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望月 鏡翠
2026-05-21 20:15:50
28762文字
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庭師は何を口遊む 霊山班
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交番勤務比叡巡査
#庭師何を口遊む_霊山班/ネタバレなし
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制服を脱いでしまえば、警察官だと見破られることはない。わかる人間がいたら、おそらく同乗者か犯罪者か、常日頃から警察の身のこなしの癖に注目している人なのだろう。
ただ、陽の高いうちから酒を飲んでいる成人男性というのは、目立つ。警察署が近いという場所柄も相まって、この辺りにくるやたらガタイのいい男たちは、会話の内容も相まって、警察官なのではないかと当たりをつけている店員はいるだろう。
捜査情報を聞こえるところで話している刑事は流石にいないだろうが、酒が入ってつい熱くなり不出来な後輩に喝を入れてしまう古い刑事はいる。
体育会系のノリがどうにも苦手な比叡のような人間からすると、仕事終わりに飲みに誘われたというだけで、気が重かった。佐合がついてきてくれたが、彼だって面倒見がいいから気にかけてくれているだけで、結局は勢いでコミュニケーションを回す側の人間なのだ。
この時間から飲める店というのは、多くない。霊山が選んだのは焼肉店だった。
個室になっているのと、煙用の排気設備があるから喫煙者でも肩身が狭くない。無難な選択だ。
霊山が煙草に吸いはじめるのを待ってから、比叡は自分も煙草に火をつけた。
とりあえずビールを頼み、ひとまず最初の一杯を飲み干したあと自分のペースに戻る。あまり飲まないというよりも、最初を合わせておいた方が、角が立たない。
比叡はアルコールは好むものの、あまり強くない。新しい上司の前でこれ以上の醜態を晒さないように、酩酊度合いは注意しなければならない。
「どうしてわざわざ僕たちを誘ったんですか?」
元相棒だった二人だけ呼ぶというのは、恣意的な選択ではないのか。
警戒する視線に対して、霊山はきょとんとした顔をして何を言われたのかわからない顔をして首を傾げる。
「いや、全員に声はかけたんだが、用事があるらしくてな」
断ってよかったのか。
自分の知らない選択肢があったことを知り、苦々しい気持ちで佐合を睨む。騙された。強制参加の雰囲気を出していたじゃないか。
もしかしてハコを出るとき、すでに比叡以外は話を纏めていたんじゃないだろうか。
しかし、人付き合いの悪い比叡ならともかく、社会性と出世欲のある彼らにしては珍しい。親しくしたいなら、今日の誘いには乗っておくべきだっただろう。
「あ〜許してやってください。戸田は今お母さんが具合悪くて、田沼は子供がまだ小さいんです」
比叡が知らない同僚の事情までよく知っている。そういうことなら、話はわかる。
配属初日の上司がチームに声をかけて、誰も来ないというのは、人間関係に緊張が走る状況だ。霊山本人が気にしていなかったとして、部下の側は気にするべき、というのがおそらく彼らの判断だ。
しかし比叡は一切気にせず断って帰りかねない。それを気にして断れなくしたのだろう。早く家に帰りたい以上の事情を明らかにしていない独り身の比叡がくるべきだと言われれば、確かに理屈はわかる。
佐合も流石に、初日で霊山と対面で飲むのは緊張したのかもしれない。
「別に構わないぞ。ちょうどお前たちとも、ゆっくり話してみたいと思っていたところだ」
「光栄です。どうでした、初日の感想は。交番勤務なんて面倒じゃありませんか」
「そんなことはないぞ。面白いものが見られたし、優秀な部下ができて嬉しいよ」
「こっちも優秀な上司は大歓迎です。霊山警部補は完全に持ってる側の人ですね。初日にあれはそうはないですよ。通報は多いけど犯罪になるような事件が多い街じゃないですから。野兎町駅前って」
元々、人懐こいタイプだが、佐合はいつになく前のめりだ。確か刑事になりたいのだったか。
二十代後半で巡査長というのは、ほぼ同い年で警部補の地位についた霊山ほどではないものの、組織内で言えば充分に出世が早い側だ。
やる気と実力があり、チャンスを掴みに行く強さもある。対極にいる人間であり、違う世界の人間だ。
楽しい会話は二人に任せることにして、比叡は肉を焼く係に徹した。手元にある範囲のことを管理するちまちまとした作業は、正直なところ比叡にとって談笑よりも楽しい。
警部補と巡査部長が同席しているのだから、一番最初に率先して動くべき場所にいるのは比叡だ。大人しくここで人数合わせをしていれば、飯が奢ってもらえる。そういう会だと思おう。
ひとまず三枚ずつで、一人一枚になるように最初の肉を並べる。
どうして網が汚れるホルモンを最初に頼んでしまうんだろう佐合は、油が落ちて火が出るから他のものが焦げるし、などと思いながらも届いた順に皿を片付けていく。
「昼間に商店街で話してた人はお知り合いですか?」
あれは昼時だったから、もう二十四時間も前のことだ。やることが多いと一日がすぎるのが早い。
「ああ、そうだな。本庁の上司だ」
〝本庁にいたときの上司〟ではなく、〝本庁の上司〟という言い方になるあたり、やはり霊山は本庁に椅子が用意されている勝ち組である。出世に興味がない比叡ですら、流石にすごいなと思ってしまうのだから、佐合などは尚のこと感動しているだろう。
「ってことは、捜査一課ですよね。本庁捜査一課! 警部補への昇進でハコに飛ばされたってことは、巡査部長のときにもう刑事部に入ってたってことですよね」
「まぁ、そうなるな。世話になってた上の勧めでな。受けない理由もないから昇進試験の年についでに受けたら、翌年呼ばれた」
「スカウトってことですよね。くぅ〜いいなぁ」
各部門の仕事に、重要度や貴賤があるわけではない。
とは言いつつも、刑事部を希望する人間が最も多いのが現実である。警察官になりたいと思ったときに、正義を成すだとか悪人を捕まえるだとかいう思い描く刑事像に最も近いのが刑事部だ。
少なくとも、交通部で市民から「あいつらは点数稼ぎのためにわざと規律違反を増やしているんだ」などという悪口を言われたいと思って希望してくる人は少ない。それに生活安全部で深夜までゲームセンターに残っている若者を補導したり徘徊老人の自宅を探しているよりは、子供の頃に思い描いた刑事の姿に近いのではないだろうか。
故に刑事部は常に、定員に対して希望者の方が多い状態になる。その中で、直接きてほしいと声をかけられたというのは、それだけで十分に優秀であり実力者の証である。
刑事部の人間からスカウトされて捜査一課、というのは警察官の夢だ。
「佐合巡査部長は、一課希望か」
「ええ」
「実績も多かったな。昇進もスムーズだっただろう」
昇進試験は合格ラインに達してることは大前提だが、当然勤務時の実績も考慮される。佐合は上に評価してもらえる数字に残る成果というのが多い。
「俺は刑事になりたいんです、絶対に」
「明治はどうなんだ?」
「え?」
聞き役に徹しようと思っていたところで、佐合に水を向けられ、比叡は煙草の煙で咽せた。
「どうなんだ、とは」
「この先だよ。どこの部か、希望はあるのか」
「いやぁ、あんまり考えたことないです」
おそらくこの場にいるのが、もう少し昔気質のタイプの警察官なら怒鳴りつけられていてもおかしくはない答えだった。
「口が硬いのは、悪いことじゃないな」
口が硬いのではなく考えていないだけ、というのはどう言ったら伝わるだろう。
「比叡巡査は酒飲ませるとよく喋るようになりますよ」
「そうなのか」
「聞き出したいことがあるときは、飲みの席が吉です」
「いや、そんなことはないですよ」
こっちは酔わないようにペースを調整しているのだ。乱されたらたまったものではない。余計なことをいう佐合の足を蹴飛ばす。
この場合、彼は聞き出したいことがあるのではなく、単に揶揄っているのだ。
「比叡巡査、いつもこうなんですよ。霊山警部補から見て、どうでしたか」
「事前にもらっていた人事評価よりも優秀な男だと思ったな。今日は助かった」
「やめてください、たまたまです。道案内の件でいうなら、そもそも道に迷う方がイレギュラーですし」
別に比叡でなくとも、交番勤務の全員が道案内くらいはできたはずだ。
「ははは、たまたまなんてことはないぞ。明治、考察と経験とそれによる閃きの先以外の結果なんてないさ。これはお前の培った経験による結果だ」
「おー、高評価じゃん」
二人の皿にドカドカと肉を押し付ける。ホルモンでも噛んで、一度口を閉じてもらうべきだ。
「んでも、今日は比叡も道に迷ってたろ。どうして駅前だったんだ?」
それは他の同僚にも聞かれたことだ。犯人は車両で逃走すると思われていた。それなのに、なぜわざわざ現場に向かわずに駅に戻る道をとったのか。
犯人の情報を知らない間抜けだった。焦って状況判断を間違えた。それでいいじゃないか。
「一度、住宅街を捜索してから、わざわざ駅前に向かったな明治」
「そうだったのか?」
佐合が驚いたように比叡を見る。
「いや、ただ僕は
……
」
二人が、比叡の言い訳を待っている。
「ただ、最悪の事態を考えただけです」
あのとき、犯人は今までと違い、人を傷つけてしまっていた。結果として軽傷だったが、現場から走って逃げ出した男にそんなことがわかるはずがない。
パニックになって、追い詰められていたはずだ。
人殺しになった。もう自分の人生は終わってしまうのかもしれない。失うものなど一つもない。そう思い込んでいたかもしれない。
追い詰められた人は、なんでもできてしまう。無敵の人が犯す罪を止める方法はない。
事実彼は、警察官の姿を見たとき、罪が重くなるだとかどうせここで逃げても捕まってしまうだろうという判断なく、比叡に襲いかかってきた。
その状態の犯人が、人の多い場所に逃げ込むことを避けたかったのだ。駅に入り込んでしまったら、あるいはそこから別の場所に逃げ出したら、被害が広がる。走行中の電車の中で誰かに態度を見咎められて逆上したら、次の役に到着するまで取り押さえに向かうこともできない。
住宅街にいる人たちが犠牲になっていいというわけではないが、通報現場近くは警察官が多く見回りしていた。
犯人が現場から駅の方面に逃走したと聞いて、それを心配したのだ。
交通安全週間の影響で道路は普段より多くの警察官の目がある。車で逃げ出したとして誰かが捕まえてくれるだろうという信頼がある。次点で学校に逃げ込んだらという心配もあったのだが、通学路の方面もそちらも交通安全週間の影響で、佐合をはじめとする交番刑事や近隣のボランティアが立っている。
となると、目が足りないのは交番の方だ。
予測が外れたところで、比叡が間抜けだと思われるだけだ。そんなものはさしたるデメリットではない。個人で功績を上げられなくてもいい。捜査員はあらゆる状況に対応できるように、広く配置するべきだ。
「それ、報告書に書いたか?」
「必要な部分は書いています」
個人がどう予測をしてどう動いたのかは、捜査には必要がない情報だ。交番前で犯人を確保した。それだけでいい。
実際のところ、あの時の犯人は単純に警察官を避けて駅に逃げているというわけでもなかった。
共犯者の乗っている車両から目を逸らすために、反対方向の駅方面に逃げたわけだが、そこは犯人のよく知る場所で何かを隠したり隠れたりしやすかった。
緻密な作戦があったというよりは、よく見知った場所で犯罪行為を行うメリットを最大限に活かした結果なのだろう。
逃げ込める場所がそこしか思い浮かばす、警察官の目を逃れて隠れているうちに共犯に仕事のついでに回収させることを思いついたのかもしれない。
盗まれた物品や凶器は結局、ビールサーバーやガスタンクの脚部に隠されていて、血のついた軍手も見つかったことで犯人もとうとう自白した。
比叡はたまたま犯人とその共犯者本人に声をかけてしまい、殴りかかられたというわけだ。
「なんで、僕ばっかり狙われるんですか」
「そりゃ、チビで弱そうだからだろ」
身も蓋もない。
「俺と霊山警部補が前と後ろを挟んでいたとしたら、悪い奴はどっちを突破するべきか、迷うと思うぜ。でもお前と警部補とか、お前と俺だったら、絶対お前の方を突破するだろ。そっちの方が逃げられる見込みがある。読みはいいけどさ、お前逮捕術もう少し真面目にやった方がいいぜ」
「耳に痛いです」
「痛がれ痛がれ」
佐合が笑いながら、比叡の前にビールのジョッキを置いた。
「訓練するなら付き合うぞ」
「胸貸してもらってこい」
霊山の申し出は怪我に障るからと丁重に断ったのだが、佐合が代わりにならこれを飲めとジョッキを渡してくる。何がどれの代わりなんだと不平を言いながらも、結局は比叡も酒が好きなのだ。
他人の金で飲む酒と、肉は美味しい。
結局飲みすぎて、ふらふらになりながら佐合に肩を貸してもらって店を出た。
肩を借りて駅に運ばれる途中、霊山が佐合に話しかけるのが聞こえた。
「若いのに、随分と優秀だな。野兎町駅交番に配属されてから、特に実績が多い」
「あの辺り、通報多いですから」
「当時から、相棒は明治だったのか?」
エレベーターが一階につく。
「
……
そうですね」
到着のベルと共に、ドアが開き、比叡は引きずるようにして運び出される。
「霊山警部補」
佐合が足を止めて振り返ったのが、力の入らない足が床に引き摺られるときの動きでわかった。
「部下をうまく使った人間が出世できる。そうでしょう?」
ぼんやりとした意識の中に、佐合の声が聞こえる。
なんの話をしているのだろう。
いや、なんでもいい。今は、吐き気を押さえるので、精一杯だった。
佐合に任せればいいのだ。彼は比叡のことをちゃんと独身寮まで連れて帰ってくれる。
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