シノハラ
2026-01-17 00:37:18
35772文字
Public
 

Fake It 'Til We Make It

※呼称の改変あり、魔神任務8幕と世界任務後の時間軸なのでそれを前提にした描写が含まれます
春コミの本になる予定のンズイル♀です。
春コミの申し込み締め切りまでにある程度軌道に乗れば出たいな~とか言っていたら爆速で書きあがりました。


    4

 イルーガはスケジュールを捏ね繰り回し、結局劇の公演の前日の午後から翌々日までを非番にすることにした。午前からフリンズ宛ての物資と資料を背負ってピラミダを出て、午前が終わる頃に夜明かしの墓に辿り着けば後は休日になる算段である。
 本当なら公演当日に出かけてもよかったのだけれど、最近は特に彼の家を訪ねると一晩泊まる羽目になりがちなのだ。おそらく、イルーガ用の寝室を拵えたせいでフリンズの気持ちが緩んでいるのだろうと思う。彼がさっさと報告書を提出してくれれば、こんな計画を立てずともよかったのだけれど。
 休みを連続で取るためにいつもより多少無茶をした体が、ベッドに飛び込みたいとしきり喚いている。そんな体をなだめすかして荷づくりをしてから、イルーガは机の引き出しにしまい込んでいた指輪を取り出した。
 暗がりでは少しくすんで見えるそれを指先で摘まむと、窓から差し込んでくる月明かりに翳す。夜の明かりに照らされた途端に青が色を澄ませるのを見て、フリンズも収集品でこんな楽しみ方をするのかと考えてしまった。
 ぴったりと仕立てられた指輪を自身の指に通してから、ひんやりとした感触を味わいつつもイルーガはようやくベッドに倒れ伏す。彼は高価ではないとは言っていたが、宝石は宝石に違いない上にリングはどう見ても安価な合金の輝きとは思えなかった。自分達が真っ当な恋人同士であるのならば受け取って然るべきなのだろうが、仮初めの関係であるのだから相応のお返しが必要ではなかろうか。
 そう思いながらも休暇を拵えるための準備に忙殺されて、返礼のための贈り物を用意する余裕はイルーガには一切なかった。一体何を返すのが適切だろうと思案しながら、腕を持ち上げてイルーガは指輪に視線を注ぐ。
 指輪を美しいと感じるのは、中央に備え付けられている宝石が彼の髪を思わせるからだろうか。その石は筆で撫でたような線を抱いており、その繊維のような流れがより明るく光を弾いている。この贈り物に相応しいお返しはやはり宝石なのではないかとちらりと思ったが、目利きができる相手に素人がその分野の品を贈るのは大分勇気のいる行為だと思い直す。
「どうしよう……
 思わず口にしてしまった瞬間、一気に心細さに不安が込み上げる。指輪の件も、彼との関係もどうしていいか分からない。
 こんなつもりじゃなかった。ここまでしてもらうつもりなんてなかった。
 そんな思いを抱いたまま、ずっとずっとイルーガはフリンズの振る舞いに困惑してしまっている。想定と違うから仕切り直しをしたいときっぱりと提案すればいいと今であれば分かるのに、彼を前にすると言い出せずに虚勢を張ってしまうのだ。
 そのせいであれよあれよという間にフリンズに好きにされて、指輪まで握らされてしまう始末である。華奢で可憐なそれを見るたびに不安に近い思いが込み上げるのは、それが自分の日常からはあまりにかけ離れた存在だからだろう。
 いつもは任務を優先して荒れているどころか、痣や傷ができてばかりの自分の指と手。指輪に少しでも似つかわしく見えるように急遽手入れする時間を設けてはいるものの、滑稽に映らないか不安で仕方がない。
 怖いのであれば、いっそ身に着けず彼を尋ねれば良いかもしれない。それでも、彼の安堵した声を思うと、無下にする勇気も出なかった。
 彼が似合うだろうと思い、わざわざ誂えてくれたのだ。ライトキーパーの給与のほとんどを古銭と宝石に費やしてしまうようなあの人が、イルーガに似合うだろうという理由で分け与えてくれたもの。
……どうして」
 フリンズはどうしてイルーガのためにここまでしてくれるのだろう。興が乗っているからと言っても、あんまりに労力を注ぎ過ぎなのではなかろうか。このままではとくとくと音を立てている心臓が自惚れ始めてしまっても、少しも不思議な話ではない。
 どうして、ともう一度零してから噤んだ唇に指輪をそっと押し当てる。こんな日がいつまで続くのだろう。こんな日が、いつまで続いてくれるのだろう。
 指輪のリングの部分が唇を緩く押し下げる。その不思議な感触を意識しながら瞼を落とすと途端に眠気を覚えて、イルーガは慌てて指輪を外して机に置いた。引き出しに戻さなかったのはベッドに潜り込むまで、その輝きを視界に留めておきたかったからに他ならない。
 再び瞼を落としてすぐに泥のように眠ったイルーガはいつもより少しだけ遅い時間に目覚め、巡回をする日よりも少し控えめな朝食を平らげる。それから一応用意はしているものの、多忙な事も手伝ってろくに着ない外出着を身に着ける。その格好で夜明かしの墓に届ける物資を詰め込んだ鞄を背負うと随分とちぐはぐな印象になってしまうが、荷を届けるまでは業務時間なのだから致し方あるまい。
 最後に彼からもらった指輪を指に嵌めて、玄関扉のノブに指輪を当ててしまわないように気をつけながらイルーガは家を出た。普段は巡回もかねて街道を反れるルートを使うのだが、今日は真っ直ぐフリンズの家に向かう。一人であれば乗り合いの予定など気にせず小舟を使えばいいので、そのまま夜明かしの墓に着岸できるのが気楽である。
 重い荷物を下ろす時に小舟をひっくり返してしまわないように気をつけなければと思っていると、事前に伝えていた時間に合わせてフリンズが様子を見に来てくれた。いつかのように手を振ると、やはり彼は手を振り返してくれる。
「ようこそいらっしゃいました、お嬢様」
「お迎えありがとうございます、フリンズさん。そろそろその呼び方止めてもらえませんか?」
「おや、久々に言われてしまいましたね」
「そうですか? 僕はいつもそう思っているんですが」
 荷物を船の上から彼に渡しながら不満を訴えると、意外だとばかりにフリンズが目を見張って見せた。イルーガも甘んじて受け入れるつもりは毛頭ないとばかりの返事をしてみたが、彼の認識の通り最近は随分と好きに言わせていた自覚はあった。彼がイルーガを好き放題に振り回している時に狙って使うものだから、似つかわしい呼称ではないと主張するタイミングを逃し続けてしまっていたのだ。
「その服もお似合いですね。いつもとは異なる出で立ちが思った以上に新鮮に映ります」
「ありがとうございます。仕事着で遊びに出かけたら誤解を招きそうですから」
 今のナシャタウンでのイルーガの立ち位置はライトキーパーの外交役のようなもので、そんな自分が仕事着で歩き回っていれば何かしら持ち込まれる可能性だってある。いつもであれば気にする事もなかったが、せっかく用意してもらった劇のチケットや宿が無駄になるのは申し訳ない。
 荷物を肩に背負ったフリンズがイルーガに再び手を差し伸べてくれたので、しっかりと彼の手を握りながら岸に下りた。普段の服とは違う手前、差し出される手がありがたい。
「指輪もお似合いです。今のあなたを見られて良かった」
……本当ですか?」
 イルーガとは違いいつもの手袋を着けている彼の指がイルーガの指輪を慈しむように撫で、囁くような調子で褒めてくれる。途端にぎゅっと心臓が締め上げられるような感覚がして、そこから湧き上がる心細さに堪えかねてイルーガは咄嗟にフリンズに問いかけていた。
「ええ、そうでなければどうして一度は自分に物にした宝石を誰かに差し上げようと思うでしょう。信じられないなら今度の会合の時にでもファルカさんかネフェルさん、後はラウマさん辺りに訊いてみてください。きっとびっくりされますよ」
「はい……
 彼の蒐集のスタイルをイルーガは良く知らなかったが、一度コレクションに加えた物を他所に放出する事はないのかもしれない。彼の宝石箱に眠っていただろうそれをイルーガはまじまじと見てしまう。
……あなたの目を思い出す」
 フリンズがイルーガの指を再び包み込んで指輪に乗る宝石を隠すように一度撫でてから、瞬きをするように露わになった石に視線を落とした。それから零された言葉にイルーガはぱちりと瞬きをして、その色をしっかりと観察する。言われてみればそうかもしれない。
「君の髪の色だとばかり」
――ああ、そうでもあるかもしれませんね。鏡の前でもない限り自分の視界にはほとんど入らないものなので気にしていませんでした。お嬢様もそうではありませんか?」
 小さく頷くとフリンズが同じくらいの密やかさで笑う。自分であってあなたでもある。大事にしていただけると嬉しいと彼は波に隠れてしまいそうな、聞き逃されても構わないと思っていそうな声で告げた。
 その願いにどう答えていいか分からなくて、曖昧な相槌のような声を零すとフリンズはもう一度笑って見せた。それから彼はイルーガを拠点兼自宅に連れて行こうと歩き始める。
「フリンズさんはいつもの服ですね」
 沈黙が続くのが嫌で、いつもの調子に聞こえるように意識しながら彼に訳を問うための指摘をする。どちらかというと彼もイルーガと同じくオンでもオフでも似たような格好をしているように記憶していたが、それでも今のフリンズは家の中に引っ込んでいる時の服装ではない。今から巡回に行きますと言われても特に違和感はない服装は家からちょっと出てきただけのはずのシチュエーションからは乖離しているように思えた。
「今日の僕の仕事はまだ残っていますからね」
「やっぱり報告書が?」
「いえ、それは明日の楽しみを糧に無理をして片づけました。巡回の予定があるのだけなので、お嬢様は僕のお家で良い子で待っていてくださいね」
 そう広くもない小島の彼の根城に辿り着き、近隣住民もいないからか鍵をかける習慣もろくにないらしい家の戸を開けながらフリンズはそんなことを言う。特に何も知らされていなかったので、今日の彼は一日夜明かしの墓に籠もるものとばかり思っていたのに。
「それなら僕が来るのは明日で良いって教えてくれればよかったじゃないですか」
「多忙なあなたが仰りたいことは理解しますが、あなたも恋人を自身の家に留めおきたい男の気持ちを理解していただけると助かります」
 ぱたんと扉が閉まる音と共にそんなことを言い出すものだから、イルーガの肩はぎくりと緊張してしまう。亡霊がいるこの島には、家に立ち入れるのは生者だけというルールがあるらしい。それを真に受けるなら、ここで聞き耳を立てているような者はどこにもいないのだからそんな甘言を弄する必要などどこにもなかろうに。そもそも亡霊の前でまでそんな演技をする必要はあるのかという問題もあるのだけれど。
……フリンズさんの気持ちなんて全然分かりませんよ」
 文句を言おうと思っていたはずだったのに、拗ね切った声が喉を震わせて自分でもびっくりしてしまった。彼もイルーガの反応は予測していなかったようで、鞄を下ろそうとした手が一瞬止まってしまったらしい。
「ごめ、えっ、ちょっと……!」
 甘えたな響きを本意ではないのだと示そうと謝罪を試みたのに、それを封じるためかフリンズはイルーガの頭を髪を梳くようにして撫でてくる。もう子供じゃないんですといつも通り主張したいのに、少なくともさっきの自分は子供でしかなかった。
イルーガの年齢をからかうフリンズへの正当な抗議はとっ散らかった今の思考では見つけられそうにない。イルーガは代わりになりそうな言葉を何とか掻き集めて、変に声が裏返らないように小さく喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「君のではないですけど、分隊長の頭なんて撫でて良いと思っているんですか?」
「おや、今日のあなたはただのイルーガではないですか?」
「いえ、一応仕事の日ですよ。仕事ででもないとそんな荷物を背負う機会なんて早々ないでしょう」
 さらさらと撫でられた毛先が耳を刺激して、肩を竦めたくなるのをごまかしながらイルーガはフリンズが机に置いた鞄を指差してやる。そうすれば、そういえばそうだったとばかりにフリンズがああ、と小さく声を上げた。
「それは大変失礼を。分隊長殿」
 さらりと離れていった指を束ねて揃え、フリンズが丁寧に腰を折る。思わず彼が触れていた辺りを自分でも撫でて感覚を上書きしてから、イルーガはフリンズが自身の獲物を手に取るのを窺った。
「それでは行ってきます。夕食の頃には戻ってくるつもりです」
「分かりました。僕は備品の片づけと報告書の確認をしておきます。そこの棚にあるやつですよね? あと、夕飯も作っておくので台所を借りても良いですか?」
「ええ、よろしくお願いします」
 いってらっしゃいと彼の背中を見送って、イルーガは一人になった室内で主に食料と消耗品がぎゅうぎゅうに入った鞄を開ける。気を抜くとすぐに先ほどまでのフリンズの言葉と指と髪に触れられた感触を思い出してしまいそうで、しばらくは一息つきたくなかった。
 まずは足の早いものと出かける前に仕込んでおいた鶏肉をホワイトベリー漬けたものを引っ張り出して、氷室に放り込む。夏であればともかく、この季節であれば生肉を数時間持ち歩くくらいであれば何とでもなるのがこの地域の良いところでもある。
 それから雑貨は概ね台所の収納に片づけて、文具は居間の棚に入れた。手袋などの仕事で使い潰しやすい衣服は箪笥に入れたいが、さすがに無断で私室に立ち入るわけにもいかないだろう。一旦報告書の置いてあった棚の上に置いておくことにする。
 衣服を手放して手が空いた代わりに今度は報告書を手に取ると、書類仕事は苦手な癖にやたらと優美な筆跡が目に入った。この見栄えであるならさぞかし内容も立派なのだろうと思わせておきながら、毎度指摘する点が残っているのが困りどころである。
 それでも普段より気合いを入れて作成してくれたのには違いないのだろう。普段よりも指摘点はずっと少なく、足りなくはないもののもう少し突っ込んで聞いておきたいくらいの内容に留まってくれていた。いつもこれくらい頑張ってくれてもいいのでは、とは思わないわけでもない。
 二つ目のメモを記入した際に、手元からかちりと音が響く。どうやら指輪がペンの軸に当たってしまったらしく、イルーガは慌てて指輪を引き抜いて傷がついていないかを確認してからテーブルにそっと置いた。色合いからすればシルバーかプラチナなのだろうが、後者だと確定してしまうような衝撃を間違っても与えたくない。
「うん、これでよし」
 たっぷり時間があるので報告書を二回確認して手持ち無沙汰になってからは、以前案内してもらったことのある書庫で時間を潰す。夕食の準備をしなければならない頃にはいくつか借りたい書類と本ができてしまっていて、名残惜しく思いながらも氷室に向かいホワイトベリー漬けの袋と葉物野菜と付け合わせにする根菜を引っ張り出してきた。
 男の一人暮らしのせいか少々掃除が雑になっている水回りを掃除してやりながら、しっかりと漬かった鶏肉を焼くための火の面倒を見る。そんなことをしているうちに、フリンズが外から帰ってきてフライパンの中身を冷やかしにきたらしかった。
「ホワイトベリー漬けですか」
「君の口に合えばいいんですけど」
 彼の期待に応えたわけではないものの、フライパンの蓋を開けて鶏肉と根菜の火の通り加減を確認する。後は余熱でも問題なさそうだったので、火を止めるようにフリンズにお願いしてイルーガは調理に使用した器具を流し場に放り込んだ。
 本当は洗い物をしながら調理をするのが一番効率が良いのだが、共に食事をする相手が帰ってきたので今は後回しにしてしまって良いだろう。普段はそれなりの人数分を作るので定期的に洗わないと水回りが大変な事になってしまうという由々しき問題があるものの、二人分であればたかが知れているのだし。
「あなたが用意してくれている時点で十分なくらいです。自分で作って自分で食べるだけではどうしても味気ないせいで普段は食が進まないくらいですから」
「ちゃんと食べてくださいね。いつか体の無理が利かなくなる時が来ることくらい君だって分かっているでしょう?」
「そうですね。気をつけます」
 またこの人は適当に返事をして。いつかほどほどに痛い目に遭えばいいのだ。昼間から居間に置いていたパンと簡単なサラダ、それに鶏のホワイトベリー漬けを二人で食卓に並べ、イルーガはじっとフリンズを観察する。
 食事中のフリンズはイルーガの料理をたっぷり褒めてくれていたけれど、やはり彼が料理を口に運ぶ仕草からは義務的な雰囲気が滲んでいるように思う。もちろん変な混ぜ物をして試したわけではないが、ひょっとしたら味覚が鈍いなんてこともあるのかもしれない。病の後遺症で味覚を失って、フリンズのように食事が義務でしかなくなる者の話をかつて耳にしたことがあった。
 フリンズがその手合いであったならきっと彼も既にそれなりに努力している可能性があるため、あまり強く言うべきではないのだろう。あなたとの食事を楽しめないと白状し難く、偽ってしまう気持ちも分からなくはない。
 生まれつきのものにせよ、後天的なものにせよ、もしそういう欠落が彼にあったとしたのなら。無論生きているからには食事からは逃れられないだろうが、それでも自身を偽らず食卓を囲める機会が少しでも増えればいいとイルーガは思わずにはいられなかった。