浅葱
2026-02-14 23:08:42
8763文字
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26.2.21_夢チェリ公開分過去SSログ



【緩やかな午後】※丘


 すっかり慣れた動きで呼び鈴を鳴らす。
 八月某日曜日。夏の盛りである時分でも、午前であればその暑さは幾分かましだった。特に木陰に入れば、夜の涼しさの名残が見られ、目的地に着くまでに汗だくになるということはなかった。
 大崎が鳴らした音に、屋敷の主である新橋はすぐに扉を開いた。
 前日の内に大崎から、今日の訪問は午前中になると告げられていたためか、それとも彼本来の性分か、既に身だしなみは整っていた。
 二人で過ごす場所の大半な新橋の家であるこの鎌倉の屋敷だった。逢瀬を重ね始めた三年前から変わらずに。時たま外出することはあっても、その場合は事前に待ち合わせの場所と時間とを電話で決める事が常であった。
 だからこそ、この日玄関先で挨拶を交わした後に告げられた、
「今日は昼を外に食べに行きませんか」
という大崎の提案は、新橋にとって意外なものだった。
「珍しく朝からいらっしゃるから何かと思えば、それが理由ですか」
「はい」
「それなら初めからレストランを待ち合わせ場所にすればいいものを。わざわざ俺の家のあるこんな奥地にまで来るなんて」
「新橋さんと一緒に行って、一緒にその場で店を決めたいと思いまして。駄目でしたか?」
 大崎のまっすぐな返答に、僅かな間を置いて、
「わかりました。同居人に昼食の用意をいたしますので、少し中で寛いでいてくださいませ」
と、新橋は客人を招く動きを見せた。
(てっきり、物好きだなんだと言われると思っていたが)
 予想を外した大崎だったが、案内に従いいつも使う椅子に腰掛け、新橋の準備を待った。手伝えれば早く済む。しかし彼の同居人たちの世話だけは、どうしても自分に向かないものだと嫌と言うほど分かっていた。

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 早めに行動をして正解だった、と互いに感じていた。
 二人が鎌倉の駅前に到着した時間は、丁度昼からの営業を始める店が開き始める頃だった。故に選択肢は多く、どちらからともなく、目についた店へと入った。以前通りかかった時には満席だったために諦めた店を、二人して覚えていたのだった。
 古都鎌倉の品の良さを残しながらも現代に馴染む内装の店だ。おそらく観光客に人気の店なのだろう。二人が食事を済ませ、アイス珈琲を飲み腹を落ち着けている頃合いには、既に店内は満席、更には外にまで列を作っていた。あまり長居はできないな。と大崎がちらりと外を見た時、
「ところで、なぜ今日はまた外で食べたいなどと?」
と、向かいの席に座る新橋が問いかけた。
「一昨日の依頼料……
「は?」
「一昨日、自分は仕事を早退して新橋さんの元に向かいました。ですから自分としても受け取るわけにはいかず。社としての新木場さんの判断も同様でした」
「だからといって今更返されても困るのですよ……
 目を逸らした新橋の視線は、つい数秒前の大崎が見ていた方向だった。
「新橋さんならそう言うと思いました。なので、一緒に食事をして使おうかと思った次第です」
「!? そうなら先に言いたまえよ!」
「先に言えば、貴方は止めるでしょう?」
「それは、そうですが……
 やはり。やはりそうだ。
 新橋の態度がいつもと異なる、と何度かのやりとりの中で大崎は確信した。
 関係を続けていく内に少々丸くなったとはいえ、いつもの新橋であれば、「ということは、俺の奢りということになりますねぇ!」と高らかな悪魔の笑いとともに一言添える。だが今日はそれがない。簡単に言ってしまえば、元気が無いのだ。
 何か元気づけるものを……と考えたところで、昨日から始まったプルートの新作公演の事が頭によぎった。
「そう言えばプルートの新作、無事に幕が開いたようですね。自分も昨日後輩と観に行きました」
 しかし、話題の転換に切り出してみたものの、新橋からの返答はなかった。何かを考えているような。逆に何も考えていないような。
「新橋さ」
「大崎様」
 大崎の呼びかけに重なるように、ようやく新橋は口を開いた。じっと見つめ、その続きを待つ。
……今日の俺は、プルートではございません」
 その一言で、彼の言わんとすることはわかった。今この瞬間は、『プルートと観客』ではなく、『恋人同士』の時間で居たいのだと。
「わかりました。感想は後日お伝えします。……では、これは恋人として言わせてください」
「なんでしょうか」
「家に戻ったら、昼寝をすることをおすすめします」
…………は?」
 再びの沈黙が二人の間に流れた。この様子では、自覚がないのだろう。
「新橋さん、自分で思っているより貴方は今疲れています」
「なっ! た、確かに一週間ほど眠れていないとあのときは言いましたが、一昨日と昨日は眠りましたよ」
「それでもです」
 劇場での落とし物の件で考え込み眠れなかった上に、新作公演は始まったばかり。つまりは不眠になる前から彼は多忙だったわけで。そんな中蓄積した疲労と苦労が一日や二日でどうにかなるものではない。まして昨日が公演の初日となれば、心配性なこの人は舞台を最後まで見届け、役者や制作を労い、遅くに帰宅した筈だ。眠れていると言ってもそれが足りているとはとてもではないが言いにくい。
 そんな大崎の考えとは異なり、新橋はずっと、ですが……。といった歯切れの悪さを見せていた。何か言い分があるのだろうと大崎はただ待つことにした。
「今日はあなたが居るのに、俺だけ呑気に昼寝など」
「自分は新橋さんの可愛い寝顔を堪能させてもらいます」
「かわっ……! そ、そうではなくてですね!」
 新橋は気持ちを整えるように、アイス珈琲の最後の一口を飲み込んだ。
「せっかく昼寝をするのなら、貴様も一緒に寝たまえよ」
……添い寝のお誘い、ですか?」
「それ以外に何があるのです」
 大崎からは思わず笑みが零れそうになった。が、ここで笑ってはこの可愛い恋人の気を損ねるだろうと、先ほどの新橋と同様にグラスに口をつけ、中身を飲み干した。
「わかりました。ぜひ」
 コトン。と軽くなったグラスがテーブルへ置かれた。入店を待つ人のために、否、自分たちの巣へ戻るために、二人は立ち上がった。

 外はもうカンカン照りで、間違いなく屋敷に戻る頃には汗だくになるだろう。
 シャワーを浴び、髪を乾かし、体温を落ち着けてベッドに横になる。そんな緩やかな午後の幸せな予定が決まった瞬間だった。


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