花筵シヂマ
2026-05-09 22:45:21
22352文字
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玲瓏の花籠(序章~2話まで 秋ごろ 書籍になる予定)

後転男体化なので前は女の子のミズキが出てきますが、転生しておとこになり、例の村で父と再会します



少年の小さな背中を追いかけて、ミズキは森深くへ足を踏み入れて行った。ミズキの膝まで伸びた草は、歩くたびに鋭い葉先で足に細かい傷をつけてきた。しかし水木の胸元ぐらいの身長しかない少年はその白い肌に一つの傷もついていなかった。むしろ草が少年に道を譲っているように見えた。その長く細い笹のような葉先をくねらせ、少年に“道を開けている”。
 少年はミズキより遥かに子供であるのに、誰もが首を垂れたくなるような荘厳な雰囲気があった。
 ミズキはそんな少年を見失わないようにひたすらに森の奥へ進んだ。藁のはみ出した草鞋を突き破り、小枝がミズキの足を裂こうが、せり出した枝に触れ、肌が赤く腫れようが少年を見失うわけにはいかなかった。
 やがて薄暗い木々と意地悪な草を抜けると、ミズキはだだっ広い屋敷の前に飛び出していた。
「あっ」
 瓦屋根の立派なお屋敷が目の前に広がっていた。コの字型の屋敷が迷路のようにいくつも立ち並び、それらが回廊で繋がっている。
 奇妙なのは屋敷がこの場に建つことを許すように、木々一つ屋敷には立ち並んでいない。むしろ押しのけて建っているようだった。
 ミズキの正面の部屋は御簾が風もなく揺れており、その真下であの少年が肩肘をついて膝を立てて座っていた。
 途端、ミズキは息苦しさを覚えた。どれほど深く山を登ったのだろう。
 酸素の濃度が薄く、霧が立ち込めたこの屋敷は山頂に近い場所にあるに違いない。
 人の手でこれほどまでの屋敷は作れやしない。主のように座るこの少年は、やはり人ではないのだろう。
 後ずさると足元に敷き詰められた白い玉砂利が囁くように鳴った。
「お前があの人形を盗んだおとこの親族か」
 あの、人形。
 思い浮かべるうち、少年と人形が良く似ていることに気づいた。人形の目の色まではわからないが、縹色の着流しの色などはそっくりだ。
 少年はなかなか答えないミズキに業を煮やしたのか、大股で近づいて胸倉を掴んできた。少年とは思えない力強さに、ミズキの着物ははだけてしまい、豊かな胸が半分ほど顔を出してしまった。
 少年はそれを見るなり目を白黒させて乱暴に着物から手を離した。
「お、お、おまえ、もっと抵抗をせぬか!」
……謝罪に参りましたゆえ……
「儂が無作法なおとこであったなら、無体を働いておったかもしれぬのじゃぞ! なんと感情のないおんなじゃ」
 何が気に入らないのか。少年は肩を怒らせて背を向けてしまった。そのまま奥へと消えてしまえば困る。慌てて立ち上がって追いかけようとした。しかし少年は思いましたように、振り返った。
「なぜ迎えが来る前にここに来た。待っていれば良いものを」
 ミズキは慌てて膝をついて額を玉砂利に擦り付けた。
「早く謝罪にと思いましたもので。全ては叔父が勝手にしたこと。私の両親や村への罰はお許し頂けないでしょうか」
 少年が床板を踏みしめる音が近づいてくる。少年が蹴った玉砂利が跳ね返り、ミズキの指先に当たった。
……あの人形が動くのを見たか」
「えっ」
「あの人形は儂の母が作った人形じゃ。普通の人形ではない。あれは儂の未来を予知する能力がある」
「あの人形に、ですか?」
「そうじゃ。人形が動く時期は気まぐれだが、予知は必ず当たる」
 記憶を辿るように少年は御簾を目で追っていた。その向こうに、馬でも歩けるほど広い廊下が見え隠れしていた。
「以前はあの人形が急に歩いて転んだかと思うと、儂は翌日に同じように木から落ちて頭を切った」
 そう言いながら白い髪をかき上げて見せられた。白い肌に薄く白くなった引き攣れがみえている。
「それで。動くのを見たか?」
 ミズキは自らの胸の内に押し込んでいた、あの何ともいえず不愉快な人形劇を思い出して眉を顰めた。
「ええ、でも……私が見たのは男女の人形が……男女の、……その」
 言葉を詰まらせると、少年はまたしても顔を赤らめて目を逸らした。チッと舌を鳴らし、乱暴に己の髪をかき乱した。
「母上、余計な術を……それは恐らく随分と先の未来じゃ。忘れよ」
 少年が柏手を打てば、御簾の向こうに赤い着物を着た女が姿を現わした。先程まで廊下しかなかったのに、どこから。
 御簾を覗こうとすると、女が御簾を捲りあげてその姿を見せた。濃紺の髪を後ろでまとめて赤い簪をさしたおんなの頭頂部に、三角の猫耳が生えていた。飾り、にしてはやけに柔らかそうな茶色い毛をしており、時折ぴくぴくと動いている。
 おんなの後ろから、しゅるりと生えた猫の尻尾もゆらゆらと気まぐれに揺れ動いていた。
「猫!」
 悲鳴のように叫ぶと、おんなは赤い口元を緩め、眦を赤く塗った吊り目を細めた。
「ねこ妖怪を見るのは初めてかい。……おやあんた、なんて格好だい!」
 おんなは足早に歩みより、ミズキの胸元を掻き寄せた。先程少年に乱されたままで直すのも忘れていた。
「坊ちゃんったら、年頃の人間の女になんてことをするんだい。アタシは坊ちゃんに旦那様のようになって欲しくないんですよ」
 坊ちゃん扱いされた少年はむくれたように横を向いたままだった。
 ねこ妖怪のおんなは、「私のことはネコ姉さんと呼んでおくれ」と親しみやすい優しい笑みを浮かべてくれた。
 姉さんがミズキの手を引いて最初に連れて行ったのは、果ての見えない廊下に並ぶ、小部屋だった。納戸のような四畳一間に窓は一枚しかない部屋だが、外には白い木蓮が咲き誇る木が見えた。その木の下にお椀をひっくり返したような小さな泉が広がっている。木蓮の大きな花弁が時折、はらりと音もなく泉に落ちていく。
 しかしすぐに真新しい花弁が生え、花が無くなることは無い。
「気に入ったかい。アンタの部屋はここだ。私の部屋は隣」
 ねこ姉さんが親指で隣を示せば、呼ばれたように戸が開いて中から小柄な少女が出てきた。年は先ほどの少年と同い年くらいだろうか。
 茶色い髪のおかっぱの少女は恥ずかしそうに母の後ろに隠れた。恐る恐ると顔を出し、ミズキを上から下まで観察している。
 「……人間?」
 少女がそう言うと、ネコ姉さんが咎めるように背を叩いた。
「旦那様の新しいお手伝いだよ。そんな言い方をするんじゃない。……ああ、そうだ。アンタ、名前は?」
「ミズキ……
「ミズキ。よろしくな。旦那様にも挨拶をしたほうがいいか。……あまり会わせてたくないが……
 ネコ姉さんが小さな声で色魔、と呟くのが聞こえた気がした。
 ネコ姉さんの頭上の猫耳が急にぴんと張りつめる。何かを感じ取ったのか、振り返って廊下の先に視線を向けている。
 ミズキも目を凝らすと、霧がかった廊下の真ん中に急に人影が現れた。黒い着流しを着たおとこだ。先ほどの少年と同じように白い髪、赤い目をしている。
 背丈はミズキよりも頭二つ分高く、懐手を入れた胸元の隆々とした胸筋が見えていた。父よりも若く、先ほどの少年よりも大人だ。
 大人のおとこに会うことは滅多にない。水木は思わず視線を逸らし、おとこの目を真っすぐに見た。
 おとこは大きな赤い片目で水木を見、ふうんと鼻を鳴らす。品定めされているみたいで居心地が悪く、腕を擦り上げた。
「随分と可愛らしい子じゃないか。醜女でも連れてくると思っていたから意外だな」
 顔を覗き込まれそうになると、ネコ姉さんがミズキの腕を引いて背後に隠してくれた。
「旦那様。ミズキは旦那様の側仕えではないでしょう。この娘は盗人の咎を祓いにきただけ」
 ネコ姉さんは強い眼差しで睨みつける。気おされたのか、旦那様と呼ばれたおとこは面倒くさそうに頭を掻いている。
……なぜこやつに世話を任せたのか。手が出せぬ。……ならばお前にその人間のおんなの処遇を任せよう」
 旦那様は舌打ちをし、恨めしそうに廊下の奥へと消えた。
 ネコ姉さんは大袈裟に、はあとため息をついた。
 そしてミズキに向き直ると、両肩を掴んできた。
「あれはこの屋敷の主。この屋敷は、昔から数多の妖怪の住む場所。あんたのことは前から噂になってた。明日もあんたのことを迎えに行って、あの色魔の愛人の一人にされる話もあったくらいさ!……でも」
 ネコ姉さんはミズキの頭を乱暴に撫で回した。
「気にするなそうはならないよ。でも勿体ないけど、髪は切りなさい。胸も隠した方が良いね」
 なんの確信があるのかはわからないが、自信ありげなネコ姉さんにミズキは不思議と安心できた。
 ネコ姉さんに鋏をもらい、その日のうちに髪を切った。意識して伸ばしていたわけではないが、肩まで伸びた黒髪を顎まで切った。豊満な胸もタスキで潰して、言葉遣いも男らしいものに変えた。


 そのあともネコ姉さんは屋敷のあちこちを案内してくれた。
 またあの旦那様だとかいう不快なおとこに会いたくなかったが、ネコ姉さんが手を回したのか会うことはなかった。それどころか他の妖怪の姿を見ることはなく、ネコ姉さんの後ろについて掃除や食事の手伝いをさせられるようになった。
 不思議なのはあの少年だ。
 不遜でどこか風のようなあの少年は初日以降見ていない。
 あの子はミズキの人形を奪って行った。
 しかし記憶では、あの人形には連れ合いがいたはずだ。
 あのおんなの人形はどこへ行ったんだろう。
 
 そんなことを思いながら、ミズキは桶のなかに手を突っ込んだ。濡れた雑巾を捻りあげる。ネコ姉さんは台所に手伝いにいってしまった。
 毎日のようにあらゆる廊下を掃除しているが一度も同じところを掃除した気分にならない。
 それは庭先に植えられた植物が常に違うからだろう。
 先日は椿が植えられた廊下を掃除した。ひどく寒い廊下で、雪が降りしきり、雑巾を搾る手があかぎれた。ネコ姉さんは人間は脆いと驚き、よく効く薬を塗りこんでくれた。
 今日の廊下は汗ばむほどに日差しが強い。空を見上げても霧がかかっているのに、どこからともなく日差しが差し込んでくるようだった。真夏のような気候に、合わせたように植えられているのは向日葵だ。誰が用意したのか支柱に絡まる朝顔はよく伸び、紫の花を幾つも咲かせている。
 額の汗を拭い、一息つこうと腰を起こした。
 すぐ目の前の縁側に、あの少年が座っている。人形を見つめながら、片足を抱き、煙管を吸っていた。
……あの……
 思わず声をかけると、少年は瞬きを一つした。
「まだ生きておったか。尻尾を巻いて逃げたと思うたが」
「俺は逃げない」
 胸を張ってそういえば、少年はせせら笑うように鼻を鳴らす。
……なんだその言葉使いは。てっきり父の遊び相手にされてると思っておったが、ネコ女が根回ししたようじゃな」
 少年は煙を吐き出した唇をなぞり、目を細める。
「いずれにしろお前はここから出られぬ。歳も取らず、妖怪と似たような存在になっていく」
 少年は口角を吊り上げていやらしぬ唇を歪めている。ミズキを傷つけようとしているのだろう。少年らしい意地悪さだ。
 ミズキは思わず、少年の頭を撫でていた。
 少年は目を丸めている。
「若旦那様は、俺がお嫌いなんですね。でも俺はここ以外にもう居場所がないのでいなくなりはしません」
 少年の手から煙管が落ちていく。今起きたことが受け入れられないように、瞬きを繰り返していた。
「では、失礼します」
 ミズキは踵を返して再び掃除に戻った。
 てっきり、少年はすぐにいなくなると思っていた。しかし少年はまだその場にとどまっている。
「髪を切ったのか」
「邪魔ですからね」
 気のせいか背後に少年の気配を感じる。
 頸に、絡むような視線がある。
 振り向けば少年は背後に立っていた。
 なぜか悲しげに眉を寄せている。
「なぜ……そんなつまらぬ理由で髪を切ってしもうたのじゃ」
 少年の手が切りそろえた髪に触れた。しかしそれだけで、何もしてこない。
「若旦那様、どうなさいました?」
「あの人形に、片割れがいた。女の人形じゃ……あれもどのかへ行ってしまった」
「叔父が、盗んだんですか」
 罪悪に胃が締め付けれる。
 こんな子供の母からの最後の贈り物を奪うなんて酷い真似をする。身内であっても、許されることではない。
 少年は静かに首を振った。
「いつの間にか無くなっておった。儂に、もう連れ合いはできぬということじゃろう」
 少年は寂しげに呟き、庭先の向日葵を見つめていた。しかしその視線はそれよりも遠くを見ている。
 ミズキの胸になんとかしてやりたいという焦りが込み上げる。こんな少年がもう世を儚むのは早すぎる気がした。
「俺がお側におります。あなたのそばに」
 少年は目を丸めていたが、苦々しい笑みを浮かべる。
「償いか?」
「そうかもしれません」
「ふ、お前も儂も異質な存在か。……ミズキよ、明日から儂の部屋に食事を運ぶのはお前に頼もう」
 少年はそう言い、ミズキの手にあの人形を渡してきた。人形の着ていた着流しがほつれている。
「この着流し、繕っておきますね」
 そう言って人形の丸い顔を撫でた。少年は目を細め、柔らかく微笑んだ。
 
 早速、ネコ姉さんに少年のことを伝えた。ネコ姉さんとその娘は顔を見合わせて、食べていた食器をお膳に戻した。
「坊ちゃんがそんなことを? 人間どころか妖怪とも話さない坊ちゃんがね。……
「若旦那は普段どちらに?」
 ネコ姉さんは眉を下げて困ったように肩をすくめる。
「引きこもって出てこやしない。……奥様が亡くなってから、旦那様はあらゆる妖怪を後妻にされたのさ。子孫を残すために」
「子孫を……
 脳裏によぎる軽薄そうなおとこの影を手で払う。
 ミズキは味噌汁に口をつけ、その味の濃さに顔を歪めた。どうも、この屋敷の味付けは濃いのだ。たまに喉が酷く渇く。
「あの子の良い話相手になってやってくれたら良いよ」
 お安いご用だと思った。
 少年を慰めるくらい、親切心でできると思っていたのだ。
 ミズキは失念していた。
 少年がいつまでも、少年ではないことを。