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Nagisa_burn
2025-11-12 15:39:36
36659文字
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ウィークエンド・ショコラ【更新中】
現代パラレル白黒 ショコラティエの白さん×新人ライターの一護さんの話です。
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【最終更新:2026.07.01 5ページ目 / オペラ・フランボワーズ】
ヘーゼルナッツのプラリネ
ドアにかかる"CLOSED"の看板の前で、一護は呆然と立ち尽くした。腕時計を確認する。午後八時四十分を過ぎたところ。いつもより少し遅くなったが、本来なら営業終了まであと二十分はあるはずだ。
スマートフォンを取り出し、インスタグラムを確認する。最新ストーリーを追うと、二時間前の更新で『材料が切れたため閉店時間を早めます』というお知らせが入っていた。
「
……
マジか
……
」
何度見ても看板はひっくり返らない。そもそも店頭の明かりは必要最低限の間接照明以外落とされているし、ブラインドも下げられていた。ひと目見れば、営業していないことがわかる。
もう一度ため息を吐く。ルーティンが崩れた。これのために馬鹿みたいに仕事が詰まった一週間を乗り切っているのに。
ぐちぐちと文句を連ねてもやっていないものは仕方がない。来週は買えるといいな、残業二時間以内で終わるかな、と考えながら体の向きを変えようとしたところで「オイ」と声が飛んできた。
「ウチの店の前で何してる」
「あ、
……
すみません、すぐどきます。すみません」
振り向くと、黒いキャップを被った男がこちらを睨みつけていた。背格好は同じくらいだ。フード付きの黒いパーカーに、同じく黒のワイドパンツ。黒いマスク。全身黒黒黒。肌の白さが際立つアンバランスさから目を逸らし、そそくさと退散しようと頭を下げる。不審者扱いで通報されてはそれこそたまったものじゃない。
「
……
あ? アンタ、"オレンジさん"か」
「
…………
オレンジさん?」
「金曜の閉店間際に来るヤツ。ホールの面子が話してた」
「はあ、そう、なんですね
……
?」
「今日は終わりだ。発注しとけっつったのに忘れやがって、クソが」
「ええと、
……
そうみたいですね。じゃあ、俺はこれで」
もう一度頭を下げる。目立つ容姿をしている自覚はあるので、話題に上がっていても大して驚きはしない。けれど閉店間際に来て迷惑だと囁かれているのであれば、もう少し早められるよう努力すべきだろうか。そのためにはまず、放り出した仕事をデスクに積んでくる上司をどうにかしなければいけないが。
「来週はヘーゼルナッツのプラリネだ」
「
……
え?」
「新作。次もよろしくドーゾ」
マスクを下げた男がにやりと笑う。そこでようやくフードに隠されていた髪が見えて、一護は「あ」と声を上げた。目の前の男の顔と名前が一致する。
ショコラティエ、黒崎真白。一護と同じ名字の有名人。一護が毎週足繁く通う、このチョコレート専門店『WHITE』のオーナー。
「ファ、ファンです」
「知ってる」
上擦った声は一蹴された。躊躇なくドアを開けた男は、そのまま店に入っていく。バタン、ガチャリ、と鍵を閉める音がして、足音は遠ざかった。
心臓がうるさい。顔が熱い。プラリネ、と、四文字を口の中で転がす。ナッツの風味を夢想する。それだけで、来週までどうにか、生き延びてやろうという気持ちになった。
*
初めてチョコレートを口にしたのは、五歳の冬だった。
勝手に冷蔵庫を開けるなときつく言い含められていたけれど、その夜はどうにもお腹が空いてたまらなくて、そっと部屋から抜け出した。電気をつけず、手探りで廊下を進み、リビングを越え、鈍い稼働音を響かせる冷蔵庫の前へ。静かに開けられず、ばくん、と音が響いた。慌てて振り向いて、だれにも見られていないことに安心して、冷えた部屋の中でさらに冷えた空気を浴びながら、冷蔵庫の中を物色した。
ラップをかけきれていない食べかけの惣菜。からからに乾いた果物。賞味期限の切れた魚肉ソーセージ。カビの生えたジャムの瓶。中途半端な数ばかり残ったスライスチーズとハム。
その中でひときわ目立つ、細長い箱を手に取った。どうにか開けると、中には丸くて綺麗な、甘い匂いのするものが五つ入っていた。冷蔵庫の中にあるということは食べものだ。腹が鳴って、一護はそれを口の中に放り込んだ。噛み砕き、咀嚼して、ぱあっと顔を輝かせる。
あまくて、あまくて、おいしくて、ほんのすこし苦くてあまい。
手を止められず次に伸ばした。見た目が違うのに合わせ、味も違った。ミルク、ビター、キャラメル、フルーツ、洋酒。取り憑かれたようにそこにあったすべてを口に放り込み、口のまわりをべたべたに汚して夢中で貪った。開けっぱなしの冷蔵庫が警告音を立てていることにも、ドアの鍵が回った音にも気づかずに。
「何やってんの?」
はっと振り向く。冷蔵庫の青白い光に照らされた母が、無表情でこちらを見下ろしていた。
「ねえ、何やってんのって聞いてんだけど」
母が屈む。ジャム瓶を持ち上げる。ぎらぎらと光るネイルが反射するさまを、息をとめて見上げていた。
ごくん、と、唾を飲む。目が合った。瓶が振り上げられて、それで。
「
…………………………
、」
ジリジリと鳴くアラームを止める。五時半。外は雨のようだ。
汗に濡れた全身が気持ち悪い。つとめて深く長く息を吐く。仰向けで硬直した体から力を抜き、そろそろと横向きになる。動くようになった腕を伸ばして、転がっていたライオンのぬいぐるみを引っ掴んで抱き寄せた。くたくたの綿が、腕の中でつぶれて形を変える。
スヌーズがわりの二つ目のアラームが鳴るまで、ずっとそうして、身を丸くしてじっとしていた。
*
ここのところ、目がずっとじんわり痛い。もう慣れたが、つらさは変わらない。目薬、アイマスク、自分でやるマッサージは試してみたが、楽になるのはその時だけだ。寝て起きて、午前はまだマシでも午後は最悪。ずっとパソコンの画面を睨んでいるせいだろう。本当に治すなら、仕事を辞めるのが一番早い。できないことを考えるのは無駄だ。
「黒崎、これも」
短い言葉とともに、デスクにどさりとファイルを積まれる。条件反射で返事をして、上司が遠くに去ってから長く細く息を吐いた。もたれた椅子がぎしりと音を立てる。
時計を見る。十九時。仕事を回してくる上司は好かないが、あのひとも同じく残業だ。立場が少し違うだけで、あのひとはあのひとで、さらに上の役職から仕事が下りてきている。
眼鏡を外し、天井を見つめながら、一護は引き出しに手をかけた。見なくてもわかる位置にストックしてあるそれを一粒取り出し、包装を剥がす。口に放り込む。歯を立てた瞬間に、ぶわりと芳香が鼻を抜けた。ミルクとキャラメルの濃厚な甘み、それに負けないカカオの華やかな香り。
コーヒーが欲しい。もっときちんと、部屋と気持ちとを整えて、向き合うようにして食べたかった。贅沢な話だけれど、そうでもしないとこのチョコレートに申し訳ないのだ。
舌に残る余韻を味わいながら、背筋を伸ばす。あと一時間半で終わらせようと決めて、一護は眼鏡をかけ直した。
本当は、文学誌の部署に入りたかった。けれど配属されたのは若者向けの雑誌で、それが見た目からくる決定だとすぐにわかった。そこに入りたかった同期には羨ましがられたが、苦笑いを返すしかない。
そして、月刊とはいえその部署の忙しさは想像以上だった。
流行り廃りが早すぎる。今日取材したものが来週には話題にも上らなくなる。それを加味して、まだ誰も知らない何かを見つけ、あたかも流行っているかのように載せるのだ。目新しさに飛びつく読者と、凄まじいスピードで消費される娯楽。SNSで一般ユーザーが気軽に宣伝やら何やらをできるようになった今、置いていかれないためには仕事量を増やすしかない。
どうにかキリのいいところまで進め、会社をあとにする。電車に揺られながら、腕時計をぼうっと見つめた。八時半。間に合うだろうか。迷惑だろうか。いつも閉店間際で、それで覚えられているのなら。
(
…………
ヘーゼルナッツの、
……
)
インスタグラムを確認する。更新履歴をたどる。オープンのお知らせ。新作の画像。商品のなくなり具合。閉店時間が早まった様子は今のところない。
『次は、
―――
。
―――
です。お降りのお客様は
……
』
一秒でも早く帰って寝たい。あと五駅先で降りれば自宅の最寄り駅だ。帰って、風呂に入って、買い置きのカップラーメンを口に押し込んで寝る。それでいい。だってもう八時半だ。
わかっているのに、足は動く。ルーティンを実行しようとする。
降りたホームで立ち尽くし、邪魔そうな目を向けられながら走り去る電車を見送った。降りてしまったからには、仕方がない。ICカードを手に改札へ向かう。
金曜夜の街は賑わっていた。長い夏を終え、ようやく涼しくなってきて、テラス席でビールが飲めるようになった。提灯が揺れる飲み屋からは絶えず笑い声が響き、稼ぎ時とばかりに店員があちこちで呼び込みをしている。お兄さん一杯どうですか、と笑顔で誘ってくれる彼ら彼女らに会釈を返す余裕もなく、一護は無言で歩いた。
十分ほど進むと、喧騒が遠くなる。多くあった店はぽつぽつと数えるばかりになり、静かな住宅街の中をさらに奥へ。自然と早足になりながら、覚え切った道筋を進む。真っ白な外壁と大きなガラス張りの建物が見えたところで、ようやく息を吐いた。
「いらっしゃいませー。
……
あ、」
店内に客はいなかった。それはそうだろう、もう、本当に閉店間際だ。片付け作業に入っていたらしい若い女性店員が、こちらを見るなり手で口を覆った。
「
……
すみません、こんな時間に。すぐ買って帰るので、
……
あ、もしかしてもうレジ閉めましたか?」
「ああ、いや、大丈夫です。
……
ちょっと、ちょーっとだけ待っててもらえます? あ、好きに見ててくださいね!」
艶やかなツインテールを揺らし、彼女が厨房のほうへと駆けていく。その背中を見送って、一護はショーケースへと目をやった。もうほぼ完売状態だ。定番のミルク、ビターのショコラボンボンはまだいくらかあるが、そのほかは完売の札が置かれている。店名にも使われているホワイトチョコのタブレットがあったので、今日はそれと、残りのボンボンを買おうかと考えて財布を取り出そうとしたときだった。
「遅っせェ。廃棄ンなるかと思ったわ」
飛んできたのは、ぶっきらぼうな声。顔を上げた先に、何度も何度も雑誌やサイトの紹介で見てきたおとこが、その写真の衣装と同じ姿でそこにいた。
「
…………
黒崎、真白さん?」
「よう、オレンジさん。ギリッギリ、本当に滑り込みだが、俺は寛大だから許してやる。聞けば上客らしいじゃねえか。いつも残ってるヤツ片っ端から買っていくって」
「あ、
……
ハイ、ええと、好きなんですけど、なかなか来れなくて
……
。金曜にまとめ買いして、ちょっとずつ食べようと思って」
「そんなにこれが好きか」
「大好きです」
逸らしていた視線を前に向ける。バッグの持ち手をぎゅっと握る。これだけは譲れなかった。これだけが、己を生かしていた。
「チョコレートに、救われたんです。だから、好きで、
……
いろんなものを食べたけど、ここのチョコレートが一番俺の口に合って、好きで、」
前のめりになる。ショーケースに体が触れる。頬杖をついていた真白は、目を丸くして一護の言葉を聞いていた。その金色の瞳に、興奮する情けない大人の姿が映っているのがわかって慌てて口を手で押さえる。
「
……
す、すみません、急に」
「俺が聞いたことに答えただけだろ」
「
…………
このボンボンと、タブレットを買って帰ります。こんな時間にすみません、いつも」
「へえ? じゃあこれはいらねえわけだ」
取り出されたのは、六個入りのボックスだ。定番メニューのセットのほか、自分で中身を選ぶことができるもの。それを片手で開けた真白が、ふんと鼻を鳴らす。一護はといえば、固まってろくに反応もできなかった。
「
……
そ、それ、インスタに載ってた、ヘーゼルナッツの
……
!」
「そう。今週の新作。で、もう完売したヤツ。さすが俺、ソッコーだったな」
「え、あの、」
「これはいわゆる"自分用"だ。毎回残して持ち帰るんだが、試作段階で食い過ぎたせいでもう飽きちまってな。今から廃棄するところだ」
「え!?」
「声出るじゃねえか。ハキハキ喋れよ、まだ若いだろ」
「廃棄!? っえ、や、ダメですそんな、もったいない
……
!!」
「じゃあフードロス削減に協力してくれ」
真白が直接レジを打つ。ミルクとビターのショコラボンボン。ホワイトチョコのタブレット。ヘーゼルナッツのプラリネ六個入りセット、の、割引三十パーセントオフ。
「毎度あり」
にやりと笑うさまは、雑誌よりサイトよりテレビよりずっと若く見えた。大人びて氷のようだったイメージが、がらがらと崩れていく。
「味わって食えよ。そんで来週まで生き延びろ。死にそうな顔してるぜ、アンタ」
「
…………
ありがとう、ございます
……
」
「名前は?」
「黒崎一護
……
」
「あ? 俺と同じじゃねえか」
「天と地ほども違いますけど
……
」
チョコレートが詰め込まれた紙袋を受け取ると、ほらさっさと帰れ、と犬でも追いやるように手を振られる。急ぎ足で店を出たところで、すぐさま鍵が閉まる音がした。デジャヴだ。
時刻は午後九時十分。店の前に立ち尽くし、はっとして歩き出す。真っ白な紙袋の中で、がさがさと梱包されたチョコレートが鳴いた。一番上に乗った細長いケースを見るたび、どきどきして唾があふれてくる。
「おにーさん、一杯どうですか!」
駅前の飲み屋街で、店員に声をかけられる。それを一瞥して、会釈を返した。スキップでもしたい気持ちのまま、駅に向かって歩く。
「すみません、間に合ってるので」
帰ったらコーヒーを淹れよう。友人にもらったまま飲めずじまいの、いいものを使おう。コンビニでいいからおにぎりと味噌汁を買って食べて、さっさと風呂に入って、落ち着いてからゆっくりしよう。それがいい。そうしたい。今日ばかりは、夜ふかしをしてもいい。
ホームで電車を待ちながら、一護はよし、と気合いを入れた。これからへの気力が湧くのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。
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