tonami
2026-04-16 00:36:21
7511文字
Public 50音
 

50音/た行

50音短文詰め④



つ/現パロ



 疲れていた。この上なく、おれは疲れていた。
 日々増えはしても減りはしない業務にやたらに詰め込まれたオペの予定、その隙間に捻じ込まれる外来担当。そして締切が近い論文。
 患者の治療には否やはない。そのために医者になったのだから、むしろ誇りにすら思う。けれど、これだけの激務が何日も続いては生活がままならなかった。寝に帰るだけだった自宅はここ最近は玄関にさえ足を踏み入れておらず、最後に帰ったのはいつだったかさえ思い出せない程度には遠い記憶になってしまっている。
 重い体を引きずって、辿り着いた公園のベンチに腰を下ろした。あまりに顔つきがまずかったのか、さすがに見かねた上級医から帰宅を言い渡されたものの家まで帰る気力がない。タクシーでも呼べばよかった。そうすれば今頃自宅だっただろうに。ろくに睡眠を取れていないせいで、いつもは効率を最優先する脳はどうにもぼんやりとしたままだ。
 いっそこのままここで寝てしまうか、と働かない頭で考える。少し眠れば気力も回復するはずだ。そこまで夜も気温が下がらなくなってきたから数時間くらい大丈夫だろう。
 なにより体の頑丈さには自信がある。だからこれだけ無茶をさせられたし、できてしまったのだけれど。いまはその事実から目を逸らして、起きてからまた考えよう。
 鞄を枕にベンチに横たわる。寝るには硬いし狭いが気にしている余裕もない程度には、体が限界だった。


 なにか暖かくて柔らかいものに顔を包まれている。布越しなのにもちもちとした感触が心地好くて擦り寄ると、ふふ、と笑みを含んだ吐息が前髪をくすぐった。頭を撫でられる手つきが優しくて気持ちいい。──撫でられている?
 急激に意識が覚醒する。おれは確か公園で寝ていたはずだ。おれの他に誰かが一緒にいるわけもなく、ベッドは硬いベンチでこんなにふかふかしたものじゃない。おれはいま、どこにいるんだ?
「お、起きたか」
 寝起きの視界にきらきらと光が散る。カーテンの隙間から差し込んだ陽光が春を象徴するような緑を新緑に輝かせ、両の薄いグレーを透き通らせる。
「そうそうお目にかかれねェ男前が公園のベンチに落ちてたもんだからつい拾ってきちまったが、あんた大丈夫か? 仕事は?」
……今日は、休みだ」
「そっか。ならよかった」
 いやよくはねェだろ、といつもだったら突っ込んでいたのに今回ばかりは言葉が出なかった。お前誰なんだとか、知らない人間を軽率に拾うなとか聞きたいことも言いたいこともいくらでもあった。けれど視界いっぱいに広がる笑顔が、あまりにも無邪気で。なにより、めちゃくちゃ好みだった。
……かわいい……
「あんたよっぽど疲れてんだなァ」
「ちょうどその疲れがぜんぶ吹き飛んだところだ。一目惚れした。結婚を前提に付き合ってくれ」
「まあいいけどよ」
 人間の好き嫌いが激しいおれからは考えられないほどスムーズに飛び出したプロポーズは、名前も知らない男にあっさりと承諾された。
 それから数年後に改めてプロポーズするのを、この時のおれはまだ知らない。



プロポーズからはじめまして