錘(つむ)
2026-05-24 23:38:32
13108文字
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緑色の目の

ドゥリーヨダナに声をかけられ、弟にされてしまう!と怯えるジョン・ラックランドだったが…


 ジョンが少年の姿で自室でくつろいでいると、インターホンが鳴らされた。
 顔を出すとドゥリーヨダナがにこりと笑って見下ろしており、もう終わったと思っていたジョンが反射的に何も言えないでいるうちに潜り込んできた。ドアが締まり、初手で閉めるかせめて犬を放しておくのだったと嘆いた。
「いやぁ、この間は面倒をかけたな! ドゥフシャーサナは適度に締めておいたのだが、おまえにどうしても謝りたいっぽいようなことを言っていたので持ってきた」
 自分の胸元あたりを掴むと、何かを引き出した。ドゥリーヨダナと同じくらいの体格の男で、部屋がすごく狭い。覆面越しで分かるふてくされぶりである。
「はぁ?? 弟の躾に余を巻き込むんじゃない!」
「あー、すまんすまん。ちょっかいを出そうとしたら自動的に引っ込むようにしてあるし、終わったら勝手に消えるからちょっとだけ、な! 迷惑料兼お小遣いをた〜んまり振り込んでおくので許せ。ではな」
 流れるように退出していってしまった。
 今からでも追いかけて犬をけしかけて脛と尻でも噛ませたほうがいいのではないだろうか。ジョンが半ば真剣に検討していると、ドゥフシャーサナは苛立たしげに唸り、覆面をむしるように外した。兄より若く見えるのは髭がないせいか。しかめた顔から、無理やり口角を上げた。
「おいチビ、ちょっと兄貴に褒められたからって調子に乗ってんじゃねえよ。お国じゃ嫉妬深いやつの目の色なんだって? ウケる」
 ジョンは半眼を向けて鼻を鳴らし、ドアに向かって歩きながら声を張った。
「おい保護者、だめだこいつ。躾が野良犬以下。引っ込めろ」
 ドゥフシャーサナは目に見えて慌てて、回り込んできた。初手で保護者を呼びつけられるとは思わなかったようだが、逆にどうして呼びつけられないと思えるのだろうか。
 ジョンは片手を越しに、片手を顎にしてわざとらしく見上げた。
「兄上に謝っておけと言われた手前、何かそれらしいことを言わなくちゃならないけど謝り慣れしてないから取り敢えず普段から取ってるコミュニケーション、つまり喧嘩腰以外選べなかったんだろ? 余にはな、プライドだけは異様に高い卑屈で甘えたの考え方なら手に取るようによぅく分かる。まさに余がそうであるゆえな!」
「こ、このガキ」
「うん? ガキは涙目になるとでも思ったかぁ? ざーんねん、だな。お前みたいなやつは王宮に侍る貴族子弟にゴロッゴロいたから慣れてるんだよこっちは! もっと目新しいのじゃなきゃ記憶にも残らないね」
 手を出せないのがよく分かっているからここまでコケにできるのであって、あまりいい趣味ではない。ジョンは苦笑して、ドアを示した。
「ここまで言う必要はなかったか。別に、謝罪なんて要らない。余自身は具体的な迷惑を被っていないし、今のは普通に言い過ぎたしな。そちらの兄上にはうまく言っておく。本当になんとも思っていないから帰っていいぞ」
 ドゥフシャーサナはうつむいて、動こうとしない。
 逃げ道作ってやっても下がれないほど馬鹿か。伺うと、おそらく言葉を選んでいるようで、ドゥリーヨダナに顔向けができる程度の謝罪は行いたいのだろう。
 ようやく、ドゥフシャーサナは口を開いた。
「俺は。兄貴の跡を継がないで済んだんだよ」
「? そうなんだろうな」
 それは、先立たれないで済んだということだが、羨ましがらせるにしては同じように跡を継がずに済んだ下の弟など数え切れぬほどいる。悔しがらせたいならそれ相応の態度をとるだろうし、さっきの威勢はどこに行ったのか。

 ドゥフシャーサナは宝具で呼び出され、視界の端に痩せっぽちの少年を見た。見てしまった。
 直感としかいいようがない。きっと、こいつは、必要な時に兄殺しの役目を負わされる。おそらく、兄を、最愛の兄を、最愛であるからこそ、その運命を命脈を断ててしまえる。だから選ばれた。そういうやつだ。身震いがした。そんな存在があるなら、俺は。
 クル戦争は神々や大地の女神の意思が働いていた、らしい。
 兄が「知ったことか」と叫ぶ。「知ったことか、我らが欲しいのだ」。だから、ドゥフシャーサナにとっても神々の意思さえ知ったことではない。
 すべては兄が考えてくれる。兄の感情は、自分の感情だ。兄が好きなものが自分の好きなもので、だからドゥフシャーサナは何も考えない。弟たちに馬鹿だと言われれば殴るが、利口でありたいわけではないのだ。
 シャクニ叔父がドゥフシャーサナにだけ、兄も他の兄弟も居ない場所で、「我らは神々の計画が狂わぬように置かれた」と伝えた意味も考えない。知ったことではない。「ドゥリーヨダナで遂行できない場合は、神々はお前を。お前は、もしもの時は、ドゥリーヨダナを」 ああ、知ったことではない!
 兄が屈辱から命を絶つと宣言し、自分の代わりにとドゥフシャーサナを指名した。心の底から嫌だった。何度も考え直してくれと頼んだ。それは、やらずに済んだ。
 ドゥフシャーサナにもし役割があったとして、それも知らずに、やらずに済んだ。体をオモチャみたいに壊されて、血を飲まれてこれが報いと罵られながらゆっくり死んでいくときに、その安堵があったと知ったらどんな顔をするだろう。教えてなどやらないが。
 兄の一部として影法師の仮初の生を受け、ドゥフシャーサナは幸せだった。だって、もういいのだから。ずっと兄と一緒で、よくわからない決別をちらつかせられることもない。相変わらずアホだと評する兄弟にはラリアットなどを食らわせ反撃を受けていたが、賢さが見通す目ならそんな物はいらない。
 だが、あの子供を見た時に、もう死んでいるのに影であるのに振られる役割があるのかと怖くなった。
 考えたくなかったから。兄にも逆らった。自分でもわからないし、わかりたくもないのだから説明なんて出来ない。兄は出てこないなら見ているようにと命じ、接触を図った。
 あの子供の別の姿であることは、羨ましいことだとドゥフシャーサナを評した。羨ましがられたことはなかったので呆然とした。それは世辞ではなく、緑色の瞳に灯る色は、言葉の通りの羨望だった。
『もはや兄を補佐し戦う誉以外の役割を与えられることはあるまい』
 ドゥフシャーサナはそこで、対面もせず見抜かれたことと、恐れた相手に一方的に救われてしまったことを悟った。再び取り戻した安堵を握りしめながらも、新しく生まれた落ち着かない感情が湧いてきた。どうすればいいかわからないところに、兄から謝っておけと命じられ。そして、今に至る。

 ドゥフシャーサナは他人の部屋で、完全に固まっている。やはり保護者呼んだほうがいいだろうか。ジョンがしびれを切らし始めた頃、視線を外し続けるドゥフシャーサナは口をもごつかせた。
「あんたも。二度と、したくもないこと、しなくて済めばいいな……
最後の部分はほとんど消え失せるような声だった。それでもジョンに聞こえはしたが、ドゥフシャーサナはかき消すような大声を張り恥得た。
「いや、どうでもいいんだけど! 本当にどうでもいいんだけどな!! 俺達兄弟以外ほんとどうでもいいんだよ! そういう意味のやつだよ!」
「うん。結局は、そうなんだよな」
 ジョンもこの難儀な男の言いたいことを把握したとはいい難いが、そこは同調できた。
「これで勝ったと思うなよ!」
 ドゥフシャーサナはものすごく頭の悪い捨て台詞を吐いてダッシュで出ていった。廊下を覗くともういなかったので、消えて戻ったらしい。
 自分も甘やかされて育てられた自覚はあるが、あれも少し別の方向で甘やかされすぎた結果の産物なのではなかろうか。


 なお、後日、ジョンの口座に振り込まれたQPは桁がだいぶおかしかったので、ちょっとしたかなりの騒ぎになった。