第4章へ
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重い帷が揺れ、ランベルティーニが姿を現した。 布が擦れる音は、静止した空間の中で驚くほど乾いて響いた。回廊の端からでも、その老いた、しかし峻厳な輪郭ははっきりと捉えられた。区画の主が境界を越え、公の場に身を晒す。ただそれだけで、場の重心が、物理的な重みを伴って一段深く沈み込んだ。すべての視線が一点に集中する。熱狂的なざわめきは起きない。喝采も、過剰な期待もない。ただ、全員が同じ方角を見据えるという、純粋で無機質な一致だけがそこにあった。やがて、声が上がった。 距離はある。聞き逃すはずのない声だった。 ランベルティーニは大きく、肺の奥まで空気を吸い込み、正面を見据えて言い放った。
「
——聖人が欲しいのか?」
さざ波のようなざわめき。それは否定でも驚きでもなく、ただ、あまりに想定外の導入に対する、無意識の反射だった。
「それなら、ゴッディを選べ」
間を置くことはない。言葉は、研ぎ澄まされた刃のように、次へと進む。
「国家を動かす政治家が欲しいなら、アルドロヴァンディだ」
名が挙がるたびに、場のあちこちで、微かな、確認の気配が起きた。否定する者はいない。言葉を遮る不届き者もいない。皮肉に満ちた物言いではあったが、それを嘲笑として受け取る者もいなかった。 ただ、事実としてそこへ置かれている。それだけのことだった。 そして、最後に。ランベルティーニは、自らの胸を平然と指し示した。
「だが
——正直な男が欲しいなら」
彼は肩をすくめ、古くからの友人に悪戯を仕掛けるように、口角を上げた。
「私を選べ」
その瞬間、世界から音が消えた。 ざわめきすら起きない。囁きも、反論も、もはや存在し得なかった。 ただ、重く、肺を圧迫するほどの密度を持った静寂だけが、聖堂の隅々にまで行き渡っていった。
——来た。
その内容は、かつてどこかで耳にしたことのある、彼らしい言い回しだった。何ひとつ新しくはない。言葉がひとつ置かれるたびに、否定の礫(つぶて)が飛ぶことはなかった。遮る怒声も、冷ややかな失笑も、賢しらな訂正も。 すべての判断は済んでいた。 拍手を送る者は一人としていない。全神経の指向性が一点に揃っている。この特殊な磁場においては、その一致こそが、何よりも雄弁な回答だった。 誰も前に出ようとはしない。一歩も引こうとはしない。その極限の均衡(バランス)が、流動的だった場を一つの結晶へと固定していく。
ランベルティーニの弁論が、修辞学的に優れているかどうかなど、もはや些事だった。 問われているのは、内容の是非ではない。
「今、この場を終わらせる資格が、その男にあるのか」
ただ、それだけだ。コシアは頷くことさえせず、ただ人々の呼吸の変化だけを鋭敏に拾い続けていた。 ざわめきが走り、同じ結論に帰着する。言葉が場に置かれ、しかし誰もそれを拙速に拾い上げようとはしない。
——いい沈黙だ。
それは一過性の熱狂でも、集団的な陶酔でもなかった。 最終的な決断を下す前に、全選挙人が己の良心と利害を天秤にかけ、一度だけ深く立ち止まっている。
……逃げなかったですね。
コシアは、視線の先で独り立つ男を想う。 聖人でもなく、政治家でもない。その絶妙な線の引き方は、あまりに賢明だった。何より、吐き出された言葉の硬度が、最後まで損なわれなかった。正直さという安っぽい盾を掲げながらも、決して自己憐憫という名の泥沼に堕ちなかったことが、この場に決定的な説得力をもたらしている。誰かの貌が、緩む。別の誰かは、思索に沈むように視線を伏せた。 反発はある。そこにはもはや拒絶の色はない。
——耐えた。場も、言葉も。
視線の潮流が、完全に一点へと収束していく。 代表者たちの身体が、前へと傾く。その微細な予兆を見て、コシアはもう、票を数えることさえ止めた。 そこで初めて、彼は肺の奥にある熱い空気を、長く、静かに吐き出した。 ここまで来た以上、もはや自分が触れられる場所などはどこにもない。いや、触れれば余計な、そして醜悪な意味が付随してしまう。 ここから先は、ただ推移を見届けるだけでいい。推し進める必要も、引き留める理由もない。 背後では、それぞれの責務を帯びた代表たちが、新たな歴史を刻むために動き出す気配がした。 誰も、コシアを振り返りはしない。それでいい。見られる必要など、もはや欠片もなかった。
コシアは、その場を離れなかった。 見届けるためではない。終わったことを、終わったままの形として、そこに定着させるためだ。
——言葉は、最後まで歪まなかった。
己の役目は、この瞬間に完遂された。 その確信だけを胸に、彼は動かず、佇んでいた。
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