ざわめきが完全に収まる、その寸前だった。コシアはふと、視線を上げた。誰かを探したわけではない。ただ、この場において、未だ微動だにしていない人間が誰であるかを、確かめただけだ。視線がぶつかる。コルシーニだった。 驚きはない。むしろ、互いに「見るはずだ」と予感さえしていた。その貌には、勝者の高揚も、目的を達した満足も、あるいは安堵の色さえもない。彼は、隠しようのない敗北の表情を滲ませていた。 だが、その奥にあるのは、いつもの穏やかな仮面に隠された狡猾さだ。すべてが自らの筋書き通りに進んだときに浮かべる、傲慢な確信。
……いや。
コシアは、その貌にある、微かな違和に気づく。遅れ、だ。理解が、一拍だけ、致命的に遅れている。即位名が告げられた瞬間、その名が持つ『重力』が、コルシーニの精緻な計算よりも、遥かに深いところへ落ちていったのだ。
——あ。
その戦慄が、顔に出るよりも早く、瞳の奥に兆した。 コシアは何も言わず、笑いもしない。ただ、視線を外さなかった。逃げ道を与えない距離で、しかし、責める風でもなく。ただ一人、その真相を『最初から知っていた者』として、そこに立ち尽くす。
コルシーニは、理解した。自分は勝ったのだ。アルバーニを駒として使い、場を整え、己の望んだ結末を完璧に引き寄せた。
——。その勝利が、誰か一人の決定的な後押しなしには成立しなかったことを。その一人が、かつて自分が正しさの名のもとに切り捨てた男であることを。勝利の輪郭が、その瞬間だけ、ひどく歪んで見えた。そして、その『誰か』が、自分の敵でも味方でもない、境界の外側に立っていたことを。コシアだ。自分が切り捨て、正しさの名のもとに排除し、二度とこちら側へは立たせないと断じた、あの男。
——まさか。その思考は、あまりに遅すぎた。 視線を向けると、コシアは目を細めもせず、己がすべてを理解したという事実を、そのまま相手に受け取らせようとしていた。
「これは、あなたの勝利だ。だが、あなた一人の勝利ではない」
そう告げる代わりに、コシアは、顎を引いた。挨拶でも、敬意でもない。ただの、確認としての仕草。 その瞬間、コルシーニの中で、何かが確かに音を立てて崩れ去った。 敗北の形は、まだ表には現れない。
——これは、後から骨の髄まで効いてくる敗北だ。コルシーニは、これからランベルティーニが削り取られていく未来を、どこかで楽しむだろう。同時に、その男が最後まで不壊のまま立ち続けられた理由の核心に、かつて自分が否定した『コシア』という影が介在していたことを、もう永遠に否定できない。コシアは、先に視線を切った。
——これでいい。
そう思ったのは、勝利に酔ったからではない。ようやく、同じ場所には立たなくなったからだ。 このあと、コルシーニが真の敗北という屈辱を覚えるのは、教皇名が歴史に深く刻まれた、そのずっと後になる。
——その呪いの種は、今、この瞬間に確かに蒔かれたのだ。
コシアは振り返らなかった。 振り返る必要のある仕事は、もはやこの世界のどこにも、残ってはいなかった。
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