Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
Nagisa_burn
2025-11-12 15:39:36
36659文字
Public
Clear cache
ウィークエンド・ショコラ【更新中】
現代パラレル白黒 ショコラティエの白さん×新人ライターの一護さんの話です。
1
2
3
4
5
*コンフィチュール・タブレット
「
……
ハイ、これで手続きは終わりです。お疲れ様でした、一護サン」
「ん。ありがとな、助かった。俺ひとりじゃわかんなかった、学もねえし、頭もよくねえから」
「そんなことありませんよォ。なんなら今からでもアタシの所に就職しません? いつでも大歓迎ですよ、人手不足なんで」
「
……
浦原さんがこういう仕事してるの、未だに不思議なんだよな
…
」
判子を押した書類が回収され、クリアファイルにしまわれて浦原のカバンへと消える。それを目で追ってから、一護は己のバッグから缶コーヒーを取り出した。浦原に差し出すと「別に気にしなくていいのに」と唇を尖らせながらも受け取られる。受け取るまで一護は動かないと知っているからだ。
「色々あって疲れたでしょう。今日はもうこのまま?」
「先生の所に顔出してくる。ホテル明日までだから、今日中に」
「エエ〜
……
」
「なに」
「せっかくなんだからアタシとお茶しましょうよ。奢りますよ?」
「しばらく寄ってなかったしさ。だいたい浦原さん、仕事あるだろ。テッサイさんのこと困らせるなよ」
「つれないなァ、昔は喜助さん喜助さんって可愛かったのに
……
。一護サンこそ、困ったことがあればなんでも相談してくださいね」
「うん。ありがとう」
「絶対ッスよ?」
「わかってるって。またな」
念を押す浦原に手を振って、一護は通されていた部屋を出た。廊下を進み、エレベーターで一階に下り、来客用のIDケースを受付に返却する。お世話になりました、と頭を下げれば、顔見知りの女性職員が奥から手を振っているのが見えた。邪魔にならないよう小さく振り返して再び頭を下げ、市役所を出る。昨夜から降り続く雨はまだ止む兆しを見せておらず、うんざりした心地のまま傘を差して歩き出した。
母親が死んだ。急性アルコール中毒との診断だった。
実感は、遺体を見ても湧かなかった。この人はこんな顔をしていたのか、とすら思った。六歳になる前に児童養護施設に引き取られた一護が鮮明に覚えているのは爪の長さと金切り声くらいで、だからなのか、静かに唇を引き結んだ怒らない母が目の前にいるのが不思議で仕方なかった。
お母様で間違いありませんか、と。そう尋ねる立ち会いの警察官に答えられずにいる一護のことを見かねて、長い付き合いの医者は「そうです。こちらをご確認ください」と資料を手渡していた。
途中、タクシーを止めて乗り込む。行き先を告げたあとは窓の外の景色を見ることに専念した。バックミラーでちらちらと様子を窺ってくる男の視線を感じながら、東京では街に溶け込む髪色のことを思う。
否応無しに目立つオレンジの髪は母の苛立ちを増幅させる原因だったので、まだらが残る黒で乱雑に染められていた。今思えば、あれはストレス解消の暴力の一環だったのだろう。染料は頭に直接垂らされていたし、流すのも浴槽を洗うのと同じ冷たい水だった。タオルを使うと汚れるので、床に敷いたビニール袋の上で濡れたまま身を縮こまらせて、自然に乾くのを待った。
養護施設ではそもそも髪を染めるなどという無駄遣いをすることがなかったので、一護の髪の黒は時間をかけて抜けていき、元のオレンジを取り戻した。それを見て得心がいったようにうなずく大人は多く、一護自身も、ともに黒髪だった両親のことを思うとそりゃあそうだという考えにしか至らなかった。文字通り、毛色が違いすぎたから。
「お客さん、見ない顔だけど、帰省か何か?」
「
……
身内の不幸で」
「ああ、そうかい
……
。悪いね、聞いちまって」
「いえ、お気遣いなく」
愛想笑いで流せば、運転手はそれきり口を開かず、ハンドルを握ることに集中した。そこまで遠い距離でもないのですぐに着き、支払いを済ませて車外に出て歩き出す。ここ数年で開発も進んだのか見慣れない建物も増えていて、念のためにと地図アプリを開きながら進む。目的地の屋根が見えてきたところでスマートフォンをバッグにしまった。
インターフォンを押す。名前を告げる。少し離れた位置でドアが開いて、にこやかな笑みを浮かべた女性が小走りで駆け寄ってきて正門の錠に鍵を差し込んだ。
「おかえり、一護くん。さあさあ、入りなさいな」
「
……
こんにちは、先生。お久しぶりです」
気付かれないよう喪服の裾を握りながら、一護は笑い返した。背に手を添えられ、半ば強引に連れられ歩き出す。子どもたちの
―――
……
いま現在この施設で暮らす妹や弟たちの笑い声がかすかに聞こえてくることだけが、唯一の救いのように思えた。
*
「いつまで拗ねているのだ」
「拗ねてねえし」
「そうか、ならば少しどいてくれるか」
無言で足を上げると、ソファの下を音を立てて掃除機が往復する。そのままソファに居座ることにした真白は、スマートフォンをじっと睨みながら何度目かもわからない深いため息を吐き出した。
「そう落胆ばかりしていては幸福が逃げるぞ」
「ため息くらい出るだろうよ。見ろよこの価格高騰、信っじられねえ。俺がアタマ下げりゃいいならどれだけでも下げてやるが、いよいよ足りなくなってくるぜ」
「おや、そちらだったか。てっきり彼のことを考えているのかと」
「
……
いねえ奴のこと考えても仕方ねえだろ」
「いない時に思い出す相手をこそ大切にしたほうがいい。昔から言っているだろう?」
言葉に詰まり、視線を逸らす。掃除を終えて片付けた斬月は、手早くコーヒーセットを二人分準備するとソファに腰掛けた。片側だけより重く沈むソファの上でコーヒーを受け取り、つやつやと反射する水面を覗き込む。
斬月は真白の保護者であり、真白は斬月の養子だ。事故により両親を亡くした真白を引き取ったのが遠い親戚の斬月で、それ以降真白はずっと彼と暮らしてきた。放置しすぎず、干渉しすぎず、やりたいことを邪魔しない。真白が今こうしてショコラティエという職業に就けているのも彼という強力なパトロンがいたからだ。
熱いコーヒーの苦味を口の中で転がしながら、真白は「なあ、」と声をかけた。斬月が続きを待つ態勢に入ったのを確かめて、視線を合わせないまま呟く。
「
……
見舞いとかって、何持っていけばいいんだ」
「病気か? 怪我か?」
「ちげえ。その、
……
身内の不幸とかそういうのだよ」
「なるほど。一般論はもちろん話せるが、
……
おまえの場合、持っていくとよいものなど決まっていそうだが」
「は?」
「おまえの武器を活かせばいい。彼もそれが気に入りだろう?」
相手の名前などこれまで一度も出していないのに、斬月にはお見通しだった。ぎこちなくうなずきながら、コーヒーを啜る。スマートフォンの画面にはトークアプリの履歴が表示されたままだ。
店に行けなくなったという連絡から、もう一週間が経っていた。三日ほど過ぎたところで来れない理由についてのメッセージが入り、それに対して真白は当たり障りのない返答を返し、ゆっくり休むようにと告げた。もしかしたらとは思ったが、本当に身内の不幸だとは。生まれ育った地に戻るため東京を離れた一護は、今日にはこちらに戻ってくる手筈だ。つい先ほど、次の打ち合わせの予定を改めて組むために律儀に連絡をくれた一護からのメッセージに、真白は返答を迷っている。
普通に返せばいい。何日の何時が空いていると送れば、一護は合わせてくれるだろう。こうして無駄に悩む意味はない。
トーク履歴を遡る。楽しみです! と、絵文字やスタンプ付きで喜びを表した一護は、結局パフェを食べられなかった。あれはお試しの限定品で、販売期間を一週間しか設けていなかったから。イートインイベントは大成功で、連日列を作り整理券を配ることになるほどだった。惜しまれながら終了した渾身のショコラ・パルフェは、たくさんのファンを喜ばせた。
―――
けれど、真白が喜ばせたかったのは。
「斬月さん」
「なんだ?」
「用意してもらいてえモンがある。できれば早く、今すぐがいい」
久しく出した明確な"甘え"に、養父は目を丸くするとにこりと笑った。腕が鳴るな、と、渋みのある声が嬉しそうに弾む。まったく、頼りになる人だ。
*
住所を教えろとのメッセージが届き、一護は首を傾げながら自宅マンションの住所を郵便番号から打ち込んで送った。既読の表示がついてから五分ほど間を空けて『少しは疑え』と送られてくる。理不尽だ。
いくつかやり取りをしているうち、一護はさらに首を傾げた。いつなら空いているかの確認。お互いのスケジュールのすり合わせ。住所の開示。時間の指定。あいにくだが、はっきり気づいたのは決定的なメッセージが届いてからだった。
『じゃあその日、行く。準備してろ』
その日、行く。どこにって、ひとつしかない。
「
……………………
えっ」
慌ててベッドから起き上がるが、会話は終わりとばかりにスタンプが送られてきた後だ。今さらどういうことかと問い詰めるのは気が引けるし、何よりもう時間も遅い。スマートフォンを片手に困り果てながら、一護はのろのろと、部屋の中に視線をめぐらせた。
「
……
掃除
……
」
ひとまず、ひとまずは明日からだ。仕事に復帰して、どうにか帰って部屋を片付ける。準備がどこまでの何を指すのかいまいちわからないが、
―――
……
良い珈琲か紅茶くらいは、先輩に聞いて調達しておくべきだろうか。
約束の日、約束の時間にきっちり合わせて真白はやってきた。インターホンが鳴り、ドアを開けて迎えると「よう」と軽く手を挙げて笑う。
「ここオートロックとかじゃねえのな」
「安さで決めたから
……
」
「邪魔するぜ。急に悪かったな」
「ヤ、べつに
……
。ここでいいのかとは思うけど」
「ウチでやるのとそう変わらねえだろ。荷物ここ置いていいか」
「どこでも。狭いから、そんなにくつろげねえかも」
「気にすんな、だだっ広いほうが苦手だ」
これ土産、と渡された紙袋を抱くようにして受け取り、玄関先に用意したスリッパを示しながら「お茶淹れるんで」と告げて踵を返す。こういう時、手土産の中身を確認してこれをお茶請けにするべきなのだろうか。一護のほうでも用意するにはしたが、結局最後まで何が適しているかわからず、デパートで買える老舗の羊羹になった。
「真白さん、お茶、あったかいのと冷たいのなら
……
」
呼びかけながらそれとなく紙袋の中を確認する。店のロゴが入った白いショッピンバッグの中を覗き、目に入った瓶のラベルを脳内で読み上げて「うわ!?」と声が出た。あわてて口をふさぐ。
「なんだよ」
「うわあ出た!」
「失礼なヤツだなてめえは。淹れるなら紅茶かコーヒーにしてくれ、銘柄はなんでもいい」
「こ、これ、これって、曳舟の特選コンフィチュール
……
、三本も
……
!?」
「知ってたか。あ、こっちのは皿に出せよ。タブレット三種な」
「見合う飲み物がないんですけど」
「ンなモンに左右される出来の菓子は作ってねえ」
ぴしゃりと言い切られ、一護はおとなしく従うことにした。予約で埋まっていて店頭では買えない曳舟のコンフィチュールは、日本各地に土地を持ち管理している曳舟農園だからこそ生み出せる素材そのものの味わいが詰め込まれた最高級品だ。メディアにもしばしば取り上げられ、一度食べてみたいなあと思いながらスーパーのお求めやすいマーマレードを食パンに塗る日々だった。それが三本、目の前にある。
フリュイルージュ、グラニースミスとバニラ、アメリカンチェリー。瓶を傾けるだけで、寂れた狭いアパートの台所にきらきらと光が舞った。ほう、とため息をついた一護の横で、どことなくムッとした顔の真白が肘で小突いてくる。
「眺めてばっかじゃ始まんねえぞ」
「
……
? 今日、打ち合わせとかじゃ?」
「バカ、仕事の話をここでするかよ。今日は単に、
……
あー、慰労っつーか、見舞いだ見舞い」
「
……
俺、べつに病み上がりとかじゃないんですけど」
「言葉の綾だ。あと敬語。戻ってる」
「
…………
じゃあ、お言葉に甘えて。準備するから待ってて」
「おー。そのタブレット、非売品だからな」
「え!?」
爆弾を置いた真白が「適当に座るぞ」と言いながらリビングへと消える。あわてて中身を確かめた一護は、おそるおそるチョコレートの包装を剥がすと再び固まった。確かにこれは、見たことがない。
いつも売られているものよりも厚みがない。タブレットは大抵割りやすく区切りがあるのだが、それもなくつるりとなめらかな、プレートチョコに近いものだ。対して裏面はすこしでこぼこしていて、よく見るとカカオニブが練り込まれてあるのがわかる。すん、と匂いを嗅ぐと、甘ったるさのない華やかな香りが漂った。ダークとミルク、スペシャリテであるホワイトチョコの三種類。
まさか、と、浮つく唇を引き締めながら急いで準備する。もっといい紅茶を買っておけばよかった。どれだけの高級品を揃えたところで、これらの前では添え物にしかならなかっただろうけど。
*
新人アルバイトでももう少しマシな運び方をするだろうという手つきで、一護はトレイに諸々乗せて戻ってきた。おそらくは戸棚にある中で一番いい皿に、用意したてと思われるぴかぴかのガラス製マグカップ。スプーンにまで気が回らなかったのだろう、しょぼくれた顔つきで「こちらを
……
」と差し出されたのは使い込まれたステンレス製だ。
「なんか
……
、真白さんの家ならよかったのに
……
!」
「気にしねえっつったろ。つーか俺ン家でも似たようなの出てくるぜ」
「でもあのテーブルセットだろ! ウチこれだぜ、座椅子!」
「問題ねえ」
納得できていない様子で、一護はコンフィチュールの蓋を開けた。それぞれの瓶の中にスプーンを突っ込んだものと、おおよそ半分ずつ割ってそれぞれの皿に盛られたチョコレートを並べて完成だ。
ああは言っていたものの、一護はあきらかにそわそわと落ち着かない様子だった。曳舟が気になっていたというのも嘘ではないのだろう。あれは真白ひとりではすぐに用意することは難しいので、オーナーである曳舟桐生に直接連絡を取って買い付けることになった。顔が広く仕事の早い義父には感謝しかない。
「
……
コンフィチュール、こんな食べ方すんの初めてだ。贅沢」
「俺も斬月さんがやってんの見て覚えたからな」
「真白さんのチョコで?」
「そう、試作品の余りを持っていくから何すんのかと思ってたら一人で優雅にティータイム決め込んでやがった。最近の話じゃねえけど」
「
……
斬月さんって、お父さん? でいいのか?」
「いや、養父だ。俺がガキの頃に交通事故に遭って両親が死んでな。母方の親戚が斬月さんだったから、あの人が親代わりになってくれた。名字は元のままだけどよ」
「
……
そうか」
「ンな顔すんなよ、よくある話だ。悪運が強かったのか、巻き込まれた俺は打撲と軽い骨折だけで済んだ。病院にいたのもせいぜい二週間くらいか? あとはまあ、ご覧の通り好きに過ごさせてもらってるさ」
湿っぽい空気になりそうなので、真白はわざと明るく締めるとスプーンでコンフィチュールをすくい上げた。どれとどれを合わせてもいいように作ったが、まずはこれからだろう、と、手本としてビターチョコの上にフリュイルージュを乗せる。ベリー系の果実を煮詰めたコンフィチュールの定番品で、曳舟でも不動の一番人気を誇る。
口に入れると、華やかなベリーの香味の後にチョコレートの薫香が抜けた。ぱりりと砕ける薄さは、いつものタブレットよりも調整して作ったこだわりだ。歯ざわりがよく、何より溶けて混ざりやすい。ボンボンを噛んだ時とはまた異なる味わいにまあ及第点だなと独りごちて、次のスプーンを手に取る。
「食えよ、どうせ残しても意味ねえし」
「
……
いただきます!」
同じようにしておそるおそる口に入れた一護の顔が、わかりやすく明るくなった。美味そうに食べる、というのは才能のひとつだ。どれだけ甘い点をつけても、顔が無愛想だとお世辞に取られる。そのあたり、一護は申し分無い。これが演技ならライターより俳優のほうが向いている。
「これ、このホワイトチョコ、いつもと全然違う!」
「そりゃあな。あれは商品、こっちは趣味。産地を変えて作ったお試し品だから、材料を安定して確保できねえしこれが店に並ぶことはねえよ」
「
……
カカオ豆の高騰、やっぱりヤバいんだな」
「ヤバいなんてモンじゃねえ。良いものへの対価は当然払うがな、それにしたって上がりすぎだ。いよいよ土下座の練習だな」
「真白さんって頭下げるのか
……
」
「人をなんだと思ってんだ。プライドはチョコレートに向けるものであって俺の感情に足すものじゃねえよ」
プライド、と、一護が小さく繰り返す。わずかに覗いた翳りを横目に、真白はマグカップを手に取った。香りのよいコーヒーを口に含んで「なんかあったか」と問えば、うつむきながらも首を縦に振る。
「あった、ってほどのことじゃねえし。つまんねえ身の上話になるけど」
「別にいいだろ。つまんねえかどうかは俺が決める」
「
……
あたしのプライドに傷をつけた、って、昔よく言われたなって」
「へえ、知らなかったぜ。そんな簡単に傷がつくモンなのか」
暗い表情に弱々しく笑みが乗る。チョコレートに指を伸ばしたのを確かめて、真白は無言で続きを促した。
「この間死んだ母親がさ。昔から、こう、
……
手のつけられねえっていうか、抑えられない人で。俺、こんなだったからさ、ずっと家から出たことなかったんだけど、真冬にベランダに放り出された時に通行人に通報されて。病院送りになって、そこから施設預かりになったんだよ」
「運がよかったな」
「
……
そうかな、そうかも。通報されなきゃ凍え死んでただろうし」
「ンなに酷かったのかよ」
「ちょうど、めちゃくちゃ殴られた後でさ。俺が怒らせたのが悪かったんだけど」
「死にかけるまでガキを殴るほうが悪いだろ」
きっぱり告げた真白を見て、一護は曖昧に笑い返した。処世術を身につけた人間の笑い方だ。黒崎一護という男に抱いていたぎこちない違和感が嫌な形で解消されていく感覚を、グラニースミスとバニラの香りに包んで飲み下す。
ぽつぽつと語られる一護の話を、真白は時折口を挟みながら聞いていた。髪色がオレンジだったせいで認知されなかったこと。それをきっかけに両親は離婚し、顔も知らない父親へと向けられていた怒りはそっくりそのまま一護へと向けられたこと。届出もろくに出されないままずっと部屋の押し入れで過ごしてきたこと。疎まれた髪は真っ黒く染められていたこと。いつもいつも空腹だったこと。
「その日は我慢できなくてさ、母親がもらってきたチョコレートを勝手に食べたんだよ。それですげえ怒られて、
……
腹が減ってどうしようもなかったから、腹を蹴られて吐いた時、もったいないって思った。せっかく美味しかったのに」
「
……
最初の投稿のチョコ、もしかしてそれか?」
「え?
……
あ、あー
……
、
……
そう。そっか、残してたか、俺しか読まねえから忘れてた」
「悪い。気に障ったなら謝る」
「ヤ、俺も覚えてなかったし
……
。アカウント教えたのも俺だしな」
気まずげに頭を掻き、逸らされていた視線がゆっくりと元へ戻ってくる。そんなことより! と手を叩いた一護は、先の真白と同じようにわざとらしく大きな声を出した。
「俺の話なんてどうでもいいんだよ。真白さんは? ショコラティエになった理由とか
……
」
「あ? ンなの
……
」
答えかけて口を噤む。聞いた話の中で気になる点があり、真白は途中からそのことばかり考えていた。うっかりしていた気を引き締め、ひらりと手を振ってから口角を上げる。
「それを聞き出すのが仕事だろ。せいぜい頑張るこった」
「う、
……
それもそうか」
「
……
なァ、運ばれた病院とか施設、この近くか?」
「いや、俺の生まれはこっちのほうで
……
。家にはそれきりだから地理はあんまり詳しくねえけど、病院はここ。白砂病院って知ってるか?」
「あー、有名な心療内科医がいるトコ」
「それそれ」
スマートフォンで広域地図を示しながら、一護は「あの人が実習生の時によくしてもらったんだよな」と締めくくった。話のつまみにとしていたチョコレートもコンフィチュールも残り少なく、お開きにはちょうどいい時間だ。
「今日は押しかけて悪かったな」
「こっちこそ! いろいろ都合聞いてもらって助かった。また仕事でもよろしくお願いします」
「おう。
……
あんまり気に病みすぎるなよ」
「真白さんのお見舞いのおかげで楽になったよ」
「ならいい。じゃあな」
送っていくという一護からの申し出を丁重に断り、ついでにと余りの
―――
……
正確には、残して分けておいたチョコレートをいくつか置いて、真白は一護の住むアパートから駅へと向かっていた。
金木犀の匂いがする。視線を上げると、民家の塀から乗り出すようにしてオレンジの小花が密集して咲いていた。道路に散らばる星のかけらを横目で見つつ、ポケットからスマートフォンを取り出す。トークアプリを開いて文字を打ち込めば、すぐに既読がついた。電話画面に切り替わる。
「何」
『もういい、とは?』
「打つ前にアンタからかかってきたんだよ。普段見ねえくせに、こういう時だけ反応が早ェ」
『
……
諦めるのか?』
「逆。もう探す必要がなくなった。今までサンキュな、無理言って悪かった」
電話口の向こうで、わずかに息を呑むような音がした。赤信号で立ち止まり、行き交う車の波を見つめる。道路を挟んだ先の公園で、小さな子どもたちが声を上げて笑いながら遊んでいた。
―――
なんだよ、ほしいのか? べつにいーぜ、おれ、そんなに好きじゃねえし。
―――
………………
たべるの、いいの?
―――
いいってば、ほら。落っことすなよ。
からからに乾いた、色のない声を思い出す。ずっと昔の、いちばんはじめの、ショコラティエ・黒崎真白に至る根っこの分岐点。
「見つからねえワケだ。そっちが地毛なんて誰が思うかよ」
何か言いたげにしている斬月を半ば無視し、真白は電話を切った。どうせ帰れば直接話すことになるのだから、今ここで伝える必要はない。
信号が変わる。横断歩道に足を踏み出す。やるべきことも、やりたいことも、全部の方針が固まった。あとはもう、進み続けるだけだ。
*
病院の中庭に設置されたベンチに、白と黒の二人の子どもが座っている。近付いても声をかけても無反応だったあちこちにガーゼと包帯を巻いた黒髪の子どもは、白い子ども
―――
……
真白が手に持っていたチョコレートを食べ始めたあたりで、じっとこちらの手元を見つめ始めた。
すこし悩んで、真白はチョコレートを差し出した。どこでも売っている、カラフルなコーティングが施された丸いチョコレート菓子だ。
容器の蓋をきゅぽんと開けて、相手の手元にざらざら乗せる。人形のようだった顔に赤みが差し、目に光が宿った。与えられたものを前にしてうろたえながら、おそるおそる、真白の様子を窺いながらガーゼが貼られた口もとへ運ぶ。途端。
「
……………………
、ッ、
……
ッ」
「
……
え、え? なに、なんで泣くんだよ。きらいだったか? それ、いたいのか?」
「
…………
ッッ!」
ぼろぼろ、ぼろぼろ、大粒の涙を流し始めた子どもを前に、慌てたのは真白のほうだった。喜ばれるだろうと思ったのに、相手は泣きながら首を振るばかり。困り果ててあたりを見回し、だれかに助けを求め、遠くに"親戚の人"を見つけてベンチから飛び降りて走ろうとして、足の痛みにうめく。退院はできるけどまだちゃんと骨がくっついていないから安静にしなさい、と、口酸っぱく言われていたのだ。
「ざんげつさん!」
「真白、行くぞ。そんなところにいたのか」
「いーからこっち来て! 泣いてんだよ」
「
……
誰が?」
「しらねー!」
大人の腕をぐいぐい引っ張って元来た道を戻ろうとするが、その足はすぐに止まった。ベンチのそばに、中庭の様子を見に来たのであろう女性看護師を見つけたからだ。声もなく泣き続ける子どもの頭を撫でた看護師は、やがてどこかに電話をかけると、子どもの手を引いて歩き出した。よろよろと着いていく子どもの背を呆然と見送って、そして。
「
……
泣かせたのか?」
「チョコ、あげただけ。そうしたら、なんか
……
」
「そうか」
大きな手のひらがわしわしと頭を撫でてくる。怒りたいのかわめきたいのか恥ずかしいのか悔しいのかわからなくなって、真白はぎゅっとTシャツの裾を握りしめた。目の奥がじんと熱くなって、睨んでいた土に咲く草花がゆらゆら滲んでいく。
「イヤだった、の、かな。おれ、なんかした?」
「わからない。だが、そういう事はこれから先何度でもあるものだ。ひとの心はわからないのがあたりまえで、渡した善意がそのまま同じ気持ちで伝わるとも限らない。おまえはあの子に、チョコレートを食べさせてやりたかったのだな?」
必死にうなずく。ふわ、と体が浮いて、そのまま真白は男に抱え上げられた。
「では、今度会った時はもっと美味しいチョコレートを渡してやりなさい。そうしてもう一度、きちんと自己紹介をする。喧嘩をしたわけではないのだから、それで全部うまくいくさ」
「
……
ほんとに?」
「ああ、きっと」
「会えるかな」
「人探しは手伝ってやるさ」
「うん」
鼻をすすり、目をごしごし擦る。振り向いても、もう看護師の姿も黒髪の子どもも見つからなかった。いつか会えると言った養父の言葉をやわい口のなかで転がして、包帯を巻いた足を見やる。
まずは足を治して走れるようになろう。いつでも追いかけられるように。ごはんをたくさん食べよう。美味しいものがわかるように。このひとと仲良くなろう。大事な時にお願いできるように。それから、それから。
「
……
ざんげつさん」
「なんだ?」
「チョコレートって、どうやってできるんだ?」
「
……
専門外だな。帰ったら一緒に調べてみよう」
それから、自己紹介の練習をしよう。胸を張って堂々と、はじめましてから伝えるために。
1
2
3
4
5
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内