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望月 鏡翠
2026-05-21 20:15:50
28762文字
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庭師は何を口遊む 霊山班
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交番勤務比叡巡査
#庭師何を口遊む_霊山班/ネタバレなし
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幸い、というかそうでなければ困るのだが、以降の勤務は穏やかそのものだった。足の怪我は少し捻っただけだったので、よく冷やして動かさないようにすればすぐに痛みも消える。よく休むようにというのが、医者の言葉だ。
とはいえ、代わりのいない仕事をしているものの大半がそうであるように、継続勤務可能であると判断した以上、役目を果たさなければ職場に迷惑がかかる。
立番と在所を多めにしてもらいつつ、書類作成や掃除、買い出しといった雑用は積極的にかって出る。足はテーピングをして巡回くらいならできそうだった。
休憩時間が近づき、他と時間をずらしつつ昼食を買いに出た。制服を着た警察官が食事を買いに行ってもクレームが入らない店というのはある程度決まっている。テーブルで優雅にランチができる身分ではない。弁当の販売員は既に顔見知りだ。松葉杖をついている姿を見て気の毒そうな顔をして温泉卵を一つおまけしてくれた。
人の善意に対して、利益供与になるという杓子定規な対応は流石にしなかった。
問題は五人分の食事に対して、卵は一つだったということだ。会計後の商品を受けとるタイミングである。
まさかここで「すみません、一つだと困るので四つ追加で買います」というのも野暮だろう。そして、無料で四つ増やせなどと言えるはずはない。
こういうときは交番トップである霊山に渡しておくのが、一番丸く収まる。
交番の奥の休憩室、外から市民に見えない場所に、持って帰ってきたすきやき弁当を並べておく。
食事は、冷めても美味しく食べられることが絶対条件だ。甘辛いタレで煮込んだ薄切りの肉は、冷めても固くならず、美味しく食べることができる。突然出動要請が入って、食事は一時間二時間ずれることは日常茶飯事だ。酔っ払いの喧嘩でもお年寄りの徘徊でも、呼ばれれば出向いて対応し、通報に対して適切に処理をしたという報告書にまとめて提出しなければければならない。
準備を終えたところで、ちょうど霊山と佐合が戻ってきた。
「お、何だ比叡、賄賂か?」
佐合が、一つだけの温泉卵をめざとく見つけた。
「いや、ひとつだけ貰ってしまったので」
「そこは俺だろ」
「
……
そういえばそうですね」
「おい! 忘れてたのか?」
比叡のフォローで警邏などの動き回らねばならない業務を変わってくれているのは、佐合だ。
「いや、忘れていたわけでは」
本当に忘れていたわけではなく、単に順番を間違えた。
礼儀と義理、上下関係、人からの好意。滑らかな人間関係を保つために必要な諸々のことが、比叡は苦手だ。うまく処理できない。受け取る順番も返す順番も間違える。
「あ、マジに受け止めてる顔してる。やめろやめろ。次で飯奢ってくれりゃいいから」
佐合は横から手を出して、自分の分のすき焼き丼を持っていった。
「別に俺は構わんぞ」
霊山に限ったことではないが、下の人間が気にするほど、上の人間は階級を気にしない。
「その温玉は、比叡巡査からの賄賂なんで!」
手のひらを立てて固辞した。
そんなつもりはないというのも墓穴だろう。比叡は二人のやりとりをそのまま聞き流して、休憩に入る二人に変わって交番に立つ。休憩室にいると後ろから二人の会話が聞こえてくる。
少し同行しただけで、佐合は霊山と打ち解けたらしい。
比叡からすれば霊山の相棒は荷が重い役目だったが、彼は楽しんでいるようだった。ありがたい。可能であれば、そのままずっと交代してほしい。
交番側にすれば、昇進の足かけで上からあれやこれや言ってくる上司は面白くない。しかし、同時に彼らは警察署に確実に自分の椅子を持つエリートでもある。若くして警部補ともなれば、管理職候補であり自分の部下を選ぶ権利もある。
やる気があり優秀な捜査官は、どこの部でも引っ張りだこだ。同じ職場で働く中で優秀だといわれるようになれば、スカウトしてもらえるかもしれない。
交番配属の上司が優秀なら、自分を売り込む絶好の機会なのである。
つまり霊山に対する態度は早くも、よそ者に対する反感から英雄を出迎える空気に変わりつつあった。
配属初日で、初動捜査に加わっていた交番警察官が一課を出し抜いて、強盗案件の被疑者二名を確保した。この功績とともに受け入れられたのである。
別段交番と刑事が競争関係にあるわけではない。とはいえ人柄だの勤務態度だのよりも数字が評価される世界であるだけに、交番にいては上から声をかけてもらえるほどの評価を積みにくいのも事実だ。
周囲の態度を手のひら返しとは思わなかったが、朝の比叡の困惑と居心地の悪さはは何だったのかと思わないでもない。
交番に他の警察官も戻ってきた。
「比叡巡査、お手柄だったんだって?」
「僕は居ただけですよ」
犯人を取り押さえられず放り投げられて怪我をして、ガスタンクで頭を叩き割られかけた。投げられたという話は聞いていたのか、松葉杖を見て苦笑いをされた。
「そうらしいな。良かったな一人じゃなくて。しかしたまたま犯人がボケてたから良かったけど、知らなかったのか。犯人は車両で移動してるっていわれてたんだぜ、駅前に構えてたって来るわけないだろう」
「知らなかったです。霊山警部補は運がいいですね」
ご飯は奥にありますし、あなたが仲良くしたいと思っている人もそこにいますから。
今回は、余計な一言を黙っていることに成功した。
一日をつつがなくやり過ごし、翌朝八時に二十四時間の交番勤務は終了である。
とはいえ、そこで退勤できるわけがない。
そも朝八時に次のシフトのメンバーが出勤してきて引継を始めるのだから、八時に解放されるわけがないのだ。そこから報告書の作成がある。
日々の業務日報に加えて今回は強盗事案にも遭遇したので、その件の報告書の作成がある。当日の勤務時間が過ぎたので、捜査本部への引継は次の出勤日である三日後にしますなんてことが許されるわけがない。
交番は数日かけて粘り強く事件に取組む刑事ではない。初動だけ担当して、あとは専門部署の刑事たちに任せ、地域の治安を守るのが仕事だ。
その日の事件はその日のうちに、が基本だ。
その上で、交番の勤務はこの時間は警邏だとか立番だとか、やるべきことが時間割で決まっていて、勤務中に書類作業をできないのだ。
つまり隙間時間を見つけて仕事を進めたとして、最終的に書類を片付けるのは仕事が終わってからになる。二十四時間勤務の翌日は非番ということになっているが、正直翌日も仕事をして半日程度で仕事を終えられれば、早い方だ。
佐合たちと警察署に戻り、制服と装備品を返却する。
私服に着替える。私服とは制服以外の服装のことで、スーツでくる人間もいればランニングのような動きやすい服でくる人間もいる。比叡は考えるのが面倒だからとい理由で、特別な用事がなければスーツだ。
そのまま独身寮に帰ろうと思ったところで、霊山に捕まった。
「飲みに行かないか?」
「お、いいすね。親睦会!」
比叡が断る前に佐合ががっしりと肩を組み、逃がさないように捕まえられた。背の高い男に上から押さえつけられると、動けない。
「怪我に障るので、僕は帰ります」
「ちょっとは可愛げ見せとけって」
耳元で小声で囁かれるが、出世欲がない側の人間からすると、彼に可愛げを見せるメリットがない。日々を平穏に静かに過ごしたい。休日は忙しいのだ。
交番勤務でいる最大のメリットは、二十四時間の勤務を終えされすれば、次の出勤まで自由になる時間が多いことだ。飲みに付き合っていたら、それがなくなってしまう。
警察官は要請があればすぐに出勤しなければいけない職とはとはいえ、担当するエリアの治安維持と通報対応。事件に関わるのは初動捜査までで、以降は通常勤務に戻る。
休日の人員を呼び出してまで対処しなければいけないというのはよっぽどの事案が起こらなければない。
道路が半日以上塞がれるような事件事故が起こって交通整理の人手が足りないとか、大規模デモで市民が興奮して不測の事態に発展しないように現場に待機してくれとか、世間の注目度が高い事件が起こって野次馬やマスコミの対処に人手が足りないとか、そのくらいだろうか。
そう思うと比較的多いのだが、一度事件が発生すると解決するまで家に帰れない刑事たちと比べれば、一定時間で必ず終わると思っている分、気楽でもある。
本当に苦しいのは、解決できない事件が自分の中に居座ることだ。余計なものまで背負い込んでいたら、考え過ぎて頭が爆発してしまう。
何にも関わりたくはない。
とはいえ、佐合には恩がある。彼に嫌われたらいよいよ交番の中で孤立してしまうだろう。
それに全て霊山の奢りというのは魅力的な提案だった。
比叡は引きずられるようにして、昼間から飲める店に連行された。
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