群青

【徳種】原作軸翌年IF*徳川さんの高校最後の強化合宿、その前と後のふたりの話。鬼+入+徳/曲+種パートも少し。


(三)

 次に徳川から連絡があったのは、年の瀬も差し迫ってきた十二月なかばのことだった。

『お久しぶりです。戻りました』
『来週以降、どこか都合がつく日はありますか?』

 とはいえ年末年始の帰省なども重なる時期で、互いにすぐには予定が合わず――結局、約束は一月に入って最初の、種ヶ島のオフ日に設定された。
 自室のベッドに座りラケットの手入れをしながら、種ヶ島は枕元のデジタル時計、その端に浮かんだ日付についと目を遣る。
 徳川と会うまであと二日。
 数ヶ月の空白は過ぎてしまえば存外短いものだったが、理由など最初からわかりきっている。
 徳川との試合は昨秋以来だ。最後の強化合宿を終えて帰ってきたあの男と戦うことが、ただ純粋に楽しみだった。
 大まかに試合展開のシミュレーションを行い、対策もしてきたものの、むろん情報不足は否めない。
 今年はW杯が開催されない分、一軍の海外遠征期間も長く取られているはずだ。まして前大会王者となった日本代表なら、受け入れ先の候補も相当数増えただろう。毛利や徳川を交えてグループで使っていたトークルームにも、昨年の大会で対戦した顔ぶれと遠征で再会したときの写真や動画が折々に送られてきていた。
 それらの中に写る徳川の襟元に光る『1』のバッジを見つけた瞬間の感情を、どんな言葉にするべきか。種ヶ島はそれをまだ、決められずにいる。
…………
 細く長い息をひとつ、肺から押し出す。
 ガットのテンションを確かめていた指先を止め、ぼふ、とシーツの上に身を投げた。
 ラケットから手を離し、見慣れた天井をじっと眺める。相棒のものと思しいかすかな生活音と、窓の外から滲む夜の音だけが聞こえる部屋は静かだった。

 平等院を倒し、日本代表のトップになる。

 その目標とともに鍛え上げられてきた徳川のテニスは、選手としての素質の高さを武器にオフェンシブな相手を迎え撃ち、正面突破する方向に長けている。
 いわゆる強打の打ち合いになる展開を前提にしたスタイルで、そのフィールドに持ち込めば確かに高確率で主導権を取ることができる。『攻撃は最大の防御』とはよく言ったものだが、それは相手がパワープレイヤーでないとしても同様だった。
 しかし逆に言えば力で捩じ伏せようとする相手以外――徳川のオフェンス力を凌ぐ守備力特化型の選手には、ある種のミスマッチが生じて持ち味を活かしきれない弱みもあった。
 ……少なくとも、あの男が最強の盾を手に入れるW杯決勝までは。
 体への負荷がネックだったブラックホールも、あの試合の中で解決策を得て既にリスクを大きく緩和している。強制的にボールの軌道を固定し滞空時間を延ばすあの技は、強打だけではなくネット際の駆け引きにも相当な効果がある。
 むろん、さらにプレーそのもののレベルも相当上がっていると考えたほうが良い。
 なにせ一人で能力共鳴ハウリングを起こしてのける規格外の男である。この一年のうちに、新しいスキルを複数習得していてもなんら不思議はない。

「難易度たっかいなぁ、ホンマ」

 独り言とともに、肩を揺らしてちいさく笑う。
 相手の手札は最早まるで未知数に近しく、……けれどもだからこそ面白い。
 天井に右手をかざし、明かり越しに透かし見る。
 自分の武器はこの眸と、手首と、型に嵌まらない思考力だ。徳川の持つ予感、あるいは確信にも、負けるつもりはない。
「楽しみやわ」
 そしてその先に、青い熱への答えが待っている。

***

 二日後。一月某日、午後四時半。
 待ち合わせ場所の駅構内を、ラケットバッグを肩に掛けた種ヶ島はゆったりとした歩みで進む。
 今日は大学のテニス部のオフ日にあたり、昼すぎには自由の身になっていた。徳川とは高校の授業が終わったあとに合流する予定で、いま向かっている中央改札が待ち合わせの指定の場所だ。
 自身と同様、厚手のコートやマフラーで身を固めた通行人が、各々の歩調で周囲を行き交う。退勤ラッシュにはまだ早いらしく、どちらかといえば制服姿の学生たちが目立つ時間帯だった。
……お、」
 『中央改札口』の看板を頭上に見つけるより先に、人混みから頭半分ほど抜けた制服姿の男が目に留まる。まっすぐに伸びた背すじ、見覚えのあるラケットバッグ。凛とした佇まいは、雑踏の中にあっても自然と目を惹く存在感を放っていた。
 腕時計を確かめた男が周囲を見渡した拍子、人波越しに視線がぶつかる。軽く片手を挙げてひらりと振ると、自身の名前を呼んで男の口元が動くのが見えた。種ヶ島さん。
「お疲れ様です」
「おつかれさん。久しぶりやな、徳川」
 その場で待っていて構わないというのに、短い距離でも駆け寄ってくる律儀さがこの男らしい。目を細める。

「制服見んの初めてやわ」
「そうでしたか?」
「合宿所じゃ写真ない言うて見せへんかったやろ?よー似合うとるやん、学ラン」
……、ありがとうございます」

 徳川が着ているのは詰襟の学生服だった。見たところ、薄手のマフラーと手袋の他には防寒具らしい防寒具は身につけていない。「寒ないん」と尋ねれば、徳川は「中のウェアで調節しているので」と軽く首を横に振る。多少厚着をしているということだろうが、均整の取れたシルエットにはまったく響いていない。先日会ったときよりもさらに洗練された隙のない出で立ちは、合宿でのトレーニングの賜物だろう。
 制服に言及されるのが少しばかり気恥ずかしかったのか、徳川がふいと目を逸らして話を切り替える。
……行きましょう。あちらです」
「おう」
 徳川が手配したのはこの駅から徒歩十分ほどの距離にあるスポーツクラブの貸コートだった。天候も日没時間も気にする必要がない屋内コートは、確かにこの季節にはあつらえ向きだ。
 肩を並べ通路を歩き出しながら、種ヶ島は何気ない調子を保って口を開く。

「どーやった、合宿は」
「充実した良い時間でした。幸村くん達が加わって二年、三年のメンバーにもかなり刺激がありましたし……遠征の成果も上々です」
「さよか。そら安心や☆」

 出口に近付くにつれ、身を包む冷気が濃さを増していく。すでに陽は落ち、駅前の街明かりが煌々と夜空を照らしているのが見えた。

……遠征といえばゼウスくんが種ヶ島さんを気に掛けてましたよ。元気にしているか、と」
「お!ゼウス様元気しとったか?」
「ええ。彼との試合は白石くんが」
「去年の予選のリベンジやん。エエなあ、ノスケのヤツどないやった?」
「そうですね……

 現二・三年生はもちろん、今回から高校生として改めて代表選抜に加わった一年生たちも含め、共通の顔ぶれは多い。話題が尽きるはずもなく――目的地に到着するまで、夜風に滲む白い息が途切れることはなかった。
「すみません、少し待っていてもらえますか」
 照明に照らされた看板の下、自動ドアをくぐりエントランスホールへ。コートの使用手続きのために受付カウンターへ向かう徳川の背中を、種ヶ島は少し後ろに立ち止まったまま静かに眺める。その後ろ姿が頼もしさを増したように思うのは、錯覚ではないだろう。
「種ヶ島さん?」
――、」
「お待たせしました。これが更衣室のロッカーの鍵で……シャワーブースエリアの入室キーも兼ねているそうです」
……了解☆」
 手続きを終えて戻ってきた徳川から鍵を受け取る。
 一瞬ふれた指先に、冬の温度がかすかに残っていた。


 天井に等間隔に並んだ照明が、静まり返った練習場を隅々まで照らしている。
 二面並んだコートのうち、奥側が予約の場所だった。隣のコートはどうやら空いている時間帯のようで、広々とした空間を見渡しながらウォーミングアップに軽い有酸素運動とストレッチを行う。
 自然と動きの調子が揃うのは、合宿所で叩き込まれたそれが体に染みついているからだ。隣にいる男が纏いつかせた静かな集中が心地好く、種ヶ島も何も言わず黙々とアップをこなした。
 互いに着ているウェアは当然日本代表のものでも、それぞれの学校指定のものでもない。ただの自分自身としてこの男に向き合うことに、確かな高揚を感じていた。
 準備を整え、コート横に立ち止まったところで徳川が静かに口を開く。

「コートとサーブ、どちらが良いですか」
「うん?」
「今日は、俺が持ちかけた話なので。種ヶ島さんが選んでください」
……ホンマ律儀やなぁ、お前」
「どうぞ」
「んー……

 思考を巡らせながら、男の表情をちらと見る。答えを待って注がれる視線の真剣さに、ここで押し問答をする必要はないと判断して足元のボールカゴからひょいと球を手に取る。
「ほんならサーブもらうわ、遠慮なく☆」
「はい」
 コートの利用枠は二時間。既に二十分ほどはウォーミングアップに充てているから、あとは少しでも長く打ち合うことに使いたい。
 向かい側のコートのライン際に徳川が立つ。自然な仕草で身を撓めた長身を確認し、ひとつ頷く。
 ボールを二、三、足元で跳ねさせてから、垂直のトスアップ。ガットの中央で捉えた点が、対角線上のサービスコートの角へ疾る線になる。
 まずは手持ちの情報の更新が最優先だ。
 徳川もおそらく同じ考えだろう。危なげなくサーブを迎え打った男から、こちらの出方を探るような軌道のショットが返ってくる。交わすラリーの数に比例して増していく緊張の濃度に、知らず口角が持ち上がった。

 仕掛けるための一瞬の綻びを、互いに息を潜めて探り合う。以前なら乗ってきたはずの多少の揺さぶりも軽くいなしてみせる姿には確たる自信が感じられ、踏み込むほどの隙には繋がらない。
 おそらくこちらが誘い水を向けてくるのを待って、駆け引きのテンションを一定ラインに保っている。まだゲームは始まったばかり、誘いに乗ることもやぶさかではないけれども――それだけではやはり少々不公平というものだ。

「なんや、えらい慎重やん」
「鬼さんやデュークさんのショットを無効化できるのを知っているのに、そう簡単に仕掛けるハズがないでしょう」
「さよか☆」

 このまま持久戦に移行したほうが、自分にとっては都合がいい(伊達に同世代随一のスタミナを誇る大曲の相棒をしていない)。
 状況の有利を手放して誘いに乗るに足るだけの理由があるのかと言外に含んで尋ねれば、徳川からはそんな言葉が返ってくる。間を図るような眼差しと声に、ようやく合点が行った。「そらそーやわ」

「デュークのホームランも、十次郎ジュウの全力のブラックジャックナイフも、俺が返すん目の前で見とるもんな、お前」
…………、」
気にしとんのはその先か・・・・・・・・・・・

 鬼のたっての希望もあり、バッジをかけた鬼やデュークとの試合に、徳川は入江とともに立ち会っている。代表メンバー屈指のパワーを持つ二人の決め球を種ヶ島修二が無効化できると己の目で知っている以上、徳川が取り得る選択肢はそれらを凌ぐ強打しかない。
 そしてこの男が平等院の技のひとつを会得していることを、種ヶ島は既に知っている。
「ええで、……やってみ!」
 軸足を踏み込み、相手コートに深めのクロスを打ち入れる。ここまで張り詰めてきた高揚の糸が弾けると同時、閃光と見紛う打球の向こうに、男の燃えるような闘志を湛えた瞳が霞む。
 ――光る球デストラクション

「種ヶ島さん」

 数秒、あるいは十数秒の間。
 自身が返したボールは、相手側のネット間際に転がり落ちて無音で停止していた。
 水を打ったような静寂を破り、徳川が呟くように問う。

……去年、アナタはどこまで辿り着いていたんですか?」
「さてな☆」
 軽い調子で肩を竦めてみせる。
 今となっては詮無い話だ。
「コイツを返せただけじゃ平等院には勝たれへん。俺は、一番のバッジを獲りきらんかった。それ以上でも以下でもないで」

 平等院がデュークとともにほとんど身ひとつで海を渡り武者修行に出ていたことを種ヶ島が知ったのは、昨年の初夏。インターハイの近畿ブロック予選大会だった。
 記憶よりさらに随分と荒くれた風貌で会場に現れた平等院と、……その後ろを迷いなく進むデュークの姿に、覚悟の固さを垣間見た。

 日本代表を世界の頂に導こうとする、その、覚悟。

 チームのトップに立つにはこの男たちを越えなければならず、世界の頂点に立つにはこの男たちと対等に肩を並べる力を付けなくてはならない。
 そのためには何が必要か。
 個々の最善、チームにとっての最善。世界を相手に勝ち上がっていくには、どちらもが必要になる。昨年――最後の一年間は特に、その意識を常に頭の隅に置いて行動を選択し、結果として自分の手にはナンバー2のバッジが残った。それが事実であり、事実以上の意味はない。
 掴んだバッジは、空に瞬く星々のようなものだ。大海原へ乗り出した海賊船を、頂点へ導く道標にほかならない。トップを目指し続ける渇望と、襟元でひかる数字への誇りが、自分の中から消えたことはなかった。
「コートに立っとる限りは、お前も、俺も、誰もまだ、負けてへん」
……、はい」
 高校三年間の鍛錬と世界大会の準決勝の舞台で、自身はようやく四つ目の「無」に辿り着いた。
 残る「無」の境地は、あとひとつ。

「高校テニスが終わっても、まだまだやること山積みや。……なあ徳川、どー思う?」
――楽しそうですね、種ヶ島さん」

 どこか懐かしいやりとりに、「さよか」と応えてちいさく笑う。対岸に立つ男もはっきりと笑んでいた。まっすぐな熱を湛えたひとみと声が、心地好く胸裡をさざめかせる。
「さて、」
 ラケットを手元でくるりと回し、手首のコンディションを確かめる。この威力のショットを受けるのは随分と久しぶりだが、幸い勘も鈍っていないようだった。
 ついと徳川に向け直した視線が噛み合う。かちり。

「隠しとるモンよーさんあるやろ。そろそろ見してもらわんとな☆」
……望むところです」

 その一言で、男の纏う空気の温度が変わる。
 能力共鳴ハウリング。未来までもを見通すような深い眸に、高揚でぞくりと背がふるえた。
 高校最後の強化合宿で、この男が何を掴んだのか。何を託したのか。
 これ以上は、言葉はいらない。

***

 スポーツクラブの自動ドアをくぐって外に一歩踏み出すと、さらに気温が下がった夜気がひといきに全身を包む。
 その場で立ち止まり、うん、と伸びをひとつして、種ヶ島は夜空に向かって緩い息を吐いた。

「あー、たーのしかったわ~☆ やっぱ思いっきり打ち合うんエエなあ」
「そうですね、……1セットも終わらないとは思いませんでしたが」

 同じように隣で足を止めた徳川が、少々不服そうに言う。
 コートではあれほど駆け引きに応じてみせるというのに、こうして素直に感情を表に出すところはやはり後輩らしく思え、ちいさく笑みを零した。
「俺とやるんやったら長丁場になるんはわかっとったやろ?」
……それについては俺の読みが甘かったです。次は半日か、丸一日押さえます」
「はは、そらまた贅沢なこっちゃ☆」
 元来長期戦型の自身のスタイルに加えて、徳川の能力共鳴ハウリングが発動したことでひとつひとつのラリーが想像より長引いたのは事実だ。
 スコアの上では1セットすら終わっていないが、体力、思考力ともに相当な消耗感がある。今夜はよく眠れそうだ、と他愛ない思考を巡らせながら数歩進みかけたところで、――立ち止まったままの男に気が付いた。
「徳川?」
 半身ぶん戻って男を振り返る。
 自動ドア越しに差し込む照明を背に負ったままこちらを見つめる男の表情は、強い明かりでできた陰影にまぎれてはっきりとは視認できない。
 ただ、男の視線がまっすぐに自身を捉えていることしかわからなかった。

「次もまた、こうやって会ってくれますか」
……徳川、」
「種ヶ島さん」

 聞いたことのない響きの低音が耳朶を打つ。
 プレイ後のクールダウンも、温いシャワーも、湯冷めを避けるためのしばらくの雑談も。体を落ち着けるための何もかもが済んでいるというのに、ふいに鼓動が跳ねる。
 押し出された言葉と一緒に白く染まった息が風に流されて溶けていくのが、いやにあざやかに目に映った。

「好きです」