柘榴つくも
2025-12-15 15:45:17
10302文字
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【SS R15】無銘の夜に、千年を注ぐ

強欲の悪魔 業右衛門のとある一夜の物語 業右衛門×幻韶朧の軽めのR15

看板のあかりが落ちたあとも、BAR SINVIIには、夜の名残なごりだけが居座いすわっていた。

ききれなかった酒の匂いと、人肌ひとはだの熱が混じった空気。

テーブルの端で、誰かが小さく息を立てている。
グラスを握ったまま、規則正きそくただしい寝息だ。

その向かい、壁際まどぎわの席。
じっとりとした目つきの男が、残り物の酒を舌で転がしながら、
気の抜けた顔で天井てんじょうを見上げていた。

……閉めると、静かになりやすねぇ」

返事はない。

カウンターの向こうでは、うつわに残されたつまみが、またひとつ消える音がした。
満足そうな咀嚼音そしゃくおんだけが、やけに正直だ。

しばらくして、帳簿ちょうぼを閉じる音が、乾いた空気を切る。

「ゴウ」

名を呼ばれて、男はゆっくりと視線を戻す。
その目はどこか、獲物を値踏ねぶみするケモノのそれに似ていた。

明日あすまでにいい酒を仕入れてきてほしい。
 上客じょうきゃくの“おしのびの会合かいごう”があってな。質のいい一本がどうしてもる」

どんな客かはかたられなかったが、レヴェイルの声音こわねが軽くはないことだけはわかった。
常人なら緊張するところだが、業右衛門ごうえもんはわずかに肩をらして笑った。

「へぇ。そりゃあ、あっしの腕の見せどころってもんでさァ。
 ……あてがあるとすりゃ、場所はひとつだ」

その言い回しに、レヴェイルは分かりきったように片眉かたまゆを上げた。

「“幽世かくりよおぼろ”か」

──幽世かくりよおぼろ

その名は、魔界では知らぬ者のない呼び名だった。
魔都まとの暗黒街を裏からたばねる、不死の女。
対価たいかさえ払えば、酒であれ情報であれ――
時には、叶うはずのない望みすらも差し出すという。
敬意とおそれを込めて、人々は彼女をそう呼ぶ。

その根城ねじろは、地図にも記録にも残らない。
強く、執拗しつように“求める意思”を持つ者だけが辿たどり着ける場所。
そんな噂が、魔界ではまことしやかにささやかれていた。

ごくまれに、欲の深い人間が迷い込み、
二度と戻らなかった、あるいは何かを手にして戻った、
そんな話も、酒のさかなとしてかたられる程度には残っている。

「はてさて……どんな代物しろものが手に入るかは、あの姫さんの気分次第よ」

そう言って肩をすくめた業右衛門の視界に、ぬっと、紙の端が差し込まれる。

カウンターの向こう。
クルエリーは何も言わず、口を動かしながら、もう片方の手で一枚の紙を突き出していた。

油染みのついた発注はっちゅうリスト。
びっしりと書き込まれた品目ひんもく――
見覚えのある食材から、名前を聞くだけで胃が重くなりそうな代物しろものまで。

業右衛門は一瞥いちべつして、くつりと喉を鳴らす。

……へぇ、こりゃまた豪勢ごうせいで」

クルエリーは返事をしない。
ただ、咀嚼そしゃくを続けながら、じっとこちらを見るだけだ。

「へいへい。あい承知しょうちしやした」

そう言って業右衛門は紙を受け取り、ふところへと滑り込ませる。

「酒に食い物。
どっちもそろえてこそのあきないでさァ」

業右衛門は足元に置かれたトランクのふたを、
高下駄たかげたのつま先でこつりと小突こづいた。

ぱかり、と気の抜けた音を立てて、トランクが口を開く。
中身は、底の見えない影だけだ。

「では、ひとっ走り」

そう言って影の中へ踏み込むと、その姿はするりとみ込まれていった。

――パタン。

静かに音を立ててふたが閉じる。
次の瞬間には、トランクごと酒場の床から消えていた。