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望月 鏡翠
2026-05-21 20:15:50
28762文字
Public
庭師は何を口遊む 霊山班
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交番勤務比叡巡査
#庭師何を口遊む_霊山班/ネタバレなし
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*健康増進法改正や路上喫煙の罰則化が施行される前の時代です。
指定された場所は警察署の近くでもなかったし、交番の近くでもなかった。比叡は、新しい上司を迎えに行ったあと、そのまま二人で巡回に移行するように指示を受けた。
ついでに新人の上司に轄内を案内してこいと、そう指示されている。
警察官の制服というのは、偉大だ。
どんな人相をしていても、それを着ているだけで警察官だということがわかる。おそらく、あれだろうなという人物が公園の前に佇んで煙草を吸っていた。
警察官の制服を着ていなかったら、職務質問をしていた可能性がある。このエリアに比叡の知らない警察官がいるわけがないのだから、彼が新しい上司で間違いないはずだ。
どうやら新しい上司は、顔が怖い。
繁華街に近い場所にいるから、余計に堅気ではなく見えるのかもしれない。
笑顔を顔に貼り付けて近づくと、彼も低い場所にいる比叡に気がついた。
警察官の募集要項下限ギリギリの一六〇センチの人間から見れば、同じ組織の人間は、全員背が高い。相手からすれば、この身長の同僚を見るのは珍しいだろう。
「ああ、助かった」
煙草を消すと携帯灰皿に押し込んだ。
比叡だって、許されるなら煙草休憩を挟みたい。制服を着ているとあらゆる場面で、市民の目につく。休憩時間をどう使うのかはそれぞれの人員の自由と言いつつ、税金で働いているくせに警察官が休憩しているという類のクレームは時々入る。
この辺りは繁華街に近いので、喫煙者も灰皿も多い。喫煙に対しては大らかだが無用なリスクは避けるべきだ。
警官という立場は、世間においては肩身が狭い。この上司は、その手のことを考えないのだろうか。
理不尽に怒り、市民の対応をしたことがほとんどないのかもしれない。
「野兎町駅前交番勤務の比叡巡査です。本日から、よろしくお願いします」
比叡の敬礼に応じる。
にこ、とその面立ちから考えると柔和な印象を与える顔で微笑んだ。
「霊山 獄だ。よろしく頼む。比叡、何だ。下の名前は?」
「下の、名前」
何だったかというほど呆けてはいないが、自分の口に出すのは久しぶりだ。
「比叡 明治です」
書類に記入するばかりで長らく口にしていなかった自分の名前は、少しも口に馴染まなかった。
「そうか、明治。早速だが野兎町駅前交番までの道案内を頼めるか?」
この男とうまくやっていくのは難しいかもしれない。比叡は既に目の前の男に苦手意識を抱きつつあった。
「リョウゼン警部補と合流したあとは、そのまま管轄エリアを案内するように言われています。警部補も既に立哨業務に当たっているため、引継はその後にしたいとのことです。変更される場合は、改めて双方でご相談の上、指示を願います」
いきなり、これだ。
新しい上司と今までの上司、どちらの指示を優先するのか。些細なことで板挟みになる。どちらを立てるのかを、比叡に決めさせないで欲しい。
常識的に考えれば、これから世話になる新しい上司を優先するべきなのだが、比叡には彼が本庁に呼び戻されたあとの交番内での立場というものがある。
「ふ、そうか。なら、その通りにお願いしよう」
何がおかしいのか、低く笑う。
面倒になる前に、折れてくれたのは幸いだった。だが、歩き出した方向が全く別だったため、比叡は思わずその腕を掴んでいた。
「どちらに?」
「だから、巡回に行くんだろう」
「そっちは担当エリア外です」
「そうか」
素直に首を縦に振る。
どうするのかと思えば、比叡の後ろにつく。
「もしかしてなんですが、本当に道に迷ったんですか?」
「だから、そういっただろう。道に迷ったんだ、助けてくれ」
霊山は不思議そうな顔をして、比叡を見つめ返す。
交番は、通報にあってすぐに駆けつけられる距離しか担当しない。この辺りは、とりわけ道が複雑なエリアというわけでもない。
「一応、申し上げておくと、我々の日常業務には道案内も含まれます。うちは特に、駅前という立地なので、問い合わせは多いですよ」
「そうか」
目を引く事件が頻繁に起こるわけではない。交番業務の大半は、地道な日常業務の繰り返しで、それこそが歓迎すべき状態だ。道案内などは誰も不幸になる人がいない、最も歓迎すべき業務だ。
霊山は気を悪くした風もなく、何かに納得したように頷いたあと、真っ直ぐな目を比叡に向けてきた。
「よろしく頼む、明治」
「えぇ
……
いや、あの
……
はい、わかりました」
口をついて出かけた言葉はもちろんあった。だが、巡査という階級を鑑みると、上官に対して意見するなどできるわけもなく、彼がやれというのであればやるしかないのだ。
そもそも、彼の立場を考えればあえて交番での職務を習得する必要もない。
「都度迎えにいくわけにはいかないので、せめて僕から離れないでくださいね」
時計を確認する。幸い道に迷ったといっても、担当エリアから大きく離れたわけではない。ここを巡回ルートの開始地点とすれば、予定に大きなずれは生じないだろう。
元々、巡回の時間割やルートは決まっているわけではない。巡回ルートや時間を固定化してしまうと、犯罪者はそれを避ければいいということになってしまい、犯罪の抑止力としての意味がなくなる。
夜の繁華街など、時間帯により見るべき場所はあるが、実際の運用は臨機応変に、だ。
若者が屯しがちな高架下。酔っぱらい同士のトラブルが頻発するエリア、食事をするのにおすすめの店など、歩きながら軽く説明していく。ちなみに霊山がいた公園は、夜間に飲み屋から流れてきた大学生くらいの若者が騒ぐので通報が多い。
「駅前の繁華街はほとんどが飲み屋で、この時間帯は人がいないです。なのでこの時間の巡回は、交通量が多い道路か学校方面に出て通学の見守りをしていただくのがいいと思います。今、道の方は交通安全週間で別の人員が出ているので、僕たちは駅方面から回りましょう」
霊山は殊勝な顔をして比叡の説明を一つ一つ聞いていた。
会話が途切れたあたりで、向こうから話を降ってきた。
「強盗事案については、どう思う?」
「知りませんよ。一課の仕事でしょう」
事件の詳細も犯人像も、交番までは降りてこない。初動捜査に関わることは多いが、そのあとは事件を手放してしまう。事件を追いかけたいと思うのであれば、出世して早く交番を出るべきだし、大抵の警察官はそれをモチベーションにしている。
新しい警部補殿は、その点でいうとやはり交番向きではないのだろう。
「狭い範囲で犯行を繰り返している。迂闊な犯人だな」
「それはどうでしょう。実際捕まっていません」
強盗が発生すれば、当然担当の刑事が捜査に入るわけだから、そのエリアを彷徨く警察官の数は増える。
そして、交番にも上からキツめの喝が飛んでくる。警察組織というのは、体質として軍隊的で体育会系だ。轄内で犯罪が発生し犯人がまだ捕まっていないのはお前らの怠慢だと、お叱りをいただくこともしばしば。
となれば、相応の誠意というか態度が求められるのである。
平時油断をしているというわけではないが、犯罪が発生したエリアは見回りが厳しくなる。
市民の感情としても、身近に強盗がでたとなれば警戒の度合いは高くなるのが普通だ。
その上で、犯人はまだ捕まっていない。
「特定の地域で犯行を続けているのは、捕まらない自信があるか、絶対に見つからないという勝ち筋を持っているからでは?」
犯人は男ということはわかっている。年齢は三十代から四十代。見た目が若い五十代という可能性も切ってはいないだろう。目出し帽
――
強盗がよく被っている頭全体を覆う頭巾に目元だけ穴を開けたあれだ
――
にナイフを持ち、店員にレジの中と金庫の中の金を要求して、走り去った。
手袋をして黒い上着に黒いズボン。足元は三件とも、よくあるスポーツメーカーのスニーカーだっただろうか。
一件目はコンビニ、二件目は定食屋、三件目は時計店と被害が続いている。
人が少ない時間を狙い、防犯カメラを避け、しかし目撃者は一人もいない。おそらく徒歩で現場から離れたあと、車に乗って移動したのではないだろうか。
この辺りに詳しいか、あるいは事前に入念な下見をしているはずだ。
ただ顔を隠したところで、顔見知りであれば誰か一人くらいは気づくはずだし、下見の段階で誰かの記憶残っていてもおかしくない。
捜査資料を見たわけではないが、現場に降りてくる情報やニュースからわかるのはそのくらいだ。どう思うと言われても、その辺りの推測でしか語ることはできない。
そして推測したとして、行動に移す機会はない。決めるのは、上官であり交番のトップである霊山だ。
比叡の言葉を霊山は愉快そうに聞いている。
「狙い目もいいんですよね。地域に昔からある個人店で現金取引が多い。まあコンビニだけ少し違いますけど、あそこもフランチャイズで看板だけ変えたところで、体質としては地域の個人商店だったはずです」
特に下町の古い店だと、クレジットカード決済の設備を導入していないことが多い。
「犯人は事前の調査と準備をしっかりした上で、狙う場所を決めている。おそらく現金があって、人が少なくなる時間帯を把握している店。防カメに映らない逃走経路まで加味した上で、獲物を選んでいる。考えなしに犯行を繰り返しているわけではないので、そう簡単には捕まらないんじゃないかと
……
、あの、さっきからなんなんですか」
視線が鬱陶しい。比叡の言葉を、ずっとどこか楽しそうに聞いているのが、妙に腹立たしいのだ。
「いや、やはり自分の目で確かめないとわからないものだと思ってな」
「交番のお巡りさんは、地域を駆けずり回るのが仕事ですから」
否が応でも、地域の様々なものを目にし、詳しくなる。そうでなければ、業務に支障が出る。
「そういう意味じゃないんだが
……
」
霊山の言葉の意味を確かめる前に、無線がノイズを発した。
――
各局傍受せよ。
骨身に染み付いた習性で、二人は会話をやめてイヤホンに集中した。
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