「あれか」
土を踏み山を駆け上がり、中腹辺りに青白い光が見えてゲゲ郎は光の方へ向かった。
物陰に隠れ光る場所を確認すればあちこちがボロボロの白い着物を来た人物が立って居た。後ろ姿で顔は見えないが腰より下まで伸びた長い黒髪と青白く光る様はあの時の沙代を彷彿とさせる。
しかし、後ろ姿から見える体型からそうではないと解った。周りには人魂が二つ浮遊し、そして歌が聞こえた。それは童歌のような曲調だった。
「ひとーつお訊ね申します
あなたのお名前なんでしょう?
ひとーつお訊ね申します
あなたはどこから来たでしょう?
ひとーつお訊ね申します
あなたはどこへ向かうでしょう?」
迷子に優しく問い掛けるような歌だった。
その歌の声は低く落ち着いた優しい声でその声をゲゲ郎は知っていた。忘れる筈もないあの男の声。
「み、ずき
……」
ゲゲ郎が呟いた瞬間、歌がピタリと止まりその人物が振り返った。
「誰
……?」
その顔を見てゲゲ郎は息を飲んだ。顔は確かに水木だった。しかし目を縦断していたあの傷は頬まで伸び、額には右が長く左が短い、長さの違う二本の角があった。
「魂が、変様してしもうたのか
……」
自身が戦った狂骨のように角が生えた姿を見て怨念を受け止めた魂は、狂骨に侵食され変様し、成仏する事が出来なかったのだと瞬時に理解した。だから冥土にも行けずこんな所を彷徨っていたのかとゲゲ郎は胸が苦しくなった。
ゲゲ郎は水木を安心させる為に物陰から前に出た。
「儂じゃよ、水木」
出てきたゲゲ郎を見て水木の目が見開かれる。目を瞬かせ僅かに開かれた口からゲゲ郎
……?と声が漏れた。水木が己にくれた名を呼んだ事に安堵した。
「そうじゃ、ゲゲ郎じゃよ」
「そっか、そっかぁ
……」
感極まったように涙ぐむ水木は良かったと呟いた。それに釣られゲゲ郎も鼻の奥がツンとしたが、首を振ってそれを振り払いまた一歩、水木に近付いた。
「すまなかった。お主にとんでもない物を背負わせてしまった」
「謝る必要なんてない。俺がやりたかったんだ」
水木がふるふると首を横に振る。その気持ちは十二分に解っていた。命を懸けて助けてくれたのだとあの惨状を見て痛感したのだ。それでも、とゲゲ郎は口を開く。
「儂はお主に生きていて欲しかった」
「
……それはごめん。でも、ゲゲ郎はこうして会いに来てくれたんだな」
嬉しそうに微笑む水木にゲゲ郎は抱き締めたくなって近づこうとしたが触れる前に水木の近くに居た人魂達が間に入り阻止された。
「駄目だよ、そいつは俺の大切な人だから。ほらわたしの方においで」
優しく声を掛ければ素直に人魂は水木の元へと飛んで行く。水木の口から自分が大切な人であると言われゲゲ郎はドキッとした。
「水木、儂は
……」
「なぁゲゲ郎、さっきから言ってるみずき?ってなに?」
「は?」
何を言われているのか解らず間抜けな声を漏らすことしか出来なかった。水木の顔を見ればふざけている様子もなく本当に疑問に思っているようで不思議そうにしている。
「な、何を言うておる。水木はお主の名じゃろう」
「俺の?へえー!僕の名前、水木なんだって!」
無邪気に人魂達に報告する水木に唖然とした。先程から一人称も口調も無茶苦茶で違和感があったがまさか、と思った。
「水木、お主どこまで覚えておる」
「どこまで?えーっと、窖での事は覚えてるよ。でもそれ以外の事は覚えてなくて
…自分の名前も帰り道も解らなくて
……。そーだ!奥さんは?赤ん坊は元気か?ゲゲ郎の事はちゃんと覚えてたんだ」
にこにこと幼子のように気付いた事を口にする水木に愛しさと切なさを感じ、こんな状況なのにその笑顔が可愛いと思ってしまった。そんな邪な心を振り払い水木について考える。
水木がこの様になってしまったのは様々な人間や幽霊族の怨念を取り込んだ事で人格が滅茶苦茶になってしまった事が原因だろうと思い至る。それでもまだ水木という人格は残っている。それが救いだった。
「妻も倅も元気じゃ。お主のお陰でな」
「赤ん坊、男だったのか!良かったなぁ。お前が家族と幸せに生きていてくれて俺は嬉しい」
「何を言う。まだ足りぬ」
ゲゲ郎の答えに心底嬉しそうにする水木はぱあっと花が開くような表情をする。だが水木が死に、ずっと心に虚しさを抱えていたゲゲ郎にはそれが面白くなかった。水木が居て幸せであると思えるからだ。
ゲゲ郎は手を伸ばし水木の手を取ろうとしたが、水木はダメ!!と叫び思わずゲゲ郎の手が止まる。その隙に水木は後ろへ飛び退いた。
「水木?」
「触ったらダメだ。お前が穢れる」
両手を胸の前で重ね、隠すようにギュッと握りゲゲ郎を険しい顔で見つめる。しかしゲゲ郎は何も言わず緩慢な動きでカラコロと下駄を鳴らして水木へ近付いて行く。
そんなゲゲ郎から逃げるように水木は更に後退るが背後に木が立ちはだかり追い込まれてしまった。
「来るな!!」
ぶわり、と青い炎が水木から吹き出る。それは狂骨が保有する能力であり、水木が怨念と混じり合ったが故に身に付いた能力である。それは即ち、水木の魂が人間の魂では無くなった事の証明だった。
牽制する水木にゲゲ郎は少し悲しげな表情で微笑む。その顔を見て水木がハッとすると炎が弱まった。
「共に帰ろう水木。約束じゃろう」
「帰る
……?どこへ?」
弱まった炎に手を差し出しゲゲ郎が誘う。戸惑う水木は困ったように問い返した。
帰る場所は解らない。そもそもそんな場所はあるのだろうか。時間の感覚はもう解らないが、自分はもう死んで長く経つという事はなんとなく理解していた。
「儂の家じゃ」
「!? それは駄目だ!」
何を言い出すんだと水木は声を上げた。しかしゲゲ郎は意に介さず何故、と問いかける。
「わ、わたしは生きてない上に怨念に塗れていて、一緒に居たら障りがあるかもしれないし、それにお前達家族の家に僕が居るのはおかしいだろ
……!」
「それは何故じゃ」
「何故って
……普通はそうだろ?」
「普通とは?お主、記憶がないのじゃろう?」
「それは
……でも、おかしいって思って
……」
ゲゲ郎の人ならざる者の意見に考えが纏まらず、狼狽え混乱する水木にゲゲ郎はもう一押しだと内心ほくそ笑んだ。
「儂は人間ではない。ならばお主が思う"おかしい"は通用せぬよ」
「で、でも、だけど
……」
「大丈夫じゃ。妻もきっと歓迎してくれる。儂はこんな所にお主を置いて帰りとうないのじゃよ。倅にだって会わせたい」
のう?水木、と胸の前で固く握り込まれた手に手を重ねる。ビクッと肩が揺れ、目線を下に向けウロウロと泳がせ、どうすべきかを考える水木をゲゲ郎は抱き締めた。
「ひぇ
……」
いきなり抱き締められてか細い悲鳴をあげた水木は硬直した。低いなりにもある体温と肉体の感触に対する安心感と障りの影響を考えて頭がパンクしそうだった。
「儂は水木を失って思い知った。お主が如何に儂にとって大事な存在か。妻と同等にお主の存在は大きく諦めきれなんだ」
「ゲ、ゲゲ郎
……」
抱き締める力を強め背を丸めて水木の肩に額を乗せる。水木は戸惑いながらも背に片手を回して宥めるように撫でた。
「頷いてくれ、水木。儂と共に帰ると。でなければお主に酷い事をしてしまう」
「酷い事?」
「魂の扱いは心得ておる」
「
…………」
顔を上げ眉間に皺を寄せながら真剣な表情で水木の瞳を見つめ告げるゲゲ郎に水木は無言になる。
幽霊族がそう言うのだからきっとここで頷かなければ自分はどうにかなってしまうのだろうと予測出来た。それと同時に言わせてはいけない事を言わせてしまった事がゲゲ郎の表情から汲み取れた。
「泣かないでくれ
……ゲゲ郎には笑っていて欲しい」
水木の目にはゲゲ郎が苦しそうに映り、そんな顔は見たくなくてそう言って眉尻を下げ微笑んだ。その優しい言葉にゲゲ郎の胸は愛おしさに埋め尽くされる。
「ならば一緒に帰っておくれ」
「でも、障りが
……子供にも何か影響があるかも
……」
「大丈夫じゃ、こうしてお主を抱き締めても儂には何もない。杞憂じゃよ。安心せい」
そう告げれば水木の身体から力が抜ける。それを感じてゲゲ郎も安心して次の言葉を掛けた。
「頷いてくれるな、水木」
「
……うん」
おずおずと水木が頷く。憂い顔だったゲゲ郎の顔がぱぁっと華やぎ嬉しさのあまり水木を横抱きで抱え上げた。
「うわっ!?ちょっ、ゲゲ郎ぉ!?」
「早速帰ろう。行くぞ水木!」
「やっ、わぁあああああああ!」
下駄を鳴らし走り出す。あまりの速さに水木は必死にゲゲ郎にしがみついた。温度はない、重みもない、それでもそこに水木が存在していると、魂がそこにあると解ってゲゲ郎は嬉しかった。これからの生活に心が踊った。
残された人魂達はその姿を見送ってその灯火を消すように姿を消した。
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