡しか考えられない。

「どうする? 会うかい? 会うならうちででも良いけど。今なら息子も孫もいるし何があっても男手があるから」

 どうしよう。どうしたら良いのか。
 冨岡は用があるからこんな遠くの島まで俺を訪ねて来たのだろう。そして、多分それはこのお腹の子のことだ。でなければ実習で会っただけの相手がこんなところまで追いかけて来るはずがない。

 両手を握りしめて考える。
 おばあは何も言わず黙って俺の返答を待ってくれている。

 目を閉じて自分の腹に手をあてる。少しだけれどお腹が出てきているのだ。
 会うのは怖い。あの日なにがあったのか俺はほとんど覚えていない。ただヒートが起きて妊娠したことは事実だ。それしか分からない。
 でもこのままで良いとも思わない。事実を知りたい気持ちもある。
 なら、一度あいつと……冨岡と向き合う必要があると思った。

「あの……
「うん。決まったかい?」
「はい。あの……おばあの、お家で会っても良いですか?」
「もちろんさ。おいで」
 いただいたみかんの袋は玄関に置き、ぺたんこの靴を履いておばあの家へと向かう。気遣いなのかおばあは俺の片手を皺だらけの温かな手でぎゅっと握ってくれていて、それがとても心強かった。

 おばあの家に着くとおばあの息子さんが出迎えてくれた。お孫さんは中で冨岡を見張っているらしい。
 先を歩くおばあに着いて廊下を歩き、奥の引き戸を開ける。
 畳の部屋の奥。座布団に背筋を伸ばして座っている男の姿が見えた。
 それは俺が予想した通りの男。
 白シャツに黒のスラックス。ぴんとした綺麗な姿勢。当時は長かった黒髪は切ったのか記憶よりも短いが、青みを帯びた黒い瞳はあの頃のまま変わっていない。おばあの言う通りの整った容姿は少し大人びたか。
────冨岡義勇。キメツ学園で俺が実習指導を担当した男がそこにいた。

「不死川先生」
「うん」
 名前を呼ばれたがなんて返事をすれば良いのか分からず、子どものような反応をしてしまった。

「知り合いで間違いないかね?」
 おばあの息子さんに問われるとそちらには「はい」と答えた。
「話しは出来そうかい?」
 それにもはいと答える。冨岡がここにいる以上、何か俺に伝えたいことがあるのだ。ならば話を聞くしかない。
「込み入った話なら俺たちは席を外すが」
 おばあの息子さんにまで気遣われてしまった。が、話の内容も俺の予想通りなら二人で話すべきなのだろう。
「あの、申し訳ありませんが二人にしていただいても良いですか」
「分かった。俺たちは部屋を出よう。でも先の部屋には控えているから何かあれば大声で呼んでくれ」
「はい。ありがとうございます」

 知り合いとは言ったが、冨岡はまるで罪人扱いだ。それほど俺の態度がおかしかったのだろう。
 でもおばあの家で、おばあだけでなく息子さんやお孫さんも居てくれるから二人で話す勇気が出たのだ。本当にありがたい。
 おばあ、息子さん、お孫さんが順に部屋を出ていく。おばあは最後まで心配そうにこちらを見ていたから軽く微笑んで頭を下げた。
 引き戸が閉まると部屋の中は冨岡と俺の二人だけになる。空気は重い。でも話を聞かないといけない。先に口を開いたのは冨岡だった。

「不死川先生がこちらに転勤になったと聞きました」
「うん」
 冨岡は座ったままだが、真っ直ぐに俺を見つめて視線を逸らさない。その真剣な眼差しはまるで決闘のようだと感じるくらいの熱が込められていた。

「それは……不死川先生が妊娠しているから、ですか?」

 ああ。
 力が抜けそうになる。
 俺が妊娠中であることは学園長と主任の悲鳴嶼先生と母さんしか知らない。他の同僚や生徒には体調不良の為に空気の良い環境に転勤になったとだけ伝えられている。知っている三人は俺の許可なく妊娠の事実を冨岡に教えるような人達ではない。
 だが、あと一人。あと一人だけ俺の妊娠を知り得る可能性のある人間がいる。
 それはあの日、ヒートを起こした俺を抱いたアルファー。腹の子どもの父親。
 そして、俺の運命の番。
 そいつは俺が妊娠していることを誰に聞かなくても知っているはず。俺が覚えていなくとも、そいつは身に覚えがあるだろうから。

「お前か」
 お前が俺を抱いたアルファーか。
 戸惑いと驚愕の大一波が抜け、そのあと心に浮かんできたのは怒りだった。
 キメツ学園の生徒でなかったのだけは幸いだったが、だからと言ってヒートで意識が無い俺を保護せずに抱き、そして孕ませたのは到底許せることではない。たとえ俺達が運命の番だとしてもそれは変わらない。

「申し訳ありません」
 冨岡は座布団から降りると畳の上で俺に向かって深い土下座をする。けれどそんなことでされたことを許せるはずもない。
「謝られても許せない。でも真実を知りたい」
「はい。申し訳ありません」
「謝罪は要らない。ただ、あの日何があったのかを教えて欲しい」
……はい」
 土下座の低い姿勢のまま、冨岡は顔だけを上げる。俺も座布団から降りて近付き、視線を合わす。

「俺は、ずっと不死川先生が気になっていたんです。ずっと恋焦がれていました」
……それは、どうして? 俺とは実習で会った日が初対面だったのに」
 自分で言うのもなんだが俺は一目惚れされるような容姿をしていない。顔は厳ついし、細身だが筋肉質な身体をしているのでオメガらしくないとずっと言われていた。だからなぜ冨岡が初対面から俺に焦がれて執着したのかが分からないのだ。

「俺は小さな頃から運命の番のことを知っていたんです。うちの家系は代々アルファーが多く生まれました。父も姉も俺も、アルファーです。そして我が家に生まれたアルファーには必ず見る夢がありました」
「夢?」
「はい。自我が芽生える頃に初めて見て、そしてその後はずっと見るようになる夢、です。俺はずっと不死川先生のことを夢に見ていました」
「つまり、夢で俺のことを見ていたから、会う前から知っていた、と?」
「はい。その通りです。それまで何をしていてもつまらなかった。大した努力をせずともなんでも出来てしまった。そのせいでアルファーとして生まれながらも自分の存在価値を感じられずに常に息苦しさを感じていた。だからいつ死んでも良いとさえ思っていたんです。世界はずっとモノクロで冷たく、暗かった」
 冨岡は身体を低くしたまま、己の手で着ているシャツの胸元を強く握っている。それは胸が苦しいのかと思わせるような仕草だった。
「でも、あの日。大学教授である親の言われるがまま進んだ教育課程の実習で、俺は貴方に……不死川先生に会った。それは心臓が止まりそうなくらいの衝撃でした」
 胸元から手を離した冨岡は膝を立ててジリジリと俺へと近寄ってくる。
 俺は得体の知れない恐怖から後ろに下がる。
 すると冨岡は俺の行動に気がついたのか立ち止まり、下を向いた。その膝下に雫がポタポタと落ちる。
 冨岡の涙だった。
 顔を上げた冨岡は泣いていた。

「小さな頃からずっと夢で見ていた俺の運命の番。それは不死川先生と同じ姿をしていました。姿だけではなくて声も同じ、話し方も同じ。キメツ学園という出会いの場所も同じでした。その時から俺の世界に色がついたんです。冷たかった手足に血が通い始めたんです。俺の世界は不死川先生、貴方で染まりました。この世界で貴方だけが輝いて見えた」

 冨岡の話に頭を殴られたような衝撃を受ける。
 オメガはその性質から呪いのようだと思ったことがある。自分がオメガとして生まれたからこそ余計にそう思っていた。
 けれど、冨岡の話を聞いて違うのだと感じた。
 違うというか、呪いはオメガだけではないのだと。
 特権階級とされているが、冨岡の話が本当ならアルファーも呪われているようではないかと思ってしまった。
 あの日、俺が予定外にヒートを起こしてしまったこと。それが始まり。きっかけ。冨岡は俺を抱くことで呪いを強くしてしまった。欲したのは夢の中の『己の理想の番である不死川実弥』であって現実の『不死川実弥』ではないのにそれに気づけなかった。
 そう、冨岡は呪われたのだ。俺という幻想の中の番に。そしてその呪いを自力で解けずに行動してしまったことでその呪いを更に深めてしまった。

『可哀想に』
『ごめん』
 あの日、意識が失われる前にかけられた言葉。それをそのまま返したい。
 冨岡のしたことは許せない。
 でも目の前で泣く冨岡を哀れに思う。

 バカだな。
 バカだよ。頭が良いアルファーのくせに、なんで止まれなかったんだ。

 バカだ。大バカだ。

 身体を縮めて泣く冨岡にもう一度近寄る。
 もう成人しているのに、迷い子のように頼りなく泣くだけの哀れな男。
 お前はずっと自分に呪いをかけ続けていたんだ。

 もう冨岡のことが怖くなかった。
 それどころか憐れんでいる。
 バカなやつ。可哀想に。

 両腕を伸ばし、冨岡に覆い被さるようにして抱きしめた。
 この感情がどこからきたものなのか、その時の俺には分からなかった。