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Nagisa_burn
2025-11-12 15:39:36
36659文字
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ウィークエンド・ショコラ【更新中】
現代パラレル白黒 ショコラティエの白さん×新人ライターの一護さんの話です。
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甘夏オランジェット
「なんだ、機嫌悪いな」
机の上にコーヒーの缶が置かれる。その音と声で、突っ伏していた一護はのろのろと顔を上げた。ぐちゃぐちゃになった前髪もそのままに、隣に立つ男を恨めしく睨みつける。
「
……
檜佐木先輩がこんなの回すからでしょう」
「こんなのたァ失礼だな。立派な仕事だろ」
「下世話なランキング記事作ることが?」
「下世話なものはみんな好きなんだよ。特にこういう、売れ筋の男を並べたやつは」
気持ちはわからねえでもないけどな、と、そう続けて檜佐木は隣の椅子に腰を下ろした。片手にはサンドイッチを持っている。このままここで食べるらしい。檜佐木の席は少し離れたところにあるのだが、一護の隣が空席なのをいいことに、我が物顔で陣取っている。檜佐木に限らず、さまざまな同僚たちのものが空席には積み上がっていた。
「そもそも、抱かれたい男って」
「知らねーのか。ちょっと前は有名なトコのトップの特集だったぞ」
「つまり二番煎じで焼き直し、ってことですか?」
「荒んでんなァ。世の中だいたいそんなモンだよ」
「
……
この選出も」
「最近流行りの男だよ、知ってる奴ばっかだろ? 俳優やモデルにこだわらず、読者の意見を忠実に反映したってワケだ」
コーヒー缶のプルタブに手をかける。ブラックでも微糖でもなく、一部の界隈からは猛烈な支持を受け一部からは拒絶される激甘コーヒーだ。それをふたくち飲んだところで、企画書の気になった点を指摘する。
「それで、ここが空白なのは?」
「そう、そこだ! そこがお前にやってほしい仕事!」
ばん、と机を叩いて立ち上がった檜佐木は満面の笑みを浮かべていた。視線の先を見てハッとする。コーヒーはもう飲んでしまった。
「ひとり、全っ然インタビューが取れねえんだよ。もうガードが固ェのなんの、結構ですお断りします断るっつってんだろうるせえ帰れ顔見せんなのマシンガン! 噂に違わぬ氷の貴公子! 罵詈雑言のパターンも広い!」
最悪だ、と舌打ちする。これだから猥雑な記事は嫌いなのだ。
「ランキング選出の黒崎真白からインタビュー取ってくれ、頼む!」
引き出しから取り出してちまちま食べているところを見られていたらしい。別に隠していたわけではないし、ずっと続けていることなのでそれ自体には不思議はない。黒崎真白に関する話題の中で、そういえば、とポロッと同僚がこぼすぶんには当然の流れだ。
けれどそれがなぜインタビュー依頼に繋がるのか。しかも聞く限り何度も試みて失敗している。檜佐木はあんなだが優秀なライターで、気難しいと噂の料理研究家・東仙要のコラムレシピ連載にこぎつけたほど、本当に腕の立つ男なのだ。
その檜佐木でも駄目だったというのに、どうして一護にお鉢が回ってくるのか。もうヤケになっている気がしてならない。それに、結果的にインタビューが取れないだけならまだいいのだ。
「
…………
店、出禁になったら、どうしよう
……
」
一護はあくまでただの客として店に通っている。金曜の夜に足を運び、レジ前で短い会話をするだけだ。ほかに客がいることもほとんどないため、表に出ていても黄色い声を上げられることはない。実際のところ一護は彼のファンなので、内心浮かれきってはいるのだが。
『よう、先週ぶり。読んだぜ、熱烈な
ラブレター
・・・・・
』
ヘーゼルナッツのプラリネを食べた感想を、なるべく率直に、けれど感動とともにしたためた。本来は完売していて、口にできないものだったからだ。気味悪がられるかと思ったが、封筒を受け取った真白はすこし目をまるくして訝しみ、その内容を聞くや否や口角を吊り上げた。素人の感想だから期待はしないでほしいと念を押した次の週に、受け取った時と同じような表情で、真白はわざとらしく手を振ったのだ。
『忌憚のねえ意見は貴重だ。参考になる点もあった。アンタ、文字が上手いな』
『そんな、大したものじゃ』
『思いついたらまた書いてくれよ。昨今はフクザツでな、開封前にウチの奴らによる検閲が入るが』
『はあ、まあ、見られて困るものではないですけど
……
』
『あー、違う違う』
ショーケースに頬杖をついた真白が、嫌そうにため息を吐く。心底から疲れ切った声音だった。
『たまにあるんだよ、ヤベーやつ。針なんて可愛いモンだ。このあいだなんて、差し入れのチョコレートから髪が飛び出してた』
『か、
……
』
『まあ、そういうわけだ。アンタがンなことできるタイプだとは思わねえが、一応な』
顔が売れるとろくなことにならねえ、と、真白は嫌そうに締めくくった。モデルや俳優を生業としているならまだしも、彼はショコラティエだ。見てほしいのは顔ではなくチョコレートであるのに、メディアは彼を"話題のイケメンショコラティエ"として騒ぎ立てる。結果、チョコレートそのものでなく黒崎真白という人間に群がる者がうまれる。
もちろん、悪いばかりではないだろう。客を集めるには、店を知ってもらわないことには始まらない。メディアに顔出しするなら、そのあたりは承知の上でみな臨む。己の体と技術を切り売りし、ひたむきに作品と向き合っていく。
その彼に、こんな記事のインタビューを持ちかける。そりゃあ断られるに決まっている。真白が一番嫌うたぐいだ。
企画書を手に、ひとりになった一護は再びうなだれた。気が進まない。進まないけれど、やるしかない。聞きに行ってみたけどダメでした、と、それでやり過ごせばいい。役に立たねえなと罵られ、すみませんと笑えばいい。大丈夫だ。
スマートフォンが震える。通知を見て、気が沈む。「わかりました。今週中には振り込みます」と返事を返し、一護はパソコンと向き直った。引き出しのチョコレートには、手をつける気にはなれなかった。
*
「オイ」
「ハイ」
「俺の作品選びながらンなシケたツラしてんじゃねえよ。ちったァ嬉しそうにしやがれってんだ」
「ハイ
……
すみません
……
」
カウンター越しに罵倒され、一護は身を縮めて謝罪した。ため息とともに頬杖をついた真白が「なんかあったか?」と切り出して帽子を脱ぐ。仕事は終わり、という合図だ。閉店時刻の五分前で、カウンター横から出た店員が表の看板を下げに行った。
「
……
仕事で、ちょっと」
「なんの仕事?」
「
…………………………
ライター、です。本当は文学誌がよかったんですけど、普通の、若者向け雑誌の」
「へェ。道理で文字が上手いわけだ」
「そんなことは、」
「賞賛は素直に受け取れ。ヘコヘコしてんじゃねえよ」
「
……
すみません」
再びため息を吐かれる。不快な思いをさせてばかりだ。店も閉まるのだから早く選んで買って帰ろうと思うのに、目が滑ってしまって選べない。切り出さなければならない話題と、やりたくないという気持ちが胸の奥でぐるぐる渦巻いて気持ち悪かった。
「
……
若者向け、なので」
「あ?」
「記事の中身も、そういうものが多くて。黒崎さんは、こういうの一番嫌がるってわかってるんです。実際、もう断られてて
……
。でも俺は部署では新人なので、断れなくて、」
まとまらないまま、もつれながら言葉がこぼれ出る。鞄の中から取り出した封筒書類は、一護が鞄自体を抱えすぎていたせいか、少し曲がってゆがんでいた。
封筒に印字された社名を見て、真白が目を細める。これだけで内容は伝わっただろう。店内の温度が下がったような心地がした。
「アンタ、あそこのライターか」
「
……
はい」
「ここに通ってたのはそれが理由か?」
「それは俺の意思で、
……
でも、これを持ってきたのは、俺がここに通ってることが知られているからです」
「ふうん」
興味が無さそうに唇を尖らせて、真白は封筒を横持ちにした。そしてそのまま、封を切ることもなく真ん中からぐっと力を入れる。
びりびりに破かれる企画書を、一護は黙って見つめていた。半分になり、四つになり、散り散りになって、カウンター台の上に降り積もる。「片付けろ」と言われ、一護は素直に紙片を集めた。口を開いた鞄の中に、そのままそれを手で寄せて入れていく。
「店じまいだ。帰れ」
それきり、真白は背を向けた。その背に向かって頭を下げてから踵を返す。一護が店を出てすぐ、それを待っていたかのように鍵が閉まった。滞在した一時間のあいだに降り出していた雨をしのぐ手段もなく、駅に向かって歩き出す。途中のコンビニで、傘を買おうと決める。
水曜の夜だった。金曜以外に来ることも、買わずに帰ることも初めてだった。去り際に見た氷のような瞳が忘れられなくて、ぐっと唇を噛みしめる。鼻の奥がじんじん熱くなる。
不意に、スマートフォンが鳴った。かろうじて雨よけになりそうな街路樹のそばに寄り、着信相手を確かめる。出たくなかったが、出なければ後々面倒だ。細く息を吐いて、一護は画面に指をすべらせた。
「
……
はい、黒崎です」
『ああ、一護くん。どうもね、ありがとうねえ。入金、確認できたよ。子どもたちもきっと喜ぶ』
「
……
それは、何よりです」
『うん、うん。でもね、来月はもう少し早めだと助かるんだけどねえ。私も暇じゃないし、心が痛むから、催促なんてしたくないのよ。わかるでしょう?』
「
…………
は、い」
『
……
何? 今の間。まさかとは思うけど、面倒だと思ってる? ねえ、やめてよ。あなた、自分が今生きていられるのが誰のおかげかわかってるの? わかってないなら驚きよ』
「先生の、おかげです」
『わかってるじゃない。わかってるなら、先生の言うこと聞きなさい。それに、あなた、子どもたちを見捨てるつもり? 人の心がないのね。まったく、誰に似たのかしら。親の顔が見てみたいわ』
「
……
はい。すみません
……
」
腹の底が、引き絞られたように痛む。頭が重くて、その場にしゃがみ込んだ。風が吹けば街路樹は雨から守ってくれない。横殴りの水滴が全身を濡らして、指先が震えるのを自覚した。
『あなたをここまで育ててやったのは誰だと思ってるのよ、この恩知らず。いいからあなたは黙ってお金を入れなさい。お金はずっと足りてないの。お腹を空かせた子どもたちに、私は必死にやりくりしてご飯をあげて寝かしつけてるのよ。ねえ、それなのに何? 馬鹿にしてる?』
「してません、
……
ごめんなさい、俺が悪かったです。許してください、ごめんなさい」
『
……
ふん、わかればいいのよ。とにかく、来月もきっちり振り込みなさいよ。でなきゃ、あなたの職場に電話するからね』
それきり、スマートフォンから響く金切り声はやんだ。あとに残るのは雨音と、道路を通る車の通過音だけだ。荒くなる息を必死に整えて、目を閉じる。寒い。寒い。痛い。帰らなければ。帰って寝て、働いて、金を稼いで、金を渡して、仕事をして、チョコレートを。
(
……
あ。もう、買いに行けないかも)
出禁とは言い渡されなかったが、どうだろう。面の皮も厚く、ただの客として買いに行こうか。門前払いされる可能性もある。何せ、一護の容姿は目立つので、二回行けばどこでも必ずと言っていいほど顔を覚えられるのだ。
震える足を叱咤して立ち上がる。とにかく帰らなければと踏み出して、ばしゃん、と水溜まりを散らしたところで世界が揺れた。
「ぁ、え、」
目眩が起きて、たたらを踏む。横断歩道。ヘッドライト。雨音、クラクション、足音、光がまぶしくて、それで。
「
―――
死にてえのか、このバカ!!」
目の前を車が通り過ぎる。掴まれた腕が熱くて、呆然と振り返った。力の入らない体を支えるようにして、全身黒ずくめのラフな格好になった真白がそこに立っていた。
「あのなァ、信号くらい見て歩け! ボーッとしてんじゃねえよ! いくら傘持ってねえっつったって、それくらい
……
、
……
オイ?」
「
…………
っ、」
「オイ、大丈夫か? 顔色が、」
掴まれた、腕が、熱い。じわりと滲む体温が、響く怒声が、強い力が、一護の中からなにもかもを奪ってゆく。ぐらぐら揺れる視界に映るのは憧れのショコラティエの男ではなく、もっと昔の。
「ごめ、なさ、」
「
……
オイ!? ッの、
………………
市丸! 出んのが遅ェ! いいから早く店出てこい、西に二百メートル、横断歩道前! 帰るトコ!? 知らねえよ女には適当に言ってろ!!」
響く声が遠ざかる。意識がぶつんと途切れる瞬間、力の抜けた体があたたかなものに包まれたような気がした。
*
初めてチョコレートを食べた、五歳の冬のこと。
冷蔵庫の中にあったそれは、母がコイビトからもらったものらしかった。案の定、いつもの比ではないほど怒られ、叫ばれ、殴られた。開けるなと言いつけられていた冷蔵庫を開けたのも、食べてはいけないものを食べたのも一護だったから、ごめんなさいと謝るしかなかった。
『あんたのせいで』
母の口癖だった。産まれてきた赤子の髪が馬鹿みたいなオレンジで、浮気を疑われ口論になり、DNA鑑定の結果が出るよりも先に父は家を出て行ったのだという。母はそれからも潔白を訴え認知を求めたが、阿婆擦れとまで罵倒してきた相手と今さら元のように過ごせるわけもなく、結局は離婚の手続きを終えるに至った。
『あんたなんか産まなきゃよかった。本当に、ほんっとに、邪魔』
物心がつくころ、家の中から出してもらえないことに気がついた。玄関から外に出ると火がついたように怒られる。勝手に動き回らないよう、押し入れの中に閉じ込められた。その中で、菓子パンを食べていた。
新しくつくったコイビトは何度か家に来た。子どもがいることは隠していたらしく、コイビトが家に来るとき、一護は口にガムテープが貼られた状態で押し入れの中で息をひそめていた。布団があったから寒くはなかったけれど、息がしづらくて、狭くて、苦しかった。
五歳の冬。さんざんに怒られたあと、一護はベランダに放り出された。そこで反省してろと言われ、引き戸には鍵がかけられた。口の中がごろごろして、手の中に吐き出す。小さくて白くて硬いものが、真っ赤な血に汚れてこぼれてきた。
こんなものより、チョコレートが食べたかった。あれがチョコレートという名前の菓子だと知ったのはしばらくしてからだが、このとき一護は、初めて食べた甘くて美味しい食べものに心を掴まれ、想いを馳せることで寒さと痛みから逃避していた。
『おい』
二階建てアパートのベランダはきちんと覆われておらず、隙間のある鉄柵製だった。そのため、たまたま通りかかった人間が、こちらを見つけるという出来事が起きた。
熱く腫れ、閉じていた目をあけて眼下を覗き込む。赤い瞳と目が合った。
『生きているのか、ならいい。せいぜい地獄で生き延びろ』
波打つ黒髪の青年が、携帯電話を耳に当てながらこちらを見てそう言った。何を言っているのかはわからなかったし、今になってもよくわからない。ただひとつ、あの青年が警察に通報したことで凍死せずに済んだということだけは確かだった。
「
…………
っ、
……
?
……
」
ゆるやかに、意識が浮上する。どこからか扉の開閉音と話し声がした。がんがんと痛む頭を押さえ、まぶしい視界を腕で覆う。肌に当たるシーツの感触に安心し、寝返りを打とうとしたところで散り散りになっていた意識が覚醒した。遠かった開閉音がすぐ近くでして、足音が響く。
「目が覚めたか? 気分はどうだ」
「
…………
あ、」
「まだ顔色が悪いな。
……
ああ、自己紹介がまだだった。すまない」
長めの黒髪を首の後ろで結んだ男が、眦をやわらかく緩めた。その腕には、一護が身につけていたスーツが抱えられている。
「私の名は斬月だ。これまでのことは覚えているか?」
「え、っと、
……
お店から帰る途中で、電話に出て、それで
……
」
「ああ、雨に降られ、事故に遭いそうになっていた。そのままにしておくわけにもいかなかったからな。真白とスタッフがこちらまで連れてきたわけだ」
扉の向こうから「斬月さーん」と軽い声がした。ひょこりと顔を出した糸目の男が、こちらを見てひらりと手を振る。
「ボクはもう帰りますわ。ええ加減乱菊にも怒られそうやし」
「ああ、真白には私から言っておこう」
「ほなね、オレンジくん。お大事に〜」
「あ、ありがとうございます
……
」
まだ頭がうまく回らない。ひとまず頭を下げると、にんまり笑った男はドアを閉めて出て行った。そこでようやく、店員として何度か顔を合わせた男だと気づく。
違う、そうではない。あれから何があったのだと、斬月は言った?
「
……
真白さんが?」
「覚えていないのか?
……
雨の中気絶するほどだ。よほど心労が祟ったのだろう。真白と市丸がきみを抱えてきたときは何事かと思ったものだ」
「え、あ、
……
っす、すみません、すぐ帰ります
……
! あ、スーツも!」
「む、これはまだ今から乾かすのだが
……
」
「なにゴチャゴチャやってんだ。うるせーぞ」
再びドアが開く。先ほどと似ているようでまったく違う白い頭がこちらを覗き、体を起こした一護を見るや否や目を細めた。さっと視線を逸らすと、あからさまにため息を吐かれる。
「
……
ンなビビらなくても何もしねえよ。斬月さん、さっき言ってたやつ出来たから仕上がり見てくれ。いつもンとこに置いてる」
「ああ、わかった」
一護のスーツをハンガーにかけ、斬月は部屋を出ていった。あとに残されたのは真白と一護だけだ。どこまでも気まずい空気の中、一護はシーツを握る自分の拳だけを見つめる。すぐそばにまで椅子を持ってきた真白が、どかりとそこへ腰を下ろした。
「カバン」
「
……
は、」
「乾かそうと思って勝手に開けた。スマホはたぶん大丈夫だろうが確認しろ。服も脱がせた。風呂は入れてねえ、適当に拭いた。その服は俺のだ。サイズが合ったからな」
「
…………
何から何まで、すみません
……
」
「別に。ンなとこで野垂れ死なれても目覚めが悪かっただけだ」
目を合わせられない。申し訳なさと恥ずかしさで死んでしまいそうだった。失礼な申し出をして迷惑をかけた挙句、家に世話になるなど。
どうやって詫びればいいのかわからない。土下座なんて安いものだが、それでは釣り合わないだろう。早く立ち去りたいが、服が乾かないことには帰ることもできない。堂々巡りだ。
「あんた、メシ食ってんのか」
「
……
え?」
「俺と身長ほぼ変わんねえくせに軽すぎだ。普段何食ってんだよ」
「ええと、
……
カップラーメンとか
……
?」
「ハ〜〜? ありえねえ」
「家に帰るのが遅くて、料理をする気力もなくて、つい
……
」
「チョコレートは買うのに?」
「それくらいしか、楽しみがなくて。
……
でも、これからは控えます」
「あ? なんで」
「これだけご迷惑をおかけして、今後も通うなんて、そんなことできませんよ」
「迷惑かけた自覚があんなら今後も金落とせよ。フツーの客としてな」
「え、」
「なんだよ」
言葉に詰まる。言おうかどうか迷って、あまりの視線の強さに負けて口をひらいた。
「
……
来て、いいんですか?」
「逆に聞くが、アンタはウチの店に損害でも与えたのか?」
問われて口ごもる。間違いなく不快な思いはさせただろう。けれど、損害とまではいかないはずだ。きっとそうだと思いたい。
「あのくっだらねえ企画は受けねえ。適当にノーコメントとでも書け。つーかアンタもライターなら、ちゃんと自分で考えろ。アンタがホントに書きてえのは、焼き直しの下世話なランキング記事か?」
不意に、檜佐木のことを思い出した。
根気よく取材を重ねて東仙要のコラム企画を通したのだと、嬉しそうに語っていた。他にも多くの記事を書き、コラムよりももっと派手な企画もあるというのに、自慢話として出されるのはいつもこの話題だった。
それだけ、彼にとって思い入れのあるものなのだ。自分で考え、自分で動き、自分が勝ち取った初めの一歩。
ぐっと手を握り、それから開いて、一護は己の両頬を自分で叩いた。ばちん、と大きな音がして、真白が目を丸くする。じんじん痛む頬の熱で緊張をごまかして、一護はようやく、真正面から彼と向き合った。
「
……
違い、ます。俺があなたのことを書くなら、もっとちゃんと、製造過程からこだわりまで、チョコレートのことで埋め尽くしたい。あなたが生み出す作品を、スポットライトの下へ運びたい。あなたのすべてを書き切りたい
……
!」
震える声を絞り出す。拳を握り、逃げたい気持ちで、一護は真白から目を逸らさずに言いきった。口にしてすぐ"やってしまった"という後悔の念が押し寄せたが、すでに粗相をしでかした後なのだ。失うものは何もないし、プライドなんてとっくの昔に鳥の餌にして捨てている。
「ふ、」
沈黙ののちに、声が漏れる。額を手で覆った真白が、じわじわと震え出した。
「
……
ふ、ッはは、ンだそれ! 口説き文句にしちゃァ下手すぎるだろ!」
「え、え!? ッや、そういうわけじゃ
……
!」
「はー、笑った。変なヤツだとは思ってたが想像以上だな。ビクビクされるより振り切ってるほうがずっといいわ」
「
……
怒らないんですか?」
「あんなの言われて誰が怒るかよ。つーか、言ったからには責任持てよ? 途中で投げ出す腰抜けは、いっちばん嫌いなんだ」
立ち上がった真白が壁際のデスクに向かい、すぐに戻ってくる。手元には手のひらサイズの紙があった。四角いそれを「ん」と差し出され、反射で受け取る。
ショコラティエ黒崎真白の、連絡先が明記された名刺。これまで社内の誰が向かってももらえなかった、どころか社外でもそういう報告をろくに聞かぬほどの、幻とまで言われたそれ。
「売るなよ」
「売りませんよ!!」
「あとずっと思ってたけど堅苦しいんだよアンタ。それが素か? そうなら別にいいけどよ」
「や、
……
えと、
……
普通にもできます」
「ア?」
「できる!
……
と、思う。あんまり、普通に話せる相手はいなくて
……
。仕事ばっかりしてるから」
「友達いねえのか。寂しい人生だな」
「そういうおまえも孤高の日々だっただろう」
ガチャリとドアが開き、斬月が入ってくる。片手に持ったトレイには、三人分のマグカップと小皿が乗せられていた。
「どーだよ、仕上がり」
「ああ、今回も上出来だ。せっかくだからきみも食べていくといい、
……
すまない、名前を聞き忘れたな」
「あ、黒崎一護
……
です。これは
……
?」
「新作のオランジェット。いつも試食をこのひとに頼んでんだよ。舌肥えてるし、コーヒー飲むのが趣味だからな」
小皿の中にあったのは、きらきらと輝くオランジェットだった。砂糖の粒で飾りつけられたシロップ漬けの肉厚な皮と、その半分までを覆うチョコレート。爽やかさと甘さが混じり合って、雨の陰鬱な空気を吹き飛ばすようだった。
「皮は甘夏だ。オレンジよりも苦味が強いから、チョコはビターじゃなくミルクに寄せてある。一本で満足感があるように厚めに。パサつかねえよう気は配った。食え」
「え」
「食って感想を言え。それがアンタの仕事だ」
「む、では私はお役御免か」
「意見は多いほうがいいだろうが。斬月さんは続投だよ」
目の前に突きつけられた甘夏ピールを、おそるおそる受け取って口に運ぶ。コーティングされているほうとされていないほう、どちらから食べるか少し迷って、チョコを選んだ。完全なる好みだった。
固められたチョコレートがぱりりと砕け、柔い果肉が歯に沈む。まず舌に触れたミルクの甘みを上書きするように、甘夏のほろ苦さが鼻に抜けた。まぶされたグラニュー糖の感触がアクセントとなり、咀嚼とともにすべてが捏ねられて混ぜられて、形もなく消えていく。
「美味い」
「当たり前だ、俺が作ったんだからな。それから?」
「それから
……
」
二口目を頬張る。チョコレートのコーティングがほぼなくなり、甘夏ピールが主になる。甘味よりも苦味が勝り、異なる味わいになっていく。
「皮が厚いのは、満足感があっていい。それは確かなんだけど、コーティングがなくなると厚すぎて後味が変わる。チョコのない部分に向かって先細りになるような形がいい。
……
ミルクチョコは、一緒に食べると完璧だけど、一口目だけ。二口目で慣れると、甘さが強くて喉に残る。砂糖、三
……
四グラム減らしていいかも。もしくはカカオの配合を変えるか、
……
産地はコスタリカ? バランスがよくてクリーミーだけど、フィリピンでもいいと思う。香りを重視したほうが、甘夏にも負けなくなるんじゃねえかな。でもこのへんは好みかな
……
。あと、グラニュー糖の粒の大きさが
……
、
……
」
はっと顔を上げる。にやにやと笑う真白と対照的に、斬月は目を丸くしていた。マグカップを置いて軽く拍手され、途端に頭のてっぺんまで熱くなる。
「な? 変なヤツなんだよ、こいつ」
「凄まじいな。なるほど、近頃もらっていた封筒の主は彼か」
「あああああ忘れてくれ! 忘れてください
……
! 俺もう帰ります!!」
「まーまー、いいだろ? 乗り掛かった船じゃねえか。あんたのお気に召すまで、きっちり付き合ってやろうじゃねえの」
「独学か? 私も興味がある。今後の参考に同席させてもらいたい」
やめてくれと言っているのにぐいぐい距離を詰めてくる二人から逃げるようにして顔を覆う。人様のベッドを借りている身だが、布団にくるまって籠城してしまいたかった。もちろん、そんなことできるはずもなく。
コーヒーとチョコレートの香りに包まれて、雨の夜が更けていく。冷え切っていた指先はいつの間にかぽかぽかと温まり、熱いくらいになっていた。
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