シノハラ
2026-01-17 00:37:18
35772文字
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Fake It 'Til We Make It

※呼称の改変あり、魔神任務8幕と世界任務後の時間軸なのでそれを前提にした描写が含まれます
春コミの本になる予定のンズイル♀です。
春コミの申し込み締め切りまでにある程度軌道に乗れば出たいな~とか言っていたら爆速で書きあがりました。


    2

 人が常駐して管理しているはずもない簡素な桟橋に、闇夜であれば溶けてしまっていただろう外套の人影があった。そう数が多いわけでもないものの、ピラミダ方面へ海を渡る者はライトキーパーやモンドから来た西風騎士団以外にも当然いる。最初こそその手合いが船を待っているのだと思っていたが、近づくにつれそれが見覚えのある人物だとイルーガはようやく気づいた。
 巡回のための装備を携えたナシャタウン支部のメンバーに声をかけて双眼鏡を使うように求めると、彼はその人がフリンズである事を確認してくれた。肯定する彼の声が微かに強張っていたのは、フリンズが遊撃を主に担当していると知っているからだろう。
「何かあったんでしょうか」
「いえ、それなら緊急信号の一つ送ってくるはずです」
 自分達に連絡をしなければならないような事態が起きたのかと不安げに眉を顰める同僚に首を横に振って否定しながら、イルーガは受け取った双眼鏡を覗き込む。狭まった代わりに遠くまで見えるようになった視界では、覗き込まれていると分かっているらしいフリンズがひらひらと手を振っていた。その穏やかな手の翻り方からして少なくとも救援を求めているようには見えず、イルーガも緊張を緩めることにする。
「やっぱり問題はなさそうですね。とはいえ、どうしたんでしょう」
「だとしたら、イルーガさんのそれじゃないですか?」
 後ろで船の動力を確認していた隊員がイルーガの足元を指差してきたので、思わず船底に目を落としてしまう。そこにはフリンズに届けるべき物資がぎゅうぎゅうに詰まった鞄が押し込められていた。
 なるほど、と相槌を打ちながらもイルーガは内心で首を傾げてしまう。前回別れ際に定例会の後にナシャタウンの隊員と共に南下するとは伝えていたので、イルーガがやって来る日時はフリンズにも伝わってはいた。
 付近を通りがかる用事があり、ついでに待っていてくれた。そんな場面を想像するのは難しくないが、今までこんなことは一度もなかった。
 いや、今はもう今までとは違う。
 二人で大掛かりな嘘を吐こうと決めた翌日早朝に、フリンズは恋人の勤めとしてイルーガを桟橋まで送ると言い出した。その延長線上の行為だと考えればありえなくもない話である、のかもしれない。
 前回はいかにもそれらしい申し出に反論もできず飲み込んだ結果、イルーガはなかなかの後悔を味わう羽目になった。夜明かしの墓を朝早くに出たため、ナシャタウン支部の面々はちょうど野営地の片づけを始めた頃で、二人で彼らを手伝う運びになったのである。
 誰も口にこそしなかったが、フリンズに疑念の眼差しが注がれていた気がしてならない。被害妄想の域の発想だと思いたいが、イルーガが彼らと途中まで同行した際にフリンズがわざわざ桟橋まで見送りに来たことは一度もなかったのだ。
 自分がここに居合わせただけの人間なら、おやどうしたのだろう、くらいは思ったはずだ。しかもイルーガの帰りに必要な装備を持っていたのはフリンズなのである。紳士然とした振る舞いの一環とも言えるが、勤務中にやることではないと思われても仕方がない。
 他者の視線があるせいか、彼独特のイルーガを翻弄するような雰囲気は影を潜め、良い面ばかりが強調されているようにも思えた。紳士的な姿勢を崩さないまま、彼はてきぱきと撤収作業を手伝っていたはずだった。
 ひょっとすると、紳士と言うには女性に対して距離が近すぎると思われた可能性はある。もっとも、この距離の認識自体、形式上恋人になった彼をイルーガが意識しすぎているだけかもしれないのだが。
 正直なところ、あの瞬間より前のフリンズとの距離感をイルーガはうまく思い出せなくなってしまっていた。
 ファデュイの下士官にも文句を言われない程度に片づけられるまでに、半刻はかかったはずだった。そのそう短くもない時間で、件の隊員がイルーガを見たと気がついたのは一度だけだった。
 それも一瞬の出来事で視線はすぐに外されてしまったし、今回彼は会議の参加メンバーには含まれていなかった。それがローテーションの問題なのか、彼の希望も含まれての事なのか、イルーガには知りようがない。
 もしかしたらもう雑談をするような事もないのかもしれないと思うと、寂しさが湧き上がってきてしまう。それがイルーガのわがままでしかないことくらい当然理解はしていたが、だからといって何も思わずにいられるはずもない。
 少し前の事を思い返しているうちに船は桟橋に近づいていたらしく、隣に座っていた隊員が手を振った。その先に視線をやるとやはりフリンズが手を振っていたので、イルーガも彼に再度手を振り返す。まるでそれを合図にしたように、ナシャタウン支部の面々は荷物の運搬や、野営の支度の分担を話し始めた。 
「遠路はるばるありがとうございます」
「いえ、実際君がこの辺りから離れづらいのは理解していますから」
 桟橋に寄せた船を桟橋の杭に縛り付けて、荷物を下ろすのをフリンズは手伝ってくれた。イルーガが桟橋に降りる際に手を差し出してくれた彼を悩ましく思いながらも、結局フリンズが夜明かしの墓から南を縄張りにしているのが一番なのだと許容する。
 ピラミダで事務作業も行っているイルーガからすれば定期的に本部にも顔を出してほしいのは当然だが、ファデュイの大半が研究施設から引き上げた今、この辺りの地域はワイルドハント防衛の観点でとても手薄になっているのだ。そのため遊撃の任務を理由に断られてしまうと、及び腰になってしまうのも極々自然なことなのである。
「おや、僕の仕事を奪ってしまうのですね」
「え、何のことですか?」
 彼に渡す物資が詰まっている鞄を寄越してから桟橋に足をかけようとすると、フリンズが要領を得ない不満を表明してくる。思わず足を止めてしまってから首を傾げると、イルーガが両手で持ち上げていた鞄を軽々と片手に持ち換えてこちらの手を取ってきた。なるほど、そういうことか。
 騒ぎ立てるのもかえって悪目立ちするだろうと観念して、全く必要のない彼の手を支えにしつつイルーガはようやく桟橋に足をかける。ひょっとして、これからはこういう日々が続くのだろうか。人を欺くには日々の積み重ねが重要なのだろうとは想像はつくものの、少しばかり気が重くなってしまうのは否めない。
「君も来てくれたから、僕は巡回に参加しようかな」
「何を言っておられるのですか? お嬢様は僕と夜明かしの墓に来ていただかなくてはなりません」
「なぜです? 君がそれを背負って帰ればいいだけでしょう。それに報――
 一体全体何を言っているのかと訝しみながら指摘する最中に、あ、と声が喉をついてしまった。まさか、まさかこの男。
「報告書は持ってきていないので、取りに来ていただかないとなりません」
……フリンズさん」
「そんな恐ろしい顔をしないでください。ここに来たのは巡回のついでだったんです。戦闘になれば良くて汚れて、場合によっては破けてしまうでしょうからそれなら取りに戻った方が良いと思ったのですが」
 何をいけしゃあしゃあと。フリンズの主張は間違ったものとも言えないが、そもそもその報告書やらが今この世に存在するのかも疑わしい。今までの実績を考えれば、七割程度出来上がっていれば上出来なのではないだろうか。
……仕方ありませんね」
「ご理解痛み入ります。では」
「え?」
 その言葉の続きがない代わりに、手を腰に回されて軽く引き寄せられた。突然の事に肩を縮めてしまいながらも一歩前に進むと、背後からフリンズに礼を述べる隊員の声が聞こえてくる。どうやら、大物の荷物を運ぶのに自分は少々邪魔をしてしまっていたらしい。
 謝らなくてはならないと分かっているのに、目の前にいる成熟した男性の気配と彼が嗜んでいるらしい香水の匂いに気を取られて上手く言葉が出てこなかった。腕の力もイルーガが自らの意思で前に出るよう促す程度のもののはずだったが、まるで操られたような感覚に陥ってしまい心臓が大きく音を立てる。
「いいえ、お気になさらず……イルーガ、大丈夫でしたか?」
……はい」
 身を強張らせたイルーガにフリンズが目を細めて吐息だけで小さく笑ってから、一歩身を引いて適切な距離を作ってくれる。自分達の間に入り込んできた外気に一つ息を吐いて頭を緩く振りながら、イルーガは何とか彼に返事をした。
「それに、まだ今月分の報告書が完成していません。ですから、良ければ泊まりでご指導ご鞭撻のほどお願いできますか?」
「フリンズさん!」
 想定の内だったとはいえ、毎度せめてチェックを入れるだけで済むようにしておいてほしいと言っているのにこの人は。そんな意図も込めて彼の名を呼ぶと、フリンズは砕けた調子で笑う。
「まったく……分かりました。持って帰れないと結局二度手間になるんですから」
 隊員の顔を見に行くのが一番の理由なのだから本当は二度手間になったとしてもさほど問題はないものの、イルーガは声を強張らせてさも怒っていますと言いたげに振る舞った。方々に顔を出して皆とコミュニケーションを取るのはイルーガの勝手だが、フリンズの報告書提出は必須業務なのである。
 それなのに彼は書類の作成を不得手としており、のらりくらりと人をかわす技術に優れているのでフリンズの報告書をもぎ取れる人材は非常に少ないのだ。実際にイルーガが無理やり書かせて提出するようになる前の彼の報告書は少なく、なあなあにされていたのが窺える。彼がライトキーパーの中でも特殊な立場にいる事は理解しているが、だからと言ってそういう特別扱いは隊の規律にも関わってくるのだ。
「では、今日はあなたをこちらで預かると伝えてきます」
 イルーガのそれが演技と理解しているのかどこか満足そうに笑った彼が踵を返して、桟橋からいつもナシャタウンの支部の面々が野営をする開けた場所に足を向ける。一人ぽつねんと立っているわけにもいかずに桟橋から岸に移動してから、イルーガは彼に触れられた辺りをこっそりと撫でた。
 腰の付け根の骨盤の辺り。そこに触れられたのを誰かに見られたかもしれない。後ろからフリンズに礼を言った声の質を思い出そうとしたが、それがどんなものだったのか全く分からなかった。きっと荷を運び出すために往復した隊員もいたはずなのに、その人数すら判然としない。
 フリンズが不躾に他者に触れることなど、皆が強かに酔うような酒の席でもない。彼がそういう気質であることくらい、ナシャタウン支部の者であれば把握していることだろう。
 そんな彼が必要がないわけではなかったとはいえ躊躇いなく相手の体に触れたとなると、フリンズとイルーガの関係への認識を改める必要があると考えられても決して飛躍と一蹴はできない。むしろそれは少なくともフリンズにとっては願ってもないことであるのだろう。目的を考えればもちろんイルーガのためであるので、この表現は良くないと分かってはいるのだけれど。
 自分達が恋人であると偽るのであれば、こういうことは当然起きて然るべきなのだ。けれど、いざ起きてしまうとこんなにも気恥ずかしいものだったなんて思いもしなかった。
 誰にも気取られないように溜め息を吐いたつもりだったが、伏せた瞼を上げた瞬間、一人の隊員と視線がかち合った。彼は何事もなかったように歩みを進めてイルーガから遠ざかっていったものの、今の仕草はそんなにも目につくものだったのだろうか。
「お待たせしました。行きましょう」
 イルーガの連行を伝えてきたフリンズがどこか満足そうなままなのは、自分の計画が上手く行ったからなのだろう。ほくほくとした様子の彼に観念して頷けば、彼はイルーガの半歩前を陣取って先導するように歩き出す。行き先は当然分かっているので横に並んでも良かったのだが、自分達の計画を思えばしばらくはこの位置取りを保つ方が良いはずだった。
「お疲れ様です、お嬢様」
「いえ……
 皆の声が聞こえなくなってから少しだけ歩幅を広くして彼と並ぶと、フリンズがイルーガを労う言葉をかけてくれた。作戦成功とばかりに響く声にようやく体の芯が緩むのを感じながら、イルーガはゆるゆると頭を振る。
「報告書の件は本当なんですか?」
「ええ、このキリル、誓って事実しか申し上げていません」
「そんなところだけ本当じゃなくていいんですよ」
 芝居がかった返答に眉の角度をきつくして文句を言えば、すみませんと言い訳の一つもない返事がある。せめて、最近忙しくてくらい言ったらどうなのだ。言ったところで許しはしないが。
 結局、夜明かしの墓の彼の家に辿り着いて見せられた報告書はなかなかの進捗度合いで、フリンズの望んだ通りにイルーガは泊まる事になってしまった。僕がお願いしたのですからと通された部屋はおそらく今まで空き部屋だったものを寝室と呼べるレベルまで改装したもので、報告書の惨状はこれに手を取られた結果だったのではないかと呆れてしまう。
 仕事柄簡易の寝具があれば十分眠れるのにとぼやけば、恋人にそんな仕打ちをする男はいませんと返されて一度閉口せざるを得なかった。たしかに、たしかにそれはそうなのだけれど、とまだ引き下がれないイルーガに神は細部に宿ると言いますとフリンズは告げる。どうしてこの嘘にこの人はこんなにも本気なのか。
 ようやく報告書が仕上がって遅い夕食を食べてから、イルーガは彼の用意した寝室でベッドに潜り込んだ。お日様の匂いがするとまでは行かないが、外気に晒して湿気はしっかりと抜けている。フリンズが暮らしているのだから当然ではあるのだけれど、この布団やシーツが亡霊ばかりがいるこの島で揺れていたのだと思うと少し不思議な気分になった。
 その日以降、フリンズの目論見通りにイルーガには恋人がいて、それは夜明かしの墓の住人らしいという噂がまことしやかに、しかし確実に広がり始めていた。それはもう、噂の渦中にいる人物の耳にまで届いてしまうくらいに。
 その内容はフリンズに重きを置いたものであり、どちらかというとイルーガはおまけに近い。仕事柄同僚と顔を合わせる機会も少ないというのに、ライトキーパー内での興味関心、つまるところ影響力は絶大らしい。
 隊員からの隠しきれない好奇の視線に晒されるたび、イルーガは現実逃避めいた感心を覚えずにはいられなかった。