望月 鏡翠
2026-05-21 20:15:50
28762文字
Public 庭師は何を口遊む 霊山班
 

交番勤務比叡巡査

#庭師何を口遊む_霊山班/ネタバレなし


 今回襲われたのは、老夫婦が経営する質屋だった。
 やはり今回もよく下準備をしている。
 駅前の繁華街を越えて、大きめの道路を挟んだ先は住宅街。この辺りまでが野兎町駅前交番の管轄だ。その先も住宅街が続くのだがこの辺りは古くから宅地開発されていたエリアになり、商店街も一世代古い。
 駅前の利便性に人を取られてシャッター街になりつつあるが、客単価が高くトラフィックの高さに影響されない和菓子屋や質屋、美容院ばかりが残っている。
 防犯設備が不十分な個人店。店主は一般企業であれば、定年しているくらいの年齢だ。そろそろ引退して店を畳もうようと考えているので、今更に店に高額な設備投資もしていない。そして現金取引が多い。
 犯人は今まで通り一人で店に来て、刃物様を突きつけて店主を脅した。
 しかし店主の男性が脅されている間に死角になる場所にいた妻が通報し、犯人はそれに激昂して店主の男性をナイフで刺して逃亡した。
 普段は現金を盗むのだが、金庫を開けさせる時間がなく現場からは高級時計や宝飾品などが、持ち去られた。
 幸い刺された男性は軽傷で、命に別状はない。指紋をつけないようにつけていた手袋のせいで、手が滑ったのかもしれない。
 ただ凶器の刃物や、盗まれた物品が見つかっていない。血がついたであろう手袋も、所持していなかった。
 現場に残っている警察の目的は現在、それらの発見にある。事件現場から逮捕された場所までの区間で排水溝やゴミ箱、民家の軒先など含めてものを入れられそうな場所全てが捜索されているが、現在までのところ見つかっていない。
 病院に立ち寄ったあとの比叡も、その捜索に加わった。
 呼ばれた意味はわかっている。直接犯人と相対した。情報はもちろん刑事たちと共有しているが、言語化できない感覚というものはある。何か気がつくことはなかったか、思い出せというのである。
 現場では、霊山が別の捜査官と話し込んでいた。私服だから、刑事だろう。交番に配属される前の同僚なのかもしれない。だとすると、彼は捜査一課の所属であり、交番勤務のあとはそこに戻るということになる。
 実のところ、かなり優秀な人間なのではないだろうか。
 比叡が戻ったことに気がつくと霊山はその捜査官と話を止め、わざわざ隣にきた。
「話していてもよかったのでは?」
「連れないことをいうな、バディだろう」
 突然肩を組む距離の近さに、戸惑う。
 警察内にその手の人間がいないわけではないが、比叡に対してというのはかなり珍しい。人生経験において、自ら人を遠ざけねばならない状況というのは経験がなかった。そもそも誰も近づいてこないから、比叡の側から距離を測る必要もなかったのだ。
 霊山は佐合ともまた違うタイプで、付き合い方を見定めるのに時間がかかりそうだった。
「思ったより時間がかかっていますね」
 捜査本部への避難と取られかねないので、声を小さくした。
 確かに犯人は、この地域に詳しい。しかし構造としては、強盗事件以上のものではない。
 例えば共犯者がいて、事件に関する証拠を持ち去ったのか。
 だが今日から交通安全週間が始まっていて、道路には普段よりも多く警察官が立っていた。事件発生の無線も聞いていただろう。検問はすぐに用意できなかったとして、不審な車が通ったとしたら誰かの意識に止まっているはずだ。
 おそらく犯人が焦って一線を越えてしまったのも、普段は事件後すぐに姿を消しているのに捕まる失態を犯したのも、街の様子が普段と違っていたからだろう。
 かなり焦っていたはずだ。その中で、見つけられないようなところに隠す余裕があっただろうか。
「携帯は途中で投げ捨てたらしい。発見済みだ。ただ本人のものかどうかは、これから確認することになる。あの男に関して、お前が気になったところはあるか?」
 もちろんいくつかある。
「犯人が持ってた携帯、持ってく前に少し見れたりしませんか?」
「もう、一課の連中が持って行ったな。呼び戻すか?」
「あ、いえ、そこまでではないです。交番じゃ、しょぼいパソコンしかないですし」
「ロックが掛かっていたそうだ」
「だから、持ってく前に開けちゃおうかなと思ったんですけど。共犯がいたなら電話もしていたでしょうし」
 流石に正式な捜査の手順としてはできないから、試すなら捜査本部の目につく前しかなかった。一課が持って行ったのなら、専門家がやってくれるだろう。
 強盗をする最中だったとしても、所持品が少なすぎる。やはり車に乗ってきていたのではないだろうか。
 犯行時刻は人が通りが少ない時間であり、地元民ではない不審な人物がいれば目立つということでもある。だが事件現場付近にあった車やそこから立ち去る車は、当然調べられている。
 当然、その中から凶器や盗品は見つかっていない。
 捜査本部も共犯者や、車両による逃走の可能性を想定して動いている。
 気になるのは、犯人が駅前に現れた時間だ。
 ゆっくり歩いて十五分ほどの距離だった。しかも、住宅街で二十分ほど創作をしてから駅前に戻った。走っていた犯人はもっと早くついたはずだ。
 それなのに、あの男は息を切らしながら比叡たちより後にやってきた。どこかで寄り道をしていたはずだ。そしてあの時、正面から比叡と霊山がやってくるのをみて、犯人は後方を気にした。迂回して別の道から逃げるという選択肢があったのに、比叡の方に突っ込んできた。
 追いかけてくる別の警官はいなかったはずだ。引き返そうとして、止めたのではないだろうか。
 その理由があるとすれば、盗品や証拠が見つかってしまう可能性と、自分が捕まる可能性を天秤にかけたのではないか。
 いや、交番の警察官が気にするようなことではない。犯人の行動予測や、捜査方針は刑事が立てる。
 交番からの応援は、やれと言われたことをするだけだ。
 今頼まれているのは、担当エリアの捜索だ。
「この辺り、人が多くないですか?」
 事件現場近くにもう少し人員を割いていてもいいのではないだろうか。
「確認が済んでいない建物が多くてな」
「なるほど」
 居酒屋が多いからだ。午後五時開店の店が多く、午後にならないと店員が出勤してこない。食材にこだわった店なら午前中は市場に出かけて仕込みに出かけているだろうが、いずれにしろこの時間はまだ店に誰もいなのだ。
 昼過ぎたら、連絡が取れるようになるだろうか。
 交番で日頃町を見ているから、どの店にいつぐらいから人が来るのかはわかる。しかし、それがわかったところであまり意味などないし、強いて連絡を取るより、鍵を持った人間が出勤するのを待った方が早い。
 今は、納品業者くらいしか出入りはないのだ。
 そういえばと、比叡は霊山を振り返る。
「あの男、大型免許持ってましたよね」
「そうだな」
 運転手をしているのだろう。右腕の日焼けが濃かったから、紫外線対策などに興味がないのだろう。重心を崩す動きもうまかった。重たいものを持ち上げ慣れているのだろう。それにより、軽々と放り投げられてしまった比叡は、感心している場合ではないのだが、それはさておき思い至るものはあった。
「もしかして、あの男この辺りが担当エリアのドライバーだったんじゃないでしょうか。だとしたら、入れる場所は僕たちが想像しているよりも、広いかもしれません」
 不審な車両は目撃されていない。だが、配送の車なら毎日のように決まった場所に車を停めていたとして、誰も意識しないのではないだろうか。
 人が不在の時間帯も、職務上把握できる。
 その上で、居酒屋に対する納品というのは、少し特殊なルールで動いている店舗がある。
 配送業者は大抵、朝が早い。それに対して居酒屋という業態は夜型だ。
 今も、ほとんどの店舗は仕込みの従業員すらまだ出勤してきていない。大手のチェーン店なら自社配送を確保し、店に合わせた時間に納品できるのかもしれないが、ほとんどは飲食店向けの商品卸に頼っている。
 夕方になってから稼働をはじめる居酒屋という営業形態は、この手の配送業者と相性が悪いのだ。納品したい時間帯に、店舗に誰もいない。
 まさか扉の前に積んでおいてくれというわけにもいかないし、中には限定流通品のお酒など、一本でかなり高額なものもある。
 そのため、一部店舗ではドライバーに倉庫のロックナンバーが知らされている。倉庫などに入って、指定の場所においていってくれというのである。
 もちろんレジ金などの貴重品は、そうした業者が出入りできる場所とは別に管理をされているし、仮に店内のものが紛失したり破損したりすれば、業者の信用問題になる。
 自由に出入りできる人間が真っ先に疑われ、るのは、当然だ。防犯カメラを確認してすぐに悪事は明らかになる。
 だが、それは店のものが減っていた場合である。ものを増やしただけの場合は、どうなるだろう。
 店内がいつも通りだったのなら、出勤してきた店員はわざわざ防犯カメラを確認するだろうか。納品日だったなら、その日届いた荷物が納品書と一致しているかどうか、確かめはするだろう。だが前日以前に届いており、既に確認を終えて在庫に加えたダンボールの中身を、今一度開いてチェックするとは思えない。
 事件当時、この辺りの居酒屋はほとんど無人で、鍵がかかっている。今なお閉ざされたままだ。
 人が出入りした可能性があったなら警察は聞き込みをするし、捜索させてくれと申し出るだろう。だが、犯人が通り過ぎた路上にあっただけのまだ開店すらしていなかった店の倉庫の中身一つ一つを、改めることはできるだろうか。
 事件と無関係の店にそこまでするには、相応の根拠を用意した上で令状が必要になるはずだ。今、現場でそこまでできているとは思えない。
 配達をしていれば、備品のおおよその回転率もわかるし、食品であれば原則先入先出で回転させているだろう。しばらく動かないような商品の箱にそっと忍ばせておけば、少なくとも警察が現場を捜索している今の時間はやり過ごすことができる。
 ほとぼりが覚めた頃に、あるいは次回の納品のときに回収すればいい。
「共犯者は、ロック番号を伝えれるだけでいい」
「だとして、流石に一課の刑事もこの辺りに出入りした人間を、ノーチェックで通したりはしないぞ」
 その通りだ。
 警察にとって最も望まない展開は、証拠や盗品が見つからないことだ。共犯者が持ち出そうとしている可能性だって当然考えている。
「一応、今日この商店街に出入りする納品業者を見かけたら同行して、中を見せてもらいましょうか」
 人が増えると全てを監視するのは困難になる。居酒屋が開店して、客が入るようになる前に、結論を出したいはずだ。さらに言うなら、店員が出勤してくるよりも前に、疑わしい場所の確認は終えて、街を普段通りに戻したい。
「そうだな」
 霊山は無線に呼びかける。近隣の捜査官に情報を共有したのだろう。
「見せてもらえますかね」
 提案しておいて、自信がない。
 ドライバーにとって、納品先はお客様である。真っ当な感性があるなら、そこから預かっている鍵を使って第三者を勝手に招き入れていいものかどうか、迷うはずだ。
「強盗事件の共犯者が潜伏している疑いがある。安全のために中を一緒に確認させてくれ。とでもいえば通るだろう」
「ものはいいようですね」
 なるほど、証拠品を見つけるために仕事を覗かせろといえば、相手は疑われているのかと不安になり、不愉快にもなる。しかしあなたの安全確保のためだといえば、受け入れやすくなるのだろう。
 無線に連絡が入る。
 商店街に入りたいトラックがあるらしい。不審なものは積んでいない。
「ああ、こちらで対応する」
 対応するのはもちろん霊山だろうと思っていたのだが、結局は比叡も同行していた。捜査は原則として人員二名一組。時と場合により、一人でも成るが、他にすることがないのなら他で仕事をしている捜査員を伸びつけるより、お前がついて来いとなるのは当然の流れだった。
 だが、市民にしてみたら、松葉杖をついた警察官がついてきたら、何事かと思うことだろう。いや、安全を確保するためにという言葉に説得力を持たせるために、わざと怪我人の姿を見せたのかもしれない。
 ドライバーは露骨に面倒だという顔をしたが、勝手になのものには触らないでくれと言って、警察官の同行を許可した。
 酒類の納品だったらしい。
 ビールサーバーやガスタンクなど、重たいものが運び入れたあと、空になったものを回収して行く。空き瓶などは店の前にコンテナに入れて積んであるものを、そのまま回収して行くようだ。
 ゴロゴロと地面を転がすようにして移動しているのに対し、回収するタンクは片手でも持ち上がりそうだ。
 確かあの手の重いタンクなどは、底にリングがつけられていて真ん中が窪んだ構造になっているのではなかったか。
 プラスチックの足が履かせられている場合もある。
 もしそうだとするなら、表からは見えないし、持ち出しする物品に自然に紛れ込ませるのなら、コンテナに突っ込んでおくよりは目立たない。
「あ、すみません。その樽、少し確認させてもらっていいですか」
 疑いというほどではない。
 ただ、構造を知らないものだったから確認をしたかっただけだ。
 ドライバーは見やすいように屈んだ比叡の目の前で、樽を持ち上げる。
 やけに高く持ち上げてくれるな、と思った。
 そして彼がそれを振りかぶるのを見た。
 空になったとはいえ、金属の塊である。
 振りおろそうとした先が、比叡の頭であることを悟り、しかし体がすぐには動かなかった。襟首が掴まれる。
 体が強く後ろに引かれて、一瞬息が詰まった。
 ドライバーの腹に蹴りが入るのが見える。
 うめき声と共に、男の体がのけぞり、振り下ろした凶器の向かう先がアスファルトに変わる。金属がバウンドして咄嗟に体を庇うのに使った松葉杖にぶつかった。
 手に衝撃の痺れが伝わり、体に直接当てられたときの衝撃を思い、ゾッとする
 すかさずその背に青い制服が覆い被さり、取り押さえた。
「お前、ほんとぼんやりしてるな」
 襟を掴んでいた手が離れる。
「佐合さん」
 いつも朗らかな男も流石に笑ってはいなかった。
「怪我人が現場でてくるなって」
 肩を叩くと、ドライバーを取り押さえるのを助けに向かう。
「よくやったな」
 霊山が落とした松葉杖を拾って手渡す。
 それを支えにして立ち上がり、比叡は胸中で怪我をしたから咄嗟に動けなかっただけだと言い訳をした。
「一課の刑事も無能じゃない。僕でなくてもこんなのすぐに見つけましたよ」
 ただ答えまでの、アプローチが違うだけだ。
 携帯が見つかっている。通信履歴も早ければ今日にでも明らかになり、連絡を取った共犯者は捕まっていた。
 そうでなくとも、捕まった男の職歴が明らかになれば、この辺りに出入りできたことはすぐにでもわかるし、近隣の防犯カメラをありったけかき集めてのチェックでも途中で店に入り込んだことはわかっただろう。
「上官が労ってんだから、だからありがとうございますでいいだろ、可愛げないやつだな」
 佐合が呆れた顔をする。
 どちらかといえば特筆すべきなのは、就任初日でこんな事件に遭遇した、最初の一人で犯人を引き当てる新しい上司の妙な引きの良さだ。
 まだ勤務時間の三分の一も過ぎていないという事実に些かうんざりしながらも、比叡は今度こそ本当に事件を手放して交番に帰還した。