mishiadd
2026-05-04 13:10:25
11447文字
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いおりひとり旅・日本紀行:宮本伊織の歴史ミステリー・吾嬬はや

【現パロ】記憶はないけど『倭建命』に縁がある一般大学生の宮本伊織さんがヤマトタケルゆかりの地を一人旅するGWノルマ【その他】
次作『いおりひとり旅・日本紀行:光芒射す』:https://privatter.me/page/6a098213a9ba4


二、

大学生の御多分に漏れず時間はあったが金がなく、連休の半分はゴールデンウイーク中の稼ぎ時のアルバイトに充てるとして、T村へは二泊三日の旅行としていた。

出立の朝は生憎の大雨で、二日分の荷物を詰めたボストンバッグを肩に引っ掛けながら傘を差し、在来線を乗り継いで東京駅へと向かう。駅はいつにもまして人の群れでごった返していたが、意外にも一度新幹線に乗り込んでしまえば席は空いていた。著名な避暑地を経由するにしては意外だと思いながら、新幹線の窓から外を眺める。空は重たい乱層雲に覆われ、北上するにつれてむしろ雨脚が強くなっていくのを眺めながら、ふと思う。――特に何も考えずに温泉地を選択してしまったが、そういえば宿と宿周辺は随分と露天風呂を推してはいなかったか。

ふと気になって手元のスマホで宿のウェブサイトを確認する。宿自体に四つ、周辺地域の日帰り温泉と合わせると十二もの温泉がある。――そのうちの十個が、露天風呂だった。

ううん、とぽりぽりと伊織が頭を掻く。――暇潰しとして温泉宿を指定しただけで温泉自体に強い期待をしていたわけでもないが、この天候では露天風呂に入るのは無理だろう。露天ではない内風呂に入って終わりか……と、内心少しだけ気落ちする。

それよりも、こうなってしまってはより気にしなければならないのは翌日の天候であった。ただでさえ足場の悪い山道を一時間以上かけて徒歩でU峠へと向かう予定にしていた。この雨が続くとなれば、到底不可能となる。

Googleマップで距離感を改めて確かめたあと、アプリを閉じる。――まあ、もしそうだというのならば、それはそれで受け入れよう。

自分の人生の節々に、まるで古い友人のように立ち顕れる『ヤマトタケル』に敬意を表して、たまにはこちらから訪ねていってやろうと思い立った次第だった。これで雨が続いて物理的にも参拝が不可能――ということになるならば、それこそがきっと『ヤマトタケル』の伊織への返答だ。実にわかりやすい意思表示だった。

まあ、なにも直接そこまで足を運ばなくとも傍には掠る。嵐の中、宿に閉じ篭ってゆっくりと読書でもしながら過ごすのも、ゴールデンウイークの過ごし方としては充分だろう。贅沢過ぎるくらいだった。

スマホを仕舞って読みかけの文庫本を鞄から引っ張り出す。目的の駅への到着予定時刻を確認し、本の続きを読む。







駅に着いて、宿の最寄りまで連れて行ってくれる市営バスに乗り込んだ。大雨のためか有名な避暑地である筈の駅にも人通りはまばらで、市営バスに至っては伊織の他には地元民らしき乗客がひとりという有様だった。
窓際の席に座って窓の外を眺める。――更に雨脚が強まっていく中で、だんだんと視界が白くなっていく。

信号でバスが停止したので、ふと伊織が前方に目を遣った。それでようやく気付いた。――雨だけで視界が白くなっているわけではなかった。いつの間にか、あたりには濃霧が立ち籠め始めていた。

そういえば、このあたりは標高が高いようだと同期が言っていた。バスも、既に山道に入ってくねくねと道なりに蛇行し始めている。バスの運転手はさすがは慣れたものなのか、ほとんど視界のない中で迷いなく道を進んでいる。山間ではよくあることなのかもしれないと、濃霧の中で目を凝らすようにしながら、伊織が外を眺めている。まだ雪もところどころ残っているような中、高く育った木々は盆地とは違って新緑もつけずに裸のまま、さわさわと揺れている。それも、真っ白な霧にすぐ覆われてしまう。

「ああすごいね」としわがれた声がしたので、窓から視線を外した伊織が振り返った。バスの後部座席に座っていた地元民らしき老人が、窓の外を眺めながら言った。

「お兄さん、山の上の宿に行くんだろう。……この霧は、上から見れば雲海だよ。わしらは今、雲海の中を走っている



――海の中――



ざあざあと雨が降っている。地面から立ち昇るようにたなびく白い霧が、まるで地表を這うように広がっては山肌や木々を覆っていく。こぽぽ、と水の泡の爆ぜるような音を聞いた気がしたが、それはきっと伊織の気のせいだった。

気付けばどこかのバス停で老人は既にバスから降りていたようだった。くねくねと山道を曲がる中、時折木々の向こうに開けた景色が広がり、そこにかかる白い濃霧と曇天の白い雲との区別ももはやつかない。雨は、止む気配がなかった。



――ふと、思う。



妻を失った遠征の末、この山道をたった数人の手勢と共に進んだ『ヤマトタケル』は、この霧を見ただろうか。……この地で彼は、一体何を見たのだろうか



この霧は、上から見れば雲海だと、あの老人は言っていた。――であれば、宿に着けば、ヤマトタケルの見たものが、伊織も見られるだろうか。



宿の最寄りのバス停で降り、傘を差して宿へと向かう。きつい硫黄の匂いがした。ふと目を遣ると眼下の向こうの谷間に、ドライアイスの白い煙が溜まるように白い霧が溜まったような場所が見えた。恐らくはあの中を通って、ここまでやってきたのだろうと伊織は察した。
だがそれも、山々を覆う霧とも雲ともつかない白い靄と混じり合い、すべてが雨と白色の中に呑み込まれていく。

宿でチェックインをして、部屋に荷物を置いた。大きく取られた窓の外には黄色い硫黄がこびり付いた岩肌が遠くに聳え立ち、そこから湯気が立ち昇っていた。その更に向こうには、高い山々の稜線が見える。
そのすべてを、真っ白な濃霧が覆い、激しい雨が叩きつけるように降り注いでいた。

畳の部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上の案内を見る。大浴場と温泉の案内があった。内風呂がひとつと、露天風呂が三つ。――ただし、露天のうちのひとつは、屋根付きだと記されている。

部屋に置かれていた浴衣を着込み――昔から浴衣や着物の類は妙に性に合って落ち着いた――大浴場へと向かってみる。ほぼ満室の筈であったがなぜか人は少なく、脱衣所には伊織の他に先客がひとりいるだけだった。

洗い場で身体を清めて外へと出る。標高が高くそれでも肌寒いくらいではあったが、外へと出るとますます冷たい風が吹きつけてきた。横殴りの雨風が吹きつけて、洗ったばかりの伊織の身体を濡らす。

斜面に沿って造られた露天風呂は景色を楽しむために横に広く、それをすっかり覆ってしまうように屋根がついていた。おかげで雨風はすっかり除けられており、伊織が肩まで浸かってしまうとなにも気にならなくなった。
目の前に広がる景色は部屋から見たものとほとんど同じもので、ひらけている分部屋よりも左右が見渡せた。広がる山々の裾野と、先程バス停から見た谷間に溜まった濃霧も見える。
山肌を打つ雨が霧となって白く立ち昇り、山々の輪郭をうっすらと残したまま、視界はほとんど真っ白になっている。先客の老人が静かに景色を眺めている。ゴロゴロと、遠くで雷鳴が響いた。

雨は一向に止む気配がない。それどころか、ますます強まっているように思える。おまけに雷鳴まで轟き始め――と思った瞬間、ピカと伊織の目の前が紫電に染まった。

ややあって、ゴロゴロゴロゴロと大きな雷鳴が響く。紫色の閃光から音が響くまでの時差から、落雷場所からはまだ距離があることは理解できたが、如何せん光が強く音が大きい。

雷鳴の中温泉に浸かる――というのもなかなか風情があると思い、しばらくそのまま浸かっていたが、再び視界が紫色の閃光で染まったとき、こう忙しないのでは『温泉にゆっくり浸かる』も何もないなと思い直し、伊織は温泉を出た。
これではまるで、温泉にはしゃぐ少年にひっきりなしに傍で大騒ぎされているのと変わらない。……伊織自身にそんな経験がある筈もなかったが、なんとなくそんな感覚が妙にしっくり来たのだった。

宴会場兼食堂で夕食を取ったあと、受付に顔を出した。明日U峠に行きたいが、方法はあるだろうかと尋ねてみた。
やや驚いた顔をした受付の女性は言った。

「あることにはありますが、一度バスで麓の駅に戻ってから、そこから車か徒歩になります。市営バスはありませんので、車ならレンタカーかタクシーかと」
「やっぱりそうか。……承知した、ありがとう」
「ですが、この雨ですから、そもそもお薦めできません。明日、止むとはとても思えませんので」

曖昧に微笑んで、伊織は踵を返す。――「来るな」ということであるならば、それはそれで仕方がない。

ヤマトタケル本人が拒むものを無理に行くほどでもない。このまま雨が止まず、足を阻まれるならば、それはきっと、そこにヤマトタケルが伊織に見せたいものがないということだ。

部屋に戻れば既に日は暮れており、窓の外は真っ暗であったが、激しい雨が窓ガラスを叩いているのだけはわかった。軽く肩を竦めて歯ブラシに手を伸ばす。明日の朝、決めよう――と思い、就寝の準備をした。